機関誌『水の文化』20号
消防力の志(こころざし)

《火と水と》

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法 人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

福岡県のほぼ中央に位置する甘木市は、人口4万人ほどの田園都市である。昭和40年代に市長を務めた塚本倉人は、消防団の法被(はっぴ)をいつも車に積み、いざというときには率先して陣頭指揮を執った。火事ともなれば法被姿で駆けつける市長はなかなかいない。この市長は甘木市内を縦断する筑後川水系小石原川、佐田川上流の江川ダム、寺内ダム完成に尽力した。両ダムの用途の一つに消防水利の確保も念頭にあったという。(『土と水と炎と塚本倉人自伝』西日本新聞社、1989)。

今日、ダムは環境の悪化を招くと批判されているが、水災と火災を防御する役割も担っている。「災」という字を分解すると、「巛」は川の害を、「火」は山火事を表している(日本火災学会編『火災と建築』共立出版、2002)。

林屋辰三郎編集代表『民衆生活の日本史・火』(思文閣、1996)によると、火は神であり松明の火の粉は穢れを振り払う霊力を持ち、その火の粉を浴びて無病息災を願うそうで、神から人間に火を与えられたとき、生活には欠かせなくなったとあり、火に係わる生業、生活、料理、信仰、火葬まで論じる。一方、内阪素夫著『日本燈火史』(つかさ書房、1974)、宮本馨太郎著『燈火‐その種類と変遷』(朝文社、1994)等の書もある。さらに、京都の生活を綴ったものに大村しげ著『京都火と水と』(冬樹社、1984)がある。

沖縄では、家長の夫人が火の祭祀に当たることが古家信平著『火と水の文化誌』(吉川弘文館、1994)に著されており、また先祖代々から用いる水に感謝し、健康を願うために泉や川に巡礼する儀礼について論じる。さらに、火と水に関し、明玄書房刊『日本の火の民俗(全6巻)』(1985)、『日本の水と木の民俗(全6巻)』(1986)、石上七鞘(ななさや)著『水の伝承〜民間信仰にみる水神の諸相〜』(新公論社、1979)がある。

だが、一端火事ともなればすべての財産も一瞬のうちに灰燼と化し、人命も失われる。江戸期の大火とその防御を追ってみると、江戸は大阪に比べて火災が多発している。江戸三大火は、振袖火事(明暦3)、目黒行人坂火事(明和9)、芝車町火事(文化3)と言われ、このうち明暦の大火は焼死者10万人以上にも及んだ。これらの大火の原因について黒木喬著『江戸の火事』(同成社、1999)に、(1)突風が吹く冬から春の気象条件、(2)都市化によるスラム街の発生、(3)火事場泥棒をねらった放火を挙げている。

  • 『民衆生活の日本史・火』

    『民衆生活の日本史・火』

  • 『江戸の火事』

    『江戸の火事』

  • 『民衆生活の日本史・火』
  • 『江戸の火事』


これを防ぐ消防体制について竹内吉平著『火との斗い』(全国加除法令出版、1993)では、大名火消し、定火消し、町人火消しが活躍し、消火施設として火の見櫓、水ため桶、井戸の設置がなされ、鳶口、刺又、梯子、竜吐水、水鉄砲の用具が消火活動の主力であったと述べている。しかしながら、消火方法は竜吐水程度で、手桶による水をかけるにすぎなく、家を引き倒し、延焼を防ぐ方法がとられた。このため、延焼を防ぐための広小路、火除け地、防火堤が造られた。この消防体制に関して、山本純美著『江戸の火事と火消』(河出書房新社、1995)、同『江戸・東京の地震と火事』(同、1995)、小沢詠美子著『災害都市江戸と地下室』(吉川弘文館、1998)の書に詳しい。

続いて、明治以降の消防体制を追ってみたい。竹内吉平著『消防戦術のルーツ』(近代消防社、1995)に、大名火消し、定火消しの廃止、町火消しが残り東京警視庁に移管され、警察機構に組み込まれるとある。明治13年内務省所管、明治17年「消防水防規則」が公布され、消防装置も腕用ポンプ、蒸気ポンプ、消火栓利用の時代へと変わっていく。後藤一蔵著『消防団の源流をたどる』(近代消防社、2001)によると、今日の消防団の原型をむら消防組に見出している。すなわち、若者契約→消防組→自警団→警防団→消防団の変遷をたどると論じる。「むらの消防活動は元来、むら人にとっては、むらの生活を守るために、必要不可欠なものであり、自然発生的なものであった。(中略)明治27年の勅令消防規則の制定により、明治政府の本格的な消防政策が展開され、消防組はしだいに行政町村に段階的に制度化された」と述べる。昭和23年「消防組織法」が公布され、国家消防庁が発足、警察組織から離れ、昭和35年自治省消防庁の設立によって警察と同等の地位を獲得した。

