機関誌『水の文化』24号
都市公園

ランドスケープにおける音風景の復権
五感で味わう公園

京都府左京区詩仙堂

京都府左京区詩仙堂



鳥越 けい子さん

聖心女子大学教授・サウンドスケープ研究家
鳥越 けい子 (とりごえ けいこ)さん

1955年生まれ。 東京芸術大学大学院音楽研究科修了ヨーク大学芸術学部修士課程修了。 主な著書に『サウンドスケープ』(鹿島出版会1997)。共訳書にR.マリー・シェーファー『世界の調律』(平凡社1986)。同『サウンド・エデュケーション』(春秋社1992)他。

虫聴きが意味すること

サウンドスケープとは「音の風景」のことですが、「音」だけではなく、「静寂」やその場の「気配」も問題にします。最終的には耳だけではなく、五感で風景を感じ、味わうことが大切だとする考え方です。景色というと、私たちはとかく視覚からくる情報にとらわれがちです。しかし海辺に行ったときには、潮騒のざわめきや水鳥の鳴き声、湿り気のある磯の香り、足の下の砂の感触や温度というように、五感を全部動員して「海辺」を感じとっているはずです。

公園も同様に、本来は五感全体を充足させる場所だと思います。でも最近の公園は、視覚的にはうまくデザインされていても、音環境が犠牲になっているところも少なくありません。ここで公園の音が大切だといっても、それでは美しい人工音を加えていこうということではありません。たとえば、敷地が自動車専用道路に取り囲まれ、音の面ではむしろひどい場所となっている公園もあるといったことに気づいてほしいということです。

日本には音風景を愛する文化が連綿と生きていました。江戸時代の人たちは風景を楽しむときに、音も大事にして、それを愛でる習慣を持っていました。そのことがわかるのが歌川広重の描いた『東都名所道灌山虫聴之図』です。

道灌山は現在の西日暮里から田端寄りの台地で、江戸時代は虫の音の名所でした。この浮世絵には、虫の音を聴くために集う当時の人々の様子が描かれています。見た目にも風光明媚な所でしたが、夏から秋にかけては、特に虫の声を楽しむため、人々がわざわざこの場所にやってきました。花見と同じですね。

花見は近代以降も残りましたが、「虫聴き」という聴覚的な風習は忘れられてしまいました。明治以降に受容した西洋近代の美意識がビジュアル中心の世界でしたので、音風景は弱体化してしまったのです。

さらに、ここは虫のなかでもマツムシの名所でした。マツムシは湿潤な所に棲む虫なので、地面が乾くと、すぐにいなくなってしまう。虫の音がいいということは、生態系的にも豊かだったということです。虫聴きの名所になっていたということは、いろんなことを示唆していると思います。

ヨーロッパや北米には、日本のように虫の音に耳を傾ける文化がありません。草むらの中の虫だけでなく、虫籠にまで入れて音源である虫の音を楽しもうとする感覚は、多分ヨーロッパの人にはわからないかもしれません。が、ここで大事なことは、日本には自然の音を美的に愛でるという、自然の音と人間の関係の取り結び方があったということです。風景美学の一部として音の文化があるということは、素晴らしいことです。

水音の聞こえる場

同じく広重の絵に、『名所江戸百景廣尾ふる川』があります。私が勤務している聖心女子大学がある現在の広尾からは想像もつきませんが、当時の「広尾の原」は江戸市中の人々が自然に触れ合う場所。それも野生的な自然ではなく、愛でる対象、親しむ対象としての自然のある場所でした。

当時は公園という言葉はありませんでしたが、そういう意味で、いわば都市公園のような役割を担っていた場所だったともいえますね。広尾は昔の渋谷川(古川)が流れる湿潤な場所だったので、ホタル狩りや虫聴きの場としても有名でした。今では渋谷川も暗渠になっていますが、当時はいろいろな水音が聞こえていたはずです。

