機関誌『水の文化』65号
船乗りたちの水意識

船乗りたちの水意識
共生

海から得る感覚と共存への道
──伝統航海カヌー「ホクレア」から学んだこと

かつて地球上の海を巡った伝統的な船では、「飲料水(真水)」をどう扱っていたのか。また、何を指標に航海していたのか。ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」のクルーとして歴史的な「ハワイ―日本」の航海も経験した内野加奈子さんに、海上生活やそこから感じたものについてお聞きした。

ハワイの伝統カヌー「ホクレア」。帆に風を受けて進む ©Kanako Uchino

ハワイの伝統カヌー「ホクレア」。帆に風を受けて進む ©Kanako Uchino

内野加奈子

インタビュー
「海の学校」代表
NPO法人土佐山アカデミー理事
内野加奈子(うちの かなこ)さん

東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、ハワイ大学大学院に留学。海洋学を学びつつ、人と自然の関わりをテーマに写真・執筆活動に携わる。伝統航海術師マウ・ピアイルグ、ナイノア・トンプソンに師事し、星や波など自然を読み航海する伝統航海カヌー「ホクレア」の日本人初クルーとして数多くの航海に参加。海の学校、土佐山アカデミー他、日米にて学びの場づくりにも従事。著書『ホクレア 星が教えてくれる道』(小学館)は高校教科書採録。ほかに絵本『星と海と旅するカヌー』『サンゴの海のひみつ』(ともにきみどり工房)など。

人生を決めたホクレアとの出合い

ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」をご存じでしょうか?

まだ海図もコンパスもなかった時代、ポリネシアやミクロネシアの先住民たちは、太陽や月、星などが水平線から昇る位置や沈む位置を目印に方角を読み、大海原をカヌーで航海していました。この「星の航海術」とも呼ばれる伝統文化は、ハワイでは数百年の間、失われていたのですが、それを復興するため、1975年(昭和50)に建造されたのが「ホクレア」です。

ホクレアは全長20mほど、エンジンはなく、帆が受ける風を動力にして進みます。古代カヌーにならい、船体には釘が1本も使われていません。すべてのパーツはロープで縛って組み上げられ、釘を使わないことで波をしなやかに受けることができます。

そもそも、私がホクレアにかかわるようになったのは、学生時代に友人が貸してくれた『星の航海師』という本を通じてホクレアの存在を知ったのがきっかけです。伝統航海術の世界に惹き込まれ、ハワイ大学の大学院に進学しようと決めたのです。

ハワイ大学では海洋学を学びながら、州立の海洋生物研究所でサンゴの調査をしていました。ホクレアの活動にはそれ以外の時間にボランティアとして携わりました。オアフ島にはホクレアが停泊する拠点があり、ホクレアが航海から戻ると次の航海までの間に船体の解体や修繕、組み立てなどの作業に参加できたのですが、たくさんのボランティアやホクレアのクルーたちと一緒に作業する時間はとても刺激的でした。

ミクロネシアのサタワル島に住む伝統航海術師、マウ・ピアイルグ(注)のもとに伝統航海術の勉強にも行きました。当時の私にはそれだけでも十分な経験だったのですが、彼らと接するうちにより深くホクレアにかかわるようになり、日本人初のクルーとして実際に航海するようになりました。

(注)マウ・ピアイルグ
ミクロネシア伝統航海術の知識と技術をもつ数少ない人物。ホクレアの航海術師の一人であるナイノア・トンプソンにその航法を伝え、ポリネシア伝統文化の復興を支えた。2010年逝去。

「ホクレア」は20mほどの2つのカヌーをデッキでつないだ構造。釘は1本も使っていない ©Kanako Uchino

「ホクレア」は20mほどの2つのカヌーをデッキでつないだ構造。釘は1本も使っていない ©Kanako Uchino

航海中における真水の重要性

これまでホクレアで多くの航海を経験してきました。2007年(平成19)1月には、ハワイからミクロネシアを経由して日本を目指す約1万3000kmの航海に参加し、同年4月に沖縄に到着してホクレアで日本各地を巡りました。

ホクレアは一度航海に出ると、長いときで20~30日ほど海の上に出っぱなしです。しかし、ホクレアはさほど大きな船ではありませんから、積み荷に限界があります。必要最低限の食料は積みますが、船上から魚を釣って食べたりもします。

