機関誌『水の文化』12号
水道(みずみち)の当然(あたりまえ)

見直される乾燥地帯の水利システム貴重な水を運ぶカナート

カナートの概念図

カナートの概念図と写真 写真と図版提供:小堀 巌さん

水が豊富といわれる日本で、私たちは、現在の水道や用水のシステムを当然のこととして受け止めてきました。しかし海外に目を転じると、水資源に乏しい国や地域はいくらでもあります。ではそのような水が貴重な土地では、どのようにして水が供給されているのでしょうか。世界中で多様に存在する水供給システムの一つに、「カナート」と呼ばれる水利施設があります。日本語では「横井戸式地下水灌漑体系」と表現されるカナートを長年研究されている小堀巌さんに、日本の尺度ではなかなか計ることのできない仕組みや利用者の技術、習慣等についてうかがいました。

小堀 巌さん

国際連合大学上級学術顧問 元日本沙漠学会会長
小堀 巌 (こぼり いわお )さん

1926年生まれ。東京帝国大学理学部地理学科卒業。1961年東京大学理学部助教授、のち教授。1985年、三重大学人文学部教授、のち明治大学政治経済学部教授を経て現職。1979年には沙漠の研究でレジオン・ド・ヌール勲章を受章し、82年には第13代パリ日本館館長も務める。 主な著書には『乾燥地帯の水利体系』『アラビアの旅から:沙漠にて』『ナイル河の文化』『サハラ沙漠:乾燥の国々に水を求めて』他多数。

カナートとはなにか

横井戸による地下水道というのがカナートですが、なかなか想像しにくいものと思います。私が日本で説明するときは「カナートというのは地下鉄のようなものだ」と言っています。簡単に言えば、水のある山麓地帯に最初の深い第1井(この井戸を「母井:マダル・チャー」と呼びます)を掘り、そこの帯水層から取った水を暗渠で導水し、灌漑地の近くで地表に出すのがカナートです。暗渠で導水するのに、地下から一直線に横に掘ることができないため、多数の竪抗の井戸を続けて掘って、それらをつないでいくわけです。

ただ、この技術や形態だけをカナートと言うのではなく、カナートに支えられている集落、農地、全体を考えた水利システムがカナートであると考えます。連続した竪坑の長い列、その先に位置する集落、さらにその先の畑への灌漑など、すべてが総合技術としての水利体系となっています。

カナートはイラン高原あたりが発生の地と言われていますが、世界中に広がっています。アフガニスタンでは「カレーズ」、アルジェリアでは「フォガラ」、オマーンでは「ファラジ」と呼んでいます。意味は同じですが、国によって深さや全長は異なります。

世界中のカナートを見た人はいないのですが、スペインにもカナートはあります。マドリードにも、パレルモにも、南イタリアにもルーマニアもあるといった具合で、数え出すときりがありません。また、日本にも、三重県の鈴鹿山麓に「マンボ」と呼ばれるものがあります。本当に小さくて、ベビーカナートです。今でも水田灌漑に一部使われています。イランの友人はこの井戸の底に降りて「これはまさにカナートだ」と言って驚いていましたが、私はマンボの場合はローカルな知恵の結果だと思っています。すべてがペルシャ起源の伝播だと言うには、無理があると思います。いずれにしても、カナートの中心はイラン、アフガニスタン、中国ですね。

このカナートを造り、維持するには大変な労働力が必要です。乾燥地帯で水がないため、遠い水源から水を引いてくるという事情はあるのですが、竪坑の深さは、イランに300メートルのものまであります。これは極端な部類に入るとしても、普通で20〜30メートルの深さの井戸を2メートル〜50メートルおき位に掘っていきます。母井から集落までの間は数キロメートルから十数キロメートルに渡ります。ですから、掘るにも時間がかかり、完成まで10年程かかることも稀ではありません。さらに完成後も、井戸は素堀りですから、年に1〜2回は落ちた土砂をさらったりするメンテナンスが必要となり、維持管理が大変なのです。

