機関誌『水の文化』15号
里川の構想

生物多様性という水とのつきあい方
生きものと人が川を合作する

鷲谷 いづみさん

東京大学農学生命科学研究科教授
鷲谷 いづみ (わしたに いずみ)さん

1950年生まれ。東京大学大学院理学系研究科修了。 主な著書に『生物保全の生態学』(共立出版 1999)、『サクラソウの目−全生態学とは何か』(地人書館 1998)、『里山の環境学』(編著/東京大学出版会 2001)ほか。

詠まれた自然

水の恵みの多くは、生きものを介して成り立っています。現在はそのような意識がなくなってきていますが、川も生きものを媒介とした存在としてとらえることは当然のことと思います。

江戸という都市が成立したのは、氾濫原(はんらんげん)に当たる場所でした。江戸時代の書を見ると、季節になると川へ行き白魚をすくったり、花を摘んだりしている様が描かれています。時代が下り、夏目漱石の『虞美人草(ぐびじんそう)』には「花見に行こう」「でも桜は終わったのでは?」と言うと、「荒川に行くのだ」と応じる記述があります。氾濫原的な要素を残している川の自然と、夏目漱石が記している植物がよく似ており、明治期まではこうした自然が残っていました。それが、徐々に都市の近くからなくなっていった。

現在では、日本人ならば常識として持っていた生きものへのイメージも薄れてしまっていると思います。和歌や俳句を見ても、日常で出会う生きものが詠み込まれ、感情や感覚を共有しながら和歌を鑑賞した時代から、自分の身の回りにない異質な世界の詠句になってしまっていますね。

高校生が俳句を論評しあう番組がありますが、それを見ているとかなり概念的なものが多い。自分の日常の生活、四季の自然というものは日本の文化の重要なテーマであったと思うのですが、それが薄れ、理屈を展開させているような俳句が優勢になっているのかなと思います。

自然の価値が理解されない文化の断絶

今の川を見ると、川の生きものと触れ合うことのできる場所がほとんどなくなっています。

川は、いろいろな形で利用されてきました。「川らしい」ということは、何も「川が原生自然である」ことを意味しているわけではありません。川の自然営力と、人がかつて川を利用してきた力、その合作ともいえるような自然が、最近まで川には残っていました。

江戸時代の新田開発期に、草や萱(かや)を刈ったり、肥料にするために生草を刈ったりという行為で、人々が川面の資源を利用し始めました。その行為が川の氾濫に代わる撹乱(かくらん)(注1)を与え、広い胚配圏(はいばいけん)でなければ確保できない、多様性の高い水辺や葦(よし)などを存続させることになりました。そういうものの価値が残念ながら理解されなくなっています。価値が理解されないということ自体が、文化の断絶です。

生活の中でそのような自然を楽しむ、資源の恩恵に浴することも、ともになくなってきています。価値が認められなくなったので、河原をグラウンドやゴルフ場、駐車場にしたほうが人間にとって価値ある空間になると、一時期思われてしまった。そして、いつの間にか川の自然がどのようなものだったのか覚えている人もいなくなっている、というのが現状だと思います。

(注1) 撹乱
植物体の一部または全体を破壊するような外からの力のこと。植物が進化する過程で直面する自然淘汰の力は、主に三つあると考えられている。第一に資源をめぐる「競争」。第二に、植物の光合成・物質生産を抑制するような物理的な「ストレス」。そして、第三が「撹乱」である。

生物多様性を増すために川とつきあうには

もし生物多様性(注2)という言葉で自然との共生、つまり「人がこれからも自然から多様な恵みを得続ける在り方」を模索していくのであれば、やはり、昔はどうであったかを思い出し、縮小されてしまった川の自然の領域を増やす必要があると思います。

かつて、人は自然資源を利用する中で、自ずと自然環境に関する学習もしてきました。楽しむと同時に学んでいたわけです。複雑な自然界の中の仕組みを、自然資源を利用するという行為をとおして、自然に働きかけながら学んでいました。その学びというのは、人類が人類として誕生してきたときから続いていたわけです。

人類はもともと果実や貝類を採集して生活し、やがて狩猟、そして農耕を始めましたから、自然資源とのつき合いはずっと続いてきたわけです。ところが、今はその行為をする場も機会もなくなっています。特に現在の都市生活者には、学ぶ場がほとんどありません。

川は都市にも流れていますので、そこに一部でもダイナミックな自然を取り戻すことができたら、川の自然と自然の恵みに触れる場としても役に立つのではないでしょうか。身近な川の自然と触れ合い、日常生活の中で自然とつき合うことが大切です。

