機関誌『水の文化』67号
みずからつくるまち

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移住者の実像

東川で暮らす

東川町の人口は1950年(昭和25)に1万754人を記録して以降減りつづけ、一時は7000人を割り込んだ。しかし、1994年(平成6)以降は増加に転じ、2014年(平成26)には42年ぶりに8000人台まで回復した。増加傾向となったころと2018年(平成30)を比較すると、町民の2人に1人が移住者だったという調査結果がある。
移り住んだ人たちは、どんな経緯で、東川町のどこに魅力を感じたのか。暮らしの実感をお聞きすると、「水」「楽しみ」「自然」というキーワードが浮かびあがった。

東川町の水と米でつくった「奥泉」のおかゆ

東川町の水と米でつくった「奥泉」のおかゆ

移住者の実像1
中国茶と相性のいい水を求めて

斉藤裕樹さん 奥泉富士子さん

市街地の外れにひっそりとたたずむ、隠れ家のような建物。木々に囲まれた店のドアを開けると、オーナーの斉藤裕樹さん、奥泉(おくいずみ)富士子さん夫婦が穏やかな笑顔で迎えてくれる。

ここは、中国茶とおかゆと点心の店「奥泉」だ。中国茶インストラクターの奥泉さんが惚れ込んだ、中国福建省の武夷岩茶(ぶいがんちゃ)という希少なお茶を専門に扱っている。

二人は東京で仕事をしている時に出会った。斉藤さんは新潟、奥泉さんは埼玉の出身。結婚後、中国茶の店を出したいという夢のため、飲食店で働いていた斉藤さんが点心を学び、2016年に独立。札幌の円山地区に念願の店をオープンした。北海道を選んだのは、温かいものを出すなら寒いところがいいと考えたから。

ただ、武夷岩茶は非常にデリケートなお茶で、水が違うだけで味や香りが変わってしまう。札幌の水とは相性が悪く、本来の魅力が最大限に引き出せなかった。

「それで道内各地の水を試したのですが、武夷岩茶はもともと岩山に生えているお茶なので、ミネラル分の多い東川の水と特に相性がよかったんです。東川にはお米もあるし、景色もいい。自分たちの理想に近いお店がつくれるのではと、移転を決心しました」と斉藤さん。

納得のいく物件が出るまで2年ほど辛抱強く待ちつづけ、ようやく今の店に出会った。そして2020年1月、東川の地で「奥泉」は新しい一歩を踏み出した。

斉藤さんがつくるおかゆは、米と水だけで炊くシンプルなスタイル。東川産の米をおかゆ用に特別に精米してもらっている。

「おかゆは米と水の産地が同じだと、本当においしくできるんですよ」と斉藤さん。うれしい誤算だったのは、点心の皮がきめ細かくもちもちになったことだ。水だけでこんなにも変わるのかと驚いた。

東川に来たときに、二人で決めたことがある。それは、ランチ営業はしないということ。札幌の店では、たくさんの客が来てくれたが、お昼時は慌ただしく、お茶を楽しんでもらう余裕もなかった。

「武夷岩茶は、お湯を注げば何煎も飲めるお茶。お客さまに、一煎一煎の色や香りの変化を、時間をかけて味わっていただきたいのです」と奥泉さんは話す。

お昼時に店を閉めるなんて無謀だと同業者にも驚かれる。でも儲けを求めているわけではない。ここへ来たら、窓の外の旭岳を眺めながらのんびりお茶を飲んで、いくらでもゆっくりしてほしいだけと二人は口をそろえる。

「お客さまも私たちも互いにゆったりと楽しい時間が過ごせたら、それが私たちの理想のお店なんです」

理想に近いお店が
つくれると思いました。
  • 「奥泉」が提供する中国福建省の武夷岩茶。東川町の地下水が味と香りを引き立てる

    「奥泉」が提供する中国福建省の武夷岩茶。東川町の地下水が味と香りを引き立てる

  • 斉藤裕樹さん(右)と奥泉富士子さん(左)。敷地内の納屋を改修してミニシアターを開く夢も抱いている

    斉藤裕樹さん(右)と奥泉富士子さん(左)。敷地内の納屋を改修してミニシアターを開く夢も抱いている

  • スタンダードなおかゆセット

    スタンダードなおかゆセット

  • むかごのおかゆと水餃子のセット。おかゆは季節ごとにアレンジしたメニューも用意

    むかごのおかゆと水餃子のセット。おかゆは季節ごとにアレンジしたメニューも用意

  • 調理する斉藤さんと奥泉さん。家庭料理カフェが農業に専念するため閉店し、この建物を受け継いだ

    調理する斉藤さんと奥泉さん。家庭料理カフェが農業に専念するため閉店し、この建物を受け継いだ

  • 札幌時代のリピーターも訪れる「奥泉」

    札幌時代のリピーターも訪れる「奥泉」

(2020年11月13日取材)

