機関誌『水の文化』26号
クールにホットな2107

健全な水循環を育んだ稲作漁撈文明の知恵 気候変動の文明史

秋田県・一の目潟の年縞

秋田県・一の目潟の年縞
写真提供:安田 喜憲さん

文明や歴史が自然環境と深くかかわってきたことを年縞(ねんこう)から実証した安田喜憲さんは、「環境考古学」を提唱し、確立してきた。 温暖化という地球環境の危機の時代に文明の発展を維持していくための知恵は、自然と人間が共存してきた江戸の循環型モデルや稲作漁撈文明にある、と説く。 そこには健全な水循環を育んできた「稲作漁撈文明」の再発見があった。

安田 喜憲さん

理学博士 国際日本文化研究センター教授
安田 喜憲 (やすだ よしのり)さん

1946年 三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科博士課程退学。広島大学総合科学部助手を経て、1988年国際日本文化研究センター助教授。1994年同センター教授。2004年同センター副所長。気候変動と人類の生活、歴史の科学的関係を解明する「環境考古学」の確立者。 著書に『一神教の闇ーアニミズムの復権』(ちくま新書2006)、『気候変動の文明史』(NTT出版2004)、『大河文明の誕生』(角川書店2000)、『森を守る文明・支配する文明』(PHP新書1997)他。

年縞(ねんこう)の発見

過去の気候変動を調べるということには、今まで技術の制約がありました。従来は気候というものは百年とか千年の単位でゆっくり変動すると思われていたのです。ところがグリーンランドの氷をボーリングして厚さ3000m近い氷の層を調べたら、縞々の模様が見つかったのです。氷というのは夏に溶けて再び冬に凍りますから、季節ごとに密度が違いますので、年輪と同じ年層ができます。この年層の縞々の数を計測し、その年層の中の酸素同位体比を調べることで、高精度な年代測定と古気候復元が可能になりました。

従来の年代測定は「炭素14法」という方法で行なわれていました。ある元素の同位体の中で、放射線を放出しながら原子核が壊れていくのには一定の速さがあり、元の原子数(または素粒子数)が半分になる時間を半減期といい、半減期は核種によって決まっています。炭素の放射性同位体であるC14(炭素14)は約5580年の間にその半数が電子を出して窒素14の原子に変わります。この性質を利用して、遺跡で発見された木製品などの同位体組成を調べ、いつごろのものか年代決定する方法を「炭素14年代測定法」といいます。

人間が生きている間は呼吸によって大気中のCO2とやり取りしていますが、死ぬと体内のC14はどんどん壊変していくわけです。その量を計ることによっていつ死んだかがわかるという仕組みになっているのです。

しかしこの方法にはどうしても統計上の誤差があって、プラスマイナス100年ぐらいの誤差が出てしまうのです。そういうラフな年代軸で「気候が変るから文明が変る」という話をしても、歴史学者は納得してくれない。人間の歴史というのは一年とか数カ月で変るものですから。

グリーンランドの年層の酸素同位体比の分析結果は1993年に科学雑誌のネイチャーに掲載されました。この年層は氷ですからH2Oの中に含まれる酸素の同位体O18とO16の比を分析しました。O18は水温が高いときにはたくさん氷の中に含まれ、水温が低いときにはO16が多いことがわかっていますので、これを基に氷の中のO18とO16の比を測定し、過去の水温の変動を測定しました。すると、大きく気温が上昇した1万5000年前には、たった50年で7度から10度も気温が上がっていることがわかったのです。

このことは「気候はゆっくりと変動する」ということが当たり前と思っていた私たちにとって大きな驚きでした。気候変動のスピードというのは異常に速いということが、この論文からわかったのです。

しかしこれは、極地における現象です。気候変動というのは極地と温帯、熱帯とでは表れ方が違います。気候変動が極地において敏感に表れることを、緯度効果といいます。では、温帯や熱帯ではどうか。文明が発達した我々が住む地域で、高精度に気候変動を計測することが可能になったのは、ネイチャーの論文に先駆けた1991年、福井県の水月(すいげつ)湖の湖底から我々が発見した堆積物の縞々だったのです。私はそれを年縞(ねんこう)と名づけました。年縞というのは、春先から夏にかけて珪藻けいそうが繁殖することでできた白い層と秋から冬にかけて粘土鉱物が堆積してできた層が年輪と同じ縞々を形成し、湖底に堆積してできたものです。

