小学生は、水をどのように学んでいるのか <埼玉>流域の情報を網羅する、21年の歴史を持つ社会科副読本
本連載も11回目を迎えました。全国を飛び回っていると、水の文化楽習も「こんな伝え方があったのか」と人の数だけバラエティーがあることに驚かされます。 では今の小学校では、水の文化はどのように教えられているのでしょうか。肝心なことを調べ忘れていた、ということで、今回は足元の教育現場を教えていただくために、埼玉県の小学校にうかがいました。
編集部
編集部には小学生の子供を持つ親が、何人かいる。始業式を迎えるころに話題になるのが、子供が小学校で受け取ってくる教科書の薄さだ。
「おれたちが子供のころは、教科書というのはもっと厚くて、字も小さくて、白黒で・・・」などと、もはや中年に差しかかったお父さんが子供たちの前でブツブツぼやいても、「時代が違うよ」と軽くいなされてしまうのだが、確かにこの30年程の間に、教科書はずいぶん薄くなっている。
土曜日が休みになり、文部科学省による学習指導要領が変更された。さらに、「総合的な学習の時間」(以下「総合学習」)が2002年(平成14)から全国で実施され、そちらにも時間を配分しなくてはならない。詰め込み教育と批判されていた教え方をやめ、授業時間が少なくなれば、教科書で教えられる量も項目も「十分な情報」から「必要な情報」へと変化するのはやむを得ない。こんな状況下で、「水の文化」といった幅広い事柄がどのように教えられているのか、大いに興味をそそられるところだ。
インターネットで調べてみると、面白いページに出会うことができた。『みなおそう埼玉の水』(https://www.pref.saitama.lg.jp/a0108/minaosou.html/)「地球の水」「水とくらし」「水の利用」「水とくらしてきたわたしたち」「水資源の開発」「水をめぐる問題」「水を大切に」という目次になっており、大人の知識欲にも充分応えてくれる内容だった。
川や森林といった限定したテーマを選び、小学校区を想定して、地元の「総合的な学習の時間」の題材として取り上げている学校は多い。しかし、「水との関わり」を県という広域レベルで説明した教材はあまり無いのではないか。中身もたいへんわかりやすく、早速担当者である埼玉県の総合政策部土地水政策課に、問い合わせてみた。
実はこのホームページは、1985年(昭和60)に県が企画して予算をつけ、小学4年生向けに作られた副読本を元にしているという。現在は印刷物とホームページで公開されている。実際に中身をつくったのは現場の社会科の先生達、ほとんど毎年改定を重ね、よくできていると思ったホームページに比べても、一層内容が濃い。
そこで、この本の編集委員会に名を連ねている山田浩一さんと加賀谷徳之さん(どちらも社会科担当)の所属する埼玉大学教育学部附属小学校を訪ね、この副読本誕生の経緯をうかがった。
副読本『みなおそうさいたまの水』の初版は、1985年(昭和60)。想像の域を出ないが、当時の総合政策部土地水政策課担当者の中に、水にかかわる教育に意義を感じた人がいて、このような企画を立ち上げたのではないだろうか。実際に資料を調べたり、小学校4年生が理解できるような内容、表記にしたりする編集作業は、社会科の現場教師が担った。以来、時代に即した改定が行われてきたという。
そのような目から、あらためて各年の副読本『みなおそうさいたまの水』を読み比べてみると、確かに取り上げられる題材や説明の仕方が微妙に変化していることがわかる。
現在、小学校の社会科の授業では、4年生で上水道について学習する。しかも、「くらしに必要なもの」を教える一つの事例なので、上水道のほかに、ゴミ処理や電気・ガスなどを扱ってもよいことになっている。したがって、全国約2万4000の小学校の中には、水とくらしの関わりについて学習しない小学生がいる可能性もある。
山田さんは現場で使われている教科書を見せてくれた。この教科書には「水はどこから」と題し、水源から蛇口までの過程が19ページに渡り説明されていた。ただ、これはあくまでも教科書だから平均的な説明しかなされていない。実際に、教師は、水道をどのように伝えるのか。
