水の生活意識調査で13年間続いている「水道水の10点満点評価」では、常に点数が高い中京圏。その真相を探ってみた。また、東京圏、大阪圏でも徐々に評価が上がりつつある水道水だが、その背景に何があるのだろうか?
編集部
水の生活意識調査で13年間続いている「水道水の10点満点評価」では、東京圏、大阪圏に比べて、中京圏は一貫して点数が高い。タイトルでは名古屋としたが、実際には岐阜県、愛知県、三重県が対象。
水道水は、自分が住んでいる地域のものしか知らないことが普通。他地域と比べてみるわけでもないのに、10点満点の評価で中京圏の点数がいつも高い、というのも不思議な気がする。
そこで、東京圏、大阪圏、中京圏がそれぞれタップウォーターを市販しているので、編集部で利き水会を開き、味わってみることにした。
東京は「東京水」、大阪は「ほんまや」、名古屋は「名水」で、ボトルのデザインも県民性を反映しているようだ。「名水」は名古屋の水と名水をかけてシャレているのである。以前はペットボトルも販売していたが、災害用備蓄飲料水として保存期間を長くするためにボトル缶となっている。
利き水を行なう前に、後ほどご登場いただくサントリー(株)健康科学センター所長の平島隆行さんに、正しいやり方について指導を仰いだ。平島さんは世界各地の水を飲み歩いた人。いわば水の味の違いがわかる男だ。
まず官能検査には種類があって、
【識別型官能検査】
・工場で毎日つくっている製品が問題なくできているか
・お客様から何かいつもと違う味だとかご指摘があった場合に確認のため実施
【嗜好型官能検査】
・新規の水源を調査し、商品に向いているかどうかを判断する場合
・他社の製品と自社製品との味の違いを表現する場合
の2つに大別できるという。
特に識別型官能検査の場合は、特別な味、匂いがわかる能力保持者があたるという。
他の匂いに影響されない部屋や空気の流れ、といった細かい環境設定が求められると知り、我々には荷が重いと緊張したが、今回はまったくの素人集団による水道水の飲み比べなので、緩い基準の下、試してみることになった。
もし、ミネラルウォーターなどと比べてしまうと、塩素臭の有無で水道水がかなり不利になるので、比較対象は設けないこと、水温は普通飲むときの温度=蛇口から出てきた温度にそろえること、といった程度のアドバイスを反映させて実施することに。紙コップだとそれ自体の臭いに左右されるので、せめてガラスコップを用意することにする。
官能コメントに関しては、
・臭いのコメント(カビ臭、鉱物臭など)
・ミネラル感(硬いか軟らかいか、塩味の有無
・苦味、渋み、酸味のバランス
をそれぞれで比較し、総合判断でおいしさの点数をつけるというが、果たしてそこまでわかるのかどうか。はなはだ、心もとない。
ガラスコップを用意し、常温の「東京水」、「ほんまや」、「名水」を注ぐ。一同、神妙な面持ちで水を口に含むのだが。
「臭いがきつい」
「塩素臭いな」
「これは、後味が悪いな」
とそれぞれが感想を洩らす。結局、細やかな官能コメントは無理、ということになり、「硬いか軟らかいか」「臭い(塩素臭?)の強さ」を各自が感じたままに述べ、おいしい順に評価をすることになった。そのあとで、どれがどこの水道水かを当てることに。
8人が挑戦し、正解者は2人。一番臭いがきつく、硬く感じられた水が「ほんまや」。臭いは薄いが後味に嫌な雑味が残るのが「名水」で、名古屋の水はおいしいという先入観が打ち破られる結果になった。
この時点では、一番評価が高かったのは「東京水」で、「名水」がまずく感じたのはボトル缶臭であるということで落ち着いた。
この判定結果は、後ほど平島さんのところでまったく覆ってしまうのだが、この時点では、利き水会を実施したという達成感で満たされている編集部であった。
ところで名古屋の人は、各地の水道水を飲み比べたわけでもないはずなのに、10点満点の評価で常に高得点をつけるのは、なぜなのか。