この年縞の発見で過去の気候変動を年単位、いえもっといえば、季節単位で測定することが可能になったのです。

これによって、文明が繁栄した温帯や熱帯における気候変動が年単位で正確に測定でき、気候変動と文明の関係を調べる道が拓けたのです。まあ、ここ10年ほどの革新的な技術改革です。

今までは「気候が変ることによって文明が変る」と言っても、「安田はいい加減なことを言っている」と相手にされなかったのですが、年縞の発見によって歴史研究者の世界観もがらりと変わったのです。年縞を利用すれば縄文の気候だろうが弥生の気候だろうが、年単位で復元が可能です。考古学の土器編年より気候変動のクロノロジーのほうが詳細になってきたのです。

ノアの箱舟の大洪水と畑作牧畜型文明

聖書にノアの箱舟の話があります。地球を大洪水が襲ったという話です。それは5700年前に大きな気候変動があって起きた洪水がシュメールの人々の記憶の中にあって、旧約聖書の中にも書かれたというのが歴史としての真相でしょう。

ノアの箱舟は、「洪水は恐ろしい」という話です。しかし、アジアと西アジアでは、水に対する恐怖には大きな違いがあります。

中国のミャオ族にも洪水伝説がありますが、ヒョウタンに乗って流された兄と妹がミャオ族の祖先となるという内容です。西アジアのような畑作牧畜型の社会では、洪水は本当に恐ろしいものですが、稲作漁撈型の民族にとっては、洪水は逆に恵みをもたらしてくれる象徴ともなっています。

水を文明とのかかわりで見ると、現代文明を支配している近代ヨーロッパ文明とその延長線上にあるアメリカ文明は、「水を支配する」文明であったということができます。ある意味で、水の循環系を破壊することで成立した文明といってもいいでしょう。それを、私は畑作牧畜型の文明と呼んでいます。

畑作牧畜型の文明が水の循環などを破壊するのは、家畜を飼って放牧することで草木や森林が破壊され、家畜の糞尿で地下水が汚染されるという悪循環が引き起こされるからです。

ギリシャは今では草木の生えない荒涼とした土地柄ですが、かつては深い森があり、森の神、水の神もたくさんいた所です。それが羊や山羊を飼う牧畜型のライフスタイルを続けていったお蔭で、いつの間にか川から水がなくなり、森がなくなりました。森がなくなれば栄養分が海に流れなくなりますから、地中海も砂漠化していくんですね。

12世紀に大開墾時代がアルプス以北で始まるまでは、ヨーロッパにも広大な森が広がっていました。しかし、17世紀までの、たった500年の間にヨーロッパの森はほとんど伐り尽くされてしまいました。イギリスで90%、ドイツで70%、スイスで90%の森林が失われました。森が破壊されるということは、森の中で生きていた生き物を失うということであり、水の循環系を破壊するということです。

健全な水循環と民族移動

羊や山羊を放牧している光景というのは、一見のどかに見えるものです。しかし水の循環の観点かいったら、とんでもないことといえるかもしれません。ヨーロッパでは川の水は飲むことができません。家畜の糞で汚染されているからです。ほとんどの表流水は飲むことができません。ドイツなどでは、地下800mより深い所から水を採らないと飲めないんですよ。

ヨーロッパは先程言ったように17世紀までにほとんどの森林が破壊され尽くしているのですが、小氷期という1620年ぐらいをピークとして気候が寒冷化した時期がありました。

寒くなって暖を取ろうとしても薪がない。そこで農民たちは麦藁(むぎわら)を燃やしてしまったんです。麦藁というのは、翌年の大切な肥料です。その麦藁を燃やしてしまったために、土地が痩せていってさらに穀物が採れなくなります。

薪の値段も穀物の値段も上がって、貧乏人はパンを買うことも、暖を取るための薪を買うこともできなくなりました。

当時は木綿が普及する以前で羊毛の服を着ていたので、いったん濡れるとなかなか乾きませんでした。そういうところにノミが発生してペストが大流行したのです。

そこで人々はヨーロッパ大地を捨てて、羊や山羊を連れて新大陸を目指しました。1620年にメイフラワー号がアメリカに到着し、それからたった300年の間に、今度はアメリカの80%の森が破壊されたのです。それ以前から住んでいたアメリカンインディアンは、森と共存していました。それなのに新大陸に渡ったヨーロッパ人は、たった300年の間に徹底的に森を破壊してしまったのです。これは先程も言いましたように、森に棲む生き物と、水の循環系を破壊したことでもあります。