生きるために絶対に必要なのは真水です。真水はポリタンクに入れて積み込みますが、水は1日1人当たり約3L×人数分×日数×1.5を目安に、航海が長引く可能性も考慮し多めに搭載します。水は積みすぎると重たいですが、一番減らせないものでもあるので、立ち寄る島ごとに補給します。

まだポリタンクがなかった時代は、水分補給用にココナッツの実を積み込んでいたそうです。

航海中の真水は、基本的に食事と飲み水にしか使いません。自分たちの体に入る分だけしかない大変貴重なものが真水です。食器や体を洗う、洗濯をする際の水などはすべて海水で賄います。ホクレアには電気がないのでシャワー設備もなく、体を洗うときは紐(ひも)の付いたバケツを海に投げ込んで海水を汲み上げ使います。

  • ホクレアの航海Map(2007年) 2007年1月にハワイ島西海岸を出航し、ミクロネシアを経由して同年4月に沖縄へ到着

    ホクレアの航海Map(2007年)
    2007年1月にハワイ島西海岸を出航し、ミクロネシアを経由して同年4月に沖縄へ到着

  • 出発に向けて作業する「ホクレア」のクルー ©Kanako Uchino

    出発に向けて作業する「ホクレア」のクルー ©Kanako Uchino

月や星とともに「波のうねり」を読む

航海中はクルーが1日に2回、4時間ずつ交代でナビゲーター(航海術師)の指示のもと舵をきります。航海のなかでもっとも気が抜けない時間です。

月や星が出ているときは、それを手がかりに方角を定めて舵を取りますが、曇っていて月や星が見えないとき、あるいは太陽が高く昇ってしまう日中は、「波のうねり」のパターンを読み解きながら慎重に舵取りします。

波のうねりは風によって生まれるのでもちろん変化します。しかし短時間で大きく変わるわけではなく、不規則に見えるようでも、一定のパターンを繰り返しながら少しずつ変化します。そのため、月や星が出ている間に波がどの方向から来ているのかを読みとって記憶しておくことで、日中はそれを頼りに方角を導き出すことができます。

とはいえ、波は必ずしも一方向とは限らず多方向から押し寄せます。それぞれの波がどの方向から来ているのかを探りながらの舵取りは、相当な集中力を必要とします。仮に方角がわからなくなってしまったら、次に太陽が沈むときに自分たちがどのくらい進路から外れているかを計算して調整していきます。

ただ、嵐に遭うと指標となるものがすべてなくなるので、自分たちがどこにいるのかまったくわからなくなる可能性があります。危険な状況ですが、嵐も自然の一部として受け入れ、無理やり逆らうようなことはしません。

海の上は人間ができることとできないことの区別がはっきりしています。変えられない部分まで変えようとしなくなるというか……。受け入れるところは受け入れたうえで、クルー一人ひとりが目の前のやるべき仕事に冷静に力を注ぎます。だから嵐が起きてもパニックに陥ることがない。ひどい嵐のさなかでも、安心感と静けさのなかにいるような不思議な感覚になります。

それはクルー同士の信頼感もあると思いますし、「海に対する信頼感」の表れでもあるのかもしれません。大きな嵐に遭遇した後でも、海が怖くなったことはないですね。

  • 波ひとつない、まるで鏡のように静かな海面 ©Kanako Uchino

    波ひとつない、まるで鏡のように静かな海面 ©Kanako Uchino

  • ハワイから日本に向かう航海中にくつろいだ表情を見せる内野加奈子さんと女性クルー ©Kanako Uchino

    ハワイから日本に向かう航海中にくつろいだ表情を見せる内野加奈子さんと女性クルー ©Kanako Uchino

  • 海の様子をじっと見つめる。太陽や月、星とともに、波のうねりも読み解いて舵を切る。右の人物はホクレアの航海術師、ナイノア・トンプソンさん ©Kanako Uchino

    海の様子をじっと見つめる。太陽や月、星とともに、波のうねりも読み解いて舵を切る。右の人物はホクレアの航海術師、ナイノア・トンプソンさん ©Kanako Uchino