(注2)生物多様性
「地球サミット」(ブラジル・リオデジャネイロで1992年に行なわれた、環境と開発に関する国際会議)で結ばれた「生物多様性条約」によれば、「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系そのほかの生息又は生育の場のいかんを問わない)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」と説明されている。遺伝子の多様性、個体群の多様性、種の多様性、生息・生育場所の多様性、生態系の多様性、景観の多様性、生態的プロセスの多様性などを広く含み、「生命の豊かさ」を包括的に表す概念として用いられている。(鷲谷いづみ『生物保全の生態学』共立出版 1999)

撹乱は、マイナスというわけではない

江戸時代初期の関東平野では、いろいろな川が乱流し、氾濫原のままでは人は生活できませんから、河川の改修を行ないました。例えば、かつての荒川は雑木林と同じような機能を果たしていました。萱などの生産や生活のための資源を採取する場でした。

ときどき川があふれ、自然の植生を破壊する。この破壊を撹乱といいます。

撹乱は、植物体を破壊する作用です。破壊ですから、生物多様性にはマイナス行為の印象を与えるかもしれません。しかし、実はそうではありません。自然界にも山火事や火山爆発や洪水など、撹乱の要素はたくさんあります。

人間にとってそれは災害で、産業や生活にマイナスの効果をもたらしますが、自然を豊かにするという意味では、撹乱は非常に重要な要素です。

日本の場合でいうと、撹乱がまったくないと気候の影響で暗い森が発達することになります。撹乱作用があると、森の中に明るい場所ができ、時間を経るにしたがって、明るい森から暗い森までいろいろな環境が生まれます。撹乱の規模によって、さまざまなタイプの明るい林地ができ、時間とともに変化していきます。

生きものの中には、暗い森が好きなものがあれば、明るい場所で旺盛に成長する生きものもいます。後者の代表は植物です。その植物に動物は依存しています。動物は、ある植物種しか餌にできなかったり、植物体がつくる構造を棲み処にして生活していますので、植物の多様性が増せば、動物の多様性も増すという関係になっているわけです。

さらに、自然の撹乱は、長い年月にわたってそこの土地で繰り返し起こりますから、そこで生活している生きものは、その場所で適応進化しているわけです。つまり、撹乱は破壊する作用を持っていますが、生態系全体としてはマイナスの効果ではない。むしろ多様性を維持する要素として大きい機能を持っているということです。

ですから当時の荒川は、自然の撹乱と、人が生活のために資源を採取することによって生じる撹乱がうまく作用し、生物多様性の高い空間であっただろうことが想像できます。

田んぼの意味

おそらく狩猟を始めた時期からヒトはただのほ乳動物ではなくなって、自然界にさまざまな撹乱を与えてきました。

狩猟するために火を放つということも、かなり昔から行なわれてきました。火を放てば自然に与えるインパクトは大きいですが、ときどき野火が起こる火山地域では、野火は人が放った火と大差ない規模ですし、人口密度が低い時代は、あちらこちらで焼くわけではないですから、自然の撹乱としてよく起きることの範囲内といってよかったのでしょう。一見インパクトが大きいようですが、それは自然によく馴染んでいて、むしろ撹乱が多様性を高めることに寄与していると判断することができます。

また、日本の原生自然の中には本来一時的に水浸しになる場所ができたはずです。これを「一時的水域」と呼んでいますが、トンボや水生昆虫などはそのような場所に適応して生きてきたわけです。人がつくった「田んぼ」という一時的な水域を利用し、うまく棲み込み、そこを利用するものもたくさん出てきました。このため、しばらく前まで田んぼは生物多様性が豊かな場所でもあったのです。つまり、人の手が加わっているとはいえ、田んぼはそれほど自然破壊的というわけではない。それは日本のもともとの自然の特性と、田んぼで行なう人の行為、撹乱の在り方、水の水位変動などの諸要素がかけ離れていないために、かつての氾濫原で暮らしていた生きもののあるものが、そこに棲み着いて繁栄できたといえるのです。

人間としては、ただ米をつくりたかっただけなのですが、自然に馴染んで暮らしていた時代には、図らずも生物多様性を高めることにつながっていたのです。

水田というのは、日本人にとっては大変有り難いものでした。なぜなら、主食をつくる場が、そのまま生物多様性の高い場でもあったからです。つまり、人と自然が調和できていた領域がかなり広かったのです。伝統的な田んぼを見ると、自然の機能の半分以上は保持されていると感じられます。現代の田んぼとなると話は異なりますが、昔の水田は自然の恵みの最たるものといっていいのではないでしょうか。

