機関誌『水の文化』26号
クールにホットな2107

人口予見と食糧生産量の推計 食糧危機は本当か

人口急増と地球温暖化が食糧危機をもたらす、との説が広く語られている。 しかし、川島博之さんによれば「それはまったくの誤り」。 一次データをきちんと解析していくと、人口予見からも食糧生産量の推計から見ても、「100年後に飢えが広がっている世界図は見えない」そうだ。 工学博士の立場から農学研究に携わる川島さんは、自らを「異質な存在」と言う。 だが、異分野からの視点のほうが、見えにくいことを明確にとらえることもある。

川島 博之さん

工学博士
川島 博之 (かわしま ひろゆき)さん

1977年、東京水産大学水産学部海洋環境工学科卒業。 1980年、東京大学大学院工学系研究科化学工学専門課程修士課程修了、1983年、東京大学大学院工学系研究科化学工学専門課程博士課程単位取得の上退学。東京大学生産技術研究所助手を経て、1989年から農林水産省農業環境技術研究所主任研究官。1998年、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授。専門分野は国際環境経済学。

どこからきたか食糧危機説

私は世界の食糧事情を研究していますが、もともとは工学博士です。日本の大学では、農学部にいる工学博士は100人に一人ぐらいですから、かなり異質な存在。でも、異質な人間のほうがよく見えることもあるんです。

私の目から見ると、今後の食糧問題について、日本でよく報道されていることと、西欧諸国の考えには、ずいぶん開きがあるように感じます。

日本でいちばん有名な説は、レスター・ブラウンが唱えている「食糧危機がやってくる」というものです。ブラウンはアメリカ農務省に勤めたあと、1974年にNGO組織「ワールドウォッチ研究所」を立ち上げ、現在は「アースポリシー研究所」の所長をしている人。

彼は危機説の最大根拠として、穀物生産の伸び悩みを挙げています。全世界の穀物生産量は、90年代後半に22〜23億tまで伸びましたが、それ以降は潅漑用の水や土地の不足で横ばい状態。「これ以上伸びないので21世紀に食糧危機が起こる」、というのがブラウンの説です。

ところが、アメリカやヨーロッパには、この説を支持している専門家はほとんどいません。アメリカ農務省の知人は、「地下水位の低下など、ブラウンが指摘する現象も一部にはあるけれど、我々は近未来にアメリカの食糧生産が危機に陥るとは考えていない」と言っていました。

食糧問題は人口推移や農業技術革新、気候変化などが複雑に絡む巨大な事象です。そのため、なかなか全体像をつかみにくい。アメリカでは、中国や北朝鮮などについて農務省が衛星通信データの解析と、ヒューミントと呼ばれる人間を使った諜報活動データの両面から定期的に検討しています。CIAも食糧問題に大きな関心を寄せて、研究者たちに接触しているようです。

残念ながら、日本ではここまで大がかりな調査がされず、著名人の文献や発言がそのまま引用されることが多い。それが積み重なって、ブラウンの意見が広がってきたのだと思います。

ブラウンと並んで、ヴァンダナ・シヴァの説も広く知られています。シヴァは『緑の革命とその暴力』という著書で、穀物生産量を増やすために始めた「緑の革命」は、塩害をもたらして土地をだめにした、と訴えている人。この塩害も、欧米の食糧問題研究家の間では、「局地的な現象」という見方が大半です。

世界の穀物貿易の70〜80%を握っている数社の「穀物メジャー」と呼ばれる企業のために食糧分配格差が起きる、という一部の意見も、「かなり偏向したもの」と研究者の間ではとらえられています。

食糧問題の報道を見るときは、それが何を根拠にしたものか、気をつけないといけません。実はそういう私自身、農水省の仕事をしていたころは、ブラウンやシヴァの意見に影響され、「食糧危機がくる」と考えていました。農水省自体も、危機説に傾いていたように感じます。でもその後、自分で一次データを調べ、欧米の研究者と意見を交わすうち、私の見方は変ってきました。