このように、人々が憩いを求め、集まる場所の多くには、川や池などいろいろな水があります。生態系的にも豊かで、水以外のいろいろな自然の音も聞こえる。すると、人々が集まるので「音曲」も聞こえてきます。向島の川端にある遊興地などは、まさにそういう場所ですね。広く考えると人間も動物ですから、水辺に行ってうれしくなって騒ぐと、それ自体も水辺の音風景の一部になるわけです。

『廣尾水車』鈴木棠三・朝倉治彦校註『江戸名所図会(三)』(角川書店1967)より

『廣尾水車』鈴木棠三・朝倉治彦校註『江戸名所図会(三)』(角川書店1967)より

水音の浄化力

広重は江ノ島も描いています。『相州江之嶋弁才天開帳参詣群集之図』。ここの弁天さまは、妙音弁財天といいます。江の島は、音を祀る島だということで、江戸時代の歌舞伎役者など、芸能人や音曲関係者は江ノ島詣でをしました。今のように橋はなく、潮が引いたときにしか渡れない聖地でした。

江島神社の氏子総代の方にお話をうかがうと「ここの本当のご神体は江ノ島ならではの音、岩屋に響く波の音」とおっしゃる。これは、島の裏側にある「岩屋」と呼ばれる洞窟に反響する相模湾の波音のこと。ですから岩屋まで来て、ここの音風景を聞くことに意味があったわけです。

ところが野外ミュージアムとなっている現在の岩屋では、龍の鳴き声に似せた電子音を流している。島の地形がある時期に変ったこともあって、岩屋に轟く波音が弱くなったとも言われています。が、これはやはり、想像力を要求せず、音を直接聞かせようという浅薄な文明が入り込んできたためと言わざるを得ません。江戸時代の江ノ島で、岩屋で波の音を聞けたら、さぞ素敵だったことでしょう。王子の滝や等々力渓谷もそうですが、こうした水音には、人間を浄化する働きがあるのでしょうね。

同じことは川の音にもいえます。『春の小川』という歌で、渋谷川は「さらさら」と水音を立てていました。おそらく、その音を聴いた人の心は、大いに休まったことでしょう。でも、そういう音を発していた場所が暗渠になり、下水路になり、都市の機能として水は流れているのに音には触れることができなくなっている。

気持ちがいいので、人が集まり「音曲の場」としても発展した都市の水辺空間から、そういう働きが失われているのは残念なことです。

静寂を聴く

現在の都市公園には、もと庭園であった場所も多いですね。庭園というのは自然に対して手が加えられた場所で、人間の好みに合うように風景が処理された場所ともいえます。

人間は本来、五感全体を使って風景を楽しみますから、そこには当然音も含まれます。本物の庭は音も含めた設計がされていますし、庭園のなかには、音の風景を楽しむための特別な工夫や装置をもったものもあります。

例えば日本の庭園には、水琴窟や鹿威(ししおどし)のような装置があります。テレビの効果音として使われる鹿威しは「カーン」と甲高く響きますが、実際のものはあんな音はしません。竹が水で湿っているのであんな乾いた音はしないのです。実際には「ガダン」というような、あまり冴えない音です。

鹿威しを、最初に庭に取り入れたのは江戸時代の初め、京都に詩仙堂をつくった石川丈山です。鹿威しの「鹿」は四つ足動物という意味ですから、動物が畑を荒らさないよう使われていた民具でした。似たようなものはバリ島にもあります。漢詩や書に長じ、優れた文人でもあった石川丈山は、自分の終の棲家としてこの庵と庭を造った。ということからも、そこに鹿威しを据えたのは、獣避けというよりは、庭の「音の意匠」として持ってきたと考えるのが自然でしょう。

詩仙堂の縁側に座って庭を眺めているとき、音源つまり鹿威しはずいぶん離れた所に設置されているので、全く見えません。自分がそこで心穏やかに暮らそうという空間に、あえて「ガタン」という音を取り入れたというのは興味深いですよね。

