機関誌『水の文化』28号
小水力の包蔵力(ポテンシャル)

水路を「共の論理」で運用する
水路をエネルギーの路へ

水路を「共の論理」で運用する

水路を「共の論理」で運用する

日本の風土に合った水利インフラとして千年以上にもわたる歴史を持っている水路。 日本には、大小合わせて40万kmものの農業用排水路が張り巡らされていますが、これらは食糧生産のために安定した水を給排水すると同時に、エネルギーを運ぶ路でもあります。 国民的資産である水路を「エネルギーを持続して使う」ための新たな社会的共通資本(Social Overhead Capital)とするためには、「信頼を生み出すような、人々のかかわり(社会関係資本:Social Capital)」、すなわち「共の論理」を育てることが不可欠です。

三野 徹さん

滋賀県立大学客員教授
京都大学名誉教授
三野 徹 (みつの とおる)さん

1943年生。京都大学農学部卒業後、同大学院修士課程修了。同大学農学部助手、助教授、岡山大学農学部助教授、教授、同大学環境理工学部教授を経て、1997年より京都大学大学院農学研究科教授、2007年定年退職、現職。専門は灌漑排水学、水環境工学。
主な著書に『地域環境水文学』(朝倉書店1999)、『灌漑排水(上)(下)』(養賢堂1986)他。

世界の水管理の潮流「社会的管理から経済的管理へ」

農業用水と水力エネルギーの関係をお話しする前に、イスラエルの水源であるガリラヤ湖(キンネレット湖)の例を話したいと思います。シリア、ヨルダンとの国境にあり、イスラエル最大の淡水湖です。この湖の水をポンプで汲み上げ、わずか数十年でシナイ半島にまで至るイスラエル全域を灌漑開発しました。紀元後すぐに国が消滅して以来、世界中に散らばっていたユダヤ人がいっせいに戻ることによって急増した人口を吸収したのが、この灌漑開発だったんです。これは1948年(昭和23)に独立したイスラエルのその後の発展にとって、歴史的に大きな意味を持つことになりました。

湖の集水域であるシリア領ゴラン高原を、イスラエルが占領したのが1967年(昭和42)の第三次中東戦争です。つまり中東紛争は、水を巡る争いという一面も持っていたのです。

したがって、中東紛争を抑えるためには、国境を越えた水の調整を避けては通れません。

シリアは今のところこの水を使っていませんが、自分の領土に降った雨をイスラエルに全部使われてしまうのは面白くないので権利を主張しています。

イスラエルはその水利用のための投資をして、インフラ建設を行ないました。そのために国家を挙げて水を守ろうとしてきましたが、最近方向が変わってきました。その調整を経済原理に任せようとしています。国家が管理するのではなくて、市場原理に任せようというのです。国と国が経済的に強く結びつけば、戦争をすることができなくなります。イスラエルはこれまで社会的に管理していたものを、経済的管理に切り替えようとしているのです。

市場原理に委ねることにより、経済合理的にいっそう水の利用効率を促進することになり、和平をもまた、実現しようとしています。社会実験として、中東和平の仲介者であるアメリカの研究者とイスラエルの研究者が中心となって進めています。

この「経済原理によって水利の調整を行なう」ことは、遠い国の話ではなく、日本でも県レベルで行なわれています。後でお話しする「琵琶湖総合開発」も、その出発点は「琵琶湖周辺地域が、湖の水を京阪神地域に供給する代わりに水源地域が経済的見返りを得る」ことでした。

ガリラヤ湖でも、琵琶湖総合開発と同じように湖沼をダム化して、ヨルダン川と地中海沿岸流域へ水を流す管理をしています。しかし、ややもすると自然の供給量以上に水を使いすぎ、ヨルダン川に放流する分が少なくなり、最後に流れ込む死海が縮んでいきます。

死海は湖面の海抜がマイナス418mという低位置にあって、流れ出る川がなく、死海からの水の蒸発によってのみバランスを取っているため30%もの高い塩分濃度を持つようになりました。イスラエルの建国以降、死海の湖面の低下と海岸部の地盤沈下が観測されており、死海の保全にはヨルダン川以外の水量確保が重要視されています。

