地域が抱える水とコミュニティにかかわる課題を、若者たちが議論して解決策を提案する研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」。3年目は新潟県村上市の大毎(おおごと)集落で研究を重ねました。
既報の通り、2023年(令和5)5月19~21日、7月29日(一部の学生は28日)~31日にゼミ合宿を行なったほか、11月初旬にも追加調査を実施し、ゼミ活動を通じて研究成果をまとめていきました。
そして、大毎集落の皆さまのご厚意により、2023年12月10日、大毎集落開発センターをお借りして「研究成果発表会」を開催。大毎集落の方々に向けて、「小規模集落水道」を維持しつづけることが集落の自治にどういう影響を及ぼしているのかを、ゼミ生たちとミツカン若手社員たちが自分の言葉で伝えました。
3年目の「大毎編」は今回が最終回です。この研究活動のかじ取り役である野田岳仁さんに、大毎集落における研究成果、そして大学の地域へのかかわり方について総括していただきました。
法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)
1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。2023年8月、著書『井戸端からはじまる地域再生―暮らしから考える防災と観光』(筑波書房)を上梓した。
研究成果発表会に参加してくださった大毎集落の皆さん。スクリーンには当日参加できなかった学生たちの姿も
2023年(令和5)11月の追加調査をふまえ、12月10日に大毎集落にて研究成果発表会を行った。内容に入る前に、75号の執筆時点ではわからなかったことを補足的に述べていきたい。
大きくは2つある。まずひとつは、大毎集落の7つある小規模集落水道の開設時期についてである。戸数最大の大毎水道組合の開設時期は1924年(大正13)であることが組合開設時の寄付人名簿や水神の掛け軸裏面など複数の史料から判明している。さまざまな資料や文献にあたるなかで中町水道組合がもっとも古いとされる記述、また聞きとりにおいてもそのような声がないわけではなかったが、それを示すような史料はみつからなかった。したがって、中町水道組合が最古であるかどうかははっきりしない。いずれにせよ今年100周年を迎える大毎水道組合を擁する大毎集落は全国的にみても小規模集落水道のトップランナーといえる。たしかに江戸時代から独自の水道を維持するとされる地域は他にもあるが、管理体制が弱体化していたり、大毎集落ほどに高度な自治機能を維持しているわけではないからである。
もうひとつは、細かく階級をわけて徴収していた自治会費の階級についてである。前号の執筆段階では、40階級あったのかはっきりしなかったが、当時の集落通常総会議事録をたどることで、驚くことに昭和の終わりまで40階級もあったことがわかった。『山北町の民俗4』にとりあげられている近隣の中継集落では1988年(昭和63)時点で13階級であったことからも、大毎集落がいかに公平性に配慮して集落運営を担ってきたのかが理解できよう。平成に入ってから40階級から20階級、13階級、4階級、現在の2階級へと変遷している(じっさいには免除を含めると3階級と想定されるが、転出や逝去に伴って免除に該当する家は現在ないようだ)。
本研究プロジェクトの知見は75号で論じた通りであるが、ここで改めて確認していこう。
本研究プロジェクトの目的は、なぜ人びとは小規模集落水道を維持し続けるのか、その理由を探ることである。
小規模集落水道とは、近代的な上水道システム(簡易水道含む)の整備されていない地域で、集落独自に小規模な戸数(給水人口100人以下)に給水する小規模水道のことである。該当する人口規模は全国で200万人程度と想定されている。
小規模集落水道に関する国の体制整備は急ピッチで進んでおり、大きな転換期にある。国の上水道に関連する業務は、2024年(令和6)4月に厚生労働省から国土交通省と環境省に移管されることが決まり、国土交通省では上下水道を一元的に所管することになった。それに先立ち、厚生労働省水道課では、小規模集落水道の担い手不足に備えて上水道システムの新規導入や統合、給水車による「運搬送水」が検討され、一部の地域では「運搬送水」の試験導入を開始した。「運搬送水」は浄水場と配水池の間を管路で結ばず、車両で水を運ぶ手法で、コスト削減への期待が高い。
このように、国も「縮小社会」への政策的な対応を検討しているものの、小規模集落水道を維持する地元の反応は必ずしも好意的なものばかりではない。
そこで本研究プロジェクトでは、100年も小規模集落水道を維持する新潟県村上市大毎集落を対象にし、簡易水道が導入されているにもかかわらず、なぜ人びとは小規模集落水道を維持し続けるのか、その理由を分析することにしたのである。
