機関誌『水の文化』65号
船乗りたちの水意識

水の文化書誌55
水の都──江戸・東京を追う

古賀 邦雄

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

家康、江戸の構築

天正18年(1590)、徳川家康は秀吉から関八州(相模、武蔵、上野、下野、上総、下総、安房、常陸)を授かった。家康は家臣から江戸への国替えは猛反対を受けたが、小田原、鎌倉の地でなく太田道灌が構えていた江戸城を本拠地とした。江戸城の東と南は海、西は茫々たる萱原の関東平野湿地帯であったが、家康はこの地に未来があると、心のなかで描いていた。

門井慶喜の小説『家康、江戸を建てる』(祥伝社・2018)は、流れを変える、武蔵小判の流通金貨の制度化、小石川・神田上水の飲み水を引く、伊豆から巨石で石垣を積む、天守を起こす、の5話からなる。流れを変えるでは、伊奈忠次に命じ、利根川の流路を東遷させ治水・水運を図り、江戸への関東北部からの物資の流通の円滑化を図り、農地の開発が進む。

鈴木理生著『江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する』(筑摩書房・2000)では、江戸の近世都市づくりの特徴について、次のことを挙げている。

①江戸は日本人社会が初めて臨海低地に意識的・継続的に都市を造った場所である。海を埋め立て海上への進出を図った。当時、唯一の大量輸送手段としての水運を確保するためであった。

②江戸前島を開削し、その土で日比谷入江を埋め立てる。運河・船入堀を造る。臨海の埋め立て地の国づくりは飲料水の自給できない都市となった。その結果、神田上水・玉川上水における引水をせざるを得なくなった。さらに低平地部の下水処理を優先した。

③大江戸形成までは家康―秀忠―家光―家綱の四代70年に及ぶ大建設だった。

その都市開発を見てみる。

(1)天正18年(1590)―行徳の塩輸送の沿岸運河小名木川・新川の位置を確定。行徳―江戸間開通。道三堀工事着手。天正19年(1591)大久保主水、小石川上水を引く。文禄2年(1593)下総小見川―江戸間米の舟送・内川回しの最初。

(2)慶長11年(1606)石船建造―菱垣廻船の成立、翌年江戸城本丸工事、元和2年(1616)家康没、翌年日光東照社に祀られる。元和7年(1621)赤堀川・新川通りの開削。

(3)寛永6年(1629)荒川を入間川へ瀬替え。寛永10年(1633)江戸川開削。寛永年間(1624−1644)神田上水通水。承応2年(1653)玉川上水開削。寛文11年(1671)から翌年にかけて河村瑞賢が「東廻り」「西廻り」航路を開く。天和2年(1682)江戸川に関所新設。なお、伊東潤の小説『江戸を造った男』(朝日新聞出版・2016)は、瑞賢の江戸の都市計画・日本大改造を描く。

門井慶喜著『家康、江戸を建てる』

門井慶喜著『家康、江戸を建てる』

江戸・東京の川

尾河直太郎著『江戸・水の生活誌―利根川・荒川・多摩川』(新草出版・1986)は、利根川・荒川・多摩川における、次太夫堀、利根川の改修、鬼怒川・小貝川分離、新田造り、江戸を支えた利根川の河岸、新河岸川の河岸を論じながら、江戸あるいは江戸時代の人と水のかかわりを追求する。すなわち、自然のサイクルに合わせた生活のリサイクルを大切にした。水流という無公害・ローコストの自然エネルギーを、舟運や水車などに巧みに利用した。江戸とその周辺の農村は、生産されたものをたんに消費するだけでなく、都市のカマド灰や古金物が肥料や農具の原材料となるというように、生産―消費―生産のリサイクルの環で結ばれていた。

東京の川研究会編著『「川」が語る東京―人と川の環境史』(山川出版社・2001)は、利根川水系江戸川・中川の境界に刻まれた川、荒川水系荒川・隅田川の暮らしと憩いへ、多摩川水系玉川上水・多摩川の武蔵野を見つめた川、独立河川石神井川・神田川・目黒川の都市東京を捉える。

飯野頼治著『東京の川を歩く―地図でたどる里川・用水・緑道』(さきたま出版会・2015)は、川歩きの魅力に取りつかれた20年間の河川探索の労作である。その内容は、東京都内の平地を流れるほぼすべての里川・用水・運河である。暗渠の里川は、緑道として復活したものを捉えている。大河の荒川・利根川水系は都内を流れる部分を挙げる。多摩の里川と用水として、秋川・平井川、浅川、谷地川、乞田川、仙川、丸子川を捉える。新河岸川へそそぐ里川として、前川、空堀川、黒目川、白子川、落合川を挙げる。23区内の里川・緑道・運河として、善福寺川、日本橋川、渋谷川、呑川、目黒川、北十間川、小名木川、仙台堀川、大横川、大場川、小松川境川を歩く。102河川、123コース、総歩行距離約1100kmである。

メディアユニオン編『東京の川と水路を歩く』(実業之日本社・2012)は、下町から山の手、武蔵野、奥多摩にかかわる楽しさあふれる川巡りガイドとなっている。さらに、リバーフロント整備センター編『東京の川めぐり』(山海堂・2000)は、東京の川・全34コースについてカラー地図にて表示し、散策できる。