乾燥地帯で水を得るのは二つの方法があります。簡単なのは近くに川が流れていること。川があれば、苦労はありません。川が無い場合は地下水しかない。地下水にも三つ方法があり、自噴水のようなオアシスがあれば最良。井戸が掘れれば井戸を掘る。しかし、井戸の場合は汲み上げるのに動力がいりますから、コストがかかります。以前は、深く掘る技術もありませんでした。中東などでは重油を動力に使う場合が多いようですが、動力を使えないような貧しい地域では、カナートのような方法でどこからか水を引いてこなくてはならないのです。

テヘランにはじめて行った1956年当時は、かなりの飲料水がカナートでまかなわれていました。半世紀前で人口がどれくらいあったか正確には覚えていませんが、カナートの水は人々の暮らしに実際に使用されていたのです。現在は人口400〜500万人ほどいますから、カナートの水だけではまかなえないでしょうね。

半乾燥地帯のように雨が多少なりとも降るのであれば、雨水を溜めるという方法もあります。地面の中に大きな洞穴を掘りまして、それを地下貯水槽にするのです。ローマ人はそれをシステルン(cistern )と呼んでいました。

アルジェリア、サハラのイン・ベルベルオアシスのフォガラ(カナート)

アルジェリア、サハラのイン・ベルベルオアシスのフォガラ(カナート)

水長(みずおさ)には、信用される人がなる

カナートは、掘るのもメンテナンスも大変な作業ですので、いかにして労働力を得るのかということが問題になります。一番簡単なのは、地主が小作人に命じて造らせるのが早いのですが、農地解放が進んでそうもいかなくなりました。

1962年のカズヴィン大地震のときには、イランのテヘラン西にあるカズウィンという町に、被害状況を確認するために駆けつけました。日干しレンガの住宅はたいがい壊れていて、もちろん、カナートも壊れていました。そこにロールスロイスに乗った大地主が乗りつけて、「こんなもの直すよりも、新しくカナートを掘ったほうが早い」と言っていました。古い村は捨てて、新しい村を作れと言うのです。この話はたいへん印象深く記憶に残っています。この言葉一つからも分かるように、60年代始めまでは、カナートは地主と言うか、水主が造っていました。カナートが使われている所では、水利権と土地所有権はほぼ一致していました。つまり、地主イコール水主ですね。この点も現在の日本とは違います。水田は水田であって、その地主個人が水利権者であるとは限りませんから。

水利権はカナートを掘った水主が持っていました。その水を分けてもらう人間は、使用時間や水量に応じて金銭や採れた穀物を代価として支払います。水利権の売買もされていました。しかし、革命後はカナートは政府が管理している状況です。

イランでは、水主よりもカナートの管理人、つまり水の差配人が偉いとされています。これは、水主とは別の人間です。実際に水の交通整理をする水の差配人を「アルバーブ」と呼びますが、こちらに水を多くする、少なくする、そういう権限を持っています。どのように水を捌くかというのにはマニュアルがあり、その多くはモスクが持っています。モスクに水の台帳があって、例えば「小堀さんは1日何リットル。3日おき」等と書いてあります。このアルバーブに任命されるのは、集落で信頼が厚い年輩者が多いですね。その人はお金で雇われているわけではなく、利用者はお礼で穀物をいくらか差し上げるという感覚です。村長とは別です。下手するとすぐ水争いになるわけですから、信用できる人間であることが重要です。その集落出身のいわば水長(みずおさ)ですね。こういう仕組みは、他の土地でも基本的には同じようです。

また、イランには「カナートの花嫁」と呼ばれる風習があります。カナートに水が最初に通るときに、村の未婚の娘さんが出口に立ち、シンボリックな意味でカナートと結婚します。この花嫁に選ばれることは、大変名誉なことと考えられています。水がこんこんと涌き出ることを祈ってのことで、人々がカナートをいかに大切に思っていたかが、よくわかります。

