第3回世界水フォーラム
2003年3月16日(日)〜23日(日)の8日間にわたり第3回世界水フォーラムが、京都、滋賀、大阪という琵琶湖・淀川流域の3都市で開催された。参加者は世界約180カ国より24000名に及んだ。
世界水フォーラムは、地球全体の水問題を統一的に議論する場として設けられたもので、第1回は1997年モロッコのマラケシュ、第2回は2000年にオランダのハーグで開催されている。
今回討議されたテーマは「水と貧困」、「水と平和」、「水とガヴァナンス(賢明な水統治)」、「統合的流域及び水資源管理」、「水と食糧、環境」、「水と気候変動」、「水と都市」、「水供給、衛生及び水質汚染」、「水と自然、環境」、「農業、食糧と水」、「水と教育、能力開発」、「洪水」、「水とエネルギー」、「水と文化多様性」、「地下水」、「水と情報」、「水施設への資金調達」、「水と交通」などのテーマ。そして、この他にも「世界子ども水フォーラム」、「水ジャーナリストパネル」、「アフリカの日」など、特別セッションが組まれた。
会議のプログラムや、そこで提出されたステートメント、とりまとめられた「世界水行動報告書」は、世界水会議(WWC:World Water Council)のウェブサイトに掲載されているのでそちらをご覧いただくとして、ここでは今回のフォーラムと「水の文化」という視点の関わりについて報告したい。
編集部
今回注目を集めていたのは「水と食糧」、「水と衛生」、「水とガヴァナンス」、「水と貧困」、「流域管理」などのテーマである。偏在する水資源をいかに公平にすべての人々に供給し、持続的に管理するかという問題に議論が集中した観がある。水はそれ自身が人々にとっての基本的権利であって、水問題とは「Water for All(すべての人に水を)」を実現するために必要な公正な配分方法をめぐる問題であるという認識が参加者に共有されていた。
公正な配分を実現するために、市場だけではなく、何らかの効率的、効果的な統治の仕組み(ガヴァナンス)やコミュニティ組織の活用が検討されたし、そもそも公正という基準のもつ意味、人々を水を守る行動へと動機づけるには、水にどのような価値を与えればよいのかなど、問題点は的確に並べられたと言えるだろう。
また食糧生産に投入される水量まで考えると、日本は農作物の輸入を通して膨大な水輸入国になるという仮想水(バーチャル・ウォーター)についても盛んに議論の対象となっており、今後ますます解りやすい説明として普及していくと思われる。
水の配分にはルールが必要で、そのルールを各国の多元的な事情に応じて組み立てていこうという点では、水管理の社会・文化的な側面の重要性が表われた会議だった。
水管理と文化の関わりを正面から取り上げたのは、「水と文化多様性」の分科会。このテーマの基に、「水の文化」、「水と文化の多様性」、「水と文化遺産」、「先住民の世界観とその精神」、「コミュニティライフと水管理」、「先住民の水に対するビジョンと権利:より良い水管理に新しい手法」といった具体的な論議が2日間に渡ってかわされた。主催組織も、ユネスコ、水アカデミー(フランス)、地域研究企画交流センター(国立民族学博物館)他、さまざまな機関によって構成された。
議論の目的は、水の文化的側面を開発戦略、行動計画と統合し、第3回世界水フォーラム報告編集部第3回世界水フォーラム報告編集部水管理を発展させようというもので、そのために専門家、実践家、地域住民などさまざまな立場からの知識を交すこととしたわけである。
ところで、このテーマの基調になっている「文化多様性」とはどのような意味なのだろうか。これは第31回ユネスコ総会で採択された「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」(2001年)で説明されている。大事な用語なので、重要と思われる第1条を紹介する。
第1条
文化の多様性:人類共通の遺産
文化は時間・空間を越えて多様な形を取るものであるが、その多様性は人類を構成している集団や社会のそれぞれの特性が、多様な独特の形をとっていることに表れている。生物における種の多様性が、自然にとって不可欠であるのと同様に、文化の多様性は、その交流・革新・創造性の源として、人類にとって不可欠なものである。こうした観点から、文化の多様性は人類共通の遺産であり、現在および未来の世代のために、その意識が認識され、明確にされなければならない。(目黒ユネスコ協会 宮本美智子訳)
生物的多様性と文化的多様性が対応する価値として位置づけられてはいるが、文化の多様性が交流・革新・創造性の源であるという理由で尊重されている。生物多様性条約(1992年)では、種の多様性の維持そのものが目的であるが、文化多様性は、創造性を生む基盤として価値があるという。同じ多様性でも、種レベルでの生態相維持を目的とした「生物多様性」と、人間の創造活動の基盤としての「文化多様性」をきちんと分ける程度の気遣いはしておきたい。
今回の水フォーラムでは、このような意味で文化多様性を尊重し衆知を集めることで、水管理に関するさまざまな問題を解決しようというわけである。
このテーマは、国内外の参加者ともに多く、基調講演を建築家の安藤忠雄氏が行い、その後に貴船神社宮司の高井和大氏がスピーチを行うなど、冒頭は「水の象徴性」について語られた。
一方、水の文化は世界各地に存在する以上、このような会議の場にあっては、世界各地の土着の知(Indigenous Knowledge)をいかに水管理の実践に結びつけるかが問題となる。つまり、地域固有の知恵をどのように実践に移すかが問題となるわけで、これについては大いに目を開かせられた発表も多かった。
