地震や津波などの激甚災害は、「ある地域にたまにしか起こらないため、常に備えておくのは難しい」と思っていませんか? いざというときに隣近所と力を合わせるためにも、困っている誰かを助けるためにも、まずは自分と大切な人たちを守る「個人的な備え」が大切です。レスキューナースとしての経験をもとに、講演や防災教育を行なう辻 直美さんに、災害に対して日ごろからどう備えておけばよいのかをお尋ねしました。
インタビュー
国際災害レスキューナース
一般社団法人 育母塾 代表理事
辻 直美(つじ なおみ)さん
大阪府生まれ。国境なき医師団の活動で上海に赴任し、医療支援を実施。帰国後、看護師として活動中に阪神・淡路大震災を経験。地下鉄サリン事件の対応にも従事し、災害医療に目覚める。東日本大震災や熊本地震など国内外30カ所以上の被災地に赴き、医療支援に携わる。著書、監修に『最強防災マニュアル 2025年版』などがある。
まずお伝えしたいのは、日常生活を豊かにしておけば、災害が起きても対応できるということです。「大地震がくるかもしれないから準備しておこう!」と言われてもいつどこで起きるかわからない災害に対して、多くの人は「めんどくさい」と思って備えていません。どこかで災害があるとパニックになって買い占めに走る……いまだにその繰り返しです。
講演を始めた当初、私にしか撮れない現地の写真や体験談を伝えていました。しかし、その場では衝撃を受けるものの結局誰も防災に取り組まなかった。恐怖で人は動かないんですね。「怖がらせてダメならおもしろいことをしよう。日常が豊かになるのはきっとおもしろいよね?」と考え方を改めました。
自分の地域で激甚災害が起きたら避難生活を余儀なくされ、最初は特殊な生活でも時間が経つとそれが日常生活になるわけです。日ごろの準備がとても大事です。
防災というと、大きな災害だけを想像していませんか? 私は日常にありがちな小さなトラブルも災害と考えています。通勤時に電車が止まっている、携帯電話の充電が切れてしまった。これも災害です。駅員に文句を言う人は、日ごろの準備ができておらず不安だからです。電車が動かない場合を想定して別の経路を複数考えておけばいいし、携帯電話は充電器を持ち歩けば済むのです。
災害対策はしていないと皆さん言います。会議の前にはトイレへ行くでしょう。飲みものも用意するはずです。それらは立派な災害対策です。防災をことさら難しく考える必要はなく、日常の小さな習慣を増やせばいいのです。
万が一、避難生活を強いられたらどんな暮らしがしたいですか? 日本の避難所では質素、倹約、我慢を強いられます。でも元気になるためには温かくておいしいものを食べたいですよね。私の防災リュックはすごいんですよ、牛肉ミスジのカレーや近江牛のシチューなどが入っていますから。
何を食べたいか、どんな風に眠りたいか、常に清潔でいるために何が必要かという「睡眠」「清潔」「食事」を軸に、自分の心が高揚するものを備蓄しておくのです。それは日常生活でも同じこと。今、私はひざの手術で入院していますが、これも一種の避難生活です。自分が心地よくいられるようにいろいろ持ち込んでいますので快適です。
かといって、やみくもに備蓄するときりがありません。「地震10秒診断」「東京備蓄ナビ」など防災関連のWebサイトを見て、自分がどんな目に遭うのか、ライフラインの復旧想定時間などを確認すると、備えておくべきもの、そうでもないものが見えてくるはずです。ただし、災害用トイレだけは絶対に用意しておきましょうね。
災害用トイレもそうですが、日ごろから試しておくことが身を助けます。災害時は焦りや不安から普段の半分程度のことしかできません。普段から使って、いざという時に自信をもっておくこと。それは災害時に落ち着いて対処するための大事なファクターです。
例えば料理をするにしても、地震でガスコンロが使えなければベランダやリビングでカセットコンロを使うしかありません。日ごろリビングでお好み焼きをつくる家庭なら問題ないですが、やったことがなければ緊張して疲れてしまうでしょう。子どもが幼い頃、我が家は必ず週に一度、カセットコンロだけで料理していました。
食べ慣れた食品で違う食べ方をするのも楽しいです。キャンプが趣味でホットサンドメーカーをもっている人なら、インスタントラーメンをそのまま食べずに、麺を少量の水で蒸してソースをかければ焼きそばになり、つぶした駄菓子とスキムミルクを投入すればカルボナーラになります。付属の粉末スープはお湯で溶いてスープに。単にゆでるより水が節約できるうえ、二品つくれます。
インスタントラーメンやパスタソースなどはご自身や家族が特に好きな商品があるはずです。それを引き出しや箱にまとめておいて手前から使い、補充するときは奥に入れれば、ごく自然にローリングストックとなるわけです。
ローリングストックでよく言及されるのが「水」です。私は家のあちこちに水を分散して置いています。段ボールでドンと置くと圧迫感がありますし、一カ所にまとめて置くとスペースがもったいないです。水をかわいいデザインの紙袋に入れたり、段ボールにリメイクシートを貼ってレンガ風や木目調にしたりして、インテリアの一部としてなじませるようにしています。
水は500ml、1L、2Lを常備して飲み、料理にも使います。外出時に持って行き、飲み干したら買って帰って補充しています。去年(2024年)転居したのですが、そのときに引っ越し業者さんが「この家、やたらと水出てくるわ!」と驚いて、数えたら水が236Lありました。
「大地震が起きたら浴槽に水を溜めなきゃ!」と思っている人がいますが、それは古い知識です。国土交通省は汲み置きした浴槽の水をトイレには流さず、災害用トイレを使うことを以前から推奨しています。浴槽は清潔ではないので飲み水に適さない。地震で下水道管が壊れていたら、し尿が逆流してあふれ出る危険もあります。
断水時は給水所か給水車に水をもらいに行きますが、適した容器をもっていない人が意外と多い。リュックにごみ袋を二重に入れて水を背負って運ぶと楽ですよ。
仮に避難所で生活することになった場合、持って行きたいのは「香り」「触る」「見る」の3つです。
皆さん、好きな香りがありますよね。女性は柑橘系、男性はバニラの香りを好む傾向があります。コーヒー好きならドリップパックがよいでしょう。それらを「3秒」かぐと心が落ち着きます。
輸送に用いるプチプチ(気泡緩衝材)、もこもこしたルームウエア、自分の耳たぶ、子どもならぬいぐるみなど「3分」触れると気分が変わりますよ。
災害時はデジタル機器が使えないので、絵本や漫画、小説、家族写真などを持ち込み、「30分」見たり読んだりするとよいでしょう。
私は「3・3・3の法則」と名づけましたが、これらは救援物資ではまず届きません。避難所にモノを持ち込んでも大丈夫なので、ぜひ防災リュックに忍ばせておきましょう。
逆に、被災地へ行く場合は「絵本」「トランプ」「手相の本」を持参すると喜ばれます。絵本は関西弁、劇団風、なんちゃって英語など幾通りもの読み聞かせができると、子どもも大人も飽きません。トランプは大勢巻き込んで遊べます。手相はみんな好きですし、他者にちょっと手を触れられることで心が落ち着く効果もあります。こうしたことでやっぱり笑顔になるし、避難者同士の絆が深まるのです。
災害は怖いけれど、防災はおもろい!──そう思ってもらえるように、日常生活の質の向上を常にお伝えしています。どんどんチャレンジして、たくさん失敗してください。まずは自分のことができなければ、ほかの人を守り助けることはできませんから。
(2025年5月13日取材)