機関誌『水の文化』67号
みずからつくるまち

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写真文化首都

今日の東川町をつくった「写真の町」宣言

東川町のまちづくりでターニングポイントとなったのは「写真の町」宣言。「一村一品運動」を東川流に取り入れ、新たな文化を醸成しようとしたことから、写真を撮りに来る人たちに恥ずかしくない地域にしようと、のちの木彫看板、景観条例、東川風住宅設計指針などへつながっていく。

写真提供:東川町

写真提供:東川町

前例のない文化によるまちおこし

開拓90周年を迎えた1985年(昭和60)6月1日、東川町は「写真の町」宣言を行なった。高名な写真家を輩出したわけでも、写真関連の企業があるわけでもない、小さな北の町のユニークな挑戦の始まりだった。

当時、東川町は観光客数の減少に頭を悩ませていた。そのために発案されたのが「写真の町」だった。雄大な自然や田園が広がる東川の美しい風景と写真を組み合わせて、町の魅力として打ち出していこうというアプローチだ。ちょうど大分県から始まった一村一品運動が全国で盛んになっていた時期だが、モノや産業ではなく、文化によるまちおこしという発想はほかに例がない斬新なものだった。

「写真の町」事業の中核となるのが、「東川賞」。学芸員やギャラリストなど専門家によってノミネートされた国内外の写真家の作品を審査し、毎年夏に開催される「東川町国際写真フェスティバル(通称フォトフェスタ)」で表彰する。初めは、1、2年で失敗して終わるだろうという懐疑的な声も多かったが、担当職員が各所へPRに回り、各界の著名な文化人を審査員に迎えるなどの努力を重ねて徐々に認知度が上がり、全国から多くの人が集まるようになった。

ただし、行政主導でイベントが盛大に行なわれても、町の人たちにはどこか他人事でしかなかった。そんな町民の意識を変えるきっかけとなったのが、1994年(平成6)に始まった全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」だ。

  • 中川音治町長(当時)が行なった「写真の町」宣言式(提供:東川町)

    中川音治町長(当時)が行なった「写真の町」宣言式(提供:東川町)

  • 約1カ月に及ぶ「東川町国際写真フェスティバル」ではさまざまなイベントが開かれる(写真は愛好家や大学生による「ストリートフォトギャラリー」)(提供:東川町)

    約1カ月に及ぶ「東川町国際写真フェスティバル」ではさまざまなイベントが開かれる(写真は愛好家や大学生による「ストリートフォトギャラリー」)(提供:東川町)

  • 企画写真展などを行なう「東川町文化ギャラリー」。1989年11月に開館して以来「写真の町」の中心施設で、2021年2月にリニューアルオープン(提供:東川町)

    企画写真展などを行なう「東川町文化ギャラリー」。1989年11月に開館して以来「写真の町」の中心施設で、2021年2月にリニューアルオープン(提供:東川町)

町民の意識を変えた高校生との交流

「写真甲子園」には、学校ごとに生徒3人1チームで参加する。初戦は6~8枚の組み写真を提出し、初戦審査会を通過すると全国のブロック審査会へ進む。ここで選手たちがプレゼンテーションして、審査で勝ち残った18校が東川に足を運び本戦を戦い、全国一を目指す。近年では毎年500校以上の応募がある。「写真甲子園」は写真に取り組む高校生にとってあこがれの舞台となっている。

東川での本戦は、厳格なルールのもと3日間撮影して行なわれる。町外を含む撮影地やテーマは直前まで非公開。当日は専用バスが巡回し、毎日定時までに撮影したデータを本部に提出。バスに乗り遅れたら徒歩で移動し、データ提出が1分遅れるごとに減点される。写真のセレクトは生徒のみで行ない、その日の終わりに審査委員の前でプレゼンテーションし、最終日に優勝校が決まる。

選手の高校生たちは、オリエンテーションを含め6泊7日を東川で過ごし、その間は町民のボランティアが食事の用意などを手伝う。また本戦では生徒らは町に出て、地域に暮らす人に話しかけ、時にはカメラを向ける。そんな交流を通して、町の人たちは「写真の町」事業を自分たちのこととしてとらえ、積極的にイベント運営にも協力するようになっていった。大会期間中のホームステイ体験は、「高校生にもっと東川を楽しんでほしい」と町民が考えたプログラムだ。

