変化する川 自由な川が美しい
川が本来有している自然の営みや、地域住民の生活、歴史、文化にも配慮した「多自然川づくり」が、少しずつ進んでいる。「20年以上この活動をしてきて、いい事例も増えてきた。農村部だけじゃなく、都会でも里川づくりが可能なんです」国土交通省の技官時代から多自然川づくりに携わっている島谷さんが、多自然川づくりの課題と希望を語ってくれた。
九州大学大学院教授
島谷 幸宏 (しまたに ゆきひろ)さん
1955年生まれ。1980年九州大学大学院工学研究科修士課程修了。旧建設省入省後、建設省土木研究所に境研究室長を経て現職。専門は河川工学、河川環境。て河川研究に携わる。国土交通省土木研究所河川環1955年生まれ。1980年九州大学大学院工学研究科修 主な著書に、『水辺空間の魅力と創造』(共著 鹿島出版会1987)、『河川風景デザイン』(山海堂1994)、『河川環境の保全と復元ー多自然型川作りの実際』(鹿島出版会2000)他。
これが今の私のテーマです。4年前まで、私は国土交通省で「多自然型川づくり」に携わっていました。河川が持っている自然の営みや、流域に暮らす人の歴史や文化に配慮しながら河川環境をつくる、あるいは保全する活動です。
今は、九州大学で学生たちと一緒に自然の川に再生したり、よりよい河川環境や社会環境を考えたりしています。
つい先日、大学院1年の学生たちに、こんな質問をしてみました。
「アトムの町とトトロの町、どっちがいいと思う?」
大半の学生が選んだのは、「アトムの町」と「トトロの町」が共生する町でした。その理由は、こんな声に代表されています。
「両方好きだけど、トトロの町ではアトムの町をつくれない。でも、アトムの町ならトトロの森もつくれるから」
要するに、文明が進んだアトムの町にトトロの町を内包するのがいい、という意見。
面白いでしょう?
今の大学生は、小学校時代に「トトロの森」を映画『となりのトトロ』で見た世代なんです。トトロが住む自然が大好きだけど、アトムがいる文明社会も捨てきれない。だから「アトムとトトロを共存させる」という考え、なかなかいいよね。
私と同世代の人たちは、子供のころ「アトムの町」に憧れていたと思うんです。そして実際、その通りの工業社会になっていった。
町って、その時代の若者が目指す姿になっていくんです。だから、「多様な生物や植物が共存する自然環境がいい」「川も自然の形に戻ったほうがいい」と思う若者が増えれば、きっとそういう姿になると思います。
現に、川の再生も少しずつ進んできました。その経緯や方法、具体例を紹介しながら、日本の川の未来について話を進めていきたいと思います。
国土交通省のモデル事業として「多自然型川づくり」が始まったのは、1990年のことでした。
戦後からここに至るまで、川づくりでまず取り組んだのは、工業化による公害で汚れた川の「水質改善」です。1970年ごろになると「親水」という考えが登場し、次いで「景観」、「自然」とキーワードが移ってきました。
水害を防止する対策を講じながら、川を自然な形に戻そうという動きが出てきたわけです。中心になって活動したのは、技術者でもあった関正和さんです。関さんは1994年に他界されたんですが、生前こう言っていらした。
「日本には多様な川があるから、その川の個性を生かした川づくりをしたい。多様な自然、多様な生物がいるから『多自然川』なんだ」
90年代の初めは「規格」通りの川づくりが主流でしたから、関さんの考えは異端でもありました。
「日本の川は洪水時の水量が多く、河床勾配もきつい。植物育成のスピードも速いので、自然の川づくりなどしたら、薮だらけになってしまう」
当時はそんな意見が大勢を占めていたんです。「多自然型川づくり」の中心的な人たちも、本当に実現できるかどうかわからず、その分野の先進国スイスへ勉強に行くことから始めました。
そこから17年経った今、「多自然型川づくり」は名称から「型」の文字を削り、「多自然川づくり」となって続いています。「型」がついていると、日本人はついモデルケース通りにマニュアル化しがちなので取り外したのです。
多自然川づくりのスタート時に若者だった人々は、今50代になって次世代に発破をかけてます。この前、岩手県の技術者の方が部下を連れて私を訪ねてきたんですが、その場で部下たちにこう言うんです。