ニュージーランドも1840年にアングロ・サクソンが入植すると、瞬く間に森が破壊されました。1880年から1900年までのたった20年の間に、40%もの森が破壊されたのです。それを私たちは「美しい牧草地」と見るわけですが、本当は水の循環系が破壊された姿だということです。

17世紀までにほとんどの森林を破壊し、燃料に困ったヨーロッパの人々が次のエネルギー資源として着目したのが化石燃料だったのです。それで産業革命を起こし、現代の文明の発展があるのです。しかし、化石燃料というのは、実は「禁断の木の実」だった。「禁断の木の実」には手を出すな、と彼らの一神教の神も言っている。「禁断の木の実」に手を出したお蔭で、楽園を追い出されたのですから。

確かに産業革命から今日まで、我々は豊かな繁栄を享受することができました。しかし、そのために我々は今、地球温暖化という危機に直面しているのです。

「禁断の木の実」を食べた我々の未来はどうなるのでしょうか。

健全な水循環と民族移動

健全な水循環と民族移動

稲の伝播も気候変動が引金

4200年前に大きな気候変動があり、それで長江流域の文明が崩壊します。気候変動によって寒冷化したために羊や山羊を引き連れて畑作牧畜民族が大挙して南下、それが長江文明を崩壊させた理由と考えられます。それまでは長江流域には羊などはいなかった。

現在の少数民族であるミャオ族やイ族などはもともと長江流域に住んでいたと考えられます。北方から侵入してきた畑作牧畜民の人々に支配されたり、一緒になるのが嫌で逃げていった人たちが、そのような少数民族になったのです。

一方、畑作牧畜民族の南下で押しやられた海岸部の人たちは、ボートピープルになります。その人たちが日本にやって来た。

こうしたボートピープルが稲作の技術を携えてきて、ごく原始的な形での稲作が、日本に伝播したのです。彼らは呉越の人々でした。日本海側の海岸部には、越後、越中、越前という地名が残っていますが、これは呉越の越なのです。

3000年前に次の気候寒冷化が起きたときも、大規模な民族移動が起きて、押し出されて日本に逃れてきた人たちが本格的な水田稲作農業を伝えました。ですから、今のように畔をつくって稲を植える稲作の技術が日本に定着したのは、今から2800年前ごろと考えられます。

それ以前の4200年前に日本に伝えられた稲作は、おそらくそこまで本格的ではなく、焼き畑のような形で行なわれていたのだろうと推測されます。

稲作漁撈文明の再発見

今まで私たちは、稲作漁撈の価値というものをあまり認めていませんでした。文明というと地中海文明と思って、私自身も青春時代は15年ほどギリシャ、ローマ文明の研究をしていました。この国際日本文化研究センターに来て、梅原猛先生に

「そんな西ばっかり見ていては、人類史はわからない。東洋を見なくては」

と言われました。それで、中国の長江に行ったのです。

畑作牧畜型の地中海文明やメソポタミア文明の人たち、水の循環系を破壊した人たちが好んだのは金銀でした。ギルガメシュ王やミケーネのアガメムノン王が大事にしたのは、光り輝く金銀財宝だった。

ところが長江文明で大事にされたのは、玉(ぎょく)なんです。いってみれば石ころなんです。なぜそんな石ころを大事にするのか、当時はわかりませんでした。

1991年に梅原先生を河姆渡(かぼと)遺跡(中国・浙江省余姚県の主に寧紹平原の東部地区に発見された遺跡)にお連れしました。遺跡から出てきた精度の高い彫刻を施した玉を見て、梅原先生と京セラの稲盛和夫先生は「これはすごい。ここには巨大な文明があるはずだ」と確信されたのです。

玉を愛するのは縄文の人も、マヤの人も同じです。ニュージーランドのマオリの人も、アメリカインディアンも玉を愛します。つまり、環太平洋の人たちは玉が好きなのです。しかし10年の間、なぜ環太平洋の人々が玉を愛するのかは、わかりませんでした。

