温泉地を「空間」として見た場合にどんな特徴があるのか。人びとが「心地いい」と感じる温泉地の条件について、風景計画を研究する下村彰男さんにお聞きした。
インタビュー
國學院大學 観光まちづくり学部教授
下村 彰男(しもむら あきお)さん
1955年兵庫県生まれ。東京大学農学部林学科卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科教授などを経て2020年4月より現職。専門分野は造園学、風景計画、観光計画など。「全国温泉地サミット」コーディネーターや「自然等の地域資源を活かした温泉地の活性化に関する有識者会議」座長も務める。
湯が湧く場所に人が集まり、その人(湯治客)のために宿泊できる小屋や商店などができ、徐々に温泉地という空間構造がつくられていきます。自然に憧れる西欧ロマン主義の影響で、明治中期から人が自然のなかへ入るようになると、温泉地は「自然を楽しむ観光滞在拠点」の色を強めていくのです。
もともと湯治客は3週間を基本として長期で滞在しますから、温泉地もそれに対応する形に、長い時間かけて変わっていった。その結果、温泉地は日本の伝統的なリゾートとして確立したんですね。
ところがその後、特に戦後の高度経済成長期、1960年ごろから宿泊施設のビル化が象徴するように温泉地はどんどん無秩序に広がり、備えていた空間構造が壊れてしまってリゾートとしての条件を失います。それが近代における温泉地の経緯です。
実は、東京ディズニーランドと空間構造が希薄化する前の温泉地はよく似ているんです。外部とは切り離された「別世界」で、空間構造がはっきりしていました。
もしも砂漠に一人放り出されたら不安ですよね。それは目印がなく空間や方向が認識できないから。しかし、山に囲まれていたり川が流れていればおおよその位置がわかるので不安にはならない。空間構造がはっきりしているというのは、人がくつろぐうえで重要なんです。東京ディズニーランドでいえばシンデレラ城が真ん中にあり、周囲は盛り土と植栽で外側が見えないように設計されています。
温泉地の場合はどうでしょう。空間構造で重要なのは「中心性」と「方向性」と「領域性」です。今回取材された城崎温泉でいえば、中心性としては真ん中に川が流れています。その川の上手と下手で方向性がわかり、周囲に山が迫っているので領域性も把握できます。
さらに旅館や商店、社寺、外湯などの構成要素が絡んで構造性を強化します。これらの要素を各地の温泉地絵図で分析すると、位置関係に、ある秩序が見られます。これは自然環境に対応した多くの人びとの活動の歴史的集積で生まれたものです。
つまり、そうした構造性を感じさせる温泉地は一人の天才が設計したわけではなく、快適に長期滞在するために名もなき人たちが長い時間かけて最適化していったアノニマスデザイン(注)だったわけです。
(注)アノニマスデザイン
アノニマスは「作者不明の」「匿名の」という意味。デザイナーが特定できない状態で世に送り出されたデザインのこと。
私は風景計画が専門ですが、皆さんが考えている以上に人は「視覚情報」に影響されます。例えば、目の前にある塀の高さが膝くらいなのか目の位置まであるのかで、次の行動はまったく変わる。学生たちに写真を見せながら聞くと、並木道で友だちとすれ違ったときに並木が10m間隔のケースでは立ち止まって話をしたいと思うが、7m間隔の場合は挨拶だけにする学生がほとんどでした。
このように、人の行動や感情は見えているもので誘発されます。
温泉地における整備では「景観」「空間」「風景」という3つの言葉がよく使われます。今、私が懸念しているのはまちを美しく整えようとやや人工的かつ強引な「景観」づくりに重きを置く地域があることです。しかし、温泉地を俯瞰的に捉える三次元な「空間」づくりも、地域の生活文化や歴史、生業(なりわい)などが読みとれる「風景」づくりも、景観に負けず劣らず重要です。ぜひそちらにも目を向けて、無秩序な開発で壊れてしまった日本の温泉地を復活させてほしいですね。
(2022年8月31日/リモートインタビュー)