調査の結果、大毎集落では多様な社会集団が存在しており、7つもの小規模集落水道が存在していることがわかった。水源はいずれも湧き水であり、水神講や組合費の徴収など、独自の管理が行われていた。これらの水道は貨幣交換できない「コモンズ(共有資源)」であることが特徴であった。
調査を続けるなかで浮かびあがってきたのは、「平準化の論理」とでも呼べるような集落運営の基本原理の存在であった。
75号でとりあげた事例だけでも、①大毎集落の自治会費をかつては驚くことに40階級にも細かく分けていること。②集落のとなり組や大毎水道組合の9つの組がそうであるように、大毎集落のさまざまな社会集団をより小さい10戸程度のまとまりにこだわっていること。③2010年度(平成22)に17組あったとなり組を12組に再編させたこと。④となり組の組長を1カ月交代とさせていること。これらのことは、すべて各家の権利(権力)と義務(負担)を公平に分配する工夫のあらわれなのであった。
そのうえで見逃せないことは、この「平準化の論理」が近年になって、排除性の高かった水道組合にも反映されるようになったということだった。
旧山北町から簡易水道の水源に大毎水道の水源を利用したいとの打診を断って以降の大毎水道組合の動きをみていくと、1993年(平成5)には「吉祥清水」という水汲み場が整備され、大毎水道は組合員だけでなく、不特定多数に水が開放されることになった(年間の利用者は約2万人)。さらに、2022年度(令和4)の総会では、集落として大毎水道の水源地の所有権を購入することが決議されている。
これらの動きも「平準化の論理」が貫かれた結果である。大毎水道以外の6つの水道組合ではさまざまな努力が重ねられているが、水源はさほど安定しているわけではなく、集落内で水に関する格差がないわけではなかったからである。これらの近年の動きは、大毎水道を「みんなのもの」にし、水をめぐる集落内の格差を是正しようという試みなのであった。
このように、小規模集落水道の運営には、むら(村落)の秩序を支える「平準化の論理」が貫かれている。そのことによって、大毎集落の高度な自治機能が維持されてきたわけである。これは上水道システムでは決して代替することができないものだ。このことは集落に導入された簡易水道の利用が限定的であることからも明らかであった(注1)。
大毎集落の人びとが小規模集落水道を維持し続ける理由とは、水道組合がこのようにむらの秩序の維持と不可分な存在だからである。小規模集落水道を廃止したり、上水道システムに移行することになれば、むらの秩序の切り崩しに直結する恐れがあろう。
先にも述べたように、小規模集落水道をめぐる国の政策と体制は大きな転換期にある。今回、国に対する政策提言は叶わなかったが、今後も事例を重ねつつ、その可能性を模索していきたい。
(注1)
大毎集落が1978年(昭和53)に簡易水道を導入した理由のひとつは、水源の乏しかった近隣の大沢集落への配慮にある。旧山北町のなかで中核的集落である大毎集落が反対すれば大沢・大毎集落への簡易水道の導入は見送られる可能性が高かったからである。
「みず・ひと・まちの未来モデル」は各地でご支援をいただいた現場のみなさまのおかげで3年目を迎えることができた。ありがたいことにさまざまなフィールドで出会う方々からも連載を楽しみにしていると声をかけていただけることも増えてきた。
近年では大学や大学生と農山村の「連携」や「交流」が社会的にも広く注目されるようになっている(注2)。農山村側には大学生の持つ若い力や活力といった労働力への期待、大学に対する専門的知識や技術に対するニーズがあるためだ。大学側にも地域貢献が社会的に要請されるようになり、両者の連携や交流を国も地方自治体も後押ししつつある。本プロジェクトもこの流れに位置付けられるものであろう。
だからであろうか、大学と農山村連携について意見を求められたり、学生の労働力に期待する声もいただくようになった。そのような見方からすれば、このプロジェクトは少し保守的に映るのかもしれない。それでもこのような方法にこだわるのは、ある集落で学んだ大学生との外部連携での教訓を胸に刻んでいるからである。
私が大学院生の頃から調査に入ってお世話になっている滋賀県高島市の針江(はりえ)集落では、「カバタ」と呼ばれる地元住民の台所を目当てに多数の観光客が訪れる。針江集落では、これに対応するために、有志の住民で観光に取り組む住民グループを結成して、有料のガイドツアーを運営している。
あるとき、住民グループで集落を流れる針江大川の最下流部の藻刈りに乗りだすことになった。その場所は集落の貴重な漁場であり、ある漁師が長らく掃除を担っていたが、その漁師の引退後は藻の繁殖が目立っていたからである。そこで、住民グループだけでは労働力が足らないと考え、外部からボランティアを募集することにした。ただし、たんなる清掃ボランティアでは人が集まらないだろうとカバタの見学ツアーを組み合わせた有料の藻刈り体験ツアーを企画した。有料であったため、人が集まるか半信半疑であったが、瞬く間に大学生ら約100人のボランティアが集まることになった。
