吉野葛を用いた「葛きり」。しっかりつかまないとはね返されてしまいそうなくらい弾力は強い
水は食文化にさまざまな影響を与えてきました。それぞれの土地の気候や地勢に水がからむことで、独特で多様な食が生まれてきたといえるでしょう。新連載「食の風土記」は、そんな水と風土が織りなす各地の食の今を訪ねます。初回は、葛根から絞り出したでんぷんを何度も水で晒して精製していく「吉野葛」です。
つくりたての葛きりは、向こうが透けて見えるほどの透明感だ。箸で持ち上げると、はね返すような弾力がある。黒蜜につけてひと口すすり、もちもちした食感とほんのり香る後味を楽しんだ――。
全国的に知られる「吉野葛」とは、奈良県吉野地方およびその周辺で製造または加工された葛でんぷんを指す。マメ科の多年生植物「葛」の根を、冬から早春にかけて何度も水に晒して不純物を取り除くこの地方独自の水晒し製法を「吉野晒(さらし)」と呼ぶ。その歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼるという説もある。
葛根湯など漢方薬にも用いられる葛は、そもそも各地で見られる一般的な植物だ。かつては家庭で葛の根を砕いて根に蓄えられたでんぷんを取り出し、飢饉に備える保存食で、江戸時代にはその製法を記した本も出版されていたほどだ。
吉野葛が今日まで連綿と続いているのは急峻な地形で米がつくれなかった食料事情もあると指摘するのは、一般社団法人 吉野ビジターズビューローの田中敏雄さんだ。
「他の地域と違って新田開発もままならなかった吉野では、山の幸に頼るしかなかったのです。しかも吉野山は熊野三山へ続く修行道の北の起終点です。吉野には修験者(山伏)を迎え入れる集落が点在していますので、保存が効く葛は彼らに振る舞う貴重な食料でもあったのです」
自らも修験者である田中さんは、幼いころから鍋に葛を入れ、今も冬には葛湯を飲む。自然とともに生きる吉野の人たちにとって、葛は文字通り生命線だったのだ。
地下水が豊富なうえ、夏は暑く、冬は寒い吉野地方。これらの条件が吉野葛を育んできた。暑い夏にしっかりでんぷんを蓄えた葛の根。それを晩秋に掘り起こし、根を砕く。根は髪の毛の太さぐらいの繊維の集合体。それをほぐして11月半ばから翌年の4月初旬にかけて水槽で水洗いを繰り返し、沈殿、攪拌することで白度を高めていく。真冬は日中も氷点下なので、水や水槽に雑菌が繁殖しにくいという利点もある。
くわえてこの一帯の地下水は純度が高い。南北朝時代に創業し、今も吉野晒にこだわる株式会社 森野吉野葛本舗の代表取締役、森野智至さんは「葛にとって水は洗うためのもの。不純物があるとでんぷんの精製を妨げてしまい、白度が下がり、味にも影響が出てしまいますから、ミネラル分は少ない方がよいのです」と語る。
今のような白色の葛が重宝されるようになったのは茶道の発展と関係が深いと森野さんは考えている。お茶席で和菓子が重宝され、葛にも滑らかな口当たりと透明感が求められるようになっていった。田中さんも「吉野の葛根は特にきめが細かいといわれます」と言う。土壌の影響かもしれないが、粒子が細かい吉野葛は、口に入れるととろけるような食感があるため、和菓子店や日本料理店で今も好んで使われている。
京都に近いという地理的条件も見逃せない。日本で最初に林業を生業としたのが吉野地方だったように、葛も山深い地に住む人々が他所に出せる数少ない交易の武器だったのではなかろうか。毎年冬になると、離れて暮らす親戚や友人に吉野葛を贈って喜ばれているという。
伝統を背景に、新たな使い手も生まれはじめた。透明ではなく、少し霞がかったように見える特性から洋菓子のコーティングに用いられ、「日本の美」として表現されることがあると森野さんは言う。田中さんは30代の若手が手がける葛まんじゅうや葛ラムネといった新しい発想を頼もしく感じている。
水と気候、地理に育まれてきた吉野葛。水晒し製法を守りつつ、新たな一歩も踏み出そうとしている。
(2014年11月28日取材)