機関誌『水の文化』78号
街なかの喫茶店

街なかの喫茶店
【文化をつくる】

喫茶店は〈水場〉のひとつだ

編集部

特集「街なかの喫茶店」はいかがでしたか? 実は『水の文化』編集部では、当初「コーヒーと水」の関係に注目しました。ところが、調べていくうちにコーヒーなどを提供する喫茶店、それも個人が経営する小規模な店の「喫茶空間」に強い興味を抱くようになり、テーマの方向性をシフトしました。いろいろな立場の方にお話を聞いた本特集について、編集部の視点から振り返ります。

コーヒーの味にこだわる喫茶店は日本独特な文化

現代の喫茶店では、コーヒー、紅茶、炭酸飲料、ジュースなどさまざまな飲みものを提供する。しかし、日本に喫茶店が生まれた源には、フランスのパリでコーヒーを飲みながら芸術家たちが語り合う「カフェ」の雰囲気を持ち込もうとした人たちがいた。旦部(たんべ)幸博さんによると、17世紀のイギリスの「コーヒーハウス」は、それまでアルコール類を飲む店しかなかったなか、初めて生まれた「素面(しらふ)で語り合える飲食店」。イギリスで紅茶の飲用が一般化するのは18世紀後半なので、喫茶店の核にはコーヒーがある。

コーヒーは、日本では一部の地域でしか栽培されていないにもかかわらず、多くの人が飲んでいる。(一社)全日本コーヒー協会の調べでは、日本のコーヒーの消費量はEU、アメリカ、ブラジルに次ぐ世界第4位(一人当たりの消費量に換算すると順位はだいぶ下がる)。そして日本人がコーヒーを飲む場所は「家庭」が圧倒的で、「職場・学校」、自販機などの「その他」と続き、「喫茶店・コーヒーショップ」は第4位となっている(図参照)。「喫茶店に足を運んでコーヒーを飲む」ことは、ちょっとした非日常的な行為といえる。

1980年(昭和55)に日本へ導入されたセルフサービス式のカフェは、チェーンごとに価格が定められ入りやすい。それに対して、マスターが一杯ずつコーヒーを淹れてくれるような、昔ながらの喫茶店は「常連が多そうで少し入りづらい」という声がある一方で「ミステリアスで魅力的」と肯定的な声もあり、編集部内でも意見は割れた。

昭和レトロブームで脚光を浴びる「純喫茶」は、旦部さんの分析によると「あの独特なスタイルの喫茶店は世界中どこを見ても存在しない、日本独自の文化」である。クレイグ・モドさんが心惹かれたピザトーストをはじめ、ナポリタン、コーヒーゼリー、プリンなどがインバウンドに人気があるのもうなずける。

2012年(平成24)にアメリカの文化人類学者、メリー・ホワイトが日本独自の喫茶店と珈琲の文化を紹介する『Coffee Life in Japan』(邦題『改訂新版 コーヒーと日本人の文化誌――世界最高のコーヒーが生まれる場所』2023)を著す。2014年(平成26)に公開された映画『A FILM ABOUT COFFEE』では大坊(だいぼう)勝次さんも紹介された。監督のブランドン・ローパーは「大坊さんのコーヒーは特別だ」と述べている。

何事にも妥協せず、研ぎ澄ませる特性をもつ日本人が磨き上げた喫茶店が、海外から文化として評価されるのはちょっと誇らしい。

図 コーヒーの1週間当たり平均飲用杯数(場所別)

※隔年10月に調査。調査対象は12歳以上79歳まで。集計対象サンプル数は4000
※飲用場所不明のケースがあるため、場所別の合計と全体の数値は必ずしも合致しない
※2020年は郵送調査法で実施。2022年はWEB調査で実施のため時系列で見ることはできない

出典:全日本コーヒー協会「コーヒー需要動向調査 2022年度 第21回調査(概要)」

喫茶空間をつくるのは店主と客(私たち)

