「日本は水力発電の国」終戦後から高度経済成長期までの日本のエネルギー政策は、風土や気象条件を生かした水力でやっていく、というものでした。
火力と水力が逆転したのが、1955年。
以来、電力供給の多くを火力、そして原子力が担うようになりました。
そんなエネルギー事情は、温室効果ガスという視点から、今、変革を求められています。
落差と流量が生み出す水エネルギー。
その包蔵力は意外なほど大きく、物理的な力を超えて、人と社会の包蔵力まで引き出す勢いを持っています。
日本は小水力のポテンシャルを生かして持続可能な国を目指すことができるのでしょうか。
愛媛県新居浜市には、住友グループの礎となった別子銅山関連の近代産業遺産が数多く残されている。この端出場(はでば)旧水力発電所もその遺産の1つで、別子銅山へ電気を供給するため1912年(明治45)に建築され、1970年(昭和45)まで稼動を続けた。明治後期、大量出鉱体制を整えつつあった別子銅山は、電力の増強が課題であった。そこで銅山川とその支流を利用した水力発電を行なうこととした。集められた水は、第三通洞《1905年(明治38)貫通》と日浦通洞《1911年(明治44)貫通》を通り、水路で石ヶ山丈(海抜約750m)の水槽まで誘導し、落差597.18mを利用して発電した。1973年(昭和48)、別子銅山の坑道は海面下1,000mの深部に至り、地圧と地熱の増大により283年の歴史を閉じ、閉山する。発電所は廃止されたが、煉瓦造の建物内に残る、ドイツ・シーメンス社製の発電機や同国フォイト社製の水車は、建築物とともに、運転開始時の姿を残す貴重な文化財である。このような発電所が全国にどのくらいあるのだろうか。それらを眠りから醒し、新たに稼動させることは望めないのであろうか。