自然の恵みは、計り知れない価値を持っている

自然の恵みは、財とサービスで説明されますが、私はもっと渾然一体としたものとも思っています。

人は、河原に生えた葦(よし)や荻(おぎ)を利用するために、刈り取ったり肥料をやったりする。それらの行為が、たまたまサクラソウなどの見た目も美しい植物の生育条件をつくり出したりしたのです。

葦や荻は財と捉えられます。また、葦や荻はサービスも供給してくれています。葦や荻のサービスは、水を浄化する機能などです。「三尺流れれば水清し」という言葉がありますが、土の微生物の働きによって土水路のような所に水が流れれば、水がきれいになるという浄化の機能を意味しています。

生物多様性のある部分は、人の行為との比較でその価値を計ることができます。しかし、生きものそのものが多様な機能を持ち、生きもの同士のつながりも多様な機能を持っています。さらには、私たちが意識していないこともありますので、現在の時点での生態系の価値は計り知れないというのが、適切だと思います。ただ、貨幣価値で計らないと現在の世の中では納得しない方もいらっしゃいますので、その側面だけを取って「これだけの価値があります」ということは、説明としては意味があると思っています。

自然の恵みの例
生態系が供給する有用物「財」
  • 食料
  • 燃料
  • 繊維
  • 建材
  • 薬用植物
  • 家畜や栽培植物の改良に役立つ野生生物遺伝子
生態系が提供する「サービス」
  • 水循環の維持
  • 気候の制御
  • 水と大気を清浄に保つ作用
  • 大気のガス組成の維持
  • 作物や有用植物の授粉
  • 有用植物の種子の分散
  • 土壌の形成と維持
  • 河岸や海岸の侵食防止
  • 必須栄養素の貯留と循環
  • 汚染物質の吸収と無毒化
  • 農業害虫、雑草の防除
  • 紫外線からの保護
  • 感動、インスピレーション、癒し、研究の機会の提供

鷲谷いづみ『生物保全の生態学』(共立出版1999)

人と自然のかかわりの変遷

―― 海外を見ると、湿地と食料生産地とは必ずしも一致していないですね。

そうですね。例えば、小麦畑をつくるには、元の植生をまったく変えてしまいます。世界中で一番小麦が穫れるのは、アメリカ中央部でミシシッピ川流域に広がるプレーリーという場所ですが、もともとは森林や草原がモザイクのように入り交じっていた自然でした。それをすべて破壊して、一様な小麦畑にしてしまった。これは、ある意味では大きな環境破壊となります。

このため1930年代には、ダストボールという環境問題が起きています。今まで植物に覆われていた所を畑にすると土が露出します。それが広がってしまったために、畑が砂埃地帯になり、農地として維持できない場所がたくさん出てきました。このため、開拓からたいして時間が経っていないにもかかわらず、農地を放棄する人が出てきたのです。

日本では、関西に同じ場所で千何百年、田をつくり続けている例があります。それが可能なのは、水田というものが日本の低地の自然の一部を切り取ったものであり、大きく改変したものではないということが理由です。自然環境という面から見ても、無理のない形だったわけです。

ですから、日本にはトンボの種類が豊かですね。200種近くいますが、ヨーロッパ全体の種類よりも多い。両生類も熱帯に匹敵するほど多い。トンボと両生類は、幼生期には水の中で生活し、大人になると森に出ていく生きものです。この生態が田んぼに適していたからこそ、これだけ多くの種が棲息しているのです。

もともとの日本の原生的自然というのは、雨量の多い地域で地形が複雑ですから、森が発達しやすいのですが、森のそばに必ず湿地があるように、森と水辺の組み合わせが豊富な環境でした。水田と農用林や屋敷林が組み合わさる農業環境だったため、農業が盛んになっても、水と森が一緒になった環境が維持され続け、豊かな生態系が絶滅しないで済んだのです。

それに比べるとイギリスなどのヨーロッパでは、農地の開発が生態系の破壊という方向で進んだので、たくさんの生きものが絶滅したため、固有の生きものが乏しくなっています。

とは言うものの、日本でも高度成長期以降は自然が豊かではなくなってきています。効率を高める農業を進め、自然環境にあまり目が向かなかったからです。そして、水田というものが、稲を育てる場以外の機能を持っていることに意識が向けられず、他の機能を全部切り捨ててしまいました。水の管理もそうですね。田んぼの中には他の生きものがいてはいけない、という発想だったわけです。