一次データ解析の必要性

今、私が進めているのは、一次データを解析し、食糧問題の将来を予測する作業です。ここ数年、信頼できる機関の一次データがネットやCD-Rで公表されるようになり、私のような一研究者でも生のデータから自分なりに解釈できるようになったのです。

例えば、国連機関のFAO(Food and Agriculture Organization 食糧農業機関)では、多大な尽力で収集した膨大な一次情報入りのCD-Rを作成しています。これをもとに調べてみると、過去50年間にわたって、世界の食糧事情が悪くなっている兆候はありません。むしろその逆です。

この45年で世界人口は30億人から65億人と2.1倍になりましたが、食糧生産量は2.6倍ぐらいに伸びています。一人当たりは、確実に豊かになっているのです。

ただし、今現在も「飢え」の問題はあります。FAOは、世界人口の8億人が栄養失調状態にあるという統計を出しました。FAOが基準にしているのは、タンパク質の摂取量です。これ以下の摂取量の人を栄養不良と定義しているわけですが、伝統的にそういった食習慣を続けてきた地域もあるかもしれません。ですから8億人という数が適切かどうかは疑問ですが、今現在飢えている人がいることは確かです。

例えば世界的に大きな問題となっているのは、スーダン西部のダルフール地域。ここでは100万人が国内難民となって痩せ衰え、給食を頼りに生きているといわれています。

この現象だけ見れば食糧問題ですが、背景をよく見ると政治の問題でもあるわけです。スーダン政府に支援されたアラブ系の勢力が、非アラブ系住民を迫害しているという状況。スーダン以外にも、ソマリアなど極めて食糧事情の悪い国や地域がアフリカにはいくつもありますが、それも突き詰めていけば、やはり政治の問題に起因しているのではないでしょうか。

発展途上国に対して援助している機関にワールドバンクがありますが、これまでのところ、サハラ以南のアフリカに対する援助はうまくいっていません。食糧生産の増加は、人口の増加にやっと追いつく程度です。もう40年以上も援助しているのに、一人当たりの食糧消費量は改善していないのです。これまでの援助のやり方には、なんらかの問題があると考えてよいでしょう。

サハラ以南のアフリカ問題をよく見てみると、農業に適した土地がないわけではないのです。むしろ、人口との割合を考えたとき、アジアよりずっと有利です。人口増加率は高目ですが、現在のサハラ以南の人口は8億人ぐらいです。あの広いサハラ以南のアフリカ大陸の人口は中国より少ないのです。また、熱帯ですから、最近バイオマスエネルギーとの関係で話題になっているサトウキビやパーム椰子を栽培するのに適した土地もたくさんあります。政治が安定すれば、サハラ以南アフリカは食料やバイオマスエネルギーの良い供給地になるはずです。

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食糧の未来を左右する出生率とカロリー摂取量

将来の食糧事情を予測するには、人口予見と食糧生産量の推計が必要です。人口に関しては、国連が合計特殊出生率を指標にして、一次データを出しています。合計特殊出生率とは、一人の女性が生涯に産む子供の数。国連が発表しているのは、3種類の出生率で人口推移を推計したものです。

2004年度のデータによると、2050年の世界人口は、下位推計で77億人、中位推計で90億人、上位推計で100億人以上。メディアでは、このうち下位推計と上位推計には触れず、中位推計の「90億人」と報道されるのが一般的です。

この中位推計は、1.85というフランスの合計特殊出生率をもとにした数字。フランスは一回出生率を下げたあと、政策的な対応で1.85まで上げたので、他の先進国もそこまで回復するだろう、というのが中位推計の根拠です。