長江文明の神話は『山海経(せんがいきょう)』(戦国時代から秦・漢期にかけて徐々に付加執筆されて成立した中国最古の地理書)に書かれています。文字どおり、山と海のことが書いてある本です。それを最初からずーっと読んでみました。いろいろな化け物の話とか、とにかくいろいろ書いてある。

そこには、「◎◎山には○○玉が採れる」ということが、たくさん書いてありました。山というのは玉が採れるところだ。玉というのは、山のシンボルだったんです。それがわかったときに、稲作漁撈文明の持っている重要性が、一気にわかりました。

つまり、稲作漁撈文明にとっては水が何より大切です。では、その水がどこから来るのか。山からです。

山がなぜ大切かというと、天と地をつなぐ架け橋なのです。(ぎょくそう)という玉器があるんですが、丸と四角の結合からなっているんです。淮南子(えなんじ)の『天文訓(てんもんくん)』にもあるように、丸は天で地は方(四角)です。は天地の結合を示している。稲作漁撈民は、天地が結合することに豊穣を祈った。だから山というのは、天と地をつなぐ橋(階段)なんです。

日本の会津磐梯山の、磐は岩、梯ははしごです。天地をつなぐ岩のはしごという意味なんです。また、日本人は柱を大切にしますね。それは、天地をつなぐものだからです。

また鳥を崇拝しますが、鳥というのは、天地を行き交うものだからです。アメリカインディアンも羽飾りを頭につけますね。

  • 15世紀ごろまでの人類の文明史を大きく2つに分けた区分図。

    15世紀ごろまでの人類の文明史を大きく2つに分けた区分図。「動物文明」が西洋を中心とした地域なのに対し、「植物文明」は環太平洋を中心とする森と水が豊富に存在した地域で発達したことがわかる。「植物文明」はこの15世紀を境に縮小する。
    安田喜憲著『文明の環境史観』〈中央公論新社2004〉59ページ図より作図。安田さんは『文明の環境史観』の中で畑作牧畜文明を動物文明、稲作漁撈文明を植物文明と著している。

  • 瑪瑙(めのう)や翡翠(ひすい)は玉として珍重され、細工を施したものも数多くつくられた。

    瑪瑙(めのう)や翡翠(ひすい)は玉として珍重され、細工を施したものも数多くつくられた。

  • 日本や朝鮮半島に存在する曲玉(勾玉)文化。

    日本や朝鮮半島に存在する曲玉(勾玉)文化。もともと権力の象徴や、護符(お守り)としての意味があったが、現在ではお土産屋にアクセサリーとして売られているのをよく目にする。

  • 15世紀ごろまでの人類の文明史を大きく2つに分けた区分図。
  • 瑪瑙(めのう)や翡翠(ひすい)は玉として珍重され、細工を施したものも数多くつくられた。
  • 日本や朝鮮半島に存在する曲玉(勾玉)文化。

稲作漁撈文化に育まれた慈悲の心、利他の心

米を食べて魚を食べるためには、水がなくてはいけない。水のために山を崇拝して、美しい水を自分の田んぼに引いてくる。田んぼでお米をつくるというのは、単にお米をつくるだけでなく、ゲンゴロウやメダカを育てたりと、生物の多様性を保つ。今では、地下水を涵養する働きもあるということがわかってきた。そして田んぼでは自分で使ったあとの水をきれいして、他人に返す必要がある。

こうして大切に使われた水田からの水が、最後に海に流れ込んで、栄養分を含んだその水が魚を育み、その魚を我々の祖先は食べてきたのです。この流れの中にサスティナブルな仕組みができていたんです。

これがヨーロッパとは根本的に違うところです。水を核として社会が構成されているのが、稲作漁撈文明なんです。自分の水田にきた水は、自分のものであって、自分のものでない。他人の幸せも考えながら生きなければならない。

それゆえ「慈悲の心」、「利他の心」が醸成されたのです。

水を大切にして美しく使ってきた。また、水によって人と人のコミュニケーションが維持されてきた。このことが稲作漁撈民の大変優れた特長だったということができます。

魚の食べ方にも、いろいろあります。モンスーンアジアの湿潤で温度の高い、発酵に適した気候がお酢や醤油や味噌をつくって食の多様性をも育んできたのです。

稲作漁撈文明とアニミズム

確かに今までは畑作牧畜文明に象徴されるヨーロッパ・アメリカ文明が、世界をリードしてきました。しかし、これからの人類の存続を考えるとき、モンスーンアジアの稲作漁撈民が持っている「知恵」が重要になるはずです。そこでキーとなるのが私が重要性を提唱しているアニミズムなのです。一神教の国の人たちの中には、まず神様があって、人があって、自然はその下位に置かれている。それを突き崩さない限り、今直面している地球温暖化の問題は解決できないと思います。

