映画には川や水にまつわる印象的なシーンが多い。ところがタイトルに「水(ウォーター)」と銘打っているにもかかわらず、直接的な水の表現がほとんど出てこない映画がある。『マザーウォーター』の監督、松本佳奈さんはどういう思いでこの映画を撮ったのか。
白川疎水沿いを行き交う人びと。この付近は映画『マザーウォーター』撮影現場の一つ
インタビュー
映画監督
松本 佳奈(まつもと かな)さん
東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。CM演出を手がけたのち、映画『めがね』(2007)でメイキング映像などを演出。2023年3月19日よりWOWOWにて監督作品『フェンス』放送・配信開始。
ウィスキーバー、カフェ、豆腐店。映画『マザーウォーター』(2010年)は、水にちなんだ仕事を営む女性たちを主軸に、小川が流れる街で暮らす人々を描く。
『かもめ食堂』(2005年)『めがね』(2007年)『プール』(2009年)と続いた、特定の土地(順にフィンランドのヘルシンキ、鹿児島の与論島、タイのチェンマイ)を先に決める企画の一作で、この映画で選ばれたロケ地は京都だ。
初めての監督作品となる松本佳奈さんは、シナリオづくりのために脚本家と京都の街を歩いた。
「シンボルの鴨川(賀茂川)のほかにも白川疏水など小さな水の流れが街なかにたくさんあって。きれいな水のせせらぎがずっと聴こえているような感じが気持ちいいなというのが第一印象でした。商いや暮らしと地の水が密接にかかわっている土地だと思い、おいしい水が大切なお店をやっている女性たちの話にしました」と振り返る。
先の一連の作品同様、この映画でも登場人物の来歴や背景はわからない。どこからともなくその土地に惹かれてやってきて、互いに付かず離れず穏やかに交わり、暮らす人たちとして描かれている。今この場所で育まれた人間関係。
しかも、ことさら京都の街をそれとわかるようには撮っていない。
「長い歴史と文化をもち観光地でもありますが、一本、路地裏に入ると不思議な空気の流れる街です。脈々と続いてきた日常が素敵だなと思ったので、あえて京都というより『ある街』として描きたかったんですね」
ウィスキーバーで小林聡美さんが水割りをつくる様子が、丁寧に映し出される。マドラーで氷とウィスキーと水が攪拌される動き。グラスと氷がふれあうかすかな音。バーカウンターに静かな時間が流れる。水の景色もあからさまに強調されず、ふだんのひと時に染み込んでいる。
「川の流れや湧き出す水などを視覚的に見せるよりも、水がある場所で自分の気持ちを整理したり、心と心が交わったり、時には流れに身を任せたり……せせらぎの音や、そこに吹く風だったりとか、街のなかの自然とともに人が暮らす景色を撮りたいなと思いました」
公園や庭で会話をしている場面の背後の青々とした植物の葉は、いつもそよ風に揺れている。
銭湯も、この映画に出てくる「水のある場所」の一つ。もたいまさこさんが他人の赤ちゃんをあやしたりする銭湯の脱衣所は、まさしく水の近くで、ご近所同士が普段着のまま気さくな会話を交わす場所だ。実は、松本さんの実家は東京都板橋区の銭湯だった。
「お客さんもそうですけど、普通にご近所さんが出入りする家でした。工場で真っ黒になって働いたおじちゃんがサッパリしたり、銭湯ってみんながちょっとハッピーになって帰る場所なんですね。番台で手伝いをしていると、おしゃべりなおばちゃんたちの相手をするじゃないですか。あいさつ程度なんですけど、その人の暮らしを垣間見る瞬間もあって。子どもの時に肉親じゃない50〜60代の人たちとふれあう機会があったのはとてもよかった。いろんな人生があるんだなあ、って。楽しかったし、いい環境で育ちました」と松本さんは語る。
誰の子どもか観客にはわからない赤ちゃんをみんなで世話することも、この映画の核になっている。銭湯の光石研さんも、バーの小林聡美さんも、カフェの小泉今日子さんも、豆腐店の市川実日子さんも、家具工房の加瀬亮さんも、赤ちゃんを抱っこする。母親らしき人物は、川べりに親子で座るトップシーンとバーで3人の女性にあやされている赤ちゃんを迎えに来るラストシーンのみで、その顔も定かには見えず登場するだけだ。
「それぞれ一人で生きている人たちの話ではあるんですけど、みんなで一緒に新しい命を見守っていくのはこれからの希望ですよね」
この赤ちゃんはきっと、幸せで健やかに育つにちがいない。銭湯でいろんな人たちとふれあいながら育った松本さんのように。
この映画には湧き水を汲みに行くシーンが1回だけ出てくる。
「家にいても水は手に入るのに、わざわざ出かけていくんです、めんどうくさいはずなのに。でも、水があるからこそ人が集まってふれあいが生まれる。そういう場所は大切にしたいですよね」
(2022年12月26日/リモートインタビュー)