水道歴史遺産を 水の科学ミュージアムに <神戸市>水の科学博物館
科学実験を手品仕立てに演出したバラエティー番組が放映され、博物館では科学実験が人気コーナーになる。そんな実験ブームがここ数年続いています。 しかし、それは突如わき起こったものではありません。 現場の先生の試行錯誤の成果がいま改めて見直されるようになったのです。 そこで、今回は、水の科学実験コーナーを設置している「神戸市水の科学博物館」にうかがい、科学実験で水とは何かを知る驚きを実体験してきました。
編集部
水は日本では大量に存在するせいか、私たちはありふれた物質だと思っている。そして実際に生活のあらゆる場面で、いろいろな技術に応用され使われてきた。古くは蒸気機関車、現在では車の冷却水、半導体製造に使われる超純水、火力発電所や原子力発電所等の発電タービンを回転させる蒸気の力など、数え上げればきりがないほどだ。水は縁の下の力持ちとして、わたしたちの生活を支えている。
ではここで質問をしてみよう。
水が液体から気体に変わるとき、つまり、水が蒸発して水蒸気になるとき、容積は何倍になるだろうか。答えは、1600〜1800倍(いろいろな測定値がある)。この莫大な膨張力を活かすことで、動力にも利用できるのだ。
水を蒸発させるためには(液体→気体)539Calの熱量、つまりそれだけの大きさのエネルギー(気化熱)が必要だ。コンロの上で水を熱し続けても水は摂氏100度以上にはならないが、1gの水を100度の液体から100度の水蒸気に変えるためには、液体の水を539度にする必要があるという理屈だ。
逆にいえば、水が蒸発するときにそれだけ大きなエネルギーが奪われるので、打ち水すると涼しくなるのである。
水のこうした性質については、小学校や中学校で習っているはずだが、正しく理解しているか、子供に聞かれたときにわかりやすく説明できるかについては、心もとない。何しろ水蒸気は目に見えないから、この変化がどれほどのものか、子供に体験的に説明するのは難しい。水の三態(固体、液体、気体)について学ぶだけでも、水の性質をずいぶん理解することができるだろう。
神戸市水の科学博物館では、「水のふしぎにふれる旅へ、さぁ出発」と来館者パンフレットに記し、博物館の基本コンセプトに「水の科学」を据えている。
神戸市水の科学博物館は、神戸市水道局が運営する施設である。それをあえて「水の科学館」にしたのはなぜなのか。
この事情を、副館長の中村智滋さんにうかがった。中村さんは水道局に限らず、神戸市の多くの職場を体験した後に定年退職し、副館長として館の運営を任されている。
「もともと水は純水で、自然の環境や人間を含んだ動植物がいろいろなものを加えていく過程で汚れてしまうものです。上水道は、加えられた不純物をある程度取り除いてできた、飲める水です。おいしい水をつくるためには、どんなに技術が進んだ現在でも、原水の質が高いことが一番大切です。原水をきれいにするためには、人間が気をつけなくてはなりません。そのためには、どうしたらよいか。水そのものを理解してもらえば、水への意識が高まるのではないか、と考えたわけです。ですから、水道博物館ではなく、水の科学博物館なのです」
中村さんが述べるとおり、科学館には、水の科学を体験してもらう仕掛けが並んでいる。
神戸市水の科学館は1990年(平成2)に、市制100周年と水道給水90周年を記念して開館されたものだ。中村さんのように「水道の原水」にこだわるのは、水道関係者ならば当然のことだろう。
実は水の科学博物館は、神戸市水道局が持つ6つの浄水場の一つ、奥平野浄水場の一角にある。奥平野浄水場は、1900年(明治33)に開設された神戸水道発祥の地でもある。現在、科学館として使われている建物は、著名な建築家・河合浩蔵の設計により、1917年(大正6)急速濾過場の上屋として造られたドイツルネッサンス風の建物。石造り2階建ての優美な建物は、日本建築学会からの保存要請を受けるなど、高い価値が認められていた。こういう経緯もあって、今は科学館として使われているのである。いわば、神戸水道の歴史遺産の中に、水の科学博物館がある。
その神戸水道の草創の歴史は、実は、神戸の人々が飲んでいた「原水」の価値を発見した歴史でもあった。
神戸は幕末に横浜などとともに開港され、港町として栄えてきた。神戸に寄港する外国航路の船は、当然のことながら、必ず飲み水を積み、次の港に向け出航する。当時、船には港から程近い六甲山系の中にある布引貯水池とその布引渓流の清浄な水を北野浄水場(現在の新幹線新神戸駅の西側にあった)で浄水し、給水していた。この神戸の水は、赤道を越えても水が腐らないとして、船乗りの間で大変な評判になったという。良質で、おいしいこの水を、当時の船員たちが「こうべウォーター」と名付けたというのだ。