その理由を、<県民性評論家>として『名古屋学』(新潮社2000)などを著す、(株)エディットハウス代表の岩中祥史さんに、掘り起こしていただいた。
ご本人は人生でもっとも多感な時期を名古屋で過ごしている。名古屋を離れたことで気づいた、名古屋(人)の長所・欠点を独特の視点で論じ、ときには辛口のコメントを口にしながらも、名古屋と名古屋人に対しては深い愛情を持っている人だ。
岩中さんに、水の生活意識調査の結果を見ていただいた。
「アンケート結果に触れる前に、県民性から性格判断をするということに拒否反応を抱く人もいるでしょうから、私が県民性の違いを論じる理由をご説明します」
と岩中さん。まずは、生まれ育った場所の自然環境から受ける影響を語った。
「大海原に開けて、太陽がさんさんと照る場所と、日も差さず交通の便が悪い山あいとでは、人間に与える影響は違うはずです」
次に、後天的な社会環境。
「徳島ののんびりした田舎に蜂須賀小六が名古屋からやって来たせいで、人々は今までの生き方を変えなければなりませんでした。しかし、名古屋流の勤勉さを身につけたお蔭で、今では四国の中でも一番貯蓄高が多い県です」
最後に食に代表される生活環境。
「沖縄は男女ともに長寿県でしたが、アメリカ式の食生活が浸透したせいで、一気に平均寿命が短くなってしまいました。お年寄りが減れば、それまで維持されてきた敬老精神が途絶えることになるかもしれません」
と、このように自然・社会・生活といった環境は、人間の性格や気質の形成に深い影響を与えているはず、と言うのだ。
「そこでいよいよ名古屋の話です。戦国時代から江戸時代にかけて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下取りを目指した殿様は、すべて愛知県から出ています。そして蜂須賀小六に限らず、日本の少なくとも6割は尾張、三河出身の殿様が支配することにになったのです。昔から名古屋スタンダードとされている堅実さは、実を言うと、こうした尾張、三河出身の殿様を通じて全国に広まっていったんです」
岩中さんは、それが今に至って、銀行や国を頼らない堅実さにも結びついている、と言う。
また、戦国時代の下剋上を目の当たりにし、庶民は「今がどんなに良くても、明日はどうなるかわからない」と肝に銘じるようになる。そこで、自衛手段として「目立ってはいけない」という価値観が浸透した。
「名古屋の人は水道水だって、心の底では9点とか10点とかつけたいと思っているんです。それは単なる郷土愛ではなく、本当においしいと思って飲んでいると思います。でも、そんな高得点をつけたら目立ってしまう。8点でもまだ『でしゃばりかな』と思うのが名古屋人。だから7点、というのは私には痛いほど理解できます」
大阪に関しては、同じ論理で逆な評価が表れたのでは、と言う。
「大阪の水は水源が悪いために、本当にまずかった。今は良くなったけれど、平成ヒトケタ時代は特にまずいと言われました。10点満点でいったら3点がいいところ。でも、東京に負けたくないから5点かな、という感じじゃないでしょうか。さすがに7点では図々しすぎるでしょう」
そういう意味では、東京が一番正直なのかも、と岩中さん。
「東京の人は、東京=日本だと思っているから、ローカリティーが稀薄なんです。他の地域のことなんか、まったく気にしていないと思いますよ」
大阪は目立ちたがりでサービス精神が旺盛、名古屋は他所からどう見られるかを気にする、東京はローカリティーが稀薄。そんな県民性の評価も、あながち間違ってはいない気がする。そして、水道水の評価結果も、岩中さんの説を反映しているようにみえる。
「実際に名古屋の水道局は頑張っていますよ。江戸時代の初めまでは水害も多く苦労しましたが、その分土地は肥えています。だから基本的に豊かな土地柄なんですね。尾張の殿様は、年貢も厳しく取り立てなかったし。慎ましやかで自慢しないところは、そんな背景があって育ってきたんでしょうね」
名古屋の人の控えめな県民性を語りつつ、「でも名古屋の水がおいしいのは本当だ、10点満点をつけてもおかしくない」そう言う岩中さんの説は、なかなか面白い。