一方、先進国の人口はもう横ばいで、中国、インド、ブラジル、ロシアや東南アジアも今後50年そう伸びない、アフリカや中近東だけが中位推計というシナリオだとすると、下位の81億人になる。私としては、これが信憑性のある推計かなと思っています。先進国でも途上国でも女性の社会的地位が向上し、結婚年齢も上がっていく傾向にあります。高い教育を受けて就職した女性は、あまりたくさん子供を産みませんから、全体的には人口はあまり伸びない気がするのです。

食糧については、肉の生産量が人口比を上回る勢いで伸びています。特に著しいのは、鶏肉の生産量。これには宗教的な理由もあります。戒律でイスラム教徒は豚、ヒンドゥー教徒は牛を食べられませんが、鶏肉はどんな人でも食べられるからです。インドなど、人口が増加して所得も上がってきた国で、鶏肉の需要は急増しています。

アメリカでも鶏肉の生産量が増えていますが、こちらは健康によいというのが理由。心臓病を気にしている人や、ダイエットをしたい人が、身体のために牛肉ではなく、鶏の脂の少ない部分を食べるようになってきました。

この傾向が何をもたらすかというと、穀物飼料の削減です。牛肉1kgの生産には8kg、豚肉1kgなら4kgのトウモロコシが必要だといわれますが、鶏肉1kgの場合は2kgから2.5kgで済む。レスター・ブラウンなどは、90年代の半ばに「中国人がもっと肉を食べるようになると大量の穀物を輸入しないといけないので大変だ」と言っていましたが、21世紀になった今、世界は穀物飼料を使わない方向に向かっているわけです。

穀物の生産には、現在世界で15億haぐらいの耕地を使っています。世界の陸地面積は130億haですから、その10%強の面積。これをもっと増やせるかどうか、FAOとオーストリアにある非政府研究組織IIASA(International Institute for Applied Systems Analysis国際応用システム分析研究所)が組んで研究した結果、あと10億ha、無理をすれば20億haほど耕地面積を増やせる、というデータが出されました。例えばアフリカのコンゴ民主共和国の辺りや中南米の土地で、それぞれに適した作物や、生産量の推計もネット上で公開されています。

  • 人口が増えるのはアフリカ都中近東

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  • 世界の食肉生産量

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バイオマスエネルギーの台頭と食糧地図

今お話ししたことなどから100年後の食糧事情を推察すると、人口が90億人で止まり、気候もさほど変動していなければ、飢えが広がることはない、と私は考えています。

仮に地球の温度が平均で2℃から4℃上がっていても、短期間で急上昇するのでなければ、食糧環境に大きなダメージがあるとは思えません。畜産はより涼しい地域に移していけばいいし、今は寒くて耕地に向かない土地も耕せるようになる。テクノロジーの発達で、野菜や穀物の改良も進む。50年後、100年後の人間は私たちより賢くなるはずですから、温暖化にも適応すると思います。

ただし、ここで考えなければいけないのは、バイオマスエネルギーの問題です。去年の11月、イギリスで発表された『スタン報告』には、「2030年までにCO2の排出量を20%削減する」という項目がありました。

ヨーロッパでは温暖化に対する危機感が高まり、「環境に配慮する社会をつくっていこう」という意識が非常に高くなっています。そこで期待されているのが、生物体(バイオマス)から得られる循環型のエネルギーというわけです。

トウモロコシやサトウキビから生産されるバイオマス燃料も、燃やせばCO2を出しますが、植物は成長過程で空気中のCO2を吸収していますから大気中のCO2量は一定に保たれる。これをカーボンニュートラルといって、温暖化防止の切り札と考えられています。

ブッシュ大統領も、ガソリンの替わりにバイオマスエネルギーで350億ガロン(約1.3億kl)のエタノールを生産する、と言い出しました。日本でもバイオマスエネルギーには、大半の人が賛成しています。

