機関誌『水の文化』74号
体に水チャージ

体に水チャージ
【感情】

なぜ人は涙するのか「アダルトクライング」を考える

体内から排出される水分の一つに「涙」がある。今、悲しい映画や文学に接してあえて涙を流すことで心身ともに元気になろうという「涙活(るいかつ)」が一部で話題だが、涙は単なる「水分の排出」なのだろうか。大人が泣くこと=アダルトクライングの機能について研究している石井悠紀子さんに話を聞いた。

石井悠紀子さん

インタビュー
東京大学大学院 教育学研究科 教育心理学コース
博士課程 遠藤研究室
石井 悠紀子(いしい ゆきこ)さん

2018年3月お茶の水女子大学生活科学部人間生活学科発達臨床心理学講座卒業。2020年3月東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻教育心理学コース修士課程修了。2020年4月 同大学院博士課程入学。日本学術振興会特別研究員(DC2)、東京学芸大学教育学部非常勤講師、明治大学文学部非常勤講師などを務める。

悲しい時、感動した時に流れる「情動性の涙」

私は現在、大人が流す涙、つまり「アダルトクライング」について研究しています。アダルトクライングについては解明されていないことがとても多いので、それだけにやりがいを感じています。

実は私自身が非常に涙もろい性格なんです。映画を観て感動して泣く程度ならいいのですが、人前で泣きたくないのに泣いてしまうこともあって、なんとか涙をコントロールできないものかという思いがありました。それで涙に着目するうちに、「そもそもなぜ人は涙を流すんだろう」という素朴な疑問をもったのが研究のきっかけです。

涙には、目の表面を潤し保護する「基礎分泌の涙」や、異物が目に入った場合に出る「反応性の涙」もありますが、研究しているのは、悲しい時や感動した時などに流れる「情動性の涙」です。

情動性の涙についてはまだわからないことが多く、これから研究が進んでいくはずです。

ある先行研究では、情動性の涙を、①肉体的苦痛、②喪失や離別、③無力感、④共感や同情、⑤道徳や感傷という5つに分けています。そして肉体的苦痛による涙は成長とともに減り、逆に共感や同情、道徳や感傷による涙は大人になるにつれて増加するとしています。たしかに多くの人は、大人になってから痛みで泣くことは少なく、どちらかというと感情が高ぶった時に泣いてしまうことが多いと思います。

いま、研究者の共通認識として、涙を説明できるもっとも大きな要因の一つは「性差」です。女性は男性の2倍から7倍も涙を流すという海外の研究もあります。ただし、その理由についてはホルモンの違いなどさまざまな面から研究されているのですが、はっきりとした結果は出ていないのです。

また、「男が泣くのは恥ずかしいこと」という考えは、日本だけでなく多くの国で見られるので、社会や教育といった要因が大きく影響していることも考えられます。

大人の涙が引き出す支援とネガティブ

なぜ私たちは涙を流すのでしょうか。そこにはなんらかの意味、あるいは機能があるはずです。私は情動性の涙の機能を、他者の感情や行動に与える影響(個人間機能)と、本人自身に与える心理的・生理的な影響(個人内機能)という二つの側面から研究しています。

まず個人間機能ですが、赤ちゃんが泣くと周囲の大人が気にかけ、ケアを与えようとしますよね。このように幼少期の泣きは、他者からの支援を引き出すという、進化的にも重要な機能を有しています。そして、大人の泣きにおいても、この他者から支援を引き出す機能があることが、複数の研究で示されています。

右の2枚並んだ写真を見てください。同じ顔写真ですが、左側の写真には涙をつけています。実験では、回答者にこの写真を見せて、どちらの人物を助けたいかと尋ねます。すると、涙が付加された人物の方が、支援の必要性が高いという回答が得られました。

大人の情動性の涙は支援を引き出す機能がある一方、涙した人のメンタルの弱さやプロフェッショナル意識の欠如といったネガティブな評価につながることもあります。例えば男性の涙は女性よりもマイナスイメージが強く、プライベートよりも職場で泣く方がネガティブに評価されやすいです。親しい人の前で泣くと理解を得やすいですが、あまり知らない人たちの前で泣くと「何、この人?」などネガティブな評価をされる傾向がみられます。

はたして大人の涙が他者から支援を引き出すか、ネガティブに評価されるかは、泣きの場面や状況によって変わってくるようです。

図1 どちらの人物を「助けたい」と思うか?

提供:石井悠紀子さん

情動性の涙を流す動物は人間だけ

泣くことが本人にどんな影響を与えるのかという個人内機能についても未解明なことが多いです。

「泣くとスッキリする」という経験は、多くの人がもっていると思います。いろいろな国で調査しても、ほとんどの国で同じような感覚があることもわかっているのですが、何がどう作用しているのかは科学的にまだ解明されていません。

涙と副交換神経活動は密接に関連していて、泣きでリラックスが得られることは示唆されています。ただし解剖学的には、「緊張が途切れた結果として涙が出る」という順番。つまり、泣くからリラックスするのではなく、リラックスするから泣くともいえるわけで、このあたりもさらなる研究が必要です。

この分野の研究がなかなか進まないのは、動物のなかで情動性の涙を流すのは人間だけだと考えられているからです。動物実験でデータをとることはできませんし、実験で人間を泣かせてデータを集めるのもプロセスが難しい。いずれ研究者が共有できる指標や方法論が開発されれば、研究も一気に加速するかもしれません。

私は涙の研究をすることで、泣くことに対するステレオタイプを少しでも払拭したいと考えています。大人が泣くとどうしてもネガティブな印象を周囲に与えてしまい、泣いた本人も恥ずかしさを覚え、自分の弱さと捉えがちです。ですから泣くことにもちゃんと意味があることを示せたらいいと思います。

最近は泣くことがストレス軽減につながるということで、涙に興味をもつ人が増え、「涙活(るいかつ)」という言葉も少しずつ広まっています。科学的裏づけを検証して涙の理由を広めていくことも、私たち研究者の役目だと感じています。

人間だけがもつ情動性の涙。その機能や役割、感情との関係などわからないことが多いので興味は尽きません。脳科学の分野などとも連携し、私なりの視点で涙の理由を解明していきます。

  • 図2 「情動性の涙」5つの区分

    提供:石井悠紀子さん
    引用元:Vingerhoets, A. (2013). Why only humans weep: Unravelling the mysteries of tears. OUP Oxford.

  • 図3 落涙後の援助の引き出し・ネガティブ反応と個人差・社会的文脈との関連

    提供:石井悠紀子さん

(2023年4月11日取材)

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