山田さん、加賀谷さんが所属する埼玉大学教育学部附属小学校は、さいたま市浦和区という埼玉県の中心地にある。1クラス40名で、1学年3クラス。山田さんは、かつて自分がつくった「水道」を教える際の学習指導案を見せてくれた。(下記)水道の学習に約11時間を充て、目標と評価規準、各時間で理解すべき内容をまとめた、授業の計画書である。
授業者 山田浩一
さいたま市の人々にとって必要な飲料水が送られてくるしくみについて関心をもち、見学や調査などを通して調べたり表現したりする中で、さいたま市の人々の健康な生活の維持向上のために、人々が計画的、協力的に対策や事業を行っていることを理解するとともに、自分ができることについて考える。
社会的事象への 関心・意欲・態度 |
社会的な 思考・判断 |
観察・資料活用の 技能・表現 |
社会的事象についての知識・理解 |
---|---|---|---|
さいたま市の人々の生活にとって必要な飲料水が送られてくるしくみに関心をもち、意欲的に調べようとするとともに地域の一員として、水を大切に使うために自分ができることを実践していこうとする。 | 飲料水の確保が、組織的、計画的に進められていることによってさいたま市の人々の健康な生活の維持と向上が図られていることを考えるとともに、自分のくらしとのかかわりや自分ができることについても考える。 | 飲料水が送られてくるしくみやそこに従事する人々の工夫努力について、現地に出かけ見学や調査などをして調べたり調べてわかったことを絵、文章、グラフなどにわかりやすく表現したりする。 | さいたま市の人々の生活にとって必要な飲料水が送られてくるしくみやそこに従事している人々の努力や工夫について知り、人々の住みよいくらしを支えるために、これらのことが組織的、計画的に行われていることを理解する。 |
○内の数字は時間を表す。〈 〉内は評価の方法を表す
関:関心・意欲・態度 思:思考・判断
技:観察・技能・表現 知:知識・理解
学習活動・学習内容 | 評価の観点・内容・方法 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
つかむ問題をつかむ |
わたしたちが毎日使っているたくさん水は、人々のどのような努力としくみによって、送られてくるのだろう。 単元の学習計画と見通し |
|
||||||||||
|
|
|||||||||||
もとめる問題について調べる |
|
|
||||||||||
|
|
|||||||||||
|
|
|||||||||||
ひろげるまとめる |
|
|
||||||||||
|
|
この指導案を見ると、教え手の考え方がよくわかる。
「単元の目標は、上水道がいかに組織的に運営されているかを伝え、そこに携わる人々の努力を教えることです。社会科という教科は、子供たちの公民的な資質の基礎を養う、つまり将来社会の担い手になる人間を育成することが大きい目標です。したがって、水道が題材ならば、水道を支える人々の努力を通して、子供たち一人一人が生き方の問題として振り返ってほしいと思っています」
この指導案の1・2時間目に「学習問題」という欄がある。いわば「問い」の設定で、この単元で調べるべき問題を、子供たちが主体であることをはっきり意識させる。
「社会科は、問題解決的な学習といわれますので、まず問題を最初に設定します。教師が誘導する場合もありますが、子供たちが最初に感じた疑問から始めたほうが『自分たちで考えた問題なんだ』と身近に感じることができますから。具体性がない事柄には、子供は興味を持ちません。ですから、最初に、学校中の蛇口を数えたり、校内の高架水槽を見せたり、水道メーターの蓋を開けてみたりして、ああでもない、こうでもないと、子供たちに具体的行動を起こさせて、興味を引き出していきます。
中間の段階では、水道局や浄水場に足を運んだり、子供たち自身で資料を調べるように促します。3年生の「総合学習」でパソコンに触れますが、もっと以前から家庭で経験している児童も多いので、4年生ではインターネットを使ってどんどん調べものをします。学校にはパソコンルームの他に、各教室にPCが1台ずつあります。ただ、検索エンジンを使っても、なかなか狙った資料が探せず時間がかかる場合がありますから、『ホームページ紹介カード』をつくり、関連サイトをリストアップし、子供たちに配っています。『みなおそう埼玉の水』が、ここで資料として登場するわけですね。最後の時間で、調べてわかったことを発表してもらい、教師が司会をして話し合いをします」
