大きな災害が起きた後、常に問題となるのが「トイレ」です。災害時に水洗トイレはほぼ使えません。しかし、排泄を我慢することは人びとの健康状態に悪い影響をもたらします。そこで「皆が連携しなければ安心できるトイレ環境はつくれない」と災害時のトイレ調査や防災トイレワークショップを数多く手がけているNPO法人日本トイレ研究所の加藤篤さんに、水が不足する災害時に有効なトイレや事前に地域で取り組めることなどをお聞きしました。
インタビュー
NPO法人日本トイレ研究所 代表理事
加藤 篤(かとう あつし)さん
1972年愛知県生まれ。まちづくりのシンクタンクを経て現職。災害時のトイレ調査や防災トイレワークショップの実施、防災トイレ計画の作成などを展開。著書に『うんちはすごい』『もしもトイレがなかったら』『トイレからはじめる防災ハンドブック──自宅でも避難所でも困らないための知識』などがある。
蓋の自動開閉、暖房便座、自動水洗……。私たちのトイレは驚くほど快適だ。しかし、ひとたび災害が起きると、この快適さは失われる。2024年(令和6)元日に起きた能登半島地震でも、トイレが使えない状況に陥った。
「トイレは日々の排泄を受け止めるライフラインです」
そう話すのはNPO法人日本トイレ研究所(以下、日本トイレ研究所)の代表理事、加藤篤さんだ。
「水洗トイレは給水・排水、排水処理施設、電気など、複数の要素が整わないと成立しない、ある意味もろいシステム。『災害が起きるとトイレが使えない』ことは、多くの方に知っていただきたいです」(加藤さん。以下同)
災害時は、給水設備の破損や停電によるポンプ停止で断水し、流す水が届かない。同時に、排水管に異常が生じ、下水管や浄化槽が壊れると汚水も流せなくなる。
興味深いデータがある。平成28年熊本地震が発災して3時間以内に約4割、6時間以内に約7割の人びとが「トイレに行きたくなった」のだ。
「人間は6時間、水や食事なしでも大丈夫ですが、トイレはそうはいきません。当事者にならないと想像しづらいかもしれませんね」
日本トイレ研究所は能登半島地震発災における避難所21カ所のトイレを調査。日時の記録が残る10カ所のうち、3日以内に仮設トイレの支援が来たのは1カ所だった。外部の助けはすぐに来ないのだ。
災害が起きたらトイレは使えないが、使わずにはいられない。
「阪神・淡路大震災からの30年間、被災地で繰り返されているのが『トイレパニック』です」と加藤さんは指摘する。
トイレパニックとは、便器に大小便があふれ、著しく不衛生になった状況を指し、3つのリスクをもたらす。1つめは集団感染だ。ドアノブ、便座、洗浄レバー、水道の蛇口など、トイレを使う人びとは同じ箇所に触れる。水不足で手洗いが十分にできない状況で複数人がトイレを利用すると、ウイルスが広がる可能性が高まる。
「能登半島ではノロウイルス、インフルエンザ、コロナウイルスが同時発生した避難所もありました」
2つめは、避難者が不便・不衛生なトイレに行く回数を抑えようと水分摂取を控えて、健康を損なうリスク。脱水や免疫力の低下でエコノミークラス症候群や誤嚥性(ごえんせい)肺炎などを発症して災害関連死に至る。「熊本地震では災害関連死が直接死の4倍に上りました。安心できるトイレがあれば、皆さんしっかりと水分を摂ることができます。背景にあるのはトイレ問題なのです」
都市部では高層のオフィスやマンションに、縦に積み重なるように人びとが暮らす。災害時に外出するのは危険が伴うので、建物が安全であれば会社や自宅に避難した方がよいと加藤さんは言う。
「『トイレがないと暮らせない』ことは盲点になりがち。水や食料とセットで、トイレを備えていただきたいです」
リスクの3つめは治安の悪化だ。トイレは共同生活を強いられる避難所で一人になれる唯一の場所。「人間は安心できれば副交感神経が優位になり排泄できますが、不便・不衛生なトイレではイライラが募り、秩序が乱れます」
