「里川の原体験は?」「これからの里川とは?」。こんな問いかけを出発点に、多分野の方が抱く現代里川の特徴を探ろうと前回から「里川対談」を開始しました。第二回のゲストは、社会情報学の立場から都市を見続けてきた吉見俊哉さん。陣内秀信さんをホストに「都市における水辺空間の公共圏」というテーマで対談が行われました。ここでは、そのさわりをご紹介します。
法政大学工学部教授
(建築史、都市史)
陣内 秀信さん
1947年生まれ
東京大学大学院情報学環教授
(社会学、文化研究、メディア論)
吉見 俊哉さん
1957年生まれ
現在の里山のような「今ある自然」が壊されようとするときは、必ず運動が起こってきます。私がここ何年も関心を寄せてきた、愛知県の「海上と言っていいほどそれを守ろうというの森」を守る運動もそうです。
面白いのは、もとはこの地に名前はなく、「海上の森」と呼ばれていたわけではなかったという点です。万博会場に指定された後に、近年この地域に移り住んできた新住民の人達が「万博会場ってどんな所だろう」と山を歩き始めた。すると「こんなに自然が残っているのに、なぜ開発をするのか」という疑問が湧き運動が起こった経過で、「海上の森」という名前がつけられていきました。名づけをして、あるイメージがつくられ、地域の自然や歴史が再発見されていく。そのような動きには、古くからそこに住んできた住民よりも、比較的最近移り住んできたような人たちのほうが、敏感に反応する傾向がしばしば見られます。
逆に難しいのは、開発が終わり、もはや守るべき自然が見えなくなってしまっているようなケースです。その場合には、別の集団的想像力を働かさざるをえない。新たに地域をデザインするという考え方もあるし、例えば、今は暗渠化され緑道となっている川をめぐり、かつてどういう文化があったのか、歴史軸を掘り起こすのも一つの方法かもしれません。
これからの日本では、そちらの課題が圧倒的に多くなりますね。清流が流れ、それが生きて利用されているような場所は残るけれど、都市の川の多くは暗渠化されたり、三面貼りにされたりしていて、すぐには手のつけようがないという問題をはらんでいます。
それを、どのようにプラスの状態にもっていくかという戦略として、「里川」という言葉は直感的にいいなと思っています。里川という言葉には、ある年代までには、みんなが持っている自分がかかわった川のイメージを思い起こさせる力がある。だから里川というのは、「だめになった川をなんとかしなくては」という課題に対して、みんなが由って立つ共通のフィロソフィーになると思っているのですが。
川や水辺は、ある種の公共的な空間ですね。川や水辺がうまく利用されていく可能性は相当あると思います。一方で、水の上が金持ちだけの空間になってしまう危険性があります。公園でも起きたことですが、おしゃれな人のためのきれいな親水スペースが確保される一方で、ホームレスや貧しい人々が排除されていくということが、表裏で起きる可能性がある。それは、違うのではないかという気がします。
弱者を含んでこそ文化が生まれるわけで、それを許容するような水辺空間を誰がどのようにつくるのか。これは、市場の論理だけではなく、どこかで公共的な力が働かないと無理です。実際、昔の川は、そういう弱者救済機能を持っていたわけですからね。
そこが都市の活力の源でもあったわけですよ。海外と比べると、東京には外でお金を払わずに、ゆったりと何時間もいられる公共空間が本当に少ないですね。本来は広場とか公園があればいいのだけれど。ニューヨークでもパリでも、公園にいろいろな人がいますよね。イタリアなら噴水もあって、気持ちがいい。川沿いの空間はそうした可能性があるはずなんです。そういう場所が現代の人間の居場所になるし、里川に加えてほしいですね。
(2005年9月20日)