当時の新聞記事によれば、「針江大川の藻刈りは、毎年地区を挙げて行っているが今回、初めてボランティアの参加を得て、針江大川が琵琶湖に注ぐ場所にある中島自然池周辺の藻を刈った」とある。
さて、この藻刈り体験ツアーについての住民の評価はどのようなものだったのだろうか。当然評価されるべきことと思えるのだが、住民からの評価はよいものではなかった。ある住民からは「お金を払って(藻刈りを)やりたい人がいるなんて信じられない。それなら(今後も)外部の人たちにやってもらえ」という意見がでた。
この言葉を聞いて、住民グループは「これはまずい」と反省したそうである。というのも、針江大川の掃除は集落住民全員のいわゆる「むら仕事」であったからである。
針江集落の水資源をめぐる利用と管理のしくみは次のようなものである。各家は敷地内でカバタをつくり、湧き水を利用することができる。その一方で、各家は、年に4回の針江大川の掃除と年に1回の溝掃除が義務となっているのである。すなわち、針江集落でも水は貨幣交換できない「コモンズ」であり、住民は針江大川や水路の管理義務を担うことで水の利用権を確立させてきたのである。
しかし、この外部ボランティアが参加した藻刈り体験ツアーは思いがけず、集落の水資源をめぐる利用と管理のしくみを壊しかねないものとなってしまったのだ(注3)。
(注2)
中塚雅也・内平隆之(2014)『大学・大学生と農山村再生』小田切徳美監修、筑波書房
(注3)
野田岳仁(2014)「コミュニティビジネスにおける非経済的活動の意味―滋賀県高島市針江集落における水資源を活用した観光実践から」『環境社会学研究』20:117-132
この事例が示すことは、一時的であれ外部の労働力に頼ることの危うさである。たしかに農山村地域では居住人口の減少や高齢化による労働力不足は深刻である。それゆえ、農山村側には大学生に対する労働力への期待はとてつもなく大きい。けれども、大学生が農業体験と称してその場しのぎの労働を代行することがいつの間にか当該地域の自治機能を弱めることになってはいないだろうか。
大毎集落も針江集落も目を見張るほどの高度な自治機能を維持しているのは、水資源をめぐる利用と管理のしくみや平準化の論理を駆使しながら、安易な外部連携には手をださず、「自分たちのことは自分たちでやる」姿勢が貫かれてきたからだ。私たちが目指すべきことは、若い労働力の提供ではなく、当該地域の自治機能を損なわない内発的なしくみづくりの提言に知恵を絞ることではないかと、大毎集落のみなさんから改めて教えていただいたように思っている。
私たちが拠り所にしている社会学の特徴のひとつに、他者の合理性の理解がある。大毎集落では、行政による簡易水道がすでに導入されており、頑なに小規模集落水道を維持し続ける人びとの姿は、非合理的な判断に映るに違いない。けれども、私たちは、そのような一見不可解にもみえる人びとの判断の合理性を問うことで、みえない政策の落とし穴を浮き彫りにする力を得ることができると考えているのである。
最後になりましたが、全面的なご協力とご支援をいただいた大毎集落のみなさまに心より感謝申し上げます。大毎水道組合の創設100周年にお祝い申し上げるとともに、このような節目に本研究が実施できたことを大変光栄に思います。
5月、7月、11月、12月―訪問するたびに大毎集落の人びとは学生たちを温かく迎えてくれました。そして学生たちとミツカン若手社員は地図を片手に集落を歩き回り、どの家がどの小規模集落水道を使っているのかという水道組合の実態、そしてとなり組の再編が地域にもたらしたものなどを丹念に調査し、考察を重ねました。
発表前は、大毎集落で暮らしている人びとに、自分たちの研究成果がどう受けとられるのか不安もあったようですが、発表後の意見交換では次のような声が挙がりました。
「大毎の水は財産だと感じていたが、自治との関係を解き明かしてくれたことで、さらに大毎を誇らしく思うようになった」
「都会へ行くと水道の水が飲めない。研究成果を聞いて、あらためて大毎の水はいい水なんだと再認識した」
「祖父母からの言い伝えはあったけれど、こういう風にまとめてくれたのはほんとうにありがたい」
「大毎水道組合は100周年を迎えるが、皆さんはまさにその歴史をたどってくれた。ぜひ1000年事業を目指したい」
このように好意的な意見ばかりで、学生たちの心配は杞憂に終わったようです。
今回の研究成果発表の詳細、そして大毎集落を通じてゼミ生たちが感じたことなどについては、当センターのHPで公開しますのでぜひご覧ください。
「みず・ひと・まちの未来モデル」4年目の調査地域や研究テーマなどは野田さんと話し合っているところです。どうぞご期待ください。