「食べて出す=排泄」が滞ると、心身ともに健康ではいられなくなるのだ。
では災害に向けて、私たちは何を備えるべきか。
「初期対応で使えるのが、便器に取り付ける袋式の『携帯トイレ』です。災害が起きたら、まずは取り付けましょう。トイレパニック回避の第一歩です」
排水設備や下水道が壊れているのに便を流すとトイレは詰まったり、あふれたりする。携帯トイレはこれを防ぐうえ、自宅やオフィス、避難所などどこでも使える。
「災害時もできるだけ日常に近い環境が理想です。携帯トイレは建物内のトイレを使いますので、鍵もかかって安心です」
ただし、携帯トイレを災害時に初めて使うのは難しい。編集部も取材前に試したが、ペーパーの処理や凝固剤の使い方に戸惑い、固めた尿のずっしりとした重みに驚いた。ビニール袋が厚手なので、空気を抜いて縛(しば)るのも簡単ではない。
「そうなんです。災害前に一度は使っていただきたい。実は能登半島地震で調査した避難所の9割で携帯トイレを使用していましたが、使ったことがない人がほとんどで、避難所の運営者は『日本中の小学校で練習させてほしい』と言っていました」
使用済みの携帯トイレは可燃ごみになるが(各自治体に要確認)、災害時にすぐ回収するのは難しいので保管することになる。災害時に平均で一日5回トイレに行くとすると、4人家族なら一日20袋だ。携帯トイレだけで長期間暮らすのは厳しい。
そこで、発災から3日目以降は、避難所のマンホールトイレや仮設トイレを併用したい。例えば昼間は避難所の仮設トイレを、夜間は家で携帯トイレを使う方法もある。時間経過とともに選択肢を増やし、し尿というリスクを分散するのだ。
マンホールトイレとは、マンホール上に便器と個室を設置するもの。大小便を下水道に流せる構造の「接続型」と、マンホールの下に便槽があり後日汲み取る「貯留型」があり、接続型にはさらに3タイプある(図5参照)。組み立てればすぐに使えるうえ、地面との段差がほぼないため高齢者や車椅子の人でも使いやすい。ただし、どのマンホールでも使えるわけではないので事前に確認しておく必要がある。
一方、仮設トイレは、河川敷やイベント会場でおなじみのボックス型または組み立て型のトイレ。下部に汲み取り用のタンクを備えている場合が多い。和式タイプは、足腰に不安のある高齢者や慣れていない子どもには使いづらい面がある。
マンホールトイレや仮設トイレの設置を担うのは主に自治体職員だが、災害時は駆けつけられないことも多い。そこで自治会や町内会など地域住民が主体となって、設置場所を考えたり使用する機会をつくるなどしておくと安心だと加藤さんは言う。
「高齢化率50%を超える能登半島地震の避難所で、仮設トイレの85%が和式でした。せっかく届けていただいても高齢者や障害者は使えないのです」
このようなミスマッチを起こさないためにも、実際に利用できるかの確認が必要だ。
「トイレは個々の習慣です。他人に見せないので情報が共有されません。どんなトイレなら安心できるか話し合っていただきたい」
確認すべきことはたくさんある。トイレに施錠が可能か、段差の有無、手洗い設備や掃除道具の準備、そして照明をどうするか。サニタリーボックスや防犯ブザーの設置、性犯罪を防ぐための男女別動線など、地域レベルでも検証しておきたい。
東日本大震災で被災した宮城県の東松島市では、小学校の運動会で教職員と保護者がマンホールトイレを設置して実際に利用している。小学校は指定避難所で、運動会に集まるのも地域住民。災害時のノウハウを共有する絶好の機会だ。地域イベントにマンホールトイレや仮設トイレを用いて訓練を兼ねる事例は全国にある。
「災害時に助けを待って大変な思いをするより、自分たちで動けるように備えておくことが結果的に自分たちを守ります」と加藤さんは言う。大事な人を守るためにも、万全の備えで臨みたい。
(2025年4月17日取材)