「お前たち、もうちょっと頑張れ。土木屋はものを残してなんぼや。お前たちの息子に誇れるような川づくりをしてみろよ!」
熱いんですよ、おじさん世代が。
私はもう国土交通省を離れていますが、河川局でつくっている多自然川づくりの研究会で座長をしているので、頑張っている人たちにたくさん会えるんです。
先日は、埼玉県の土木課の人が、柳瀬川地域の住民の人と訪ねてきました。話を聞いてみると、「里川がほしい」という住民の意識はすごく高い。行政も乗り気なのに、実際は思うようには進んでいないようです。
理由はいくつかあります。技術の問題もあるんですが、公共事業が一般競争入札制に変ったことで、役所の人は今、非常に忙しい。
さっき言ったように、90年代の初めまでは、規格化した川づくりをしていましたよね。計算で求めた水量を流す定量化技術を、明治時代から100年以上続けてきたんです。だから、「川の個性に合わせて自由に川をつくる」方法も技術も失われてしまった。
江戸時代にはそういう技術があったんです。もともと日本が持っていた技術は、定量的なものじゃなく、定性的な技術だった。「この前の洪水で被害が出たから、今度はこうしよう」という考えで川を改修していました。防災ではなく、減災のための知恵と技術があったんです。
現在の多自然川づくりも、防災から減災へ重きを置くようになったので、昔の人の知恵や技術を掘り起こすことも大事な作業になっています。古来の技術はだいぶ失われていますが、それを発掘して、これからの川づくりに活かすことが、今の課題ですね。
多自然川づくりの実例として、宮崎県の高千穂にある山附(やまつき)川を紹介しましょう。
この川は昨年大きな水害に見舞われ、私は国土交通省から派遣された「災害アドバイザー」として、川の復旧・改修に参加しました。災害アドバイザー制度は、河川改修にあまり予算がとれないけれど、被災地の復旧事業だけはきっちりしようということで一昨年できたんです。
大きな水害が起きるのは、平均して年に7、8カ所ぐらいでしょうか。その現場に出かけて、地元の河川技術者の人や川好きな人と議論しながら提案していくのがアドバイザーの役割です。
山附川では、まず上流から下流まで全部歩いて、インスタント写真を撮りながら、改修後の全体像を考えていきました。今までの河川改修は、「川の上流の流れを速め、水を速く下流に流す」という発想だったんですが、それが下流域に洪水を発生させる結果につながっていた。
そこで発想を逆にして、上流を広げ、流れをゆったりさせることにしました。洪水で川が広がったということは、もともとこの川が広がろうとしていた、と考えて、こんなアドバイスをしたんです。
「最上流部の広い空間と樹林は残したほうがいい」
「川の中にある巨石は取り除かず、自然にできた落差を残すほうがいい。必要に応じて根巻(大きな石を護岸で取巻くこと)で補強しなさい」
「護岸線は直線に変えず、柔らか味のある曲線的施工にする。植物が植生しやすいよう、深目地で施工し、周辺環境に馴染ませなさい」
「低い土地にある田んぼは、維持するのが大変だから、その土地を買って川を広げたほうがいいのでは」
私のアドバイスは、現在の川状況を尊重して安全性を高めることに加え、地域の人が慣れ親しんできた風景を極力残すためのものです。でも、失礼ながら本音を言えば、「提案の半分でも実現できればいいかな。それでも充分いい川になるだろう」と思っていました。
ところが驚いたことに、私のアドバイスを全部受け入れて、改修が進んでいるんです。石積みの護岸も、土を詰めてコンクリートが見えないよう工夫している。さすが神話の里・高千穂だな、と思いましたね。
実はこの川、最初はがちがちに護岸を固める方針が示されていたんです。でも改修に関わる技術者の人たちは、私の提案を聞いて「面白い」と思ってくれたんじゃないかな。
次に大きな洪水に見舞われたときにどうなるか、その検証はまだ先のことですが、「減災を考えた里川づくりは可能だ」という感触は得ています。実際に災害が起きた川だけでなく、こうした改修を全国規模で展開できたらいいですね。
河川だけでなく、海岸でも新しい試みが始まっています。私自身感動したのが青森県の木野部(きのっぷ)海岸の事例。この地方の伝統的防波工法である「置磯工(おきいそこう)」を復活させました。自然の石を沖にたくさん置いて、海岸浸食を防ぐ仕組みを使って、海岸の景観を守りながら防災を実現したんです。
