機関誌『水の文化』79号
備えは日常のなかにある

ひとしずく
ひとしずく(巻頭言)

水は生かしておくものだ

裏山から湧き出た水は集落のなかを縫うように流れていく(福島県南会津町・前沢集落)

裏山から湧き出た水は集落のなかを縫うように流れていく(福島県南会津町・前沢集落)

ひとしずく

民俗学者
赤坂 憲雄(あかさか のりお)

1953年東京生まれ。東京大学文学部卒業。専攻は民俗学・日本文化論。東北学を提唱し、1999年に雑誌『東北学』を創刊。『岡本太郎の見た日本』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。『異人論序説』『排除の現象学』『王と天皇』『東北学/忘れられた東北』『災間に生かされて』など著書多数。

水の家と、ひそかに呼んできた。忘れがたい風景のひと齣である。

三十年も前のことだ。東北から山野河海(さんやかかい)の民俗誌を編むために、憑(つ)かれたように野辺歩きの旅を重ねていた。あるとき、山の麓にある、戸数が四戸のむらを訪ねた。遠目にも、たたずまいが美しい、曲がり屋の造りの民家に心惹かれた。二、三百年の時間をくぐり抜けてきた、チョウナ削りの太い柱をもつ旧家だった。

家の人々はみな、家まわりや田んぼで忙しく立ち働いていた。庭先の陽だまりで、山菜をゴザのうえに広げている女性に、声をかけた。大正生まれの、その人から、話を伺うことができた。ゆったりと時間が流れていた。庭の池はタメと呼ばれている、という。それが妙に気にかかった。翌日、あらためて訪ねて、ご主人から聞き書きをさせていただいた。それから、許可を得て、ノート片手に家まわりを歩くことになった。

ゆるやかな傾斜地には、屋敷と作業小屋、植木の庭、野菜の畑などが点在している。やがて、ほそい水路が張り巡らされていることに気づいた。タメと呼ばれる池が前庭に三か所、裏手に一か所あり、それらを繋いで、ほそい溝状の水路が家を取り囲んでいた。地中に水路をくぐらせた箇所もある。タメや水路は石を積んで築かれ、古い時代からのものであることが偲ばれた。

裏山に登ってゆくと、水量の豊かな沢があり、湧き水もあった。沢から引かれた水は屋敷を抱くように導かれ、前庭のタメで温められてから、土手をくぐって田んぼへと落とされていた。この山裾に建つ家は、自然の地勢に逆らうことなく、その懐にいだかれていた。水に困ることはなかった、という。山の恵みの水は、冬には茅(かや)屋根から降ろした雪を溶かし、春には一町歩をこえる田を潤してくれた。幾重にも循環する水が、この家を支えてきた。わたしはノートの略地図の片隅に、「水の家だ」と呟きを書き留めた。

むろん、沢水を田に落とした時代は遠ざかった。上水道も引かれて、もはや沢水に依存する暮らしというわけではない。それにしても、関心をそそられたのは、裏手の池と庭のタメと水路が、いまも大切に守られていることだった。ほそい水路は、あきらかに生かされていた。それ以上の聞き書きはできなかった。

思えば、山の村でも海辺の村や島でも、当たり前のように水のある風景に出会い、眼を凝らしてきた。村立てそのものが、湧き水を起点におこなわれる。水路を追いかけていると、村がたどってきた歴史が見えてくる瞬間がある。水場にはきっと、古い樹が植えられ、その木陰に水神さまが祀られている。

あるいは、廃屋となった藪のなかに、井戸の跡を見かけることがある。たいてい竹の筒が刺してあった。井戸は殺さない、生かしておくものだ、と教えてくれた老人がいた。

人は水なしには生きられない。水の家を想う。あの家を取り巻いていた水路もまた、不慮の災害に備えて、いまに生かされているのかもしれない。

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 79号,赤坂憲雄,東北,水と生活,日常生活,水と自然,地下水,湧き水,集落

関連する記事はこちら

ページトップへ