  • 『消防戦術のルーツ』

    『消防戦術のルーツ』

  • 『消防団の源流をたどる』

    『消防団の源流をたどる』

  • 『消防戦術のルーツ』
  • 『消防団の源流をたどる』


現代の消防官について、黒岩祐治著『消防官だからできること』(リヨン社、2005)に、救命救急士、ハイパーレスキュー隊、水難(山岳)救助隊、国際消防隊、緊急消防援助隊の災害現場での活躍を描き、今後は予防消防に力を入れるべきだと強調する。

今日の消防行政は、消防力と消防水利も重要視されている。このことから各市町村ごとに消防ポンプ車、はしご自動車、化学消防車、泡消火薬剤、消火艇等に係わる「消防力の基準」と、消火栓、防火水槽、プール、河川、井戸、下水道等に係わる「消防水利の基準」が規定されている。その解説書として、消防力の基準研究会編『消防力の基準・消防水利の基準』(ぎょうせい、2001)がある。さらに、消防機器運用技術研究会編著『ポンプ車運用技術』(東京法令出版、2004)は、消防ポンプ車のオペレーターを目指す人に運用技術を身につけるために図や写真を含め、理論的に著した書である。

1995年1月阪神・淡路大震災が起こった。災害に直面したとき、水を得る方法について、空気調和・衛生工学会編・発行『災害時の水利用 飲める水・使える水』(2002)がある。自治体から水の供給ができない場合を想定し、受水槽、井戸、プールの水、浴槽水、雨水、河川水、池の水、海水、下水、排水を水源とし、この水をどう処理すれば使えるか、水質衛生学的視点から捉えている。例えば、雨水は家庭でもタンクやポリバケツがあれば通常貯水できる。災害時には地域防災として消火用水、雑用水に使える。また市販の小型処理装置(活性炭による除去)を用いると飲用水レベルを得ることができると述べている。

  • 『消防力の基準・消防水利の基準』

    『消防力の基準・消防水利の基準』

  • 『災害時の水利用 飲める水・使える水』

    『災害時の水利用 飲める水・使える水』

  • 『消防力の基準・消防水利の基準』
  • 『災害時の水利用 飲める水・使える水』


火事(地震)や水害からの防災対策は、結局、都市づくりと大いに関わってくる。鈴木理生著『江戸の都市計画』(三省堂、1988)、菅原進一著『都市の大火と防火計画』(日本建築防災協会、2004)、石塚義高著『都市防災工学』(プログレス、2005)、そして、水空間の都づくりを図る和田安彦・三浦浩之著『水辺が都市を変える』(技報堂、2005)、堤武、萩原良巳編著『都市環境と雨水計画』(勁草書房、2000)の書も防災都市づくりに示唆を与えてくれる。

火と水に係わる事典的な書に、白井和雄著『火と水の文化史〜消防よもやま話〜』(近代消防社、2001)がある。その中から「浅野家と消防」について紹介する。大名火消しの中でも火消しの名人といわれたのが浅野内匠頭長直(忠臣蔵に登場する長矩の祖父)であった。火事装束は徒党を組んで歩いても咎められなかったので、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りするときの服装には、この装束を着用した。このことは大石良雄の周到な計画であったという。

古代から火と水は穢れを取り払う霊力があると信じ込まれ、火祭り、水祭りが各地で行われている。日高火防祭(ひぶせまつり)(岩手県)、帆手祭(ほてまつり)(宮城県)、厳正寺の水止の舞(みずとめのまい)(東京都)、吉田の火祭り(山梨県)、秋葉の火祭り(静岡県)、神倉山の火祭り(和歌山県)、満月寺の石仏の火祭り(大分県)等は有名である。火と水の祭礼として、米山俊直・河内厚郎編著『天神祭』(東方出版、1994)、大阪天満宮文化研究所編『天神祭』(思文閣、2001)を挙げる。

人間はいつか死ぬ運命にあるが、生老病死の間、常に火と水の恩恵を受けている。産湯を使い、死ねば水で清められ、火葬にふされる。鯖田豊之著『火葬の文化』(新潮社、1990)は、西欧と日本における死生観と火葬方法を論じている。このように、人間は火の文化、水の文化と共に過ごしながら、やがて死を迎えることになる。

  • 『火と水の文化史〜消防よもやま話〜』

    『火と水の文化史〜消防よもやま話〜』

  • 『火葬の文化』

    『火葬の文化』

  • 『火と水の文化史〜消防よもやま話〜』
  • 『火葬の文化』


PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 20号,水の文化書誌,古賀 邦雄,水と生活,災害,水と社会,都市,消防,火災,水利用,祭り,火事

関連する記事はこちら

ページトップへ