これまでの防波対策は、コンクリートの波消しブロックを置くのが普通だったでしょ。でも、昔ながらの置磯工のほうが、ずっと美しい。この海岸改修は、今年度の土木学会デザイン賞に輝きました。
こういう素敵な例ができると、「あ、こういう方法もありなんだ。試してみよう」という地域が増えると思います。逆に言うと、人間の想像力って意外と貧困だから、実際に良い事例を見ないと、イメージが湧かないんですよ。
私自身もそう。以前、霞ヶ浦の湖岸帯再生プロジェクトに工学者としてかかわった体験があるんですが、初めはノーアイデアでした。現場に行ってコンクリートの護岸を眺めても、改修後のイメージが浮かばない。霞ヶ浦の湖岸に自然が戻った姿を想像できなかったのです。そこで、中国の巣湖(チャオフー)を見学に行きました。
そうしたら、学生のころに教科書で見たような湖岸の風景が、目の前に広がっていたんです。岸辺には柳の木、その内側には蒲や水草の地帯が1km以上続いていて、水辺には水牛もいる。
「ああ、これが湖の自然な姿だったんだ」
と感動したとたん、霞ヶ浦の問題点がわかったんです。
霞ヶ浦も元は緩やかな湖岸だったのに、湖にせり出す形に道路がつくられていたため、その下を波が深く削ってしまっていた。そこを改修すればいいんだ、と思ったんです。
でも、道路自体をなくすことはできなかったので、道路から水際までを、なだらかな勾配に改修しました。
ちなみに理想的な勾配の角度は、粒径の大きさによって変ってきます。土の粒が粗ければ、多少急勾配でも、湖岸を維持できる。それを計算して実行したんです。
これと同じような改修は、スイスのボーデン湖などでも行なわれていました。そのことは私も知っていたし、写真では見ていたんですが、自分の目で理想形を見ないとなかなか想像できないものなんです。
次は多自然川に戻って、神奈川県横浜市の住宅街を流れている、和泉川の事例をお話しします。
多自然川づくりを開始して以来、農村地帯なら実現できる手ごたえは感じていましたが、「都会の川でもできるんだ」という好例が和泉川です。
これを実現させた中心人物は、横浜市の職員だった吉村伸一さん。今から20年ほど前、国土交通省に勤めていた私は、吉村さんと一緒に和泉川の視察に行きました。
「島谷さん、この川は20年後にすごくよくなりますよ」
吉村さんにそう言われたとき、私は半信半疑でした。
「へっ? コンクリートでがっしり護岸されたこの川を、どうやって再生するんだろう?」
そう思ったものですが、吉村さんたちは見事にやってのけたんです。しかも、やり方もすごかった。『横浜市民の森条例』を制定し、和泉川流域の土地を徐々に買い上げて、豊かな自然が楽しめる川にしたんです。
その労力もさることながら、吉村さんの想像力にも感服します。自然の姿からはほど遠い形になっていた川を見ただけで、理想的な姿をイメージできたんですから。
吉村さんの試みを踏襲すれば、東京にも里川はできます。可能性が大きいのは神田川です。
この前、災害アドバイザーの仕事で、神田川流域を隈なく歩きました。
現状では排水溝のようにコンクリートで固めてあるので、自然な川にするには5倍ぐらい川を広げる必要があるけれど、いい川ができると思う。
「東京には土地がない」と言って反対する人がいるかもしれないけれど、土地はあるんです。あの川の周辺って公園がいっぱいあるじゃないですか。それを利用して、川を蛇行させるといい。
今、東京都は水辺と公園を別々に整備していますが、一緒に改修すれば和泉川のような川ができると思います。神田川の上流にある井の頭公園や善福寺公園には、湧水があるんです。元来、水はすごくきれいな川だから、戻せると思います。
もともと戦災復興時には、神田川沿岸を緑地にする計画だったし、御茶ノ水辺りにはその名残があります。今からだって、都民が本当に望めば、絶対できるはずです。
「美しい川」と言われてイメージする川の姿は、人によって違うことでしょう。私がつくりたいと思っている「美しい川」は、「変化する川」です。最初に言った「自由」ともつながるんですが、自然環境に即して自由に変る川の姿こそ美しい、と思っています。
九州大学の学生たちが、九州大学の樋口先生と、そんな川づくりの楽しさを体験しました。福岡の遠賀(おんが)川からコンクリート護岸を撤去し、微妙な起伏をつけて美しい水際を形づくったのです。しばらくすると水際の芝生が削れたり、泥が溜まったりしてくるので、地元の人は心配してこう言うわけ。
