機関誌『水の文化』46号
都市の農業

わたしの里川
里川幻想揺籃

沖 大幹さん

ミツカン水の文化センター アドバイザー
東京大学 生産技術研究所教授
沖 大幹(おき たいかん)さん

小川というよりは排水路といった趣のその流れは、小学校の正門から坂をくだった文房具屋の前からずっと東に延びていた。本当は南にまわって大きな国道を歩道橋で渡るのが決められた通学路なのだが、「沖君が近道をして帰っていました」と土曜日の学級会で告発されるのも恐れず、東に向かう水路に沿って下校するのが好きだった。何がおもしろかったのかというと、給食の牛乳の紙のふたを取っておいて、それを浮かべて競争させていたのである。左右に揺らめきながら水面を滑っていく牛乳のふたは、普段はちょうど小学生がゆっくり歩く速度くらいで流れてくれて、眺めるのにちょうどよかった。

雨の後は特別だった。いつもとは違って水かさが増し、牛乳のふたを投げ込むまでもなくいろいろなゴミやあくたが浮かんだり消えたりしながらすごいスピードで流れていくのである。こういう日には空き缶が一番おもしろい。少し小走りになりながら空き缶を追いかけ、水路が道路の下をくぐるところで見失いそうになってあわてたり、よどみに引っかかってしまったのを何とか流れに戻そうとして石を投げたり棒でつついたり、といった出来事が楽しかった。

ともすれば昔の想い出は美化される。しかし、この水路はお世辞にもきれいとはいえなかった。水はやや濁った茶色か、青紫のような色で、水底の石にはヘドロのような苔がぬるぬるとついていた。側壁には気持ちの悪い水草がぶよぶよとへばりつき、万が一にも落ちてはいけない、と思うような水路だった。でも、僕にとってはその水路が里川である。里川が清らかな流れであったとは限らない。しかし、里川の未来はどうだろうか。

里山幻想がヒントになる。多くの里山がほんの数十年前までははげ山だったのが、薪炭などの利用が減ったため、戦後急速に森が豊かになった。この事実は以前から森林関係者の間では常識であり、最近では太田猛彦先生の『森林飽和−国土の変貌を考える』(NHKブックス 2012)でより広く一般に知られるようになった。それにもかかわらず、木が生い茂り、人の手が加わっているにせよ豊かな自然が残されているのが昔ながらの里山だと思っている人が圧倒的に多い。

里川もおそらく似たような道をたどる。僕が小学生だった1970年代は公害対策基本法の制定を受けて、社会が汚染対策に取り組み始めた時期だった。以来40年、都市河川の水質も見違えるようにきれいになり、親水護岸も整備されるようになった。いずれ、あるいはすでに今でも、公園のように手入れの行き届いた里川しか知らず、ずっと昔から里川は今のように好ましい環境だったと思う人が大半を占めるようになるに違いない。まさに現在、里川幻想が形作られている最中なのである。

数年前、小学校の時の担任の先生が定年退職されるお祝いを兼ねた久しぶりの同窓会があり、通いなれた通学路を歩く機会を得た。想い出の水路には蓋がされ、車道が少し広がっていた。

え●岩田健三郎

え●岩田健三郎



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