笹岡 隆次
1962年、東京生まれ。1980年、高校卒業と同時に赤坂「長谷川」で修行を始める。北大路魯山人の孫弟子・吉田義雄氏を師匠とする吉原綾二氏に師事。このことから、吉田−吉原−笹岡と続く魯山人の直系弟子となる。新橋「一楽」、三田「菱沼」を経て、1997年、天現寺「笹岡」を開店、現在に至る。
僕たち料理人にとって、湯気は「おいしい」のサインです。
たとえば、ごはん。炊いているときに、横から湯気がわーっと出ていないようだと、実際炊き上がってもおいしくない。あるいは、お椀。蓋を開けたときに湯気が立ち昇ると、「おいしそう」という気持ちと一緒に、香りもふわっとお客様に届きます。昔から言いますが、湯気は見た目のご馳走なんです。
和食の厨房では、1年中蒸し器が火にかかっています。火は中火の弱火くらい。使う場面によってそれを強くしたり弱くしたりするのです。お湯が沸騰しても100度、そこに塩を入れてもせいぜい105度くらい。でも、湯気の温度は300度にもなるといいます。その力を利用すれば、上手に芯まで、なるべく短時間で火を通すことができるのです。
まず、元々は少しゆるいものを、蒸すことで固めるという蒸し器の使い方があります。茶碗蒸しやしんじょうがそれ。蒸気の温度でたんぱく質が固まって、形が整っていくのです。僕たちにとっては、形を整えながらあたためるという方法は、とてもポピュラーなことです。また、素材によっては味をふくませながらあたためるという使い方もあります。とくに煮崩れしてほしくない食材の場合は、鍋を直火にかけて「煮る」ことで素材がぐらぐら揺れて崩れてしまうより、「蒸す」ほうが、食材にとってやさしいのです。僕たちはそういう基準で、「煮る」と「蒸す」を使い分けています。
やさしいといえば、今は昔と違って、真夏でも暑さを感じるよりは、エアコンで身体が冷えてしまうことが多い。特に女性はそうですね。ですから、真夏でも熱いおつゆをお出しすると喜ばれるのです。たとえば冬瓜のおつゆは、どこのお店でもそうでしょうが、夏の定番。あたたかくて身体にやさしいメニューです。でも和食には季節感も大切。料理人が日常の中で感じる四季の移り変わりを、料理に込めてお客様へメッセージを送るのです。秋が深まりました。冬が来ましたね。お客様に「ああ、そうだ」と共感していただければ、喜びもひとしおです。
さて、蒸し器の中では熱せられた水が水蒸気となって立ち昇り、蓋にぶつかってまた下へ降りていき、ぐるぐると対流しています。そこに一定の温度と圧力が生まれ、食材を蒸してくれるのです。しかし、蒸し器の蓋はバッと開けると全開になってしまう。そうすると、せっかくの蒸気が一気に逃げてしまい、圧力も温度も下がってしまいます。ですから、蒸し器のふたをしょっちゅう開けることはしない。僕たちにとっては、蓋を開けずに常に蒸し器の中の状態をイメージすることが大切になるのです。「今、食材はどんな硬さなんだろう」、「どれぐらい食材に味がしみただろう」・・・。想像することは蒸すことに限らず、焼くこと、煮ること、揚げることにも共通しますが、塩梅がイメージできるようになるには長年の修行が必要ですし、うまくイメージできるのが良い料理人。そして蒸し器は、上手に使えば、料理人にとってとても便利な道具になるのです。
僕は18歳で修行を始めたのですが、それまではごく普通の高校生。ほとんど料理をしたことがないのに、いきなり調理場に入って、毎日揚げたり、焼いたり、煮たりする生活が始まりました。そんな半人前にとって、あ、おいしそうと思うのは焦げ色と湯気。とくに勢いよく吹いている蒸気は強烈に「あ、おいしそう」と思わせてくれた。あと、お客様にお出しするときに、食材に火が通っているかどうかが一番の心配なのです。それを「大丈夫」と知らせてくれるのが、湯気だった。できあがったときに、食材から湯気がふわーっと出る。今でもその湯気を見れば「OK」だと思います。
穴子を揚げてぱんっと切るとその切り口から湯気がたつ。あるいは帆立を海苔で巻いて揚げて、その間からふーっと湯気が出たりすると、見ただけで、あ、これは絶対旨いと思う。「熱いうちに早く召し上がって」。そんな気持ちで、日々お客様に料理をお出ししています。