移住者の実像 2
一杯のコーヒーが地縁をつなぐ

轡田芳範さん 紗世さん

「ヨシノリコーヒー」は、田んぼの真ん中にいながら本格コーヒーが飲める東川の人気スポットだ。

もともと旭川に住んでいた轡田(くつわだ)さん夫婦。夫の芳範さんはコーヒーの焙煎が趣味で、ドライブがてらよく東川に源水を汲みに来ていたが、ある時「売り物件」の看板を見つけて、ここに店をつくったらおもしろいだろうと考えた。人気物件だが農地転用の難しい土地らしく、「売り」の看板が何度も下りては上がる。それを見るうちに店を実現したい思いがどんどん強くなり、3年ほどかけてようやくここを手に入れた。

農家の納屋だった建物をリノベーションし、2015年春に自宅兼店舗が完成。当時、芳範さんは会社員だったので、妻の紗世(さよ)さんが店の運営をすべて任された。

「生後5カ月の娘を抱え、心の準備もないままで、直前まで『私には無理』って泣いていました」と、紗世さんは笑いながら振り返る。

「ヨシノリコーヒー」が提供するのは、芳範さん自身が目利きした貴重な豆を使ったスペシャルティコーヒー。その風味を引き立てているのが、東川の地下水だ。

「ミネラルのバランスがうちのコーヒーに合っていて、味がまろやかになるんです」と紗世さん。店のコーヒーの味を再現したいからと、豆と一緒に水を求めていく客も多いという。この秋に札幌で開催されたコーヒーイベントでも、水を変えてコーヒーの飲み比べをしたところ、日本のトップバリスタやコーヒー専門家が皆、東川の水を絶賛したそうだ。

移住希望者への説明会に、アドバイザーとして参加することも多い紗世さん。東川は水道代が無料という点ばかり注目されるが、「ミネラルが固着するので、水回りは汚れやすいし、浄化槽のメンテナンスも定期的に必要で、年間でお金はそれなりにかかります」と正直に話している。マイナス面もきちんと伝えたうえで、東川のすばらしさを理解して移住してきてほしいからだ。

数年前、北海道全域が停電した時には、地域の人たちが「お店の冷蔵庫が使えなくて大変だろう」と、自家発電のある公民館の冷蔵庫を使うように言ってくれた。ごく自然に助け合うコミュニティの姿を見て、幸せな環境にいることをありがたく実感したという。

夏の観光シーズンには、1日に200人もの来客がある「ヨシノリコーヒー」。開店から5年超が経ち、地域にもすっかりなじんできた。

「近所の農家のおじいちゃんが、採れたてのトマトを都会から来たお客さんに配って、そこで話が盛り上がることもあるんですよ」。田んぼのなかの小さなコーヒーショップが、たくさんの人たちの縁をつなぐ憩いの場所となっている。

水のミネラルバランスが
うちのコーヒーに合っています。
  • ドリップする轡田芳範さん。今は会社をやめて経営に専念している

    ドリップする轡田芳範さん。今は会社をやめて経営に専念している

  • 轡田紗世さんの明るい人柄で店内はいつも賑やか

    轡田紗世さんの明るい人柄で店内はいつも賑やか

  • 水田に囲まれたヨシノリコーヒー。客席を増やすスペースをつくるため、改修工事中

    水田に囲まれたヨシノリコーヒー。客席を増やすスペースをつくるため、改修工事中

  • 木のぬくもりを活かし、店内は落ち着いた雰囲気

    木のぬくもりを活かし、店内は落ち着いた雰囲気

  • 二人三脚でコーヒーショップを営む轡田夫妻

    二人三脚でコーヒーショップを営む轡田夫妻

(2020年11月13日取材)

移住者の実像 3
雄大で美しい風景が決め手

小林 淳さん 郁子さん

奈良県橿原市から2018年(平成30)に移住してきた小林淳(すなお)さん、郁子さん夫妻は東川の水と米に魅入られている。

「どこで飲んだ水より間違いなくおいしいし、近所の農家さんの『ななつぼし』は他の産地の同品種と比べても上質だと思います」と淳さんは言う。

「お米とお水がいいから、たいしたおかずがなくても充分。今日のお昼もおにぎりだけでした」と郁子さん。水道管を通る水と違い地下水は年中一定の水温なので、夏はひんやり、冬はぬるく感じるのもうれしいという。淳さんは「塩素消毒しない地下水を流すとバクテリアが死なず、ある種の成分が浄化槽にへばりつくのは新たな発見でした。でもそれは点検業者が除去してくれるので、別に面倒ではありません」と語る。