そこで今、地中海からトンネルを掘って、使って減った水に見合う分の海水を入れる計画が検討されています。400mの落差があるため、この海水で発電もできます。もちろん、地中海の外来生物が死海にまぎれ込むという生態学上の問題があり、ユネスコでも協議されていますが、今のままだと死海はなくなる運命にあるでしょう。このように水の利用は環境に大きな負の影響を与えます。

経済原理による水管理は、畑作中心の乾燥地での水利用の一般的な考え方になりつつあります。

農業水利システムの原型

それでは、水田が中心の日本のような湿潤地ではどうなのでしょうか。日本では歴史的に見ると、現在の国土が形成されると同時に、農業用水システムができ上がってきました。

戦国末期から江戸前期にかけて、急激な人口増加が見られます。実は、その背景には新田開発がありました。戦国武将たちは、自力で農地を開発して富国強兵を図らなくてはなりませんでしたから、土木技術で河川を固定し、領地を拡大したわけです。土木技術が進んだことで、それまでは洪水のたびに変わっていた下流域の流路を、堤防で固定できるようになりました。堤防ができると、今まで農地には使えなかった河川周辺の原野が水田開発適地となったため、戦国武将たちはこぞって水路整備に励みました。武田信玄がつくった「信玄堤」は有名ですね。

堤防を築いた堤内地には、かつて暴れ回っていた流路が幾つも残っています。それらを利用して河川上流から水を取り入れ、各水田に水を配りました。同時に堤内地に降った雨を水路に集め、河川に排出することで、地区内の環境を整えた。つまり堤内地の流路が、用水路と排水路を一本で兼ねた「用排水兼用路」として開発されたのが、我が国の伝統的農業水利システムです。

ですから、治水技術と水路開発は表裏一体ということですね。これが今の農業用水路の原型となっています。

上の田んぼの人が排水として流した水を下の人は用水として使い、また同じ水路に返すのが、用排水兼用システムです。繰り返し水を利用しますから、効率的なシステムになっています。ポンプもない時代ですから、重力のみを利用するわけです。地形に沿って流れていく水をうまく使うという、水の管理体系が形成されました。

こうした管理のためには、受益者である村人全員の協力が必要です。誰か一人でも反する行為をすると、効率の良い水の運営ができなくなります。そのために、地域の合意形成は多数決ではなく全員一致の原則が必要になります。そこで近世には、「ムラ」単位の絆が強力に築かれていったのです。水利共同体と水路の形態とはセットになっており、結果として社会全体の仕組みが形づくられてきたといえます。

水は、集落の中では平等に配分され、弱者も同じように水の利益を受けられます。ところが集落と集落の間では、対立関係が起きてしまう。これが我が国の水社会の持つ大きな特徴です。

今、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)つまり、「信用を醸成し政治経済活動のパフォーマンスを左右するような人々の協力関係」が大事である、と各方面で言われるようになっていますが、水利システムを共有資源と見なすことによって生まれてきた社会関係資本は、社会運営のための大事な元手(資本)なんです。水社会では、流れる水そのものは「自然資本」、それを流すための土木構造物は「社会資本」、それをどう管理していくかというソフトは「制度資本」であり、この三者が一体となって、はじめて有効な水利用ができるのです。

以上で述べたように、日本では国土や環境、社会と調和しながら水利システムができ上がってきました。

途切れた水循環

高度成長期には、もっぱら基盤の整備が先行しました。ダムや水路のような社会資本ばかりがつくられましたが、人々の絆、つまり社会関係資本はどんどん崩壊していったわけです。崩壊すると、集団で水を管理できなくなる。だから絆をハードな基盤で埋め合わせようと、水路を三面貼りにしたり、パイプにしたりしたため、変化に拍車がかかりました。それまでは健全な水の循環システムができ上がっていたのに、水路の利用効率ばかりに特化したため、水の循環システムの役割もゆがめられたわけです。

その一つの典型が、水路敷地の利用ですね。水路に蓋をして、その上を道路や駐車場にしました。水をパイプの中に閉じ込める、いわゆる水路のパイプライン化が進みました。この変化は、「エネルギーを運ぶ水路」という側面にも目に見える変化をもたらしました。

水を送る機能を中心に見てみましょう。水をパイプの中に封じ込めることは、エネルギーをパイプの中に閉じ込めるということなんですね。水に圧力を持たせることで、地形には関係なく、どこへでも水を運ぶことができる技術を手に入れたということです。