東川町文化ギャラリーで働く、写真の町課学芸員の吉里演子(ひろこ)さんは、実は2005年(平成17)の「写真甲子園」に大阪から出場した元選手である。大会でふれあった東川の人と町に魅了され、翌年に大阪の大学に進学すると、今度はボランティアとして「写真甲子園」に参加した。

「裏方にまわって、たくさんの大人が真剣に大会を運営する姿に感動して、自分もその一員になりたいと思いました」。以来、何度も東川に通いつめたという吉里さん。臨時職員の口を紹介してもらい、働きながら専門学校に通って採用試験を受け、晴れて東川町の職員となった。現在、「写真の町」事業にかかわるさまざまな業務を担当している。

  • 「写真甲子園」初戦応募校数の推移

    「写真甲子園」初戦応募校数の推移
    ※22回大会から関東は北関東、東関東と東京に、中部・東海は北陸信越と東海にそれぞれ分かれた
    ※優勝校や作品は「写真甲子園」HP参照(https://syakou.jp)東川町発行『写真甲子園2019』を参考に編集部作成

  • 東川町 写真の町課 東川町文化ギャラリー 学芸員の吉里演子さん。高校生のとき「写真甲子園」に出場した経験をもつ(提供:東川町)

    東川町 写真の町課 東川町文化ギャラリー 学芸員の吉里演子さん。高校生のとき「写真甲子園」に出場した経験をもつ(提供:東川町)

  • ホストファミリー宅に到着した「写真甲子園」の出場者たち。ホームステイは町民が発案したもの(提供:東川町)

    ホストファミリー宅に到着した「写真甲子園」の出場者たち。ホームステイは町民が発案したもの(提供:東川町)

写真を通じてより豊かな生活へ

東川町は2014年(平成26)、写真文化の中心地として、新たに「写真文化首都」宣言をした。東川の地で写真と世界の人々を繋ぐことを目的に掲げ、2015年には写真甲子園の海外版といえる「高校生国際交流写真フェスティバル」もスタートした。

写真関連のこうしたイベントは、フォトフェスタ期間中に集中して行なわれるため、毎年7月末から8月初旬にかけて、東川の町は写真一色になり大変なにぎわいを見せる。「ありがたいことに、全国から写真をきっかけに東川を訪ねてくれる観光客も増えました。でも、イベントだけが写真の町事業ではありません。写真を通じて町民の皆さんの生活がより豊かになることが何より大事だと思います」と吉里さん。

そのために、町では通年、就学前の幼稚園児からシニアまで多様な層に向けて、各種ワークショップを実施。また、現在改修中(2021年2月リニューアルオープン)の東川町文化ギャラリーには、新たにラウンジと呼ばれるスペースを設け、町内の家具職人がつくった東川家具などを置き、写真展を見に来た人でなくても自由にくつろぎ交流できる場にする。

吉里さんが特に力を入れているのが、2013年(平成25)に自ら立ち上げに携わった「ひがしかわ写真少年団」。現在、小学校3年生から中学校3年生まで町内の子ども25名が参加し、月2回、写真に親しむ活動をしている。

「東川の子どもたちに、故郷が写真の町であることを誇りに思い、写真と楽しくふれあいながら成長していってほしいのです。いつの日か、ここから東川賞を受賞する写真家が誕生することを夢見ています」

行政や市民といった枠組みを超えた、東川を愛する人々の熱い努力により、「写真」を中心としたこの町ならではの文化が着実に育まれている。

2015年にスタートした「高校生国際交流写真フェスティバル」。海外選抜校20校(各国・地域1校ずつ)と日本選抜校2校が参加(提供:東川町)

2015年にスタートした「高校生国際交流写真フェスティバル」。海外選抜校20校(各国・地域1校ずつ)と日本選抜校2校が参加(提供:東川町)

(2020年11月13日取材)

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