サントリー(株)健康科学センターに平島さんを訪ねた。ここはサントリーが国産初のウィスキー蒸溜所をつくった山崎のすぐそばにある。敏感な舌の持ち主である平島さんに「東京水」、「ほんまや」、「名水」を手土産に持参し、味わっていただくことにした。
サントリー(株)水科学研究所所長兼R&D推進部部長で理学博士の樋口直樹さんとサントリー(株)水科学研究所主任研究員の河野浩さんも同席してくれた。
試飲後の開口一番、
「容器由来の臭いや味がきてますね」
「容器の材質選択や充填時の温度管理に問題があるようです」
とのこと。このペットボトルやボトル缶で水道水を評価したら、水道局の努力が無駄になって気の毒だ、という。
「水道局もこうした製品でウォータービジネスの世界に進出されたつもりかもしれませんが、味の評価でかえって逆効果になっているかもしれませんね」
つまりペットボトルの材質の選定や、充填方法などに課題が残り、記載してはいけない採水地が明記されていたり、商いとしてはまだまだというのが正直なところだそうだ。
しかし、驚いたのはこのあとの評価で、これほどきつい臭いを差し引いて、水としての本質を判定している。
さすがはプロ。
「軟らかくて、悪くない水ですよ」という言葉に、思わず
「こんなに塩素が入っているのに、水の味がわかるんですか」と聞くと、
「塩素は入っていませんよ」と言われてしまった。
それではあの利き水会のときの会話は、一体何だったのだろうか、編集部一同、大変なショックを受ける。
「ペット詰め飲料で残留塩素は認められていませんから、この化学的な臭いは容器から出ているものです。これらを改良すれば、もっとおいしく飲める水道水を売り出せるはずです」
と平島さん。
水道局がミネラルウォーターのビジネス上のライバルとなるには、もう少し時間がかかりそうである。
1957年(昭和32)に制定された水道法は、衛生や安全を第一とした水質基準を定めたために、水のおいしさについては言及してこなかった。
しかし近年は、消費者が質の高い水道水を求めるようになったため、水質基準を補完するものとして、当時の厚生省はまず、色や臭い、濁り、味覚などに関する「快適水質項目」と将来的な懸念を監視していく「監視項目」を設け、それぞれに目標値を定めた。水の味が大きく取り上げられるようになると、厚生省の「おいしい水研究会」は<おいしい水の要件>を発表。さまざまな場面で水道水の指針として使われるようになったのである。
2004年(平成16)の改正では、これを一歩進めて、27項目の「水質管理目標設定項目」と40項目の「要検討項目」が導入され、水道水の味への追及はいっそう深まっている。
「東京圏の水道水といっても水源はさまざまで利根川水系、荒川水系、多摩川水系のほか、杉並区などでは井戸水も利用していますから、一言で東京圏の水道水うんぬんということは言えません」
と河野さん。要は「原水が良ければ塩素も低く抑えることができるので、おいしい水道水もある」というのは意外な話だった。
しかし、汚染が進んだ多くの原水に対処するため、厚生省では1988年(昭和63)に「高度浄水施設導入ガイドライン」を作成。高度処理施設に対して国庫補助制度を発足させた。
高度浄水を行なうことで、通常の急速濾過(沈澱や濾過、消毒)では充分に対応できないカビ臭やカルキ臭の原因を取り除き、トリハロメタンのもととなる物質などを減少させることができる。
東京都の金町浄水場では1992年度(平成4)から、朝霞浄水場では2004年度(平成16)から、大阪市の柴島浄水場下系では1998年(平成10)から、庭窪浄水場系では1999年(平成11)から、柴島浄水場上系と豊野浄水場系では2000年(平成12)から高度浄水処理を開始している。水の生活意識調査の評価が上がり始めたのも、高度浄水処理の開始と無関係ではあるまい。
では高度浄水処理は万能なのだろうか。
「決してそうではない」と河野さんは言う。