昔ながらの耕作方法が残っているところは、遅れていると見られるかもしれませんが、かつての生きものの賑わいを残しているのです。生物多様性という点から見ると、整備された田んぼというのは、生きものの乏しい空間になっています。溜池なども同様です。

生きものの賑わいの価値

まだ気づかれていませんが、これからはそのような生きものの賑わいが、地域の資源になると思うのです。

タガメだけでなく、ゲンゴロウももういません。本来なら溜池に行き、水をすくえば何種類ものゲンゴロウがいるという、生きものの賑わいとか生物多様性を今では実感することができなくなりました。子供が遊びを通じて生物多様性を実感するという体験は、現在では日本の中でもわずかしか残っていません。おそらく数十年前には普通であったことが、今はとても珍しい現象になっています。

さらに、生物多様性を維持することは、食物を生産する上でもメリットが大きいはずです。生物多様性が豊かな場所では、いろいろな生きもの間にチェック機能が介在しますから、害虫が大発生することも起こりにくくなります。害虫の多くは外来のものです。大規模に水田を整理して生物多様性を否定してしまうと、外から来た害虫をチェックする生きものがいないため、大発生してしまうことが起こりがちです。そのため農薬などを次々と使っていかざるを得なくなり、作物の生産性も安定しなくなり、安全性の面でも人の健康に影響が出てきますね。

一時的には生産効率が落ち、ある年度の生産量に限ってみると近代的な水田にはかなわなくても、何世代にもわたって持続的に使っていかれることを考えるならば、生物多様性に配慮したほうが望ましいと思います。残念ながら、そのことは充分に理解されているとはいえません。

どうも、一つの「こと」がいろいろな意味を持っており、複雑な関係の中で多様な「機能」が維持されているということへの理解が、日本ではかなり遅れているように思います。

現在ヨーロッパでは、農地の生態学的多様性を少しでも増やそうと、農地に補助金を出す制度が整備されています。例えばイギリスなどでは「うちの農場には野生の植物がこれだけ生育しています」と自己申告すると補助金がもらえる。ヨーロッパは今、必死に農地における生態系の複雑性と多様性を取り戻そうとしているのです。

日本では、そういう環境がまだ残っているのだけれども、その価値に対する理解は薄い。有機農業をする際も、生物多様性を活かした有機農業というところにまで進んでいる例は少ないですね。単に循環という面から有機物を入れる、ととらえています。ただ、一部で「生物多様性をキーに農業を健全化しよう」という動きは出てきています。そういう運動をしている人々は、おたまじゃくしが何匹いるとか、メダカやトンボの数とか、自分の田んぼにどういう生きものがいるか、自分たちで調査しています。

そういう人たちにとっては、水の張り方一つとっても、目的によってさまざまな場合が考えられます。例えば、冬にそこに来る渡り鳥を重視するならば、冬に水を張り、冬期湛水(たんすい)水田として、餌を摂れるようにする。そのような活動をされている人たちもいます。いずれにしても生息している生きものの種類によって要求する自然条件が違いますから、何か指標を決めないと、どのような方法が良いのか判断するのが難しいのです。

河川を守るには

―― 生物多様性を守るという面では、河川にはどう対処したらよいでしょうか。

現在の日本の川は、手をこまねいていては、守れる状況にはありません。外来種もたくさん入っています。

川である必要がない土地利用は、川から遠ざけてほしいものです。日本の緑地は狭いですから、せめて川沿いは氾濫原のある自然の場として、一部だけでも復活させてほしいですね。一般論は難しいのですが、都市河川にも工夫の仕方はあると思います。

大事なことは、生物多様性を考えるときに川だけでなく、周囲の自然環境も含めて面で整備する必要があるということです。生きものが戻ってくるということは、どこかに供給源があって、そこから移動してくるということです。その供給源が本当に残っているのか。移動のルートが確保されているのか。場合によっては人為的に援助する必要があるのかもしれません。さらに、人が移動させることで撹乱を招かないかなど、個別の場面で適切な調査をしなくてはならないと思います。

また、どのような自然を守るかによって、人のかかわり方を変えていかなくてはならない。使いながら守れる所もあれば、そうでない所もあります。

場所に応じて、将来の不確実性を見越した上で、当事者が参加して、適切な管理をしていく。まずは、そこから始めないといけないでしょうね。

かつてなかった生物多様性というキーワードを使うと、将来の人にとっても有効な解決策が見出せるのではないでしょうか。目先のことだけを考えると、長期的には損をする。環境というものを、そのような視点で見てほしいと思いますね。

荒川と並ぶ隅田川の横に自然の緑地として残された、尾久の原

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