時代は変わった。小学生が授業中に、パソコンで調べものをするのである。
それにしても、黒板に向かって聞く授業風景とは大違いだ。
「今行っているような授業では、外部の人は子供たち一人一人が、いったい何をしているのかわからないかもしれません。先生も、クラス全員に目を配り、ところどころで言葉をかけてやったり、子供たちが感じていることを拾い上げていかねばなりません。そういう意味では、講義形式のほうがよほど楽ですよ」
社会科、理科・・・のように、決められカリキュラムを教えることを「教科学習」と呼ぶ。評価の観点や教える内容、配分時間なども決まっている。これに対して、学校ごとに独自のカリキュラムを組み、「学び方」を教えるのが「総合的な学習の時間」だ。
この、いわゆる「総合学習」の進め方は各校で千差万別だ。ある学校の事例が自分の学校でうまくいくとは限らない。環境、福祉、国際交流などとテーマを生徒一人一人が自由に学習テーマを考えたり、近所のお年寄りに出張講師に来てもらい昔話を語ってもらったり、校庭で稲を育てたりビオトープを作ってみたりと、その試みは幅広い。
埼玉大学教育学部附属小学校は、「総合学習」に、3、4年生では年間105時間、5、6年生では年間110時間を割いており、子供たちが公園を丸ごと調べるプログラムや、県庁や公民館や近所のホテルに聞き取り調査に出向くプログラムなどを実施している。
さらに、6年生になると卒業研究も行うそうで、その成果は保護者や5年生の前で発表するという。発表といってもたいしたことないだろう、と思ったら大間違いだ。
「去年は、『人のために』という大きなテーマを設定しました。実際に、リサイクル活動をして、ゴミをお金に換えて市役所に募金したり、赤い羽募金から福祉に迫った子もいました。川のゴミ拾いをする所から川の浄化に取り組んだ子もいましたね。それらを、文章にしたり、模造紙に書き込んだり、プレゼンテーションソフトを使って発表する子供もいます」と加賀谷さんは言う。
子供たちの問題意識で進められる「総合学習」においては、主体的な成果を挙げるかどうかは、教師の手腕にかかっているともいえる。水道を教えるにしても、児童に暮らしの感覚を意識させ、心の琴線に触れられるかどうかは、先生次第だろう。ここに、副読本の大きな存在価値がある。
加賀谷さんが、自分のクラスで『みなおそうさいたまの水』を使ったときの様子をうかがった。
「どうしても伝えたいことがあったのは、この本の中に収められている『工事が進む合角(かっかく)ダム』という文章です。家がダム建設で取り壊されたという子供の作文です。これを資料として使い、最後の1時間に児童と話し合いました。
『水を大切にしよう』というときに、口先だけではなく、我々が便利に使っている水道というシステムの裏に、犠牲になっている人がいる、ということを感じてもらいたかった。子供たちも、それまではダムから蛇口まで水が自動的にスーと来ている感じだったようですが、それを境にちょっと水に対する意識は変わりました。世界でも蛇口をひねると水を飲める国は少ないでしょう。それを、自分と同じ年代の子供の作文という形で目にしたときに、頭だけでなく心と体で実感できたのではないでしょうか。この『気づき』で日本の水道のすばらしさを理解してもらい、水を大切にするという生き方に結びついてもらいたいですね」
21年前につくられたこの副読本は、各年の学習指導要領に合わせてつくられたものではない。もちろん、遠い将来を見据えて作ったものでもないだろう。当時は、水道だけではなく、水害や下水道のことも社会科で教えられることになっていた。県内の水を知ってもらうために伝えねばならないことをまとめたら、厚みのある資料ができたということだろう。評価が高いことは、毎年改訂を続けながら昨年まで版を重ねてきたことからもわかる。
そして、21年後。学校教育現場とはまったく縁もゆかりもない「水の文化編集部」の目で見ると、この教材は実にわかりやすい「流域の水の文化」を伝える教材となっていることに気づく。情報が長生きするとは、結局、「いま良いものをつくる」という作り手の気概と、条件に応じて「使いこなす」という利用者の気概が、時間を超えて出会うことなのだろう。