ユネスコで2005年に講演したことがあるんですが、私はアニミズムがいかに重要かということについて述べたんです。講演が終わったときに、まったくの沈黙だった。誰も一言も発しない、拍手すら起こらない。

これじゃあ、いかんなと思って、2006年にもう一度講演したときに、水を媒介にしてアニミズムを語りました。21世紀には水の危機がくる。水を守るためには、水の命を守ろう、と。もちろん水は命を守るものだけれど、その水の中にも命が宿っているのだと。水の神を大事にすることは、大切なことである、と講演したところ、今度は皆さん拍手をしてくれました。

つまり、一神教と対決させて「多神教のほうがいいんだ」と言ったって、相手には通用しないということです。反発されるだけです。水をシンボルとすると、わかってもらえるんですね。

「バックキャスティング」という方法があります。20年後こういう風になりますから、今からこういうことに取り組み始めましょう、という考え方ですが、私たちは何も20年後の妄想を描く必要はないんです。なぜなら40年前の美しい森と水の循環系を思い出して取り戻す努力をすればいい。

私たちは、そうした美しいモデルを過去に持っているんです。経済や文明を適応させながら、40年前のシステムを再現できる方法を考えればいい。私たちは、平和で循環系が機能していた40年前の社会や江戸時代を手本にすることができるのです。

100年後の世界が美しくあるために

100年後の予測ということですが、今はまったくわかりません。暑くなるということは単純なことではなく、生物の生産性が激減するということです。熱帯の海の魚の量と寒帯の魚の量を比較すれば一目瞭然です。

私たちは年縞を使って地球温暖化が引き起こされた1万5000年前当時の生態系の変化を調べました。氷河時代の寒冷な気候に適応していたトウヒやゴヨウマツなどが絶滅し、温暖な気候に対応したブナやナラやスギなどが生え始めます。しかし、それらが安定して生育するまでに500年以上もかかるんです。その間、どうするというんですか。不安定な生態系のところで、500年間灼熱地獄ですよ。

ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond1937年ボストン生まれの地理学者。ケンブリッジ大学において生理学で学位取得後、フィールドワークに基づく進化生物学、及び生物地理学を並行して研究)が言っているように、環境に対する知識、見通し、技術は、ほぼ出尽くしているんです。

ですから、実際に今現在の環境を良くするには、政治の力が必要です。現場でずっとやって来て、いくら「学」の立場が頑張っても限界があると痛感しました。しかし、いきなり政治家を変えるのは難しい。経済の発展だけを考えているような政治家だったら、危ない。それに比べて官僚は随分と危機感を感じていますから、意識の高い人たちと一緒に勉強会をやっています。

広島藩の本帳記帳(ほんはりきちょう)にも御建山(おたてやま)や御留山(おとめやま)のことが書いてあります。つまり、藩の山の木を勝手に伐って森が荒廃してしまわないように「木一本首一つ、枝一本腕一本」という掟をつくって厳しく取り締まりました。日本のリーダーたちはこんなにも厳しい掟をつくって、山と水を守ってきたのです。高度経済成長の時代より以前には、日本で山の中にゴミを捨てる人なんかいませんでした。水源にそんなことをしたら即、村八分になった。

じゃあ、一般の人が何ができるかというと、不要なものを買わないとか、ゴミを分別するとかいったことは、日常的に非常に尊い行為だと思います。特にこれからは女性の役割はとても重要になります。

しかし、それだけではもう追いつかない段階まできている。国際政治の舞台で物事を決着していかなくては間に合わない。物事を短期間で解決に導くためには、政治の力しかないんです。

もう政治のスタンスを変えないと間に合わない時代になっているんです。日常の努力だけでは、解決できない。政治を変える、というところに意識を持っていってほしいと思います。

春、代掻きが始まると、夜はカエルの大合唱。

春、代掻きが始まると、夜はカエルの大合唱。



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