実は名古屋の水道水には、おいしい理由があったのだ。
「名古屋の水道水は、実際に高い評価を受けています。その理由の第一は、主な水源である木曽川がきれいなことが挙げられます。
また、名古屋市水道局は良質な原水確保のために下水道の整備や水源地の環境保全にも積極的に取り組んでいます。
そして、今でも緩速濾過設備が活躍しています」
砂を使った緩速濾過は、微生物が汚染原因を分解するので、薬剤を使う必要がない。つまり、まずくならないというのだ。
「原水が良ければ緩速濾過でやりたいところですが、これは大変時間がかかり、広大な敷地を必要とします。したがって東京や大阪のように人口が多い地域、また取水する原水が悪いところでは緩速濾過は難しいかもしれません」
水道水を対象に考えられた<おいしい水の要件>は天然水には当てはまらない、と言う河野さん。
「例えば硬度に関していえば、嗜好に変化が見られ、日本人も硬度の高い水を好んで飲むようになったから、一概に軟水がいいとは言えない状況になっています」
また<おいしい水の要件>によれば、冷やして飲めばおいしく感じるわけだから、集合住宅の貯水タンクに溜まってぬるくなった水などは、別の意味での問題であって、それまでを水道水の責任と見てしまうのも誤りだ。
ちなみにサントリーでは硬度100までを軟水、100から300を中硬水、300以上を硬水と定めているが、一般的には軟水と思われている水道水の硬度も、例えば沖縄県のように、所によっては200、300を越える地域もある。
「要は慣れるとおいしいと感じてくるんです。ブラインドテストで水道水を飲んでもらったところ、日頃飲んでいる水道水の評価が高かったという結果もあります」
こうした数値に表しにくい水の本当のおいしさは、どう定義したらいいのだろう。河野さんも、今までは数値化しやすい物性分析が先行していたが、専門テイスターによるテイスティングと味覚センサーによる分析も合わせて総合評価する必要性を感じているという。
「天然水醸造をやってから、小売店さんや消費者の方々に、天然水とは何か、を説明する機会が多くなりました」
サントリーでは2005年から「水と生きる」をコーポレートメッセージとして掲げ、それと連動してすべてのビールを天然水醸造に切り替えた。そのため、今まで以上に水に対する説明が求められているというのだ。水への意識がかつてないほど高まっていることの表れといっていいだろう。
工場で行なわれる従来の官能検査は識別型で、異味、異臭がないかどうか、加温して確認する。しかし水科学研究所では「おいしい水とは何か」という問いに答えるためにも、識別型、嗜好型に加え、新たに評価型の尺度づくりを作成中である。専門テイスターによるテイスティングの際に用いられる官能コメントを整理統合し、水の味を表現する共通言語づくりを進めているそうだ。
最後に世界の水を飲んできた平島さんから、驚かされる発言があった。海外で塩素臭がすると、ある意味ホッとするというのだ。
「衛生状態の良い地域だけではありませんから、水を飲むというのはどこかで危険と背中合わせなのです。そういう地域に行って飲もうか飲むまいか迷って鼻を近づけたとき、塩素臭がするとホッとします」
ヨーロッパには蛇口から出る段階で塩素が残らない程度に量を抑えてある国もあり、それは国ごとの考え方であるという。しかし、発展途上国などでは危険を伴うこともあり、水と接するときにはボトルドウォーターを選ぶようにしてほしい、と言う。
「重金属などは続けて飲まなければ、たいがい平気。でも大腸菌やアメーバによる下痢などは命にかかわることもあります。生水には注意しなければなりません」
安全な水を豊富に使うことが許される日本。その上、味にこだわることができるのは、とても幸せなことだ。しかし、その味も安全性も、良質な原水が手に入ってかなえられることだ。名古屋の水道水が実際においしいという理由を忘れずに、これから水の生活意識調査の10点満点評価で高得点記録を伸ばしてほしいものだ。