個人経営の喫茶店には個性がある。外観からインテリア、食器まで、店主のこだわりが色濃く出るからだ。最たるものがコーヒーの味。京都「六曜社(ろくようしゃ)珈琲店」三代目・奥野薫平(くんぺい)さんは、自身の好みとは少し違うが「常連さんが戸惑わないように」と先代の味を変えていない。大阪「喫茶 HOMER」の山本昌良さんは、豆を変えてないのにいつもの味が出せなければ、すぐさま仕入先へ改善を要求する。「CAFE DE サロット」の安田和志さんも同じだった。

では、喫茶店は店主から提供されるものだけで成り立っているかといえば、そうでもなさそうだ。

名古屋「珈琲専門店 蘭」の永井博子さん・浅野美和子さん姉妹は女性客が残したメッセージカードを愛おしそうに見せてくれた。「いかに黙っているか」という接客方法に行きついた大坊さんも閉店が決まった後、たくさんの人に「ここでの時間は貴重でした」と言われてうれしかったと語る。

喫茶店という空間には、訪れる私たち客側もまた影響を与えているのだと思う。

「五感」を刺激するコーヒーという液体

今回紹介した喫茶店は、ある程度の歳月を経た店ばかりだ。しかし、旦部さんがいう「新スタイルのカフェ」を最近開業した比較的若い人が喫茶空間をどう考えているのかも知りたい。そこで編集部が面識のある「キコリカフェ」の茶圓(ちゃえん)秀介さん(34歳)に話を聞いた(コラム参照)

開業して半年。予想に反して地元の人が大勢やってくる様を見て、茶圓さんは「カフェや喫茶店は、ごはんを食べに来る、お茶しに来るという機能だけではないことが見てとれた」と言う。飲食店を営むつもりはなかった「喫茶店に憧れのない人」ゆえの率直な意見だ。コーヒーという液体がコミュニケーションに及ぼす影響はどうか。

「お茶もそうですがコーヒーは特に香りが強いですね。コーヒーが五感を刺激することで感覚的な部分も活性化してコミュニケーションが円滑になるのかもしれません」

能登半島で焙煎所を開きカフェも設けた仙北屋(せんぼくや)葉子さんは「この豆でコーヒーを淹れると能登の風景を思い出すんですって」と頰を緩めた。電話かメールだけなのに豆の注文が相次ぐのは、その豆を淹れて飲むことで能登に一瞬戻れるからだろう。

五感は視・聴・嗅・味・触だ。店内の絵画を見て、音楽や人の話し声を聞き、なぎら健壱さんが記したように香りを嗅ぎ、温度変化で変わるコーヒーを味わい、カップも触る――。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るはコーヒーを提供する喫茶空間にすべて備わっている。

喫茶空間は現代の井戸端か?

迂闊(うかつ)にも、古い喫茶店には地域の記憶も眠っていると思い至らなかった。気づいたのは難波里奈さんへのインタビューで伺った東京都文京区の「こゝろ」で、おかみさん(店主の母親)から1960年代末の東大紛争の話を聞いてからだ。

店内には主張が異なるセクトの学生たちが離れた席に座り、その合間に私服の刑事が潜み、2階では教授が学生たちを集めてゼミを開いていた……。これがほんの10分で聞いた話だ。難波さんが「純喫茶はオーラルヒストリーの宝庫」と称した理由がわかる。

しかし、日本独特の文化である「昔ながらの喫茶店」が次々と姿を消している。それに気づき、記録しなければと動いたのが文京建築会ユースだ。栗生(くりゅう)はるかさんは、銭湯と喫茶店は目的があって誰もが入れる場所で、副次的にコミュニケーションが生まれる場所だと考えた。「かつての井戸端もそうだった」とも言った。

そこで思い浮かぶのは、研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」で野田岳仁さんが探究する「水場」であり、その「価値」だ。水汲みや洗濯のために井戸へ行くのだが、他愛もない世間話が楽しいし、誰がいるか行ってみないとわからない偶発的な面もある。

