道志村の民有林整備
山梨県南都留郡道志村と神奈川県横浜市の水道とは、深い関係がある。 1997年(平成9)には取水開始100周年を迎え、水源涵養林としては1916年(大正5)以来の歴史を有している。 村内森林の2分1を占める民間所有の森林を荒廃から守ろうという森林ボランティア活動が、水道局から始まり、自主組織の設立にまで活動の輪を広げている。自分たちの水道がどこから来ているのかに高い関心を持つきっかけとなった、道志水源林ボランティアの今を取材してみた。
編集部
作業開始直後から、手ノコで挽かれた木の切り口から、なんとも言えないすがすがしい香りが森に漂い出す。
「倒すぞう!」
現地指導員のかけ声とともに、ボランティアがいっせいにロープを引いて、間伐された杉の木が地面に音を立てて倒れた。太い木が倒れるときには、地面に地響きがする。
道志村の民有林整備は水道局主導のもとに活動が行なわれてきた。しかし道志水源林ボランティアに参加する登録者の増加に伴い、行政に依存する従来の活動のあり方だけではなく、市民自らがボランティアとして運営に積極的に参加・行動することも大きな意義があるという気運が高まってくる。そして2005年(平成17)には、道志水源林ボランティアの会が設立された。会長に選出された岸本直彦さんは、
「道志水源林ボランティアの会は、市民の視点で運営に積極的に参加し、行動することが大切であるという思いからつくられました。
参加した人々からは、『森林整備や間伐の重要さがわかった』『森林作業で良い汗を流すことができた』といった多くの感想、また活動や作業についての意見や希望も多く寄せられています。
私たちは、みなさんの声を生かして、会の運営や活動、森林整備の方法、森林資源の活用、自然に親しむイベント、などについて幅広く取り組んでいきたいと考えています」
中心となっているのは60歳前後の仕事を引退した人だが、社会人として責任ある仕事に取り組んできた人が多いだけあって、会の運営も実にスムーズに行なわれているようだ。
単に森林整備作業のみならず、総務部会、森林整備部会、事業企画部会、広報教育部会の4部会を設け、視野の広い活動を目指している。
また、実作業で班ごとに参加して現地指導員を補佐する「道志の森インストラクター」は、ボランティアの中から横浜市水道局が認定した人で、活動班のインストラクターとしての任を担っている。
「道志の森インストラクター」はまた、社団法人全国森林レクリエーション協会の主催する「森林インストラクター資格試験」に合格し、協会に登録することで付与される森林インストラクターの資格を取っている人もおり、道志水源林ボランティアの会にはその人たちも含め、現在約30人の認定者がいるそうだ。
森林インストラクターの試験は一次試験(筆記試験)と二次試験(実技・面接試験)があり、林業、森林内の野外活動、森林、安全および教育の科目別に行なわれ、一部科目に合格すれば、その科目は受験年度を含め3年間有効となる。
勉強をして、こうした外部試験を受けることは、人材育成にとって質の向上に役立つものであるし、他のメンバーの励みにもなるものだ。横浜市水道局の働きかけで始まった道志水源林ボランティアが、自発的な組織となってさらに進化しつつある。
横浜市水道の水源は、道志川系統、相模湖系統、馬入川系統、企業団酒匂川系統、企業団相模川系統の5系統となっている。合わせて195万5700立方メートル/日のうち、道志川系統から17万2800立方メートルをまかなっている。
日本初の近代水道が横浜に誕生したのは、1887年(明治20)のこと。最初は相模川から取水していたが10年後の明治30年に道志川に変更され、以来100年以上にわたって取水が続けられてきた。
道志川の水源は、山梨県南都留郡道志村にある。丹沢山塊を北側に越えたこの村は、降水量が多く(年平均降水量2223mm)、豊かな森林を擁し、水質は極めて良好だ。
横浜市水道局管財課の池谷明高さんによると、
「一番初めは、相模川の上流にある三井(みい)から取水していました。昔の記録を見ると、そこではポンプで汲み上げなければならず、平塚から帆掛け船で石炭を運んでポンプの動力としたと書いてあります。そのため、もっと楽に取水できる神奈川県相模原市津久井町の青山を経て、今の鮑子(あびこ)取水堰に取水口が変更されました」