そこでもし、とても良い音が響いてきたら、その音に集中してしまいますよね。でも、音そのものはむしろ素朴な音なので、音と音との間の静寂に意識がいく。京都の中でも人里離れた寂しい所に来たからこそ自分を律するというのか。うるさい所から静かな所に行くといった変化がないと、静けさが当たり前になり、意識できなくなってしまう。時々、ふと物音がして意識が覚醒され、そのことで一層静けさに心を寄せるという意図で、鹿威しを導入したんじゃないかという説は、納得がいく気がします。

さらに、その静寂は「虚ろな静けさ」ではありません。雨の音や虫の声など、季節ごとに庭が発するさまざまな音に満たされた「豊かな静寂」です。鹿威しの音にはいくつかの解釈が可能でしょうが、「ガタン」と響く音と音の間の静寂、豊かな土地の声を聴くという意図が丈山の中にあったのではないか、と私は考えています。

一方、水琴窟は蹲踞(つくばい)の下の地中にある。しゃがんで「つくばって」手を洗った後、しばらくして水音が聞こえてくる。慌てて立ち去ると聞こえないし、ゆったりとした気持ちでないと聞こえてこない音です。もちろん、周囲の騒音レベルが高くても聞こえません。一時期、「日本には水琴窟がなくなってしまった」といわれたのは、装置としてのハードは残っていても、それを伝えていく諸々の条件がなくなったからではないでしょうか。西洋化した以降の日本では、そのような繊細な音風景の美学が伝わりにくいことは確かです。

京都・詩仙堂

京都・詩仙堂

音風景にも風土がある

鹿威しは今、世界中に知られていて、パリの日本庭園にもあります。でも、見ている人は「動く彫刻」として見ている面がある。そういう意味で、日本の庭の中で育まれた音の風景美学を受け継ぎ伝えることが、いかに大切かつ難しいことかを考えざるをえません。フランスに行くと動物の口から水が流れ出てくる掛樋がいろいろあるし、プリニアナ荘のように屋敷の中の各部屋に水が引き込まれていたり、ローマのチボリ公園では、噴水の音がより聞こえるようにグロッタのような反響板がついていたりします。ヨーロッパには、そういう水に関する装置がたくさんあります。ヨーロッパは基本的に乾燥した気候なので、そうした工夫までして水音を聴きたいという気持ちは分る気がします。

けれども、日本で同じような演出をしたら、私としては、少しやりすぎという気もします。同様に、井の頭公園の噴水にも違和感を感じます。ヨーロッパでならいいのでしょうが、日本の湧水池に噴水ということには違和感を感じます。もちろん、地下水の汲み上げなどによって水が湧かなくなった現在の池に、そのような噴水が必要な事情は分ります。だからこそ、本来の水の豊かさを失ったことを象徴するかのようで、噴水を悲しく思うのです。

問題は、公園の噴水が良いか悪いかではなく、それぞれの土地の来歴や風土に相応しい公園の風景になっているかどうかということ。そのことは、音に限らず、五感に訴えるすべての風景に対して言えることなのです。

原風景としての水

池のような水との関係において、都市公園には大きく3つのタイプがあると思います。第一は、もとも水が湧いている場所で、東京でいえば善福寺公園、井の頭公園、三宝寺池公園などです。

第二は、日比谷公園のような人為的な水場が造られた公園。

第三は、代々木公園、明治神宮のような、もともと自然の水場はあったけど人工と自然の間のような土地の来歴をもった公園。

それぞれの公園で、水の音の在り方は違うべきだと思います。例えば、日比谷公園や上野公園にある噴水は自然な感じがします。一方、井の頭公園のように池や川の中の噴水は見ていて落ち着かない。もちろん水源が涸れて池の水質を維持するために、噴水という方法で水を撹拌しなくてはならなくなったのだ、という理屈がわかっていても、居心地の悪さを感じるのです。現在は公園になっているとはいえ、その土地の在り方はどこまでいっても水の出自、水の本来ある姿との関係が断ちきれないからです。