  • ©Kanako Uchino

    ©Kanako Uchino

海でこそ開かれる人の鋭い感覚

海の上にいると、空や風など、普段の社会生活とは違う自然の微かな情報を敏感にキャッチしなければならないので、人間が本来もっている感覚が研ぎ澄まされます。五感をすべて使うことは、単純におもしろいです。

私は東京の出身ですが、都会にいるとさまざまな情報であふれ返っていますし、水や空気もあたりまえのようにある。意識的に思い出さなければ、自然に支えられて生きているということを忘れそうになります。

とはいえ、都会でホクレアに乗るときのような感覚で生活すると、情報量が多すぎてパンクしてしまいます。人間は都市で生きる一つのサバイバルスキルとして「感覚を閉じる」ことを覚えたのだと思います。

少なくとも、ホクレアに乗っているときは心身が活力にあふれ生きている感覚が強くなる――。それは都会と海を行き来する生活で実感しています。都会で五感を開ききるのは難しいですが、本来もっている感覚をすべて使うあり方は忘れずにいたいです。

日本の魅力に改めて気づかされたのもまた、ホクレアでの航海によってでした。

日本は6000以上の島々が連なってできた島国ですが、2007年の航海の際、海から入ってそうした日本ならではの特徴を体感することができました。文化もそうですが日本は自然環境、気候風土がほんとうに多様です。ハワイは8つの島からなるものの、自然環境という意味では似通った部分も多いです。でも日本は九州と北海道でまったく違う。この豊かさは日本が誇れる大切な資源ではないでしょうか。

ともに生きる重要性をホクレアから伝える

大海原を渡る航海というと、「冒険」というイメージがあるかもしれませんが、ホクレアは航海ばかりでなく、国連をはじめとする世界機関や地域コミュニティ、学校、研究機関などと連携しながら、これからの社会づくりに向けたさまざまな活動を行なっています。また、ホクレアをきっかけに、ニュージーランド、タヒチなど太平洋中の島々で20以上の航海カヌーが誕生し、各地で活発に活動しています。

ホクレアが次に計画しているのは、環太平洋航海です。アラスカからアメリカの西海岸、南米、タヒチ、オーストラリア、ニュージーランドを回りそこから北上して日本、ロシア、台湾まで約3年かけて太平洋をぐるりと回る航路です。次の航海では、生命の源でもある海で今何が起き、私たちの暮らしにどのように影響しているのかを発信しながら、具体的なアクションへとつなげていく予定です。

ハワイには「カヌーは島、島はカヌー」ということわざがあります。大きな意味では、私たちの暮らす「地球」も宇宙に浮かぶ「島」のような存在です。航海カヌーという限られた空間に最低限の水と食料を載せて大海原に出て、自然のサインを頼りに目的地を目指す。そうした航海が、地球とともに宇宙を旅する私たちが、この先どう舵をきるべきかを考える、一つのきっかけになればと思います。

日本では4年ほど前から、高校英語の教科書にホクレアのトピックが掲載されています。伝統航海を取り上げた絵本や、海や自然のしくみをテーマにした紙芝居なども、全国各地で地域のニーズに合わせたプログラムを展開するなかで生まれました。

自然は深く知れば知るほど、新たな世界を見せてくれます。秘密の扉を開いていくような驚きと発見の喜びを、子どもたちにも味わってもらえたらなと願っています。

日本は昔から自然災害が多く、「自然への畏れ」が文化のベースにあるような気がしています。一方で自然は多くの恵みを与えてくれるものでもあります。水や空気、食べもの、エネルギー、私たちの生命を支えるものはすべて自然が与えてくれています。海の上をホクレアのようなカヌーで航海していると、自分たちの生命が何に支えられているのかが、とてもはっきりします。街の暮らしでは、自分たちの生命を支えるものがどこから来るのか、そのつながりが見えにくいかもしれません。何かあったときに初めて、自分ではどうすることもできない環境に暮らしていると痛感することもあるかと思います。

自分たちの生命が何に支えられているのかを改めて振り返り、そのつながりを取り戻すこと。自分たちの水や食べもの、エネルギーがどれだけつながりの見えるところにあるのか。これからはそうしたことも、豊かさの一つの指標になるのではと感じています。

(2020年5月8日/リモートインタビュー)

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