アルジェリアでは80年代に水利権が国有化されました。しかし、実際の現場では、モスクの僧侶が水長をしており、「今日は、蓋を開けてこちらに流しましょう。はい、そこで止めましょう」と今でも仕事をしています。水が国有化されても、現場の水長は村の信用される人がなっています。日本の公務員が実務を行うのとはまったく別の感覚です。そういう意味では、日本の水道システムとは比較になりません。

カナートと井戸の共存が見直されている

イランの人でもカナートが何本あるかわからないのですが、ある人は6000〜7000本と言っていました。それが、だんだんと減っています。1956年にテヘランに行ったときは、まだ多く残っていましたが、わざわざカナートを掘るよりも、井戸を掘ったほうが早いわけです。ただし、井戸は汲み上げるのに動力が必要です。90年代に石油の価格が下がったことで、カナートが普通の井戸に代わっていく傾向に拍車がかかりました。

2000年に「第1回国連カナート会議」が、イランのヤズドという町で開かれました。そこでも問題になったのですが、地下水には限りがあります。カナートがある所で井戸も掘れば、カナートの水量は減ってしまいます。カナートは、上水道と灌漑用水を兼ねる重要な地下水道です。カナートと井戸が共存できるようにバランスをとる必要があるわけです。カナートは、一度掘ればエネルギーを使わずに水が出てきますから、維持費は井戸と比べて相対的に少なくてすむ。別の面では、石油価格の高騰で、汲み上げるための動力費が高くなるという問題もあります。そういう意味でも、カナートと井戸とを併存させなくてはいけないという考え方が最近出てきています。

カナートと井戸がうまく併存している例としては、中国のトルファンが上げられます。ここは北側に天山山脈がそびえ、雪解け水が地下にしみ込むため、地下水源は豊富です。昔はそれをカレーズで給水していましたが、開渠で引いてくる方法も採用されています。井戸で地下水を汲み上げすぎたため、カレーズが涸れてしまい、井戸とカレーズの併存がここ十年ほど考えられ始めています。つまり、昔のものを古くなったから捨てるのではなく、活かそうという考えが出てきています。

オマーンではファラジがあって、政府も力を入れて保存しようとしています。町まで水が引かれる開渠になった所で、水量を計るのにモニタリングシステムにIT技術を使っています。

カナートの伝統技術は叡智の結晶

何事も実際にこの目で見て、体験しなければ机上の空論にすぎません。私は、1956年8月に、初めてケルマーン付近の上空から、カナートの竪井戸の列を見たときの感激が、今でも忘れられません。水の豊かな日本人からみたら、なぜそんな大変な苦労をして、と思いがちですが、さまざまな条件を考慮すると、最善の方法が残り継承されてきたものがカナートだといえます。

沙漠に対する意識も変りました。サハラに行く前は、すべて砂の沙漠ではないかと漠然と思っていたのですが、実際に行ってみると砂の沙漠は5分の1から6分の1ぐらいのもので、あとは岩の沙漠でした。砂漠=砂沙漠というイメージを起こしやすいため、水が少ないという感じを想起させる沙漠という漢字を使ったほうが実際の状況に適っていると、私は思っています。

1977年に「第1回沙漠化防止会議」がナイロビで開かれ、20年以上がたちました。しかし、沙漠化防止について何ができたかというと心許ない。沙漠化への対応については、いろいろとハイテクで考える人もいますが、途上国でも利用できるものでなければなりません。海水を真水に変える装置などは、コストがかかりすぎるので非現実的だと思います。そう考えてみると、沙漠の周辺の人々は伝統的な知恵を持っていました。カナートというのは環境に適していたわけですね。もう一度それを見直さねばならないと思います。国連の沙漠化対応委員会などでも、そのような伝統的技術を見直そうという動きが出てきており、その代表選手にカナートがあるわけです。ですから今後は、今あるカナートを少しずつ改善しながら保全していこうという動きが出てくると思います。その先駆的な国は、中国とイランとオマーン、アルジェリアです。どこも井戸とカナートの併存を考えています。そういう意味で、カナートの研究はまだまだするべきことがありますし、むしろ、これからとも言えますね。

