地域が抱える水とコミュニティにかかわる課題を、若者たちがワークショップやフィールドワークを通じて議論し、その解決策を提案する研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」。2年目は神奈川県の「真鶴町(まなづるまち)」を舞台に研究活動を続けてきました。
2022年(令和4)7月30日から8月2日の3泊4日でゼミ合宿を実施(詳細は72号参照)。9月以降も野田岳仁さんとゼミ生12名、ミツカン若手社員3名はゼミ活動とそれ以外の時間も使って、調査した成果をまとめていきました。
真鶴町役場のご厚意によって、2022年11月20日、町民の方々を対象とした「研究成果発表会」を実施。当日は雨が降り風も強まるというあいにくの天気でしたが、たくさんの人びとが足を運んでくれました。発表が終わったあとは、調査にご協力くださった方々とゼミ生たちが交流する場面もありました。
2年目の「真鶴編」は今回が最終回となります。野田さんに真鶴町の調査から得られた成果を総括していただきます。
法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)
1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。
2022年11月20日、真鶴町民センターで実施した「研究成果発表会」
私たちの研究テーマは2つあった。
ひとつは、真鶴町の未来モデルの根底には「水」があることをふまえて、いま改めて「水」を切り口に真鶴町を捉え直してみようと考えた。
じっさいに調査をしてみると、岩地区では豊かな水に恵まれ、湧水を水源とした水道組合(1961年設立の「佐藤清次水道組合」)が存続していることがわかった。
そこで驚いたのは、この水道組合は岩中央自治会(以下、岩中央)の「となり組」という近隣組織を母体として運営されていたことだった。
というのも、岩地区を調査していると、住民からは「岩地区は人のつながりが強い」と誇らしげに語られることが相次いでおり、岩中央の人のつながりの強さと「となり組」の働きは無関係ではないと感じたからである。岩中央の加入率は74.1%で、町内で突出して高いこともデータからわかっていた。
真鶴町において「となり組」は、自治会組織の下部組織にあたり、回覧板を回したり、ゴミ集積所の管理が主だった機能とされる。
しかしながら、岩中央の「となり組」では、水道組合(10組)に限らず、冠婚葬祭、児子(ちご)神社の祭祀、灯籠流しの運営は組単位で行い、溝掃除(3、8、9組)、弁天様の世話(6組)が行われており、かつての無尽講や稲荷講も「となり組」を母体としたものだった。
すなわち、岩中央の「となり組」は、人びとのもっとも身近な生活互助の単位となってさまざまな機能をもっていることが明らかになった。
さらに象徴的なのは、町が策定する「地区防災計画」において、通常は自治会が想定されるところを「となり組」の単位まで落とし込んで細かく策定していたことだった。災害時は、平時の人のつながりの濃淡が生存を左右しかねないからだ。
岩中央の人のつながりが強い理由は、「となり組」が生活互助の単位として機能していることにあるといえるだろう。
このことを現在の国や地方自治体によるコミュニティ・まちづくり政策の動向と照らし合わせてみると、意外なことに、真逆のベクトルを示していることに気づく。
1990年代以降、国や地方自治体は、小学校区をまちづくりの基本的な単位に想定している。
一般的には、「まちづくり協議会」や「地域運営組織」と呼ばれ、小学校区内の自治会や商店会、PTAなどの地域組織が参加し、住民主体のまちづくりを実現する組織体である。
既存の自治会の担い手は高齢化し、いわゆるコミュニティ機能の低下が懸念されたり、市町村合併や財政逼迫による行政サービスの低下を補うために地域が抱える課題の受け皿として期待されている。
真鶴町では平成に入ってから自治会が合併・再編されている。つまり、私たちの身近な「生活の単位」は、政策的には合理化・広域化の流れのなかにあるといえる。
にもかかわらず、岩中央の人びとにとって、もっとも身近な「生活の単位」は、自治会よりも小さな近隣組織である「となり組」なのであり、それがまちづくりの基盤となる組織なのであった。
そう考えると、当たり前のように聞こえるかもしれないが、人びとの「生活の単位」や「まちづくりの基盤となる組織」は地域によって異なっていることを自覚しなければならないだろう。
このことをあえて指摘する必要があるのは、行政は一律にその範域や単位を設定しがちであるからだ。もちろん小学校区が有効な場合もあるだろうが、「となり組」という自治会の下部組織に位置づけられ、思わず見逃されそうな近隣組織が機能する場合があることをこの事例は教えてくれている。