では、これが進むとどうなるか。現在世界中で生産されている23億tの穀物を、すべてバイオマスエネルギーにすると、8億klのエタノールが抽出できます。これに対して、いま使用している原油は35億t、その他のエネルギーを合わせると100億t。1klを1tとして計算すると、全穀物収穫をエネルギーに回しても、現状の8%程度しか生産できません。バイオマスをエネルギーに使うには、膨大な穀物量が要求されるのです。人間の食糧や家畜の飼料にしている穀物の多くがバイオ燃料に回った場合、「食糧危機は生じないだろう」としたシナリオも考え直さないとなりません。

他にも問題があります。森林伐採の影響です。ブラジルではすでにバイオマスによる燃料づくりが進んでいますが、「あと1.7億haくらい潜在農地がある」といわれています。セラードといわれる熱帯雨林ではない土地でも、6500万haの潜在農地があるといわれています。

CO2を増やさない燃料をつくるために、CO2を吸収してくれる森林や潅木帯を壊していいのかどうか。その場合、CO2のバランスはどうなっていくのか、まだまだ不確定です。100年後の温暖化の問題も、食糧事情も、今後バイオマスエネルギーがどう動くかによって、大きく変ってくると思います。それほど大事な問題なのに、全体像についてはまだ誰も考えていないのが現状です。

江戸型循環社会が一つの鍵

最後に100年後の日本の食糧事情に目を向けると、現状のままでいけば、今世紀末の人口は6000万人といわれています。明治時代の末とほぼ同じ人口です。食糧事情を考えると、このぐらいがちょうどいいかもしれません。

人口1億2000万人の現在、1ha当たり40人ぐらいを養う計算になります。世界平均は1haで5人ですから、日本の人口は明らかに過剰。6000万人になれば、自給も可能になるのではないでしょうか。現に人口6000万人の明治代末期まで、日本はほとんど食糧を自国でまかなっていました。

人口の減少と比例して、一人当たりのカロリー摂取量も減少傾向にあります。近年、日本人も肉を多く食べるようになりましたが、それでもアメリカ人の肉摂取量の半分。穀物も年間一人50kgぐらいしか食べない。今後高齢化が進むと、カロリー摂取量はもっと減ると考えられます。

日本の食糧自給率は、相変わらず40%程度で、これに対しては「日本の農業をもっと効率化しよう」という意見と、「アメリカと競争せず、関税で守れ」という意見に大別されるようです。でも発想を変えて、視野と時間を広げてみれば、違う構図が見えてきます。人口問題との関連で、食糧自給率を考えてみる必要もあるでしょう。

ただ日本の食糧も、バイオマスエネルギー動向によって、大きく変っていきます。日本はいま、アメリカから2000万tのトウモロコシを買っていますが、これを「燃料用に使うから、もう売らない」と言われたら、パニックが起きてしまう。明日からでも家畜の餌がなくなりますから、ブロイラーも豚肉も食べられなくなる。

今のところ、バイオマス燃料用より高い値段でトウモロコシを買っているので、当面そういう事態は起きないとは思います。ただ、原油価格が1バレル200ドルとか300ドルに高騰すると、バイオマス燃料のほうが採算がよくなるので、「日本には売らない」とアメリカが言い出す可能性もあるのです

いずれにしても、今後世界はストイックなエコ社会に移行していく、と私は思っています。「2030年までにCO2を20%削減」と打ちだしたスタン報告には、そう厳密な科学的根拠は示されていませんが、モラルとしてその方向へ突き進んでいる。ヨーロッパが世界の主導権を握って、これをリードしていく気がします。

そのとき日本はなにをすればいいか。これは私個人の夢にも近い意見ですが、自国の利益だけに走らず、コスモポリタンとして世界に意見を発していく国でありたい。

日本は「江戸」というサスティナブルな社会を持っていました。薪、ロウソク、菜種油などを利用して、究極の循環型社会を形成していた。そんな時代を250年も続け、高度な文明も築いていたのです。その知恵を活かしながら世界の食糧事情や温暖化を考え、どう対処したらいいかを世界にアピールしたい。江戸文化をもっと誇り、新しい江戸型循環社会のモデルを、日本が示していければいいと願っています。



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