機関誌『水の文化』28号
小水力の包蔵力(ポテンシャル)

《水路》 水と食糧とエネルギーの根幹

古賀 邦雄さん

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

水・河川・湖沼関係文献研究会1967年西南学院大学卒業水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集
2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属

真の国際交流、国際貢献とは、一体どのような活動を指すのだろうか。それはパキスタン、アフガニスタンの戦火の中で、1984年(昭和59)から医療サービスを続ける「ペシャワール会」の活動にみることができるようだ。その行動は、医療行為だけでなく、生命の水の確保に、井戸堀り、カレーズの復旧、さらに農業用水路開削にも力を注いでいる。ペシャワール会代表中村哲著『医者、用水路を拓く』(石風社2007)は、アフガン・クナール河に斜堰の取水堰を造り、全長13kmのマルワリード用水路の開削に悪戦苦闘する物語である。その諸元は、取水量4.5k/m3〜5.5k/m3、灌漑面積約9700ha、柳など水路沿いの植樹約12万5000本、分水路7.2km、付帯施設(橋・水道橋・遊水池)である。

クナール河はヒンズークシュ山脈の雪解け水が一気に押し寄せてくる荒川、と思えば干天が続くと優しい川に変化する。低予算で、近代的な土木機器を欠く中で、人力に頼り、材料は近くの山から岩や石を採取し、多くの蛇籠(じゃかご)に拠った。用水路の土地は、地主や両岸の人々の確執に遭遇しながらも医療活動で培った長老たちの人脈で解決。竣工直後の洪水で取水堰、水路、遊水池が壊され、再々の改修に苦悩するが、4年の歳月を経て完成する。今では、沙漠地帯に緑が拡がっている。

この取水堰設置の際に、筑後川における山田井堰の斜め堰を参考にしたというから驚く。中村哲はマルワリード用水路の施工中何度も帰国し、菊池川、白川、緑川を歩き、加藤清正の水制・石刎(いしはね)、鼻ぐり井出工法を学び、さらに山田井堰堀川水路を訪れ、斜め堰の水理を調査研究している。江戸期に完成した山田井堰に関しては、鶴田多多穂著『山田井堰堀川三百年史』(山田堰土地改良区1981)、福岡県朝倉町史料編さん委員会編『堀川物語』(朝倉町教育委員会2005)があり、その型式は傾斜堰床式石張堰で、取入水路、魚道、舟通しが設置されている。

  • 『医者、用水路を拓く』

    『医者、用水路を拓く』

  • 『山田井堰堀川三百年史』

    『山田井堰堀川三百年史』

  • 『医者、用水路を拓く』
  • 『山田井堰堀川三百年史』


1953年(昭和28)6月、山田井堰は筑後川の大水害で決壊するが、改修がなされ、筑後平野へ灌漑用水を送り続けている。筑後川とクナール河における斜堰の施工には、時空を越えた不思議さを感じさせる。なお、アフガニスタンの水利灌漑については、東京大学西南ヒンドゥークシュ調査隊編『アフガニスタンの水と社会』(東京大学出版会1969)が発行されている。

我が国は稲作の伝来により、用水路が各地に拓かれてきた。古代国家の律令制における用水支配の問題を論じた亀田隆之著『日本古代用水史の研究』(吉川弘文館1973)、寶月圭吾著『中世灌漑史の研究』(目黒書店1950)がある。

近世の水利開発については、水土を拓いた人びと編集委員会・農業土木会編『水土を拓いた人びと』(農文協1999)には、北海道から沖縄までの新田開発、用水路、溜池の建設に尽力した人々の業績を纏めた。その業績にかかわる書として、稲生(いなおい)川土地改良区編発行『稲生川土地改良区史』(2003)、根本博著『安積疏水と郡山の発展』(歴史春秋社2002)、西那須野町郷土資料館編・発行『明治開拓と那須疏水』(1985)、小田原市教育委員会編・発行『荻窪用水の歴史と見どころ』(1990)、浅川清栄著『諏訪の農業用水と坂本養川』(中央企画1998)、明治用水史誌編纂委員会編・発行『明治用水』(1953)、寺井敏夫著『大梶七兵衛(高瀬川開削)』(HNS2002)、江口辰五郎著『佐賀平野の水と土』(新評社1977)が挙げられる。このように土地は自然の作用だけでなく、労働の投下によって絶えず変貌していく。古島敏雄はその名著『土地に刻まれた歴史』(岩波新書1967)で、そのことを実証している。