もう一つは汚い水が混じらないようにする用水・排水分離です。

効率の良い水の運搬を考えて、パイプ化して水を自由に送れるようになるとともに、汚い水を混ぜないで、きれいな水だけ送ることが可能になり、水の利用効率を一層高めることができます。

それを象徴しているのが、琵琶湖総合開発事業の一つである逆水灌漑システムの整備です。

もったいないエネルギー

琵琶湖総合開発は1972年(昭和47)〜1996年(平成8)の25年間をかけて実施された事業群です。淀川水系全体で琵琶湖の水を利用するとともに、琵琶湖の周辺にも開発利益を及ぼそうというものです。

琵琶湖周辺の多くは湿地帯で、農作業にも田舟を使うような土地柄でした。今までは低湿地であった所を堤防で仕切って、水をいったん琵琶湖に排除し、必要な水だけポンプで汲み上げる。つまり逆水灌漑地域を整備しました。琵琶湖周辺の1万ha以上もの農地に、こういう水循環の再編成が行なわれたのです。

わざわざ低い所にある琵琶湖に水を全部集めてから、改めて圧を加えて(エネルギーを使って)パイプで水を配ることによって、上流から流れてくる水しか使えなかったときに比べて、水源の安定性はものすごく高くなった。

その時代は電気も石油も安かったので、使うエネルギーと水や土地利用の効率が上がることを天秤に掛けると、充分採算が取れていました。しかも近代的な農業ができるようになりました。

ただ、本来そのまま利用したらいい水をいったん低い位置にある琵琶湖に貯めて、ポンプで圧力をかけて再び灌漑するので、それに費やす石油や電気のエネルギーは無駄といえるわけです。

琵琶湖の西岸、高島市では地下水位が高いため、真空式の下水道が埋設されている。左下は下水道の機能がうまく働かなくなったときの警報機。

琵琶湖の西岸、高島市では地下水位が高いため、真空式の下水道が埋設されている。左下は下水道の機能がうまく働かなくなったときの警報機。ブザーが鳴ったら役場の下水道局に電話することになっている。このような地下水位の高い地域に、逆水灌漑がされているのだ。
標高の低い地域では、パイプの中の水の圧力は極めて高いため、農業用水パイプのバルブが壊れるとご覧の通りの水柱が立つ。背丈を超えるこの水はすべて琵琶湖の水だ。
写真上と右:『針江水ごよみ』滋賀県高島郡新旭町(現高島市)より

農業用水の水道化をもたらした日曜渇水

コミュニティも大きく変わりました。琵琶湖総合開発以前は、集落で水を管理していましたから水利コミュニティが生きていた。ところが、圃場整備され、効率的な農業へと切り替わると大きな変化が起こってきました。

1960年代には、10a当たりの生産労働時間は、180〜200時間でしたが、現在、整備された水稲の生産性の高い水田では10時間を切っています。農作業時間の短縮で、労働力が余ってきました。これは「工業部門への農業労働力の再配置」ということにつながり、兼業農家が増えました。農業をやめて、都会へ出て行った人も少なくありません。

農村地域全体が余剰労力を吐き出して、効率化されていったのです。こうなると農村の労動力がなくなってしまいますから、共同で管理しようにも、人がいません。

また、兼業農家の場合、平日は出勤するため、農作業をするのは休日だけ。実際、それでも収穫ができるようになったわけですが、代掻きの季節などは、農作業が土日に集中して行なわれます。すると、集落中の人がいっせいに水を使うため、「日曜渇水」という言葉が生まれたぐらいに水が足りなくなるのです。

そこでみんなが望んだのは、「パイプを開いたらすぐ水がくる」というシステム。上水道のように蛇口をひねればすぐ農業用水が出てくる仕組みを生みました。

いつでも水がくるようになったので、兼業農家の人は田んぼの水尻(みなじり)を開けたまま勤めに行くようになり、流し放しの状態になります。肥料は安いですから撒き放題で、排水とともにそのまま環境に排除されてしまいます。このようなかけ流しによって、汚濁した水が琵琶湖に流れ込みました。それが1970年代から80年代の琵琶湖の赤潮発生の一つの原因となりました。