  • 左:カナートの出口から水を汲み上げる、イランの村人。
    中央:オマーン・ブライミオアシスにある村への導水路。車の向こうに点々と続くのが、ファラジ(カナート)の竪坑。
    右:カナートの地下水道を補強するためのコンクリート製の輪。

  • 左上:アルジェリア・サハラ、チートオアシスのカナートの竪坑。3本立ての木材は原産のナツメヤシ。
    左下:小堀 巌さんが最初に撮影した、竪坑堀現場。
    右:中国・トゥルファン盆地の古い坎児井(カンアルチン) (カナート)が崩れて現れた地層の断面。最低部には泥炭も見られ、古気候が想像できる。

カナートの再発見

カナートの技術やシステムを継承する機運は、最近になってやっと芽生えたと言っていい状況です。現地の人にとっては当たり前と言うか、ほかに選択肢がなかったためにやってきた方法なのです。カナートが成立するための条件が、あらゆる点で整っていたということです。イランでも「インターナショナル・カナート・リサーチセンター」が設立されることが決まっています。外からの評価で、自分たちの持つ技術やシステムを再認識することができた結果だと思います。

カナートを伝承するには、職人が情報交換するのが一番いい。大学の先生などが行ってもしょうがないですね。職人は言葉が多少わからなくても、現場を見ればわかりますからね。井戸掘り職人を、イランではムカニと呼んでいます。地形を見て、井戸を探り当てます。いわば、経験値で水源を探す職人です。ムカニは、日本での「上総堀り」の職人のようなもので、イランの特定の地域にいる人たちです。一昨年の会議で職人に集まってもらいましたが、みんなもう60 や70 歳の人がほとんどでした。今の若い人は、辛く危険が伴う労働を嫌います。それは日本に限らず、どこの国でも同じことです。深く掘っていくため、地面に出てくるのが面倒くさくて、地下に小さなへこみを造ってそこに寝泊まりするような生活は、豊かさに慣れた現代の若者には耐えられないですよ。とても大変な重労働です。アルジェリアなどでは、近くの石油基地に行けば年5週間くらい休みがあり給与も高いため、カナートを掘るよりもそちらの方がよほど良い。若者はそちらに行ってしまうわけです。かといって、高齢者ではカナートは掘れません。後継者がいないのが、何よりも問題です。

ただ、カナートというのは乾燥地域の一つの伝統的な知恵の固まりです。それを少しづつ今の時代に合うように直していけば、存続していくでしょうし、そのためにはそれを担う人を育てなければならない。魅力あるシステムとして若者をひきつけないと、カナートは博物館のように「かつてあったもの」になってしまうでしょうね。

カナートの知恵を伝えるには、実際に造り、使うことが大切だと思います。アルジェリアでは都市に人口が集中したために、しょっちゅう断水しています。水道が、人口集中に間に合わないのです。テヘランもそうです。都市への人口集中で一番問題になるのは水道です。

また日本では考えられませんが、ボンベイでは漏水が多い。都市への人口集中などにより引き起こされる水不足は、一度掘ってしまえば自然に流れるというカナートの持っている特性が、今後ますます見直され活かされてていくきっかけと思いますね。自然の水利体系との相性も、非常にいいですし。

私は集合住宅に住んでいますが、蛇口をひねれば水が出るのに、ここ何年かは水道の水を飲んでいません。イランやアルジェリアなどで水を入手するために苦労していることを思うと、私たちの水道の水がまずいというのは何だかおかしいと思います。江戸時代までは、水を守る知恵が生きていて、水の質も守られていましたのに。

蛇口をひねれば水が出るという現代日本の生活様式と、遠くからカナートで水を運んでくる生活様式では、方法も意識も違うのは当然ですが、それぞれの条件に合った給水方法が取捨選択されてきたことに変わりありません。特に近年、水源を一元化せず、多様な選択肢を持つということを大切にしはじめたことは、日本も乾燥地帯も同様といえるでしょう。



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