  • 『日本古代用水史の研究』

    『日本古代用水史の研究』

  • 『水土を拓いた人びと』

    『水土を拓いた人びと』

  • 『日本古代用水史の研究』
  • 『水土を拓いた人びと』


農林水産省は、先人が拓いた用水路について、次世代に継承するために歴史的、文化的な疏水百選を認定した。林良博監修・疏水ネットワーク著『心やすらぐ日本の風景疏水百選』(PHP新書2007)には、明治の三大用水(安積疏水、那須疏水、明治用水)をはじめ十二貫野用水、東播用水、香川用水などが紹介されている。全国の河川からの取水施設は11万4000カ所に及び、疏水総延長は40万kmで地球10周分にあたり、農地面積470万haの隅々まで行き渡り、農業生産とともに環境保全にも重要な役割を果してきた。しかも今日、これらの水路は、10kW〜1000kWをおこす小水力発電にも利用されている。

2007年(平成19)12月1日〜4日第一回アジア・太平洋水サミットが大分県別府市で開催された。この中で、農業用水を活かした小水力発電に関するシンポも日田市であり、那須野ケ原水路における、落差が2〜3mあれば、その流水によって発電できる事例が報告された。

小水力利用推進協議会編『小水力エネルギー読本』(オーム社2006)によれば、水土里ネット那須野ケ原(那須野ケ原土地改良区連合)では、1992年(平成4)から農業用水の遊休落差を利用して、最大出力340kWの那須野ケ原発電所が稼働。さらに2005年(平成17)には用水路に開水路落差用発電システム4基が設置された。その内容を見てみると、水源那須野ケ原上段幹線、発電の形態水路内据付け(落差工利用)、有効落差2m、水路幅2.05m、使用水量最大2.4m3/s(非灌漑期1.29m3/s)、水車立軸カプラン水車、回転速度204回/mim、発電機三相かご型誘導発電機、最大出力30kWとなっている。

  • 『心やすらぐ日本の風景疏水百選』

    『心やすらぐ日本の風景疏水百選』

  • 『小水力エネルギー読本

    『小水力エネルギー読本

  • 『心やすらぐ日本の風景疏水百選』
  • 『小水力エネルギー読本


さらに、開発地点や流水・水路の条件に合わせた小水力発電システムの例として、茅野市オーレン小屋発電所(水源夏沢川、出力9.15kW)、春日部市庄和水力発電所(水源浄水場内の浄水池、出力35kW)、横浜市江ケ崎発電所(水源水道用水路、最大出力170kW)、愛知県幸田町幸田製作所工業用水排水小水力発電所(水源工業排水、出力12.4kW)、京都市嵐山保勝会水力発電所(水源桂川、出力最大5.5kW)を上げている。このように見てくると、小水力発電システムは、農業用水路のみでなく、小河川からの引水、浄水場からの水、水道用水路、工業排水路でも簡易に設置できることがわかる。

その簡易さが、今、小水力発電システムを見直すこととなったのであろう。逸見次郎著『小水力発電-原理から応用まで』(パワー社2007)では、次のような小水力発電のメリットを論じている。

・クリーンなエネルギーでCO2など地球温暖化を招くガスを排出しない
・資源が無尽蔵で流量がほぼ一定していることから安定した発電出力が得られる
・大型設備も必要としないので短期間の工事で進み、維持管理も容易・河川や用水路に直接設置でき、周辺の生態系に及ぼす影響は小さい
・需要家に近い場所で発電できる
・発電された電気を地域振興や各種事業に利用できる。

終わりに、石崎彰・古市正敏編『小水力発電読本』(オーム社1982)、パワー社発行による千矢博道著『これからやりたい人の小型水力発電入門-身近な水力利用術』(1992)、同著『身近な水を活かす小型水力発電実例集-自然との共生を目指して』(2004)、川上博著『小型水力発電実践記-手作り発電を楽しむ』(2006)、竹尾敬三著『小型水力発電機製作ガイドブック』(1977)、石田正著『超小型(ピコ)水力発電装置製作ガイドブック』(2007)、それに飯能市郷土館編・発行『飯能の水力発電-吾野・名栗に電気がひけた日』(2005)を挙げる。

  • 『小水力発電-原理から応用まで』

    『小水力発電-原理から応用まで』

  • 『飯能の水力発電-吾野・名栗に電気がひけた日』

    『飯能の水力発電-吾野・名栗に電気がひけた日』

  • 『小水力発電-原理から応用まで』
  • 『飯能の水力発電-吾野・名栗に電気がひけた日』


以上、いくつかの書で水路や小水力発電の役割について述べてきた。21世紀は地球温暖化の影響で、世界における水、食糧、エネルギーの紛争が増大していく可能性を含んでいる。この解決の一つには水路の有効な利活用が重要なカギを握っているといえる。

村ぢゅうの水路うごける五月かな 川本昴

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