機関誌『水の文化』20号
消防力の志(こころざし)

江戸町火消しの心意気

神田 紅さん

神田 紅 (かんだ くれない)さん

福岡県生まれ。早稲田大学入学時から女優を志し、文学座の演劇研究所を卒業。映画『祭りの準備』、『女衒』、舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』などに出演。1979年二代目神田山陽師匠に入門、神田紅を名乗る。創作の芝居講談を手掛け、1989年真打昇進。1991年女流芸人の会「ウーマンティナー」を旗揚げ。現在、女流講談の第一人者として、また女優、レポーター、エッセイストとしても活躍中。 写真:「南部坂 雪の別れ」於:東京・イイノホール

講談では、昔は江戸町火消しの話はポピュラーなものでした。『野狐三次(のぎつねさんじ)』、『新門辰五郎(しんもんたつごろう)』、『は組小町』が火消しの話としては有名です。

ところが世の中に人情ってものがなくなってきてしまうと、こういう講談はどんどんすたれていっちゃうんですね。江戸庶民の話ですが、心意気が理解できない。文明開化でちょんまげを捨て、刀を捨て、着物を捨てた。そのときに義理人情みたいなものも一緒に捨てたのかもしれない。それに、義士伝みたいに有名な人が出てくるわけでもないし、死へ向かっていく美学はないから、泣けない。だから人気が出ない。残念なことです。特に『新門辰五郎』は、今は誰も語っていません。そこで、ここでちょっと、『新門辰五郎』から、江戸町火消しの心意気をご紹介したいと思います。

新門辰五郎は江戸末期に大一家をなした有名な火消し。ご維新の折、徳川幕府15代将軍・慶喜公のお供をして京都へ行ったほどの人物です。その辰五郎、父親を火事で亡くしました。この父親っていうのがまたすごい男で、自分の家が原因で火を出した。それが申し訳ないって、自分の蔵に自ら火を入れて、そこの中で死んでいくんです。責任っていうものに対するひとつの男の生き方ですよね。今、考えると、火事場は辰五郎にとってトラウマなんじゃないかと思いますが、彼はそれを乗り越えて火消しになろうと決意します。「を組」の頭取・仁右衛門に頼みにいって組へ入れてもらい、25歳で組の纏持ちに出世するんです。

当時、纏は町内のシンボルで、子供は迷子になっても「どの纏だい?」と聞かれれば、迷わず自分の家を守ってくれている組の纏を指差せた。火消しが庶民といかに密着していたか、よくわかります。

火消しの現場で着る刺子半纏はご存知でしょうか。よくテレビのお宝鑑定番組に出てきますが、ものすごく派手できれいな刺子半纏は、お飾りか、正月に頭のところに挨拶に行くときに、ひっかけていっただけ。実際火事場で着る半纏は、水をざぶっとかぶってから火に向かっていくわけですから、1回の火事でドロドロに汚れたそうです。濡れた半纏が火で熱せられて、湯気をたてながらブスブス、ブスブスと音をたてたといいます。火にあぶられながら、纏をもっているんだから大変です。

さて、そんな火消しの『新門辰五郎』で描かれているのが、江戸っ子の心意気。新門の時代は江戸の幕末ですが、まだまだ江戸っ子っていうのはこういうもんだというのが残っておりました。辰五郎みたいな男は黙って勝負する。そういう人にはお旦がついてお金も出してくれるし、子分もついていくし、たくさんの庶民もついていく。だから、町内の揉め事も差配ができるっていうものです。その「意気」の代表が火消しだったんです。火消しは今でいう、消防と警察の両方の役を兼ね備えてたんですね。

『新門辰五郎』の見所のひとつは、八丁火消しとの対立とその解決法です。八丁火消しとは大名お抱えの火消しで、町方の火消しとは何かと対立していました。ある火事場でもめ事を起こすのですが、辰五郎はたったひとりでその責任をとるために、八丁火消しを抱えている大名の屋敷に向かっていくのです。命がけで、すべて私の罪でございますと。どうか組だけなんとかしてくれと。これが男気ですよね。辰五郎の何がすごいって、まず自分の命が投げ出せる。こういう人は今、なかなかいないでしょう。見て見ぬふりをするっていうのが一般常識になっちゃったから。こんな男がいたら、女も惚れますって。

なんとか、この粋な『新門辰五郎』を復活させたくて、今、資料や講談本を読んでいるところです。講談の世界には、義理人情とか、意気とか、内助の功とか、もう無くなってしまった日本人の美徳が生き残っています。だからこそ、なんとか私流の解釈を加えて、『新門辰五郎』をもう一度、世の中に出していかなきゃいけない。そう思って、今日も新しい講談を生み出そうとしています。

東京・四谷 消防博物館の模型から

東京・四谷 消防博物館の模型から



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