電気も石油も高くなった今、琵琶湖周辺農家の人たちは、水には困らない代わりに電気代の高さに音を上げるようになりました。集落の組織も人も変ってしまったため、昔のような用排水兼用システムにも戻れません。小水力発電で水路からエネルギーを取り出すどころか、逆に水路にエネルギーを投入しなくてはならなくなった、というのが高度成長期の農業用水路の姿だったわけです。

「パイプ化すると、水が遠くなる」とは、現滋賀県知事・嘉田由紀子さんの言葉ですが、これが琵琶湖周辺の現状です。これは、高度成長期以降全国で一般的に見られた姿なんですね。

赤で示す逆水地域は、琵琶湖を水源として、ポンプとパイプラインによって灌漑用水を供給する。ほとんどは琵琶湖総合開発関連事業として整備された。
『水で結ばれた琵琶湖・淀川流域の水循環と社会』(第9回世界湖沼会議実行委員会2001)より作図

新たな「共」組織で水路を管理する

90年代になると、環境意識も変わって、水路に対する意識も劇的に変化しました。

「大きな政府:公の拡大」で行政コストは高騰し、「小さな政府:私の拡大」は行き過ぎると個人の活動に歯止めがきかない。「水路を管理するにも、もっといい形があるのではないか」と思うようになってきた。そこで今、改めて見直されているのは、「公」と「私」の間にある「共」の仕組みです。これまで述べてきた社会関係資本とか、人と人とのかかわり・絆といってもいい。

「共」の見直しは、とても大事だと思います。高度成長期を支えたといっても過言ではない5次に渡る全国総合開発計画(全総)に代わり、国土利用の質を重視した「国土形成計画」を新たに策定することが2005年に決まりました。現在策定中ですが、そこでは新しい「公」の形として「共」的な部分をもっと広げよう、という方向になってきています。

全総のころは土木構造物を意味していた「社会資本」という言葉も再定義され、今は自然資本と制度資本も含めた社会的共通資本を、社会資本と定義し直すに至っています。

では水路はどう変わるのか。農林水産省は「水路と水を守るには、昔のように地域社会全体で管理するようなシステムを再度つくらなければならない。そのためにしっかりした人の組織を再生させよう」と盛んに言い始めています。

今の農村地域は90%が非農家なので、もう農家だけでは水路を守りきれない。非農家の人やNPOも一緒になって、農業的な価値だけではなく、水路そのものにも新しい価値を見出そうというわけです。これが2007年(平成19)から、「農地・水・環境保全向上対策」として始まりました。農業とは、本来農産物を生産・販売して市場から所得を得る産業ですが、それだけじゃなく環境も社会に売ろうという対策と考えることができます。生産を多少落としてでも、環境が提供してくれるサービス(環境サービス)を充実させる。環境サービスは市場原理だけではコントロールできませんから、これを行なう人に税金から払う、いわゆる環境支払制度の導入です。

EUではCAP(the Common Agricultural Policy共通農業改革)(注1)政策の中で環境サービスを行なった場合の補填を行なっていますが、直接支払う先は個別農家です。日本では集落や協議会など「共」に支払います。この違いは「水」とのかかわりの根本的な違いではないでしょうか。ヨーロッパは個人経営が中心の畑農業が主体ですが、日本には水田というものが持っている「共」的な仕組みがあり、その社会関係資本に着目し、活用しようとするものです。

環境サービスを高めるために、水路の再生も必要です。「共」として水路や生態系、景観を保全するところには、お金を出して支援しようとしています。

「農地・水・環境保全対策」では、基礎的な活動と同時に、地域独自の使い道が自由な交付金制度を設けています。これが大きな特徴です。条件はつきますが、地域ごとに独自の目的を持たせることができます。

地域独自の意志で決められるので、「地域全体で発電して、CO2を減らそう」という所があってもいいかもしれませんね。

(注1)CAP
1993年にEU委員会が提案した「マクシャリー改革」のこと。1997年には「アジェンダ2000」及び、それに基づく1999年の加盟国間合意によって、
1 農産物価格引き下げによる国際競争力の向上
2 食品の安全性、品質の保証
3 農業社会維持のための安定的所得と適正生活水準の確保
4 環境保全、動物愛護
5 環境目標の取り込み
という5つの目標が掲げられ、その達成のための具体的手段について加盟国間で交渉が行なわれた。