「地区防災計画」の策定過程が物語るように、まちづくり政策と、現場の人びとの「生活の単位」がずれてしまえば、その政策の有効性は落ちかねない。そして、いま危惧されていることは、小学校区がさまざまな機能を一手に引き受けることによって、これまで自治会が担ってきた役割が奪われ、近隣のつながりがむしろ断絶する恐れがあることだ。
岩中央の水道組合に注目することでみえてきたことは、人びとのもっとも身近な生活互助のしくみをきちんと把握することの大切さであったといえよう。
研究のとりまとめに入った秋頃に、思いがけないうれしい知らせが届いた。夏の調査やこの連載記事を読んだ町民から水道組合の管理(掃除)を手伝いたいと申し出があったのだ。
私たちは、このプロジェクトがスタートした2021年(令和3)から「人のつながりを生みだす水場(井戸端)」に着目して研究を進めてきたが、こうした現場の好転には勇気づけられる思いがする。
もうひとつの研究テーマは、「美の条例」制定から30年を経て、神奈川県唯一の「過疎地域」にもかかわらず、なぜ若い世代の移住に結びつくようになっているのかを問うものであった。2019年度には町の人口が初めて社会増に転じた。
移住者数の急増に目を奪われがちになるが、私たちは、移住者が地域活動やまちづくりの中心的な役割を担っていることに注目した。
過疎地域の移住をめぐる政策的課題は、もはや移住者数の増加ではなく、移住者に地域に馴染んでもらい、地域活動やまちづくりの担い手となってもらうことだからである。
ではなぜ真鶴町では、移住者が地道な地域活動に加わり、まちづくりの担い手として活躍できているのだろうか。私たちは、真鶴という地域社会には、移住者が地域に溶け込めるような「社会的な仕掛け」が幾重にもちりばめられているのではないかと考え、真鶴固有の2つの仕掛けに焦点をあてた。
ひとつは、人間関係紹介の「まち歩き」である。移住者にまちを案内する「まち歩き」は一般的だが、真鶴では本質的にはその逆になっていることがおもしろいことだった。もちろん、形態としては、移住者に向けた「まち歩き」である。しかし、地元住民に出会うと、「移住を考えている〇〇さん」といった具合に、地元住民に移住者を紹介していく特徴をもっている。いわば、まちの人たちが主役で、移住者を地域に紹介するしくみになっているのだ。
このことが結果的に、地域が移住者を選ぶようなしくみとなっていることが注目されよう。71号ではこれを真鶴の暮らしの根底にある「フィルター」として表現したが、これがある種の移住者選別機能を果たしているように感じられた。
真鶴の暮らしぶりや濃密な人の付き合い方に適合する人だけが移住につながるようになっており、まち全体に一体感がある。
もうひとつは、移住者を支える「社会的オヤ」の存在である。真鶴という地域社会には、若者や移住者といった社会的に不安定な位置にある者を「社会的オヤ」が支える歴史的性格を備えていることが浮き彫りになった。真鶴には、このしくみが潜在的にあり、移住者の急増のようなある条件のもとで立ちあらわれてくるものであった。
もちろん、真鶴への移住ルートは人によって異なるし、これらの仕掛けが万能であるともいえない。けれども、過疎化や担い手不足に悩む地域への政策的ヒントとなりうるものではないだろうか。
個人的に真鶴に通っていて驚いたことがある。それは真鶴駅前の一等地(福浦屋食堂の旧店舗)に移住者のケニーさんこと向井研介さんが営む「真鶴ピザ食堂KENNY」が移転したことだった。
どの地域でも、まちの玄関口のような場所には地元住民であっても周囲から認められるような人物でなければ出店が難しいことを知っていたからである。
ケニーさんは福島県田村市出身で、東京のイタリア料理店での修行を経て、2016年(平成28)に夫妻で真鶴に移住された。当時は町役場の近所にお店をだされていたが、2020年(令和2)6月頃に現店舗に移転された。
ケニーさん夫妻は福浦屋食堂で食事した際に、「いつかこの場所が空いたらお店を開きたいね」と話すほど憧れた場所だった。
その後、福浦屋食堂は閉店。その立地から周りの飲食業の先輩たちも話題にするほどで、とても自分の出る幕はないと思っていた。
そこから半年ほど経ったある時、スーパーで食堂店主をみかけて思い切って声をかけた。すると店主は「店を閉めることにしたから、食器あげるよ。今度みにきなよ」と話し、店舗をみにいくことになった。そこで移転先を探していることを告げると、「君ならつかっていいよ」とこたえてくれたのだ。
なぜ店主は面識のなかった移住者に店舗を貸すことにしたのだろうか。
じつは店主は真鶴町商工会青年部の元部長だったのだ。「青年部で君ががんばっているのは周りから聞いているから」と話してくれたそうだ。
ケニーさんは、移住後すぐに商工会に加入し、青年部の副部長を務めている。商工会青年部は、真鶴のまちづくりを支える伝統ある地域団体のひとつである。
今回の調査では、ケニーさんが地道な地域活動に汗を流す姿はよく知られていて、真鶴の玄関口への出店にふさわしいと評価する声を聞いていた。ケニーさんは、福浦屋食堂の看板を店内にいまも掲げている。
