機関誌『水の文化』28号
小水力の包蔵力(ポテンシャル)

水、土、木、無心になれるもの

永島 敏行さん

永島 敏行(ながしま としゆき)さん

1956年、千葉県出身。1978年映画「サード」(ATG)でデビューし、第2回日本アカデミー賞主演男優賞など、各賞を受賞。俳優として映画・テレビ・ラジオ・舞台などで幅広く活躍する一方、ライフワークで米づくりに参加。農業に強い関心があり、定期的に青空市場を開催している。2005年には、(有)青空市場を設立、農業コンサルタント活動も行なう。
http://www.aozora-ichiba.co.jp/

米づくりも15年になって、注目されるようになったけど、それほど大義名分があって始めたことじゃない。

もともと旅館のうちの子供だったから、食の有難さや大切さ、料理して食べることに関心があったんです。

田んぼにかかわるきっかけは、秋田の十文字映画祭。

秋田でも次々に映画館が閉鎖され、危機感を持った地元の映画好きの青年たちが、1982年(昭和57)に自主上映サークル「夜間飛行」を結成しました。

手探りで始めた上映会は大成功。でも、資金や運営の生き詰まりで活動存続が危機に。それを救ったのが、1991年(平成3)に各市町村に配布された「ふるさと創生基金」の内から与えられた補助金100万円だった。そのお金で、話題性のある映画祭を目指すことになったんです。

スタッフの一人が大学時代の野球部仲間だったのがきっかけで、映画祭にもかかわるようになったんだけど、そいつが「休んでいる田んぼが借りられるよ」って。

ちょうど娘が生まれて3年目。思いっ切り泥んこになって遊ばせられる場所が欲しかったのと時期が重なった。うちともう一組の家族とで、1993年(平成5)から年に4、5回通いながら米をつくった田んぼも、最初は1反の半分、今は1反に増えました。

11年前から始めた千葉・成田の田んぼは、3反。JA成田の協力で「米づくり教室」をしている。

若い家族がやって来て、夢中になって田んぼで働く。150人から200人がやって来るんですよ。まあ、お母さんは「日に焼ける」、「爪が汚れる」と言って嫌がる人と、のめり込む人と二極化していて、お父さんは一生懸命な人が多いかな。僕たちの世代が同じように若かったときと比べると、格段に熱心ですよ。

水・土・木には、無心になれる本能のようなものが備わっているのかもしれない、と。

長野県の小谷村では、米づくりだけではなく、地域にもかかわってほしいと言われ、荒廃して見捨てられていた棚田を開墾しました。2005年(平成17)に棚田オーナー制度「中谷郷が元気になる会」もスタート。美しい棚田の風景が蘇っています。

こんなことを続けてきて僕が感じたことは、

「農業の真似事はできるが、自分には農業を生業(なりわいに)はできない。しかし、この国の食を力強く養えている生産者の夢、問題、現実を多くの人々に知ってもらうための人寄せパンダにはなれるのではないか」ということ。

趣味が講じて、2005年には「有限会社 青空市場」までつくっちゃいました。この会社では、農業にかかわる人が正当に儲けられるシステムをつくる、「農業デザインビジネス」を目指してます。

どこの田んぼでも、機械は使わない。それは始めたときからの信念。「自分の身体を通してどれだけやれるかやってみよう」というのがまずあって、続けてきた。

今、日本中が「誰かがどうにかしてくれる」というスタンスでいる。でも、自分が動かなかったら誰も何にもしてくれない、ということにそろそろ気づいているんじゃないかな。水と空気と食べ物は、やはり他人任せにはできないよね。

うちの娘は高2になったけど、別に誘わなくてもついてくる。地域の古老に話を聞いたり、親以外の人と楽しそうに話している。少しでも自分の手が加わったものを食べる達成感や喜び、いろいろな価値観を持った人間とつき合う大切さを、田んぼから教わったんじゃないかなあ。

食べることって、自分で自分を守ることなんですよ。食べることが保障されていたら、老後の不安も減る。都会に住んでいたって、プランターで大葉を育てるだけで、食べることに関心が持てる。それが大切なんだと思う。

人間の才能って、一つじゃない。農業ができなくっても絵が描けるとか、何か役立つことがある。だから僕は、会議室でモノを考えるんではなく、身体を動かして、人寄せパンダとして働きたいと思っているんです。(談)

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