長男が暮らす旭川で退職後の人生を送ろうと市内で土地を探したが、あまりピンとこなかった。大阪ドームで開催された北海道の移住フェアに行くと、旭川市の隣のブースが東川町。

「そんな町、まったく知らなかった」と淳さん。説明を聞けば、ふるさと納税(ひがしかわ株主制度)の特典で無料宿泊できるというので試してみた。

淳さんが「空港から来ると道の両側に水を張った田んぼが広がり、正面にキトウシ山、右手に旭岳がそびえて」と言うと、「天気がいい日だったので大雪山連峰がすごくきれいに見えたんです。もうここしかない、という話になったのよね?」と郁子さん。互いにうなずき合う。

野菜は畑で自給自足。近所の農家の方が来てアドバイスしてくれる。「それも朝6時くらいに」と郁子さんは笑う。「びっくりしたのは、日の出の早い北海道の農家さんて初夏は3時には起きて、ひと仕事した後なんです」。ガラス張りの運転席にエアコンとステレオが付いたコンバインによる収穫作業を窓から夫婦で見て「時速30kmは出ています。大きな田んぼ1枚に20分かからない!」と最先端の農業に感嘆したこともある。

小林さん宅は旭川市内にもっとも近い西端部。大病院も利用しやすい。今は長男が同居し、旭川へ通勤している。かつてニセコ町の高校で寮生活をしていた東京在住の次男に「北海道の冬を甘く見るな」と釘を刺されたが、東川はニセコほど雪深くはない。

今は人生初の薪割りに夫婦で精を出す。淳さんが「関西から友人を招いたとき、北国らしくてカッコがつくじゃないですか」と設置した薪ストーブで体の芯から温まり、快適に東川の春を待っている。

どこで飲んだ水よりも
間違いなくおいしいです。
  • 奈良県から移り住んだ小林淳さん(左)と郁子さん(右)

    奈良県から移り住んだ小林淳さん(左)と郁子さん(右)

  • リビングにある薪ストーブ。夜に火を落としても朝まで家全体が暖かい

    リビングにある薪ストーブ。夜に火を落としても朝まで家全体が暖かい

  • 当初は旭川市に住むつもりだった小林夫妻。薪ストーブを前に話が弾む

    当初は旭川市に住むつもりだった小林夫妻。薪ストーブを前に話が弾む

  • 薪ストーブで暖をとるには大量の薪が必要なので、薪割りは淳さんの日課となっている

    薪ストーブで暖をとるには大量の薪が必要なので、薪割りは淳さんの日課となっている

(2020年11月18日取材)

移住者の実像 4
「楽しみが近い」町で子育て

舟越健造さん 里奈さん

中心市街の分譲地「グリーンヴィレッジ」。150坪の土地に家を建てた舟越健造さん、里奈さん夫妻は札幌と旭川に実家がある。

結婚した翌年の2016年(平成28)に移住してきた。健造さんは薬剤師、里奈さんは看護師(現在は育児休暇中)でともに旭川へ通う。

「東川はよい町だと聞いていて、グリーンヴィレッジは緑豊かな街並みがきれいだし、子育て支援も手厚いので、ここで新生活を始めることにしました」

東川町には景観条例があり、町の宅地造成地に家を建てる際は協定を結ぶ。勾配屋根、落ち着いた色調、植栽、低い塀など、舟越夫妻は、みんなで守る景観のしばりをむしろ好ましく思った。

「建ぺい率40%以下で庭をつくるのですが、協定を結べば緑地化に助成がつきますし、町内の業者さんにガレージや家具などを発注しても同様です。隣家と2m離すとか三角屋根などの条件は、まったく不自由ないことでした」と里奈さん。1歳2カ月のみらちゃんを連れて里奈さんは子育て支援センターや育児サロンなどに通う。

「お母さん方とおしゃべりしたり、福祉専門学校の保育科の学生さんが子どもたちと遊んでくれます。せんとぴゅあⅡの図書館では絵本の読み聞かせもあるんです。支援センターにはいろんな国の人の子どもが来ているし、町なかで外国人に会うのは珍しくなく、子どもにも刺激的だと思います」