ということだ。
ところが、当時の森林は、道志村だけでなく、全国的にもすでに荒廃していたという。それは現代の荒廃理由とは異なり、当時の森林は人々の生活の糧(特に燃料としての)を得る場であったため、濫伐過伐が行なわれた結果であった。
道志村の水源涵養林としての歴史は長く、1916年(大正5)に横浜市が「横浜水道の源泉を守る100年の大計」樹立のために、当時恩賜林であった道志村の森林2873haを山梨県から取得したときに遡る。
これは道志村の総面積の36%を占め、横浜市都筑区とほぼ同じ広さにあたる。
2873haのうち、約36%が檜・杉を主とした人工林、54%がモミ・ツガ・ブナなどの針葉樹と広葉樹が混交した天然林、残りの10%が沢や崖など植林できない除地となっている。
戦後の住宅不足や高度経済成長期の需要に対応するために、日本の森林には住宅資材としての檜や杉の針葉樹が計画的に植林された。しかし住宅資材の伸び悩みと安い外材の輸入によって、国産木材の需要が頭打ちになって、これらの森林は省みられなくなってしまう。日本の森林が荒廃しているといわれるのは、木材として伐り出しても赤字になってしまうという市場経済の背景がある。それに伴って、森林が健全に育成されるための枝打ちや下草刈り、間伐といったメンテナンスにも手間がかけられなくなっているのだ。高齢化や人手不足も管理が行き届かない現状に拍車をかけている。
こうした事情は道志村でも例外でなく、森林荒廃が進んでいるのが現状だ。池谷さんは、
「横浜市水道局が所有する以外では、約半分が民間所有の森林です。水源涵養林としては民間も公共も関係がないので、そういった森林所有者と協定を結んで手入れをさせていただいています」
と言う。手入れの主な内容は、間伐や枝打ちなど。これは太陽の光が地面に届く環境にすることで、下草が適度に生えるのを促す作業だ。下層植物を育成するのは、土壌の流出を防ぐことに役立っている。作業に参加した感想を、池谷さん自身もこう語ってくれた。
「私も事務系の仕事から昨年移ってきたばかりなので、森林が荒廃していると言われても、よくわかりませんでした。しかし、苗木が成長するに伴って枝葉が混み合い、互いに成長を阻害しているような暗い森が、間伐などによって光が差し込む森に変ったときに、ああ、これが生きている森本来の姿なんだ、と実感できるようになりました」
過去には直営事業として木炭の生産をしたこともあるが、1951年(昭和26)には、水源林のほとんどを森林法に基づく水源涵養保安林に指定。水源かん養機能を一層向上させるために、1991年(平成3)に森林の経営方針の見直しを図った。
一般の人には同じように見える森林だが、水源涵養林と木材生産のための循環林とでは、森林利用の目的が違うため、対応も変ってくる。木炭や木材生産のための循環林と考えれば、単一樹種を計画的に植林して、効率よく成長と伐採を繰り返すことが求められるが、水源涵養林として考えた場合は、多段型複層林(年代と樹種を異にした木が混在する林)が機能向上には適している。また、手入れをしながら樹齢を伸ばすことも効果的で、保安林では檜の場合で45年以上という伐採齢が決められているという。
「針広混交林で樹齢160年の檜を育てるのが夢です」
と横浜市水道局管財部水源林管理所副所長の水越茂広さんが言うように、森林の保水能力を活用した「緑のダム」のためには、降った雨が河川に流れ込む量を調節し、土砂の流出を防ぎ、水を涵養する機能を持った生きた森林が大切なのである。
1997年(平成9)には、道志川取水を始めて100周年を記念して「公益信託道志水源基金」を発足。道志村の自然環境保全、生活基盤向上に寄与する事業を助成するようになった。
こうした流れの中で、道志村村内の住宅や事業所に合併処理浄化槽を設置する生活排水処理事業を2001年(平成13)から開始、取水原水の一層の保全を図っている。
そして2004年(平成16)、森林保全のための道志水源林ボランティアを創設するに至った。
「水源涵養林の面積は、東京都の約2万haに対して横浜市は2千8百ha。横浜市の人口が約360万人ですから、人口比では東京都に比べると少ないと思われるかもしれませんが、自治体が水源涵養林を所有していること自体、珍しいことなのです。道志水源林ボランティアを始めたきっかけは、せっかく横浜市には水源涵養林があるのだから、都市に暮らす市民にも自分たちの使う水がどこから来ているのか知ってもらおう、ということが目的でした」
