機関誌『水の文化』15号
里川の構想

里川 - これからの川と都市

高橋 裕さん

東京大学名誉教授、国際連合大学上席学術顧問、世界水会議理事
高橋 裕 (たかはし ゆたか)さん

1927年生まれ。東京大学第二工学部土木工学科卒業。東京大学教授、芝浦工業大学教授を経て現職。河川工学専攻。 主な著書に『地球の水が危ない』『都市と水』(2003、2004 ともに岩波書店)『河川にもっと自由を』(1998 山海堂)、『首都圏の水ーその将来を考える』(1993 東京大学出版会)ほか。

川と都市は常に一体である。両者が融合してこそ、その都市は生気に満つ。セーヌ川無しにパリは語れない。同じくテームス川とロンドン、ウィーン、ブダペストとドナウ川、ワシントンとポトマック川。東洋ではその融合の様相が異なるとはいえ、上海と黄浦江(こうほこう)、バンコクとチャオプラヤ川。これら都市を訪ね、河畔に立つとホッとする。

川は都市の心の流れ、市民に安らぎと温もりを与える清涼剤でもある。杜甫の「清江一曲村を抱いて流る」は、中国での川と集落とのあるべき関係を言い得て妙である。江戸時代における江戸と隅田川、そして今日もなお京都の顔というに足る鴨川に代表されるように、我が国でも川と都市の関係への考察は、その都市形成史において欠くことはできない。いやむしろ、日本人は古来、水蒸気・地下水を含めての水、川、湖沼とのつきあいに長けていたのである。その鋭敏な感覚は、日本特有の文学である俳句、和歌などに鮮明に表現されている。むしろ俳句や和歌から水気を抜いたら、もはやそれら文学はまったく潤いを無くすとさえいえよう。その微妙な感覚は川の技術にも明瞭に見られる。武田信玄や加藤清正の治水技術は、それぞれ、甲府、熊本という町を守るためであり、その技術は自然の理への深い洞察と、住民の協力を引き出す政治力に支えられていた。

明治以後、急速な近代化の過程で、さらには第二次大戦後の復興と高度成長の段階で、日本人の水と都市の関係は、著しい変貌を遂げた。欧米に追いつけ追い越せの掛け声に支持され、近代科学技術謳歌の下、我々が古来培ってきた水との妙なるつきあいの作法は乱され、水や川を専ら数量化して評価する慣習が横行するに至った。

都市を流れるほとんどの川は、高度成長期突入のころから汚れ、臭くなり、とても都市景観を話題にするどころではなかった。「臭い物には蓋」で、都市内小河川は下水道の普及と反比例するかのように、暗渠になってしまった。かつては、「春の小川」と謳われた東京都渋谷駅近くを流れる渋谷川の上流河骨(こうほね)川も1964年(昭和39)、東京オリンピック直前に暗渠となって、地下に潜った。いまや辛うじて歌碑のみ残る数十mの部分だけでも、元の川に戻したいものだと念願しているが、管轄の下水道行政にとっては、本来実施し得ない事業ということになろう。

特に第二次大戦後、川は洪水であふれないことを第一に、やがて都市化の水不足時代を迎えてからは、水資源を生み出してくれる水源としてしか認識されないようになってしまった。その高度成長は能率化、機械化、そして数量化万能の時代であった。なればこそ、世界を驚かした高度成長を達成したといえるのであろうが、失ったものもきわめて多かったことをも自覚しなければなるまい。それは公害に始まる環境問題に止まるものではない。都市における市民と川の関係こそ、一刻も早く復活しなければならない対象である。それは水質とか水辺景観といった問題を越える、人間と水の関係を問う根元的な課題である。

江戸庶民は隅田川辺りに来て、落ち着きを取り戻し、江戸の町に暮らしている生きがいを肌で感じたに違いない。

鴨川と京都と民、そして全国津々浦々の都市と川の関係も同様であった。市民が川に接したときのリラックス、平静、安心感、それらは到底計量できるものではない。洪水や嵐で川に苦しめられてさえ、市民は川をけっして見放さなかった。そこに人々は自然への畏敬、自然のリズムを汲み取っていたのである。むしろ川は毎日その表情を変えるからこそ、人間が制御し尽くせない自然であることを感得し、自然とのつきあい方を錬磨する教師でさえあったのである。

市民にとって川は単に洪水とか水資源、あるいは水質、そして憩いの場としてのみ関心があるのではない。それらを、総合的にとらえての自然の一角としての心のふるさとなのである。

里山の価値が再評価されて久しい。里山は湿地などとともに、高度成長期には非生産的な場所としてまったく評価されなかった。ようやく、里山の数量化できない価値を多くの人々が認識するようになった。その意味で、心のふるさととしての都市とその近郊の川は、里川と呼ぶにふさわしいといえよう。かつ、里川がその名にふさわしい処遇を受けてこそ、都市の川は真に市民の川としての地位を確立するに違いない。



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