滋賀県・高島市の針江を流れる大川では、年に数回住人による川のメンテナンスが行なわれる。

滋賀県・高島市の針江を流れる大川では、年に数回住人による川のメンテナンスが行なわれる。川底の水草を刈り、琵琶湖に流れ込む前に引き上げる(冒頭の写真)。かつて刈り取った草は、田んぼの大事な堆肥であった。各戸から1人参加するのが原則だが、ここでも人不足が悩みの種だ。そこで高島市では、水路やかばた(水路を屋内に引き込んで利用する水場)を世代を超えた地域資源と捉え、さまざまな啓発活動を行なった。その結果、「針江生水(しょうず)の郷委員会」という市民組織も発足し、地域活動にもつながることになった。住人の多くが農業に携わることのなくなった現在、川や水路の包蔵力を農業だけではなく多様に受けとめなければ、メンテナンスへのモチベーションを維持することができなくなってくる。

小水力という観点で琵琶湖周辺を見直してみると

このように、新たな利用方法が潜在する社会的共通資本という視点から見ると、琵琶湖逆水には大きな可能性が秘められているともいえます。なぜなら、余計なエネルギーを使って、水が移動させられている仕組みが既にでき上がっていますから、そういう意味で、もったいないことなんです。

例えば、送水するためにかけた圧力のままでは強すぎる所が出てきます。そこで出口でわざわざ圧力を殺しています。圧力と水量を乗じたものがエネルギーですから、発電機器で減圧分を電気に換えるなどして回収すれば、それを必要なところで使えます。

ポンプアップのための加圧にしろ、安定供給のための減圧にしろ、今まで無駄なエネルギーをたくさん使っていましたが、私はそれを回収する仕組みをつくってやれば、エネルギー効率がよくなる、と考えています。

傾斜があって自然流下でいける所もパイプ送水されている場合があります。そこでも水を安定して送るために減圧している。それを拾い上げると、効率良くエネルギーが得られる。ただ水利権の問題があるので、制度を整える必要があるんですが、小林久さん(「エネルギー自立型から供給型へ」参照)の言うようにこれは将来大きな可能性を持っている。ピンポイントじゃなく、日本の水利施設全部で可能性があるわけですから。地域で生み出されたエネルギーは自家消費を中心として利用し、余剰が出たら都市に配ればいいのです。

土地改良区と水利権の変遷

このようにエネルギーを得る目的まで考えると、エネルギーと水利用を再統一して、新しい水利用システムをつくり直すほうが効率的な場合があります。しかし、ここには、水利権の問題など土地改良の歴史を背景にした課題があります。

今の農業の担い手は、農地解放以降に自作農となった人々で、いわば小さな地主がいっぱいいる状態なんです。小数の大地主と土地を借りている多数の小作人という戦前の図式とはまったく逆です。そして、水路は土地所有者の財産的価値の一部になっている。土地改良をするには、集団で意思決定をするわけですが、多数の小地主の合意形成をしていくのは非常に難しい。小水力発電も、うまくいっている所はどういう所かというと、規制緩和で社会実験をしている特区か、水利権を持っている河川管理者が特別に行なっているケースです。

日本の河川が、厳密に国家によって管理されていることはご存じと思います。1896年(明治29)に制定された河川法は「治水」中心でしたが、1964年(昭和39)の改正以降はより「利水」に軸足が移されました。

ダム建設による貯水量増加といった水資源開発行政と、河川流水利用者を農業用水、工業用水、生活用水、発電用水の各利用者に水利権を許可する利水行政の2つで河川水を管理してきました。現在は発電に関して「自然エネルギー」を利用する方向になってきていますが、小水力発電をしようとすると、現行の利水行政とうまく合わなくなってくるでしょう。

本来は「共」の管理である農業用水に、「公」が介入しすぎているからかもしれません。江戸時代末期に用排水兼用路の体系ができ上がったころには、集落でも集落間でも「共」としての秩序ができていました。ところが河川法を制定することで、ヨーロッパ近代法の体系を取り入れようとしましたが、水の権利の帰属をなかなか明確化できなかった。そこで旧来より入会(いりあい)として水路を使用してきた人の農業水利権、つまり「共」としての慣行権を許可したものとして認めたのです。そして今の土地改良区の原型である「普通水利組合」や「耕地整理組合」を組織して、地主や農家が共同で水路の整備や開発にかかわるような制度の整備を行ないました。