一人で子育てをするストレスとは無縁のようだ。

また、車で旭川市内まで30分、旭川空港へ10分という地の利も魅力だ。「通勤は渋滞もなく快適ですし、東京へは札幌から行くよりも格段に近いので、冬は遊びに行くのが楽しみです」と健造さん。里奈さんも「コロナ禍がなければ、夫の職場が切り替わる時期があったので育休中に東京とハワイに1カ月くらいずつ住もうか?と話してました」と言う。

かの有名な旭山動物園へもたったの15~20分。年間パスを使い「今日はカバさん見に行こうね」などと気軽に出かけられるのがうれしいという。大人にも子どもにも「楽しみが近い」町だ。

住んでみて少し困ったのは、6月に近くのポプラ並木の綿毛が飛散して外に洗濯物を干せないことくらい。

「おいしくて安全な水を豊富に使えるのも素敵。無駄遣いしないように注意していますが、水道代がかからないのはうれしいです」と里奈さん。広い敷地に構えた「東川風住宅」で子育てライフを満喫している。

水を豊富に使えるのも魅力です。
  • 「東川風住宅設計指針」に基づいて舟越夫妻が建てた家

    「東川風住宅設計指針」に基づいて舟越夫妻が建てた家

  • 庭側から眺めた「グリーンヴィレッジ」の街並み

    庭側から眺めた「グリーンヴィレッジ」の街並み

  • 舟越健造さんと長女・みらちゃんを抱っこする里奈さん。子どものケアが手厚い東川の暮らしに満足している

    舟越健造さんと長女・みらちゃんを抱っこする里奈さん。子どものケアが手厚い東川の暮らしに満足している

(2020年11月19日取材)

移住者の実像 5
大自然のなかでのびのびと

大塚友記憲さん 祐子さん

大塚友記憲(ゆきのり)さんと祐子さんは、ここ東川町で出会い、2014年(平成26)に結婚した。

友記憲さんは2000年(平成12)に北海道の大自然に憧れて旭岳温泉の宿、大雪山白樺荘に住み込みで勤務した。20歳だった。

「海外旅行に出てはまた働かせてもらうのを2~3回繰り返し8~9年お世話になりました。その間、動植物や山の写真を撮るようになり、写真を仕事にしようと千葉県野田市の実家から1年間、渋谷の写真学校に通いましたが、どうにも自然が恋しく、また東川へ。観光協会の臨時職員として採用され、そこで妻に出会いました」

神奈川県横須賀市が実家の祐子さんは不動産会社で10年間、IT関連の仕事をしていた。やはり写真が趣味だった。

「旭川空港を拠点に道北を回り、美瑛や富良野の風景が好きでした。そのうち、すばらしい景色を残す自然保護の仕事をしたいと思うようになり、東川町の委託事業の〈旭岳自然保護監視員〉に応募し転職しました。半年の期間雇用でしたが、ちょうど旭岳ビジターセンターの欠員が出て、それが観光協会の仕事です。『半年で帰ってくるなんて言ってたけど、そんなはずないと思ってた』と親には見透かされてました」

観光協会の仕事を始めた2010年(平成22)ごろから若い移住者が増え、同世代の友人が多くなったことが心強い。

山岳ガイドなどの資格をもつ友記憲さんは町の臨時職員としてビジターセンターに勤務しつつ写真家の仕事もする。宅建士の資格をもつ祐子さんは旭川市の不動産仲介業者と契約して活躍中だ。

保育園の年中組と2歳の姉弟は「自然豊かな環境のおかげで、たくましい自然児に育ちつつあります」と友記憲さんは言い、「子どもたちが朝起きて畑に行きトマトをもいで食べる、みたいな生活が理想でした。それができているのがうれしい」と祐子さんも満足そう。

ある日、家の前に大きな袋が置いてあった。トウモロコシが20本。心当たりの知り合いに電話したが、誰かわからない。数日後、「あのトウキビ、うまかった?」と声をかけられた。あ、おじいちゃんだったんだ!「ありがとうございます」とお礼が言えた。「よそ者扱いされたことはありません。とてもよくしてくれます」と祐子さん。

老いも若きも持ちつ持たれつ、同じまちに暮らす者として分け隔てしない。そんな東川流の暮らし方が二人をこの地に自然と引き寄せたのかもしれない。

たくましい自然児になりつつあります。
  • 自然のなかで遊ぶ大塚さんご夫妻の子どもたち。都会では得がたい体験を日々積み重ねている(提供:大塚友記憲さん)

    自然のなかで遊ぶ大塚さんご夫妻の子どもたち。都会では得がたい体験を日々積み重ねている(提供:大塚友記憲さん)

  • 自然のなかで遊ぶ大塚さんご夫妻の子どもたち。都会では得がたい体験を日々積み重ねている(提供:大塚友記憲さん)

