岐阜県中津川市で143年続いた蔵元「三千櫻(みちざくら)酒造」が東川町に移転を決め話題となった。杜氏を兼ねる社長の山田耕司さんは「水や米、気温など環境が抜群」と東川町に惚れ込み、職人全員で移住を決断。いよいよ日本酒の仕込みが始まるタイミングに立ち会った。
2020年(令和2)11月、東川町に初の酒蔵が誕生した。全国でも数少ない公設民営型の酒蔵である。東川の豊かな天然水と主要農作物である米を活かして新たな特産品をつくりたいと、町が酒造施設を建設し、運営会社を公募。その呼びかけに応えたのが、岐阜県の老舗蔵元、三千櫻酒造だった。
1877年(明治10)創業の三千櫻酒造は、家族経営の小規模な酒蔵ながら、一世紀半にわたって岐阜の中津川で地酒「三千櫻」をつくりつづけてきた。今回、慣れ親しんだ故郷を離れ、蔵人やその家族を連れて遠い東川へ蔵ごと移転するという大胆な決断をした背景について、自ら杜氏も務める六代目社長の山田耕司さんは次のように語る。
「創業以来使ってきた土蔵は老朽化が激しく、改修もできない状況でした。一方で温暖化により、岐阜の地で安定した酒をつくることは年々難しくなっていました。100年先まで三千櫻を残し伝えるため、考え抜いて選んだのが『移転』という道でした」
すでに数年前から、移転先の候補地を探して北海道の各地を回っていた山田さん。東川町の取り組みを知ると現地を訪れ、すぐに心を決めた。
「いい水と米に恵まれ、寒冷な気候も酒造りに最適でした。何より役場や町の人たちの熱意、行動力が他所とはまるで違う。ぜひここで一緒に酒をつくりたいと強く思いました」
ある夜、松岡町長との雑談のなかで企画の話が出ると、町長がその場で決定。翌朝、役場の課長職全員にメールで周知されていたことがあった。そのスピード感に驚いたという。
ただし、いい水があればいい酒ができるといった単純な話ではないと山田さんは言う。酒造りで重要となるのが水の硬度。硬度が高いほど水中のミネラルが多く、酵母が活性化し発酵が進みやすい。
「中津川の水は硬度8の超軟水で、醸造に時間がかかりアルコール度も上がりません。でもそれが、割り水なしの原酒で飲める酒という三千櫻の方針には合っていました。ところが、東川の水は硬度60~80、中津川の10倍の硬水です。当然、同じ製法ではアルコールが強く出るはずなので、仕込みの配合など設計を変えなければなりません。水や場所が変わっても、私たちがつくるのはあくまで三千櫻なのです」
山田さんは数年前に、メキシコで日本酒づくりの指導をした。メキシコの水は、日本にはない硬度230の超硬水。それでも発酵を抑えるさまざまな対策を講じて、中南米初となる現地生産の本格的日本酒をつくり出すことに成功した。その時の経験が、どんな条件のもとでもいい酒はつくれるという自信につながっている。
「水は酒の命と言われるけれど、同じ水を使っても、うまい酒もあればまずい酒もある。結局、どれだけいい酒をつくりたいかという、人の思いの強さが一番大事なんです」
取材当日、ちょうど製造設備の試運転をしていた。「いよいよ明日から、東川の米で初の仕込みが始まります」と山田さん。これから、東川や道内産の酒米を中心に各地の米を組み合わせて、新生三千櫻の味をつくりあげていくという。
「例えば、ワインはその土地で採れたブドウをその場所で加工するという意味で農業の延長。でも日本酒の場合、原料の米はどこからでも持ってこられる。つまり工業製品に近いのです。それが日本酒の自由度でありおもしろさだから、地元産の米だけにこだわることはないです」
それでは、地酒を地酒たらしめるものはなんなのか。それは、「動かすことのできない水と人」だと山田さんは言う。
「いずれは、東川で生まれ育った人に、この蔵を継いでもらうのが私たちの使命だと考えています。そのための技術や経験は惜しみなく伝えていきたい。東川の人が東川の水でつくった酒こそ、初めて本当の意味での東川の地酒になるのではないでしょうか」
年明けには、この蔵でつくられた初めての三千櫻ができあがる。これから100年先まで、三千櫻が東川の地酒として人々から愛されるよう、三千櫻酒造は東川の人たちとともに、ゆっくりとこの地で酒を育てていこうとしている。
(2020年11月12日取材)