ボリビアやカナダの先住民の代表は、現在淡水に接することできない人間の多くが先住民と言われている人々であり、かつ、そうした人々は水利の知恵を持っていると力説し、水問題には多様な人々が公平な立場で意見をかわすべきだと主張した。土着の知を含めた文化多様性を尊重する前には、さまざまな障壁が横たわっていることを実感させられた分科会でもあった。
以下は、発表者の論題のいくつかを抜き出したものである。これらから発表者の言わんとするところをイメージしてもらいたい。
以下は、「水と文化」というテーマで取りまとめられた声明文である。
滋賀県新旭町は、琵琶湖の北西岸、安曇川の下流に位置する人口おおよそ1万1千人の小さな町だ。ここに3月17日(月)〜18日(火)、ケニア、マラウイ、アンゴラ、タジキスタン、中国など海外12カ国の10代の子供たちと町内の児童、約50名が集まった。彼らは世界子ども水フォーラムの参加者で、新旭町の正伝寺に泊まり、湧き水体験などを行ったのである。この試みは、新旭町と水と文化研究会が共同で行ったもの。今回は、新旭町の担当者である環境課の阿部能英(あべよしひで)さんにお話をうかがった。
――外国の子供たちの受け入れというのは、なかなか得難い経験でしたね。
そうですね。去年の春に話は聞いていましたが、最初は5人ぐらいだろうと思っていたのです。人数が固まってくると、40人くらいになるということがわかり始めて、あわてて各課に協力を求めました。増えたのはうれしかったのですが、やはり現場の仕事は、正直言って大変でした。
食事の準備で地元の各区の保健委員さんや、宿舎になった正伝寺の檀家さん、針江地区の区長さん、いつもこうした子供たちとの交流を手伝ってくれるおじいちゃん、おばあちゃん、学校、いろいろな方が手伝ってくれました。
――このあたりは水とコミュニティの関係が生きているわけですか。
安曇川が天井川になっているため、今回子供たちが調査した針江地区だけではなく、くぼんだ地域から伏流水があちこちに出ます。上水道も通っているのですが、そういう土地では昔から伏流水を使っていまして、洗濯は水道で行い、飲料水は地下水を使うという家が多いですね。
――海外のことで予想外のことはありましたか。
「誰の水か」という、所有権のことを気にしている子が多かったと聞きました。家の前に流れている川を見てそのように尋ねたというんですね。ですから、共有の感覚が違うのでしょうね。そして、水を使うルールが決められていることに驚いていたのが印象に残っています。私は、そういうルールというものは、どこの国でもあるものかなと思っていましたが、そうでもないのだということがわかりました。
また、水がきれいなことに驚いていたようでしたね。それと、糞尿を畑に撒いている家がわずかに残っているのですが、それにも驚いていました。針江も大半は下水なのですが。発表したケニアの子が、母国では、糞尿を肥料にするようなことをしていないと言っていましたね。昔は水を使う日本のようなルールがあったそうですが、イギリスの植民地政策で合理化が進められ、逆に水が汚れてきたという話を聞きまして、そういう伝統自体が守られてきていることが珍しいのかなと思いました。
また、宿を引き受けていただいた正伝寺の住職は、「水を守るルールがあるのが正しいことなんだ」と、改めて知り、逆に、守ろうという意識が強くなったと言っていました。受け入れ側は当たり前と思っていましたのですが、川の文化は大切な財産という思いを新たにしました。
住民の方もおもしろがってくれましたね。子供さんが来て、励まされた。川掃除は自治会単位で年何回か行い、水を大事にしている町ですので、ほめられるとうれしいですね。
――これからは、海外交流も都道府県レベルではなく、基礎自治体レベルで活発になっていくと思うのですが。
やはり経験することが大事ですね。そして単独ではできなかったと思います。今回も、水と文化研究会のようなNPOの協力があってうまくいったのかなと思います。パートナーが大事ですね。
町のバックアップも大事ですが、少数でも担当者がやる気になればできると思います。親御さんも、海外の子供と接することを喜んでくれました。
実は去年から「新旭世代をつなぐ水の学校」という水の環境学習をしていますので、普段からナマズを食べさせられたとか、魚つかみをしたとか、子供が家でいろいろと話をしていると思うんです。おじいちゃんを呼んで子供に魚つかみさせるつもりが、おじいちゃんの方が夢中になってしまって、網を貸してくれない。そうしたらナマズが捕まって、保健センターでさばいて食べたんです。「かわいそう」って泣いている子どももいましたけどね。
その後、男の子が立ち小便をしてたら、近くのおばさんを連れて来て注意させてたとか。そういう子が出てきました。
あと集落の中で湧き水探しをしましたから、参加した子どもの頭には地下水を利用している家には「カバタ」(井戸水を水路をつかって溜めて洗い物などをする場)があって、鯉がいると思っている。鯉がいるから、ここは地下水だという、経験基準ができてきている。そういう学びは大きいですよね。生きていく上で、この町で生活していく上で。
針江に住む方々もだんだんインタビューされることに慣れて、おじいさん、おばあさんにとっても、過去の経験を生かすいいチャンスにはなったと思います。子供が行くと喜んで話してくれます。すると、今まで以上に元気になる。これも大きな効果ですね。