水をコーヒーに置き換えれば、喫茶空間も一種の「水場」と言っていいのではないか。コーヒーを飲むことを水分補給の一手段とすれば、冒頭の調査のように家で飲めばいいのに、なぜ人は喫茶空間に足を運ぶのか。それは偶然の出会いや思わぬ刺激が得られる非日常的な楽しさがあるからだろう。

「銀座三大カフェー」が開業して114年、その前身となった「可否茶館(カツヒーさかん)」が生まれて137年。戦争を挟んで戦前の味を追い求める人たちがいて、過当競争で追い込まれた人たちが教えを乞い、自家焙煎を追究する人たちが現れた。歌声喫茶やジャズ喫茶は孤独な若者たちの居場所だったし、「でもしか喫茶」「社会と経済情勢が生んだ日本の喫茶店」参照)は不況の落とし子だ。時代によって、経済情勢によって、日本の喫茶店はその姿を変えてきた。

ラーメン店ですら個人経営の店が閉まるなか、昔ながらの喫茶店の苦戦は続くだろう。しかしスマホの普及で便利になった反面、直接的なコミュニケーションが足りない今だからこそ、不特定多数が集まる「水場」としての喫茶空間には、大事な役割が残されている。

カフェが住民の〈誘い水〉に

2024年(令和6)6月、地域おこし協力隊(以下、協力隊)の若い夫婦が山間部にカフェを開いた。福島県南会津町の「キコリカフェ」だ。

キコリカフェは、木地師をルーツとする木材販売・住宅建築企業、株式会社オグラの「きこりの店」のインストアとしてオープンした。同社社長の小椋(おぐら)敏光さんが協力隊の茶圓(ちゃえん)秀介さん、いずみさん夫婦に出会ったことがきっかけだ。まずは小椋さんが建てたモデルハウスを、観光客が泊まれる貸し切り一軒家「キコリハウス」とした。

協働の第二弾が「キコリカフェ」。ところが秀介さんは「飲食業をやりたいと思ったことは一度もなかった」と意外な言葉を口にする。

「経済的合理性を考えると飲食店は厳しいですよね。ただし、私がこの地域でできることを考えると、準備期間が短くて、しかも必要最低限の設備投資でスタートできるのは飲食店かな、と」

協力隊になる前は鉄道会社で新駅周辺の都市開発を担当した秀介さんに、飲食店の開業は魅力的ではなかったが現実的ではあった。

小椋さんには「建築家や木工家ではない『ふつうの人』が魚や野菜と同じ感覚で木材を買い、身の回りのものをつくろうと思う世の中にしたい」との夢がある。木材を身近に感じてもらおうと社屋を買い物もできるショールームとし、木材の勉強・見学会を長年続けてきた。

カフェを開き人びとをショールームに導こうとオープンしたキコリカフェ。半年が過ぎて想定外のことが起きていた。「30年以上やっていて『一度も来たことなかったわ』と言う地元の人がたくさん来るんです」と小椋さんは驚き、秀介さんは「観光客をメインに考えていたので、地元の人がこんなに来るとは思わなかった」と笑う。

カフェが木の香り漂う空間への〈誘い水〉にもなることを知った。

  • 秀介さんが淹れるコーヒー、いずみさんが焼くパン、いずみさんの友人がつくるケーキ

    秀介さんが淹れるコーヒー、いずみさんが焼くパン、いずみさんの友人がつくるケーキ

  • 小椋敏光さん(右)と茶圓秀介さん(左)。茶圓さん夫婦は地域おこし協力隊を退任して、自分たちの事業に専念

    小椋敏光さん(右)と茶圓秀介さん(左)。茶圓さん夫婦は地域おこし協力隊を退任して、自分たちの事業に専念

  • キコリカフェ

    キコリカフェ
    福島県南会津郡南会津町岩下93
    金・土・日 10:00~16:00 (臨時休業あり。営業日はSNSにて要確認)

(2024年12月20日取材)

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