    自然のなかで遊ぶ大塚さんご夫妻の子どもたち。都会では得がたい体験を日々積み重ねている(提供:大塚友記憲さん)

  • 夕日が照らす美しい水田のなかをサイクリング。奥に見えるのは大雪山連峰で、右端のピークが道内最高峰の旭岳(標高2291m)(提供:大塚友記憲さん)

    夕日が照らす美しい水田のなかをサイクリング。奥に見えるのは大雪山連峰で、右端のピークが道内最高峰の旭岳(標高2291m)(提供:大塚友記憲さん)

  • 大塚友記憲さん(左)、祐子さん(右)ご家族。2018年7月にオープンした東川町の複合交流施設「せんとぴゅあⅡ」の図書室にて

    大塚友記憲さん(左)、祐子さん(右)ご家族。2018年7月にオープンした東川町の複合交流施設「せんとぴゅあⅡ」の図書室にて

(2020年11月20日取材)

移住者の実像 6
五感を潤す水の景色に惹かれて

飯塚達央さん

「週末に写真を撮ることだけが生きがいで、長野からワンボックスカーで3カ月かけて北海道へ。そのうちお金がなくなり、写真館に雇われて1996年に上富良野町に移住しました」

飯塚達央さんはフリーランスになった2年後に美瑛町へ。結婚し子どもが生まれ、隣の東川町に転居したのが2005年(平成17)。東川町国際写真フェステイバルに出展したことがあるなど、東川とはかかわりがあった。2011年(平成23)、縁あって旭川市内に写真スタジオを構えた。「東川を素通りして出勤していました。『写真の町』にいるのに変だなと店じまいして、現在地に自宅と家族写真のスタジオを建てたのが2015年です」

大阪から静岡、沼津、松本、富良野、美瑛と転居を繰り返した飯塚さんが東川に腰を落ち着けたのは、田舎町にありがちな閉鎖的な雰囲気がまったくないこと。

「これは僕の主観ですが、水の豊かな稲作地帯で暮らしてきた農家の方々が多く、気持ちがおおらかだからではないでしょうか」

至るところを走るのが、田に水を引く水路。五感を潤す水の景色にも飯塚さんは惹かれている。

「5月の田植えから8月いっぱいまで常に水が滔々(とうとう)と流れています。その時季になるとマイナスイオンみたいなのを感じるんです」

飯塚さんは東川町議会議員でもある。「ずっと住みつづけたい町に初めて出会えたので、まちづくりにかかわりたい」と2019年の町議選に立候補。当選した定数12人のうち、飯塚さんを含め移住者が4人を占めたのは初めてという。68%の投票率は、市区町村議会議員選挙の全国平均投票率(総務省2015年調査)47%に比べて格段に高い。

任務の一つは前年度決算の承認だが、「8000人規模の町でも膨大な予算・決算書と付随資料があり、とても細部までは精査しきれない」と明かす。「議員の大事な役目は行政の監視です。もちろんそのつもりで疑問点は質しますが、町長はじめ職員の皆さんがまちをよくしたい一心で仕事をしていることは町議になってよくわかったので、基本的には信頼しています」。

飯塚さんが選挙で訴えかけたのは、行政と議会で何が行なわれているか伝える役割を果たすこと。

「議員として見知った情報をSNSで発信しています。行政に対する関心を高めてもらうことがまちづくりに欠かせないと思ったからです」

東川町では優秀な職員が率先して物事を進めるので、町民が行政に委ねがちになるきらいがある、と飯塚さんは感じていたが、最近は町民主導のイベントなどが増え、望ましい兆しが見える。官も民も閉塞感を抱える地域が多いなか、実にぜいたくな悩みというほかない。

住みつづけたい町に初めて出合えました。
写真家として活躍しながら東川町議会議員としても活動する飯塚達央さん

写真家として活躍しながら東川町議会議員としても活動する飯塚達央さん

(2020年11月19日取材)

あまり遠くない過去に東川町へ移住した人たちには、いくつかのパターンがあるようだ。明確に水を求めてやってきた人、偶然が引き寄せた出合いから移り住んだ人、子育て環境や通勤などの暮らしやすさを重視した人、ある種の自分探しを終えて「ここだ」と決めた人。経緯も年齢もさまざまだが、東川町の水、その水を育む大雪山や水田、旭川空港に近い地の利などに満足していることがわかる。

次ページからは、こうした移住者を呼び寄せるきっかけを生んだ東川町のまちづくり施策について見ていきたい。

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この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 67号,北海道,東川,水と生活,日常生活,水と自然,地下水,移住

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