菅原健二編著『川跡からたどる江戸・東京案内』(洋泉社・2011)には、初めに次のように記されている。「そもそも臨海都市として成立した江戸には、さまざまな水面があった。自然の川としては浅草川(隅田川)、日本橋小網町付近を河口とした旧石神井川、井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源として日比谷入江にそそいだ平川(神田川・日本橋川の原形)、江戸城内から日比谷入江にそそいだ局沢川、四谷・赤坂付近を水源とした汐留川、金杉という州を形成した古川(上流は渋谷川)などだ」。市民生活を支えた神田上水、玉川上水、運河網の水辺空間は、昭和初期まで数多く存在していた。しかし、大震災、戦災や都市の発展で、川と人々の生活のかかわり方が変わってきた。本書は江戸時代から現在までの東京の変貌を、川と水辺の変容から見直している。

同著『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』(之潮・2007)、同著『川の地図辞典 多摩東部編』(之潮・2010)は、すべての河川を網羅している。

  • 尾河直太郎著『江戸・水の生活誌―利根川・荒川・多摩川』

    尾河直太郎著『江戸・水の生活誌―利根川・荒川・多摩川』

  • 飯野頼治著『東京の川を歩く―地図でたどる里川・用水・緑道』

    飯野頼治著『東京の川を歩く―地図でたどる里川・用水・緑道』

  • 菅原健二編著『川跡からたどる江戸・東京案内』

    菅原健二編著『川跡からたどる江戸・東京案内』

水の都 江戸・東京

東京は水の都である。陣内秀信編『水の東京』(岩波書店・1993)に、東京は水とともに生きる都市として発展してきたとある。戦後、水の都の破壊と喪失を経験したが、その再生の兆しが見えはじめ、佃島、隅田川、臨海部、都心、下町、山の手における東京の水風景を描く。

同著『東京の空間人類学』(筑摩書房・1992)は、早くから東京が水の都であることを確信しながら、徹底的に東京を歩きその都市構造を解明している。山の手では坂や崖、曲がりくねった道、鎮守の森や屋敷のみどり、下町では掘割や橋、路地や店先を歩き、それらは立派な歴史的な要素なのであるという。そして、世界にもないユニークな都市空間をつくり出していると分析する。

陣内秀信+法政大学陣内研究室編『水の都市 江戸・東京』(講談社・2013)では、①地形を読み、それに手を加えながら水の循環を考えてつくりだされた江戸城・内濠・外濠。東京の母なる川隅田川、江戸の幹線水路日本橋川、人工的に開削された神田川。②計画的に江東・墨田の仙台堀川・小名木川。③近代の埋立てで物流・産業基盤として形成された港南臨海部・佃島・月島。④江戸市中の飲料水、新田開発に寄与した玉川上水、さらに目黒川、善福寺川、多摩川、府中、日野までの水空間を追う。野川では水辺の空間を市民の手にと、その再生活動に迫る。

法政大学エコ地域デザイン研究所編『外濠―江戸東京の水回廊』(鹿島出版会・2012)の初めにおいて、陣内は、「東京都心の眠る外濠の価値の再発見で、武蔵野台地が東に張り出す突端に江戸城=皇居を配し、その周りには、高低差にしたがって、水が循環する内濠・外濠がつくられた。さらにその西側に大きく広がる山の手の高台にも起伏が多く地形と密接に結びつく形で中小の河川や用水路が流れ、まさに江戸東京の全体に変化に富む水の都市が形づくられてきた」と指摘する。さらに、これほどの水と緑の自然に恵まれた広大な空間をもつ都市は東京以外には存在しないという。

高道昌志著『外濠の近代―水都東京の再評価』(法政大学出版局・2018)の対象とする外濠は、江戸城の総構えを成す巨大な水辺空間の掘割に関する役割の変遷を追求する。

  • 陣内秀信+法政大学陣内研究室編『水の都市 江戸・東京』

    陣内秀信+法政大学陣内研究室編『水の都市 江戸・東京』

  • 法政大学エコ地域デザイン研究所編『外濠―江戸東京の水回廊』

    法政大学エコ地域デザイン研究所編『外濠―江戸東京の水回廊』

水路運河を巡る

東京の水路運河を巡る書を次のように挙げてみる。石坂善久著『東京水路をゆく』(東洋経済新報社・2010)、石坂善久ほか著『水路をゆく』(イカロス出版・2010)、中江克己著『江戸の「水路」でたどる!水の都 東京歴史散歩』(青春出版社・2018)、小林紀晴著『写真で愉しむ東京「水流」地形散歩』(集英社・2018)、岡本哲志著『川と掘割“20の跡”を辿る 江戸東京歴史散歩』(PHP研究所・2017)、内田宗治著『「水」が教えてくれる 東京の微地形の秘密』(実業之日本社・2019)。田原光泰著『「春の小川」はなぜ消えたか』(之潮・2011)では、渋谷川に見る都市河川の変遷を追求する。そして、岩井是道著『滅びゆく水の都江戸・東京』(之潮・2013)はよみがえる水路と橋について述べる。

江戸の人口の推移をたどると、1603年ごろ徳川家臣団を中心に6万人、その30年後には武士、町人合わせて約30万人、1700年ごろには100万人に達する。人口の増加は、江戸における都市インフラが充実し、瑞賢による「東廻り」「西廻り」の航路が確立し、日本における流通形態が成立した結果であるといえる。

  • 内田宗治著『「水」が教えてくれる 東京の微地形の秘密』

    内田宗治著『「水」が教えてくれる 東京の微地形の秘密』

  • 田原光泰著『「春の小川」はなぜ消えたか』

    田原光泰著『「春の小川」はなぜ消えたか』

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