市民全般の意識を高めて、裾野を広くできれば、という気持ちで市の広報紙などで呼びかけたところ、せいぜい100人ぐらいと思っていた応募者が1000人を越えた。2004年(平成16)のことである。
危険を伴う可能性がある無償の作業に、これだけの人々が関心を持ったということも驚きだが、作業に参加する3、4割の人はリピーターになり、仲間を連れてくる人も多いという。登録人数は一時1500人近くにまで達し、翌年には「道志水源林ボランティアの会」が発足した。個人情報の了解を確認したことで登録者はいったん減ったが、再び徐々に増えつつある。
現在は、4月から11月までの期間は月に2回、7月と8月は月に1回の作業が行なわれているが、横浜市から道志村まではバスに乗って2時間半かかる。
見学させていただいた5月22日は、気持ちの良い快晴。10時半にバスが到着すると、10名ずつ10班に分かれて安全具と作業道具が配られる。参加者は慣れた様子で準備をすませ、いざ出発。森に入ると班ごとに持ち場に分かれて作業を開始する。班には必ず、地元道志村の「現地指導員」と「道志の森インストラクター」がついて指導に当たる。
現地までの移動は、基本的にバス。車中では、ビデオを活用して作業内容の説明が充分に行なわれている。そのせいか、初参加の人にもとまどいが見られない。
何よりも安全第一を念頭に置くので、チームワークとリーダーの指示を重視しながら作業にあたっていた。
感心したのは、「道志方式」を前面に出していることだ。このような森林保全作業がさまざまな場面で行なわれているために、中途半端な慣れが危険を引き起こす可能性もある。山仕事のやり方も地域や人によっていろいろなので、一緒に作業に当たる人たちが共通認識を持つ必要があるのだ。ここではそれを「道志方式」と呼んで、よそではどうであろうと、ここではそれに従ってもらうことを約束させている。
一番顕著な例が、道具によるケガを減らすために、チェンソーや鉈は使わず、手ノコで伐採する。作業効率ではなく、安全優先の姿勢が貫かれているのだ。だから力のある男性だけでなく、高齢者でも女性でも役割を分担して作業を進めることができる。
一汗かくとあっと言う間に昼休み。きれいな空気とすがすがしい森の匂いの中でお弁当をいただく。これも地元の民宿が順番に当番になってつくっているものだ。
手づくりの味わいや現地指導員との交流が、横浜市民が水を育む道志の森への理解を深めていくことに、大いに役立っている。
作業に参加した人に、何人かインタビューしてみた。「道志村に来たのは初めてだけど、他の森林ボランティアに参加した経験がある」と言って、よそと比較する参加者がいたことにも驚かされた。そうした人の中には、「ここは午前中だけではなくて1日仕事だから楽しい」とか「作業現場が山深くないので、歩くのが楽」といった感想も聞かれた。
自家用車で乗りつけたバス組とは別行動の男性二人組の場合には、車内にはMyノコギリなど7つ道具がそろい、「市外からの参加です。バスの待ち合わせ場所から遠いので、直接来たほうが便利なのです」という話。自由行動を取れば帰りに温泉に寄ることもできるので、別の楽しみもできるのかも。
現在失業中という50代の男性は「家にいても、時間がもったいないので」と言っておられた。こうした発言からも、日本におけるボランティアの意識もずいぶん変ってきたと実感させられる。
元気で意識の高い人材がこれだけいるということは、横浜市は大変な財産を持っているということだ。その財産が水源林の保全という作業を通して、暮らしの中のさまざまな場面に波及していくことが充分考えられる。これは大いなる希望だと思う。
地元特産品を販売する道の駅には、ボランティア活動の財源にもなっているボトルドウォーター「はまっ子どうし」も売られていた。水源林として守られてきた自然が大きな価値となって、東京近郊からの観光客にも人気が高い道志村。
過疎が進んで4校あった小学校が1校になってしまったそうだが、横浜市民と支え合うことで、新しい広がりを生み出せるとしたら素晴らしいことだ。