機関誌『水の文化』13号
満水(まんすい)のタイ(タイランド)

《アジアの水》

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年水資源開発公団に入社。勤務のかたわら30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。昨年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。水に関わる啓蒙活動に専念している。

アジアの国々は歴史、民族、気候とそれぞれ異なるものの、水の文化については「水の神」「水辺空間」「灌漑農業」に関する書が数多く刊行されている。

那谷敏郎著『龍と蛇〈ナーガ〉』(集英社、2000年)は、龍蛇ナーガ(インド神話に表れる大蛇・龍のことで、宇宙の最下層をなす冥界・水界・地下界を代表するといわれる)が統治者の権威の象徴となっており、さらには水の神としてアジアの人々の暮らしの中に息づいていることを著している。ネパールでは、少女の生き神であるクマリが、ナーガの首飾りをつけている。ナーガは雷による火災を避け、慈雨をもたらすものと崇められている。

スメート・ジュムサイ著『水の神ナーガ』(鹿島出版会、1992年)では、タイのバンコクを取り上げている。チャオプラヤー川、ターチーン川、バーンバコン川が運河で結ばれており、高床式木造による寺院の僧坊、講堂、経堂は水際に建立され、住民は移動可能な水上集落を形成、日常生活で水の神ナーガを敬い、水環境と調和した水辺文化をつくりだした、とある。

ナーガに関わるヨーロッパとアジアの比較については、勉誠出版編・発行『アジア遊学(第28号)ドラゴン・ナーガ・龍』(2001年)が興味を惹く。

水の神ナーガに守られたカンボジアのアンコール・ワット、アンコール・トムは12世紀から13世紀にかけて造営された宗教都城である。ベルナール・P・グロリエ著『西欧が見たアンコール』(連合出版、1997年)は、これらの都を満々と水をたたえた水路網に囲まれた、巨大な水利都市と位置づけている。この書の中で石澤良昭氏(上智大学教授)は、水利灌漑網により、年二毛作となり、高度な農業生産高がアンコール朝の繁栄をもたらしたが、さらなる寺院の建立のための過度な熱帯林の伐採と土地の開発が、やがて降雨量の減少をまねき、森林の保水機能を失わせ、この結果、水利灌漑網の破綻をもたらし、隣国シャム(タイ)に敗北したことと相まって、アンコール朝滅亡の一因となったのではないかと解説している。

藤田和子編『モンスーン・アジアの水と社会環境』(世界思想社、2002年)でも、アンコール朝の水利都市が考察されている。

カンボジアには、ポル・ポト派が引き起こした虐殺と飢えという、不幸な時代があった。清野真巳子著『禁じられた稲』(連合出版、2001年)には、1975年から78年にかけて、ポル・ポト政権が国民を巨大な貯水池、水路、堤防の建設に駆り出させ、伝統的な浮き稲栽培を禁止させたとある。この建設は、貧困脱却のため、アンコール朝の水利灌漑網による農業繁栄の再現を図ったものと著者は推論しているが、長大な水路建設は失敗に終わり、今でもほとんど使用不可能なまま、全土に残っているという。

榧根勇著『水と女神の風土』(古今書院、2002年)は、ヒンドゥー文明とサラスヴァティー女神、バリ島の稲作社会とスリ女神を論じる。バリ島にはスバックという伝統的な水利システムがある。これは、取水堰からトンネル、水路、分水堰、末端水路まで水を公平に配分するための仕組みで、通常、共通の水源を有し、1つ以上の分水寺院を持ち、規約・水利組織を持ち、取水堰の近くに堰堤寺院がある場合が多い。取水堰や分水堰のわきに、必ず祭壇が造られ、水の神デワ・ヴィシュヌが祀られている。また、水田の中にはあちこちに稲の神デウィ・スリを祀る小さな祭壇が設けられている。

家永泰光著『東南アジアの水』(アジア経済研究所、1969年)では、スバックの定款規約が紹介されており、「組合員は寺を造り、水の神及び稲の神を祭らねばならぬ。植え付け前灌漑当初において祭りを行う」と記されている。さらに、植え付け後、年3回豊穣祈願祭を行い、祭りの費用はすべてスバックの負担と規定されている。このようにバリ人が水の神や稲の神を水利制度に取り入れ、敬愛する精神には驚かされる。

さて、通商の拡大によって、アジアの沿岸部分には、物資の集産地、積み替え地、風待ち地、水の補給地としての機能をもつ都市が発展してくる。中でも「東洋のヴェニス」と呼ばれた中国・蘇州について、陣内秀信・高村雅彦・木津雅代・阮儀三著『中国の水郷都市』(鹿島出版会、1993年)は、運河が蘇州とその周辺地方をつなげる水の文化都市について論じている。