「先生、一生懸命つくった川が変わっちゃってる」
私の答えはこれです。
「やっと川が自由になれたってことなんだ。自分で変われるようになったことが素晴らしいんだよ。自由に変われることが美しいんじゃない?」
こう言うと、住民も安心してくれます。かつての炭鉱地帯を流れる遠賀川は、一時期水も真っ黒に汚れていたんですが、それが甦って鳥も戻ってきました。住民の人たちも参加して、ここまで変えられたんです。
自然の川辺の楽しみは、何といっても散歩につきますよね。アンケートの結果にもそれが表れているし、私たちが行なった現地調査でも、朝夕、川辺を歩いている年配者がすごく多かった。
「あの花がまた咲いたね」とか、「夏が過ぎてハゼ釣りの人が増えたね」とか言いながら、季節の移り変わりを楽しめるのが日本のいいところですね。
でも日本人て、川そのものの変化は好まない。ものの形が変るのは気持ち悪いんですね。でも、本当は川も変化していくのが自然。これから「変化する川が美しい」っていう美意識を、もっと広げていくのも私の役目ですね。
一緒に川づくりをした学生たちは、すごく喜んでます。
「こんなことができるとは思ってもいませんでした」って、みんな感動してくれる。
「僕は福岡市の職員試験を受けようと思うんですが、都市河川でも遠賀川でやったような多自然川づくりができますかね?」
こう言ってきた学生がいたから、横浜の和泉川の例を話したんです。
「横浜市の職員がこれを考えて実現したんだから、都市河川でもできるんだよ」って。
うちの研究室の学生たちを見ていると、将来に希望が持てますね。去年は、こんなことを言った学生もいました。
「就職活動で里川づくりができるところを探したんですが、それを専門にできる組織はどこにもなかったです。だから僕が就職して社会を変えていく覚悟を決めました」
なかなか素敵でしょ、この決意。実際、参加したり良い事例を見ることで、人間の意識って変わるんです。10年ぐらい前も、栃木県の河川技術者の人から、うれしい言葉を聞きました。
「俺は今まで真っ白い護岸工事にかかわってきて、それがきれいだと思ってたんです。でも、川岸が緑で覆われてる多自然川を見たら、やっぱりこっちが自然だし、美しい川ってこれなんだなって実感しました」
そうなんですよ。うちの学生や栃木の技術者の感動を、日本中のみんなにも伝えていかなくちゃね。
「もっとも自然が残っていると考える日本の川」は、11年連続で四万十川がトップですね。私たちも昔「清流のイメージの川」というアンケート調査をしたら、どの地方でも1位は四万十川でした。
私が考える清流とは、単に水がきれいなだけじゃない。地域の文化や風景も含めて素晴らしい川のことなんです。四万十川は、その意味でも清流だと思います。沈下橋があり、鮎釣りの伝統があって、地域の人たちにも親しまれている。そのうえ全国的にも宣伝が行き届いているから、1位になるのは当然ですね。
だから逆に、1位だけ見ても仕方ない。問題は2位。ここに地元の川が選ばれていれば、その地域にはまだ清流があると私は考えます。この調査では長良川や木曽川、信濃川など全国的に知名度の高い川が上位を占めているので、その辺りがちょっとわからないですね。
そこで「里川と思う川」の地域別集計を見てみると、四万十川が1位になったのは大阪圏だけ。中京圏の里川ナンバー1は木曽川だし、東京圏は多摩川が1位に輝いているじゃないですか。東京は捨てたものじゃない。
だけど、「水の都と思う都市」を聞くと、大阪の人は地元を選ぶのに、東京の人は選んでいない。この調査では、東京が情けないですね。よその都市から移り住んできた人が多いからでしょうか。
でも、私も東京には不満を感じています。全国を回りましたけど、東京が一番ローカリティーが乏しいんです。
東京って、従来はローカルな楽しみがたくさんあった都だと思います。江戸時代は水の都だったし、川を中心とした地方文化が栄えたところだったと思う。
東京では1964年にオリンピックが開催されましたが、そのために自然がずいぶん破壊されちゃったんですよね。もう一度東京にオリンピックを誘致する計画があるらしいけど、それなら以前のオリンピックで壊した自然を回復するための大会を標榜したらいいんじゃないかな。
都心に流れる川を、里川に戻してほしい。それが実現できれば面白いし、世界の注目も集めると思いますね。