湯治から観光へ―温泉の楽しみ方は時代とともに変わっているが、今さらに新しい楽しみ方を提唱している人がいる。温泉ライターの高橋一喜さんに「ソロ温泉」と「温泉ワーケーション」についてお聞きした。
インタビュー
温泉ライター
高橋 一喜(たかはし かずき)さん
1976年千葉県生まれ。上智大学卒業後、ビジネス系出版社に入社し、雑誌や書籍の編集に携わる。南紀白浜温泉「崎の湯」からの絶景に感動し、温泉巡りを始める。温泉好きが高じて会社を辞め、「日本一周3000湯の旅」へ出発。386日かけて3016湯を踏破。2021年1月、東京から札幌へ移住。著書に『ソロ温泉―空白の時間を愉しむ―』『日本一周3016湯』などがある。
温泉は誰かと行くものと思い込んでいませんか。私がぜひお勧めしたいのが「ソロ温泉」です。
「ソロ温泉」とは文字通り、一人で行く温泉旅行。その目的は「何もしない空白の時間」をつくることです。
忙しい現代人は日々仕事に追われ、ストレスにさらされて、心身を休める機会がありません。たまの休みもついゲームをしたりスマホをいじったりして、常に頭は働いている状態です。そこで、半ば強制的に日常のスイッチをオフにする「ソロ温泉」が有効なのです。一人で温泉に行くと、湯浴み以外何もすることがないので、ゆっくり自分と向き合い、心と体を休めて鋭気を養うことができます。
私は昔、出版社で編集者として働いていました。仕事は嫌ではなかったけれど、とにかく多忙で寝る時間もなかった。ある時いよいよ疲れ果てて、初めて1週間有休を取って群馬県の沢渡(さわたり)温泉に行きました。共同浴場が一つと宿が10軒くらいある鄙(ひな)びた温泉地です。まだスマホはない時代で、ひたすら本を読み、温泉に入って、仕事のこと、将来のこと、いろいろなことを考えました。そうしてこの時、フリーランスになることを決意したのです。自分のことだけを考える時間がたっぷりあったからこそ、そんな決断ができたのだと思います。
以来、私は時間をつくっては、「ソロ温泉」に出かけています。
「ソロ温泉」に向いているのは、沢渡温泉のような小さな温泉地です。初心者の方には、もう少し温泉街として整備されている長野県の渋温泉や野沢温泉などもお勧めです。ただし、人出の多い大きな温泉街は、一人だと気後れするので避けた方が無難です。仕事は決して持ち込まず、スマホの使用も最低限にとどめましょう。電波の届かない宿を選ぶのも一つの方法です。
参考までに、私の「ソロ温泉」の過ごし方をご紹介します。
当日は早めに現地に行って、チェックインと同時に宿に入り、まずは誰もいない温泉を楽しみます。それから本を読んだり昼寝をしたりして、夕飯前に再び湯へ。食後はだらだらして、もうひと風呂浴びて早めに寝ます。テレビもスマホも一切見ません。翌朝は早起きして朝風呂へ。朝食後はチェックアウトぎりぎりまで部屋でくつろぎ、できればもう一度温泉に入ります。周辺の観光もせず、ただただ温泉と一人の時間に集中する、これぞ贅沢な楽しみです。
一方、温泉地に滞在しながら仕事をする新しい働き方の提案が、「温泉ワーケーション」です。
「温泉ワーケーション」は連泊が基本。最低でも3泊、できれば1週間ほど温泉地に滞在することで、腰を据えて仕事に臨むことができ、温泉の効果もしっかり享受できます。
「温泉+仕事」には、たくさんのメリットがあります。朝、温泉に入ればシャキッと目が覚めた状態で仕事を始められ、行き詰まったときには温泉がいい気分転換になる。仕事終わりの温泉は一日の疲れを癒やす格別な時間です。クリエイティブな仕事なら、温泉のリラックス効果でいいアイディアが浮かぶかもしれません。
長逗留が前提の、昔ながらの湯治場なら1泊3000円もしない宿があります。1週間滞在しても2万円程度です。温泉地は土日がピークで平日はがらがらなので、平日に仕事を兼ねて訪れる人が増えれば、温泉地も活性化して一挙両得です。
家族や友人、恋人とにぎやかに観光したり宿の食事を楽しんだりする、レジャーとしての温泉ももちろん魅力的です。でも、じっくりと温泉と向き合う時間を大切にする「ソロ温泉」や「温泉ワーケーション」のような新しい温泉との付き合い方がもっと注目されてもいいのではないでしょうか。
(2022年8月10日/リモートインタビュー)