また、中村茂樹・畔柳昭雄・石田卓矢著『アジアの水辺空間』(鹿島出版会、1999年)では、水辺の暮らし、集落、住居、文化について、水上から水辺、そして陸上へと変遷していく様子を追求している。アジア・モンスーンの降雨によって、古代からアジアの多くの国々では稲が栽培されてきた。桜井由躬雄著『米に生きる人々』(集英社、2000年)では、「イモの収穫は多いが、腐りやすく保存が困難であり、蓄積できない。このことから米のように財産、税金の対象とはならなかった。土地を基盤とする稲作が社会をつくり、国家と文化を形成した」と述べている。アジアで「米は民族の心」といわれる所以であろう。

稲作では「水の有効利用」が重要なキーワードとなってくる。真勢徹著『水がつくったアジア』(家の光協会、1994年)では、世界の米の生産量は約5億トンといわれ、その90%がアジアで生産され、稲作を中心としたアジアの農業は「水」と不可分な関係で発展を遂げてきたと論じている。福田仁志編『アジアの灌漑農業』(アジア経済研究所、1976年)は、タイ、ビルマ(現ミャンマー)、インド、スリランカ、パキスタン、イランの灌漑農業の展開を紹介している。

さらに、堀井健三・篠田隆・多田博一編『アジアの灌漑制度』(新評論、1996年)では、中国の四川省成都平原の灌漑、韓国の漢江農地改良組合、フィリピンの中部ルソン平野の非灌漑、マレーシアの灌漑政策、タイの焼畑栽培民における灌漑稲作の導入、ミャンマーのチャウセー地方の河川灌漑、バングラデシュの浅管井戸灌漑、ネパールのタライ平野部の開発と水利組合、インドの小規模・大規模灌漑の発達、パキスタンの用水路・地下水灌漑、イランの東部地方の地下水灌漑、エジプトの灌漑制度など、12カ国の多様な灌漑の姿が描かれた論考となっている。

インドの灌漑面積は中国についで世界第2位である。インドでは小規模・大規模の灌漑用水路が多数建造されてきた。これら灌漑技術の発達と灌漑行政制度に関する多田博一著『インドの大地と水』(日本経済評論社、1992年)は労作といえる。この書はイギリス統治以前のつるべ井戸、溜池、小河川による伝統的な灌漑農業の変遷、イギリス東インド会社の公共事業の役割を詳述する。さらには、イギリス本国のトマソン大学で教育を受けた土木技術者工兵将校たちが悪戦苦闘のすえ、ガンガー河から引水のガンガー用水路を1854年に建造したことを紹介し、この用水路の完成が、今日の河川用水路灌漑技術と灌漑農業の発展を確立したと論じ、工兵将校たちの功績を評価する。

中村尚司著『スリランカ水利研究序説』(論創社、1988年)は、古代から始まり、1505年からのポルトガル、1665年からのオランダ、1796年からのイギリスの植民地時代、1948年独立後のスリランカの水利システムを論じている。さらには、デーワフワ地区の灌漑や、1世紀頃にシンハラ王朝の下で大灌漑事業が行われたアヌラーダプラ地方(湿地村落)の水利と農業を考察している。スリランカでは、パラクラマバーフ王(在位1140〜84年)が「真に一滴の雨水といえども人間に活用されることなく大海へ流れ出ることを許してはならない」と語っているように、今日でも水を無駄にしない貯水思想が生きており、貯水量の過不足を調整し、水系を越えて導水するための水路工法などを水利システムに取り入れている。

最後に、日本大学農獣医学部国際地域研究所編『東南アジア・農業と水』(龍渓書舎、1989年)、水野寿彦著『生物学者のみた東南アジアの湖沼』(日本放送出版協会、1980年)、アジア人口開発協会編・発行『水をめぐる21世紀の危機』(1998年)の3冊が発行されていることも付言しておきたい。

  • 『龍と蛇〈ナーガ〉』

    『龍と蛇〈ナーガ〉』

  • 『水の神ナーガ』

    『水の神ナーガ』

  • 『アジアの水辺空間』

    『アジアの水辺空間』

  • 『西欧が見たアンコール』

    『西欧が見たアンコール』

  • 『水がつくったアジア』

    『水がつくったアジア』

  • 『アジアの灌漑制度』

    『アジアの灌漑制度』

  • 『インドの大地と水』

    『インドの大地と水』

  • 『スリランカ水利研究序説』

    『スリランカ水利研究序説』

  • 『龍と蛇〈ナーガ〉』
  • 『水の神ナーガ』
  • 『アジアの水辺空間』
  • 『西欧が見たアンコール』
  • 『水がつくったアジア』
  • 『アジアの灌漑制度』
  • 『インドの大地と水』
  • 『スリランカ水利研究序説』


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