機関誌『水の文化』23号
水商売の理(ことわり)

水売りの声

宮田 章司さん

宮田 章司(みやた しょうじ)さん

1933年東京生まれ。1954年漫才師宮田洋容の門下生となり、翌年宮田陽司とコンビを組んで漫才界にデビュー。民放放送各局の演芸番組に出演、1976年コンビ解消。その後、芸術祭賞受賞の坂野比呂志と出会い、江戸売り声の魅力に惹かれる。現在、日本でただ一人の「江戸売り声百景」和風漫談家として活躍中。

「へっつぅーいなおし、へっつぅーいなおし。灰はたまってございませんか、灰屋でございー」

これは灰屋の売り声です。へっついというのは竈のこと。灰なんか、何にするんだって? まずは農家の肥料に、次は紺屋の触媒。藍染の染料に灰を入れるとアルカリ性になるんです。それに灰汁あくというけど、まさに灰汁抜きにも使った。防腐剤がない時代に古くなって濁りが出た酒に灰を入れると、すーっと濁りが沈んで澄んだ酒になった。つまり、物売りは新品ばかりじゃあなくて、リサイクルにも一役買っていたんです。江戸は捨てるモンがなかった都市。無駄をしなかった、今よりずーっと進んだ都市ということです。

江戸城というのは海城で、日比谷から先、新橋や銀座なんていうのはみんな海、埋立地。だから江戸の真ん中では、井戸を掘っても潮水しか出ません。水売りという商売も、良い水に恵まれなかったことからできたんです。

あたしは昭和8年、足立区の千住中居町生まれ。子供のころは大川(隅田川)で泳いだもんです。荒川も歩いてすぐの所にありましたしね。終戦直後は、葛西橋のたもとに黒鯛やサヨリが寄りつくぐらい、大川の水もきれいだったんですよ。

江戸には地方からどんどん人が入ってきて、100万都市に成長しました。江戸っ子たって、元はみんな田舎モンなんです。同じ時期のパリの人口が60万人というから、どれだけ活気がある都市だったか想像できるというものです。都市で暮らす大勢の庶民の要望に応えたのが、物売りたち。店を構える余裕のない人たちが、問屋から必要な道具を借り、売るものを仕入れて売り歩き、歩合で賃金をもらっていました。

辻に陣取って物を売る人は、比較的ノンビリしていたし、ボテ振りといって売り物を担いで売り歩いた人はキビキビしていたという多少の違いはあります。そうした物売りたちが、少しでも売れ行きがよくなるように独特の売り声を響かせる。映画でお馴染のフーテンの寅さんの口上は、皆さんもご存じですよね。あれは、どんな商売にも応用が利く口上ですが、売る物に合わせて工夫した売り声があって、あたしはそれを芸にしています。

きっかけは大道芸の大家、坂野比呂志さんですが、目指したのは舞台でやれる芸に仕立てるということ。単なる再現じゃあ、ありません。というのも、売り声自体は文献に残っていますが、声は残っていませんから、声音(こわね)やイントネーションは調べようがありません。それに地域によっても、人によっても違っていたはずです。だからこれらの売り声は覚えたものではなく、自分で考えたものです。自分が物売りになり切って「こういうものなら、こう売るな」と工夫します。売り声は人を集める「力」なんです。

江戸っ子は女房を質に入れても初鰹、とよく言いますが、1812年、当時日本橋にあった魚河岸の記録では、神奈川沖で捕れた16本の鰹の内7本が将軍様に、3本が一流料亭の八百善に納められたといいます。残った6本を町に売りにきた。それを歌舞伎役者の中村歌右衛門が、1本3両で買ったそうです。飯炊きの1年間の給料が2両の時代ですから、初鰹がどれだけの価値だったかがわかるというもの。今みたいに冷蔵設備も流通経路も発達していないわけだから、その日の内にパパっと売りさばかなくてはいけない。そんな様子がわかって、売り声も語尾を切った威勢のいいものだっただろうな、と想像できるんです。

水売りも、どんなに良い水だって夏の暑い盛りに辻で売っていたら、ぬるくなりますよ。それを

「ひゃっこーい、ひゃっこい。ひゃっこーい、ひゃっこい」

と涼しげに売り声を述べ、錫の容れ物に入れて飲ませる。そうすると錫のヒンヤリした感触で冷たく感じるものなんです。つまり演出が大切だということですよ。口に入るものだから、飲む人が安心できるようにこざっぱりとした身なりをするのも当然のことです。

キリギリスや鈴虫売り、戸田ヶ原の桜草、ヒエマキ(箱庭)など、物売りたちは江戸ご府内の住人ではなく近郊から来ていました。ヒエマキなんていうのも、まともな植木屋だったらやらない商売ですよ。食い詰めた人、専業でない人、裕福でない人たちが物売りになった。それでも貧しいなりに、精一杯こざっぱりと身なりを整え、自分の脚で歩いて商売をしていたわけです。

幸い、あたしの幼いころは、まだいくつかの物売りが健在でした。実際に耳で聴き、身体が調子を覚えています。文献の文字に残った売り声に声音(こわね)をつけていけたのは、そのときの記憶と声質、親父譲りの江戸弁のお蔭だと思っています。

三谷一馬著『彩色江戸物売図会』中央公論新社、1996より

三谷一馬著『彩色江戸物売図会』
中央公論新社、1996より

冷水売り
「たヾいま暑に向かへば、呑水を売る者多し。水桶清らかに、錫、真鍮の水呑碗きらきらしく、辻々に立ちて売る。中に糒(ほしいひ)、葛粉(くずこ)に白砂糖を和して呑ましむ」(『羽沢随筆』) 冷水売りの商いは五月頃から始まります。 売り声は「ひゃっこいひゃっこい」。一碗四文でした。絵に見る冷水売りは、扇地紙売りなどと同じように、二枚目に描かれたものが多いようです。履物はなくほとんどが裸足です。 この絵では、前荷の上に市松模様の屋根をつけ、黒塗りの額には乙姫様と浦島太郎が描かれています。さらに風鈴をつけ、一層飾りたてています。  ぬるま湯を辻々で売る暑い事(柳多留) 看板ほどは冷たい飲物でなかったようです。  盆からはなす水売りの銭(眉斧)
〈出典合巻『児雷也豪傑譚』(安政三年)二世歌川豊国画〉



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