私がまだ子どものころ、善福寺公園では、雨が降ると池の周囲からごぼごぼ水が噴き出してきて、まさに湧水の土地を実感させるものがありました。古老の方にうかがうと、「昔は池で泳いでいるとき、底から水が湧いている場所がわかったよ」とおっしゃる。湧水池にある公園に「地下の音風景」というものがあるとすれば、地表の公園にはそれが自然ににじみ出てくるような、この下に豊かな地下水があることを感じられるインターフェースとしての公園の在り方を保つべきと思います。それは同時に、上から降ってくる雨のインターフェースの場でもあるわけです。

世界のサウンドスケープ、人類の音風景を考えたとき、水音というのは原風景です。水音は、人間が胎児のときに子宮の中で聞いている音であり、その音は生物の発生の記憶の繰り返しともいわれています。

だからこそ、地上と地下が水音のサウンドスケープとして感知できる空間を身近に置いておきたいと願うのが、公園に水が欲しいという理由なのかもしれません。

井の頭公園の池には水質改善のために、噴水が設けられているが、いまだにアオコは消えていない。

井の頭公園の池には水質改善のために、噴水が設けられているが、いまだにアオコは消えていない。

原風景を感じる公園を

サウンドスケープスタディーズにとって「水音の変容」は重要なテーマの一つです。水というのは死ぬことがなく、生成流転していきます。雨となり、泡立つ小川となり、滝となり、深く澱んだ川となり、永遠に姿を変えながら生き続ける。そういう意味では、公園というのはいろいろなタイプの水音が凝縮して感じられる場であってもいいわけです。そう考えると、さまざまな演出を駆使して、いろいろな水の在り方を見せていこうという西洋の庭づくりの気持ちはわからなくもない。

でも日本の都市では、例えば京都の貴船でもそうですが、都心から一、二時間以内のすぐ身近なところに、自然の水の流れを体験できる場所がある。

そういう場には水音があるだけではなく、水鳥の声、葦の触れ合う音、カエルの鳴き声など、実に多様な音がします。でも不思議なことに、そういう自然の音はうるさいとは感じない。水があることで育まれる多くの生命と植物、本来の生態系は、私たち人間も含めその風景全体を育む世界そのものだからでしょう。

音には、情報の全方向性があります。デザインというと、音にしても形にしても新しいものを作り加えていくこと(プラスのアクション)をすぐに考えがちですが、不要なものを除去(マイナス)したり、大切なものを保全する(ゼロの)発想で行なうデザインも重要です。サウンドスケープの考え方には、人工音を加えていくだけではなく、人間活動に伴って生まれる音や自然の音、実際には聞こえない気配とでもいうような、記憶の音や伝承の音までをそこに含んで考えていこう、という提案があります。

人間には五感があるといいましたが、5つに分類される以前には、全体的な空間の味わい方が存在したはずです。サウンドではなく、なぜサウンドスケープかといえば、音をきっかけとしながらも気配や雰囲気を大切にしたいからです。今の日本で「音の問題」が忘れられがちなため風景の音の部分を強調しましたが、本来であればトータル・ランドスケープの中でバランスよくサウンドスケープを位置づけることが求められるのです。

井の頭公園でも、代々木公園でも、かつて国木田独歩が描いたような、武蔵野の面影を今でも感じることができます。それは公園の景観に、土地の記憶を保全する機能があるからでしょう。これからの都市公園に、その土地の原風景を思い起こさせるような景観ををさまざまな形でつくっていきたいものです。その場合、水の景、水の音風景は常にとても重要な役割を果たしていくことでしょう。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 24号,鳥越 けい子,東京都,水と社会,都市,音,風景,公共,聴く,海外比較,噴水,公園,静寂

関連する記事はこちら

ページトップへ