その状況が、昭和恐慌や世界恐慌でがらっと変ります。米騒動で地主は農業投資から手を引き始めました。そこで農村を救済するために、国や県が中心となって公共事業を盛んに行なうようになります。それまで地主が行なっていた幹線の水路整備を、「公」が肩代わりするようになったのです。

1949年(昭和24)には、土地改良法が制定されます。農地解放後、大量に生まれた自作農が集団で水を管理するために土地改良区ができます。そのときに、普通水利組合は全部土地改良区に吸収され、水利権も土地改良区や市町村に移りました(注2)。

土地改良制度というのは、食糧増産に必要な「農地」という個人財産を、一部公費を投入して改良する制度で、戦後の復興過程を反映しているといえるでしょう。農業用水は繰り返して使うため「誰がどの水をどれだけ使った」とはいえませんから、水利権は改良区とか市町村という「共」的な団体にしかないわけです。でも、実際には個人の所有している土地の中を水が流れていると、「水の共」と「土地の私」は微妙な関係になります。私は、この微妙な関係を、共を広げる形でカバーすることができないかと考えています。

(注2)
河川法では、慣行水利権を持った集落が、土地改良事業実施や取水施設の改築を行なう際には、許可水利権に切り替えるように取り扱われている。

地域用水と水路の弾力運用

琵琶湖周辺の一部都市化した地域では「環境用水」についての検討が進んでいます。農業用水と一口にいっても「農業用水(狭義)」と「地域用水」の2つの目的があります。

狭義の農業用水は灌漑用水、水路維持用水、営農用水に分かれ、地域用水は地域活動用水、レクリエーション用水、環境用水に分かれます。水利権には利用目的をはっきりさせなくてはいけませんから、この区分は重要なのです。ちなみに、環境用水は水質保全のための水や生物多様性を保全するための水、さらに地域活動に必要な水があります。

滋賀県の嘉田知事は、地域用水という目的で水利権を許可していますが、これもまだ微妙です。河川法では、水利権は「上水」「農水」「工水」とされています。昨年から環境用水が認められるようになりました。しかしながら、その適用については必ずしも安定しているとは言い難く、今後、いろいろな点から研究が必要な段階と思われます。改良区の農業用水の二次使用とゆるやかに解したほうが、当面はより実質的ではないかと思いますね。

農業用水の分類

農業用水の分類

「共」を拡大し水路を効率に利用できるか

さて、望ましい農業水利システムですが、支線レベルでは用排水を分離して、1枚1枚の水田を効率的に利用することが必要。そして幹線レベルでは、水田の排水路が集まって幹線に結びつく所で用排水を統合し、全体として水を反復利用する形が望ましい、と私は考えています。

ポンプとパイプラインがあれば、低い所にある水も再利用できます。しかし、反復利用を多くすると、河川から取る量は少なくなります。公共公益的立場と受益農家としての立場では、反復利用を巡り、まったく逆のインセンティブが働いてしまう。

一歩進んで「積極的に節水したら、管理費が安くなり、他の目的にも水が利用できる」となったら、農業用水の節水と転用が進むかもしれません。実はすでに、琵琶湖周辺で、このような量水制が適用される例があります。「管理費が高い。節水したい」という組合員の声に応え、土地改良区の主導で始まりました。

節水した所は管理費が安く、たくさん使う所は高いという量水制がうまくいく秘訣は、量水制にして知恵や工夫で集落同士の節水競争を見えるようにしていくことです。これまでのような面積賦課では節水競争がよく見えません。面白いもので、集落間競争になると、水尻を閉めて回る人が出てきたりして、集落の中の新たに「共」の意識が出てきます。改良区は、集落間の秩序を取りまとめていく役割を担えばいい。このような新しい水利秩序が形成されていくことが予想されます。今後どうなっていくか、期待を込めて見守っているところです。

これから農業用水の管理費が高くなったり、量水制が始まるようになると、水路を水の路・エネルギーの路・エントロピーの路としてより効率的に利用したいというインセンティブも生まれてくるのではないでしょうか。小水力発電はその重要な役割を果たすでしょうし、それをうまく活用するかどうかは、農業用水を管理する人々が自主的に水路を運用するという「共」の論理が拡大できるかにどうかにかかっているといえそうです。



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