このように、移住者が地域に受け入れられるには、やはり既存の社会組織で地道に汗をかくことが大切のようだ。それが周囲に認められる地域の作法であるからだろう。それを導くものとして2つの「社会的な仕掛け」は存在しているのである。
研究成果の内容をケニーさんに報告すると、「じつは僕ら夫妻にも『社会的オヤ』はいます。居酒屋富士(富士食堂)の店主夫妻なんですよ」と教えてくれた。ケニーさん夫妻が移住して間もない頃からお世話になって、ときに褒め、ときに怒ってもらえる存在だという。
そうなのである。「社会的オヤ」とは地域のルールや暮らしの作法、いわば「地域で生きる術」を授けるような存在なのである。
今回は、移住者を支える存在として、「社会的オヤ」を見いだした。しかし、本来の機能がそうであるように、この社会関係はなにも移住者に限ったものではない。
私たちが地域で安定した人間関係を築くうえで、「社会的オヤ」が不可欠な存在であることを気づかせてくれたのではないだろうか。
真鶴町は全国に先駆けて「美の条例」を制定するなど、景観・まちづくり分野のトップランナーとして国や地方自治体の視察先として注目されてきた。
今後は移住者が地域に溶け込み、地域活動やまちづくりの担い手となった先進地としても、視察が増えると予想される。その際には、本研究で可視化した2つの「社会的仕掛け」を成功モデルのヒントとして提示いただければと考えている。そうすれば、真鶴町から過疎地域への波及効果が期待できよう。
真鶴ではこれまで多くの優れた研究が蓄積されてきたが、私たちが描いてきた真鶴の姿はそれらとはまた異なるものであっただろう。
このような研究が実現できたのは、卜部(うらべ)直也さんをはじめとする町役場の全面的なご支援と調査にご協力いただいた町民のみなさまのおかげである。私たちも町民のみなさまから「地域で生きる術」を学ばせていただきました。改めて感謝を申し上げます。
真鶴町政策推進課 課長補佐 兼 戦略推進係長
卜部直也さん (当日の挨拶より抜粋)
野田先生、法政大学の学生の皆さん、ミツカン水の文化センターの皆さん、研究活動おつかれさまでした。皆さんが初めて来町したときはまだ桜が咲いていましたね。4日間滞在した夏合宿では、とにかく現場を歩いて人の話を聞いて持ち帰り、夕食を食べたあとも夜遅くまで討議して──皆さんががんばっていた姿を私は知っています。
当初、野田先生は「水と人のかかわりという研究テーマで真鶴に来ました」と言われました。役場としては「真鶴と水?自己水源に乏しいのに……」と戸惑い、どのような研究ができるんだろうと思案したのが正直なところです。ところが、まったく想定していなかったような報告が今日なされたと感じています。
まず水に関しては、岩地区を中心に水が豊かだったこと、そして水に伴う人びとのつながりがあることを知りました。岩地区の自治会ががんばって地域を支えている姿を掘り起こし、最終的には「となり組」に着目した提言と受けとめています。自治会は政策推進課の担当ですし、この会場には自治会の方々もおられます。この提言を受けて、地域をどういう単位で考えればよいのか話し合っていきます。
また、「社会的オヤ」と「まち歩き」に着目した報告もいただきました。役場が推進する「くらしかる真鶴──真鶴町お試し移住体験事業」で取り組んだのが、まさに「人を紹介する」ことでした。真鶴出版はその利用者第一号です。「来てくれた人に真鶴の人を紹介しよう」と始めたことが、移住者へのよい支援になっていた。今後も、「地元の人を見せて、つないでいくこと」を意識しながら取り組んでいきます。
「社会的オヤ」に関する報告を聞いて、20年前に移住してきた私自身にもオヤのような存在の人がいたからこそ今があることを思い出すと同時に、「役場職員の仕事への取り組み方」が問われているとも感じました。地域にはいろいろな人がいます。役場職員は自分の仕事に閉じこもることなく、日々の仕事のなかでどんな人が住んでいるのか、どんな思いで活動しているのかを知ったうえで応援し、つないでいくことが必要です。仕事だけでなくプライベートでも人とつながり、外から来た人に真鶴の人を紹介できる職員にならないといけない。そう身が引き締まる思いがしました。
今回の提言をきっかけに、私たちがもっともっと真鶴を深く知ることにつなげていきたいと思います。
初めて真鶴町を訪ねたのは2022年4月。前年度(松本市)とは異なり、ゼミ生たちは何度も真鶴を訪ね聞き取り調査を重ねます。ゼミ合宿後は各グループが思考を深め、いよいよ発表会当日。やや緊張した面持ちで会場入りしたゼミ生たちですが、落ち着いて報告できました。調査でお世話になった住民の方々と談笑する時間は、真鶴から離れがたい気持ちをより一層強めたようです。
成果発表の詳細、「辛かったけれど振り返ると楽しかった」「真鶴の人たちはほんとうに魅力的」など研究活動を終えたゼミ生たちと若手社員のコメントは2月末にセンターのHPで公開します。
「みず・ひと・まちの未来モデル」3年目の地域や研究テーマなどは野田さんと相談中です。ご期待ください。
(2022年11月20日取材)