その後1942年(昭和17)の阪神水道からの受水、つまり淀川水系の水の供給を受け、現在では神戸市水道局が供給する水の4分の3が琵琶湖・淀川の水となっている。このため、布引貯水池の水は奥平野浄水場に送られ(北野浄水場は閉鎖)、六甲山のトンネルからの湧水や琵琶湖・淀川の水が混合され、市民に供給されている。だから現在は、こうべウォーターのみを飲むことはできない。
名前がつけられるほどの原水を持っている歴史的な浄水場で、水の科学を伝えようとしているのは、大いに意味のあることなのである。
水の科学博物館に一歩足を踏み入れると、子供たちが目をキラキラさせて思い思いの装置を操っている。その一画に実験コーナーが設けられ、椅子が並べられていた。
そこは、実験室というよりも、お料理教室の公開番組を収録しているスタジオのような雰囲気だ。電気コンロ、ガスバーナー、フラスコ、水の入ったガラスの水桶。これらが置かれたキッチンカウンターの前で、白衣を着た初老の紳士が実験を演じている。
紳士の名前は、齋藤賢之輔さん。小学校の教師生活は約40年で、退職後に週2回、こうして科学実験を子供たちに教えに来ている。
齋藤さんは現役時代、理科の先生だけではなかった。小学校の教諭は理科だけではなく、社会も算数も国語なども教える。
「今の実験は、小学校4年生までの知識で理解できるものです」
と後から説明してくれるように、科学を身近な事柄、理解しやすい表現に置き換えて実験することが好きで、長年科学実験を開発してきたという。実験をつくりだす秘訣、実験で上手に伝える秘訣はどこにあるのだろうか。
「日頃経験していることで、不思議なことってたくさんあるんですよ。普通の人はそれを見過ごしているだけで、私はそうしたことを実験に仕立てています。
例えば、日本料理の『紙鍋』。下から火であぶられているのに燃えないのは、不思議なことですよね。鍋の中に水が入っていれば100度以上にならないし、紙は300度を越えないと燃えないのでできる芸当です。こうしたことは、生活の中にたくさんあるんですよ。ですから、同僚の先生たちに実験講習をするときは、ベストの実験方法は教えません。実験方法の大略を説明し、先生たちが実習しながら考える余地を残すようにしています。身の回りの生活経験に目を向けさせるのが、実験を生み出す秘訣なんですね」
科学実験とは、実は生活の場で観察できる変化を、科学知識に翻訳して再現することなのだ。
エンターテインメント実験は確かにおもしろいが、手品と混同される恐れがある。科学実験と手品の最大の違いは、種も仕掛けもないことだ。
生活の科学という「眼力」を教えてくれる「生活科学実験」は、生活の現場で火や水に触れる機会がどんどん少なくなっている現代だからこそ、ますます水の楽習の重要なツールになっていくことだろう。
神戸市では、小学4年生の社会科で水道のことを習う単元があり、市内の170校の小学校のうち、実に120校が水の科学博物館へ見学に訪れる。その半分以上が一学期に集中するという。その他にも幼稚園・保育園、あるいは他市他県からも見学にやってくるから、一番の混雑時には大変な数の来場者の対応を迫られる。
とはいえ、どの自治体も経費節減で施設の運営には節約を求められているため、常駐の職員は中村さんを含めてわずか5名。しかし、水の科学博物館では、説明員に水道局のOBが助っ人としてやってくるし、すぐ隣りにある神戸山手大学、山手短期大学と連携して、コンサートや、利き水体験イベントなどを開いていて地域に根ざした活動を地道に続けている。
そういえば、蒸気機関を改良したジェームズ・ワットは子供時代から実験好きだったそうだ。そして、蒸気の力を確かめるために、水の入った土瓶の口をふさぎ、蓋をひもで縛って火にかけたところ、土瓶が破裂したという、よく知られた逸話がある。彼も、生活の中の不思議から何かを感じた子供だったのだ。こういう生活体験を伴った実験が、ワットが歩むことになる技術屋人生に影響を与えたことは想像に難くない。
通り一遍の教科書的な勉強は、右から左に通り抜けてしまって、残らないかもしれないが、科学実験は、五感に事実を焼きつけてくれる。いわば「生活と歴史を語りうる言葉」なのだということを気づかせてくれる。
水の性質を知れば知るほど、こうべウォーターという名前に込められた意味を理解する手がかりが増える。
水の科学博物館を巡っていると、単なる展示でも思わず覗いて見たくなるような工夫がされていて、子供の好奇心をくすぐるツボを熟知した人が考えたのだということが、よく理解できる。例えば、サイホンの原理を体験してもらう装置や、管を螺旋状に巻き付け回転させることにより揚水するアルキメデスのポンプなど、いくつもの体験展示があって、一度来たら充分、と思ってしまう普通の展示とは違う魅力を放っている。
「物を陳列しただけの博物館にはしない」という中村さんの言葉、「生活経験が大事」という齋藤さんの言葉に、水の科学博物館を支える人々のパワーを実感した。