「魚離れ」と言われながらも、回転寿司とスーパーマーケットの刺身コーナーは盛況の様子で、日本人の魚食文化が、少し偏ってきているように見受けられます。日本人の生食への憧れは、どこからきたのか。「日本人は本来、準菜食民族」という奥村彪生さんに、そのルーツをひも解いてもらいました。
伝承料理研究家
奥村 彪生 (おくむら あやお)さん
1937年和歌山県生まれ。自ら料理人としての経験をふまえ、日本をはじめ世界の伝承料理を研究する。飛鳥・奈良時代から明治・大正時代の料理の復元や、伝承料理の記録のために多くの著書を著す。料理スタジオ「道楽亭」主宰。1994年食生活文化賞、2001年和歌山県より文化功労賞を受賞。 主な著書に『聞き書・ふるさとの家庭料理 全20巻』(農山漁村文化協会2002)、『万宝料理秘密箱ー江戸の名著「万宝料理秘密箱」より』(ニュートンプレス2003)、『おくむらあやおふるさとの伝承料理前期(全7巻)』、『おくむらあやおふるさとの伝承料理後期(全6巻)』(農山漁村文化協会2006)ほか。
よく、日本人は魚食の民族だといわれますが、私はそれには疑問を抱いています。
日本人は準菜食民族で、庶民はときどきしか魚を食べていませんでした。
東南アジアも東アジアも、菜食型です。米とか雑穀といった穀物を中心にして、野菜を食べるのが基本です。少し余裕が出てくると、魚を食べるようになります。
全国おしなべて日本人が魚食民になったのは、昭和30年代(1955〜)。そして、昭和45年ぐらいを境にして魚離れをして肉嗜好、脂嗜好へ移っていく。それは、みんなが豊かになったからです。
日本が魚食文化を持った、そのわずか15年間は、流通が急速に発達した時代でもあります。特に冷凍の技術は、世界一番といってもいいぐらいのレベルに達しました。
それは、なぜか。
縄文以来、ひょっとすると石器時代からのご馳走であったのは「生食」なんです。だから解凍すれば刺身で食べられるということが、日本の冷凍技術を高めた。そして、冷凍、冷蔵していく技術はアイヌの文化からきているのです。
日本の魚食文化を語るには、3つの大きな系譜があります。
1つは北の文化。縄文のころまで遡れるかどうかはわからないけど、アイヌ食文化です。
この人たちは「無調理」「無調味」でした。四季の恵みで、暮らしを成り立たせる。しかも、必要以外のものは採らない。鮭も、次に魚が捕れるまでの期間に必要な分だけ捕って保存しました。
石狩川のアイヌ集落の調査をしたことがあるんですが、そこの首長さんが言いました。石狩川を鮭が遡上してくると、その背中を踏みながら向こう岸に渡ったって。調査に行ったのは、もう20年ぐらい前のことです。
私はやっぱり、今の日本人は捕り過ぎていると思う。しかも一網打尽にして、いるもの以外は破棄していることは問題です。
アイヌの人たちは、必要な分だけを捕ります。そして捕ったらば、一物(いちぶつ)全体を余す所なく食べる。捨てるところがない。チチタップというんですが、内臓、鰓(えら)、頭を叩いて食べる。今で言う、「たたき」です。それをそのままで食べます。
鮭なら皮まで使用する。皮で靴もつくる、服もつくる。義務教育になって小学校に行ったとき、鮭の皮でつくった靴を履いていき、脱いでおいたら犬がくわえて走っていったそうです。
革靴を食べるシーンはチャップリンの映画『黄金狂時代』(1925)にもあったけど、「鮭の皮でつくった靴は履けなくなると焼いて食べた」と首長さんが言っていました。煮溶かせば、煮こごりにもなるそうです。
それからアイヌには、煙でいぶす調理法があります。鰹節は元禄(1688〜)以後ですから、暮らしのために薫製の文化を持ったのは、日本ではアイヌの人たちだけです。
鮭は海を回遊して川に帰ってくると寄生虫がいるから、基本的に生では食べないで薫製にします。生で食べているのは、海水産。捕れた場所によって加工の使い分け、食べ分けをしているのです。
もう一つの方法は、凍らせて融かしながら食べる「ルイベ」です。ルイベというのは、融かすという意味なんですよ。冷凍のまま切って出すのは、ルイベとは言いません。
アイヌの人たちには、農耕の技術はなかったけれど、江戸中期以降は多少、粟をつくってますよ。この粟でおかゆを炊いてます。そこに筋子を入れるわけです。チュポロといいます。これまた、うまい。
あとは、頭とか骨とかで鍋にする。山で採ってきた山菜やキノコを入れて煮込む汁鍋。オハウといいます。
捕った魚の保存の仕方は、素干しか冷凍か薫製の3つです。そして一切塩を使っていません。
沖縄は南の文化。亜熱帯で、海が穏やかで暖かいですから、魚は、ぼやーっと浮いていればいい。脂肪も必要ないし、身は締まっていません。
ここでは魚の身は、ほとんど潰して、崩しにします。カマブク、揚げ蒲鉾のことです。気温が高いので、熱をかけて雑菌の繁殖を抑えているんです。
まあ、おそらく揚げ蒲鉾の技術は中国の文化だと思います。中国では(ユイカオ)というんですね。中国・福建省とか、タイとか、あの辺は全部共通です。沖縄ではチキ揚げといいます。それが薩摩に入って薩摩揚げ、長崎では揚げカマブク、大阪にきて天ぷらになります。
残るは、本州・四国・九州です。これを中の文化という。日本型食文化というのは、本州・四国・九州を結ぶ列島型の食文化をいいます。北と南は抜いているんです。
ここでもやはり、一番のご馳走は刺身です。
飛鳥、奈良時代は割レ鮮と書いて、返り点を打っています。アラタシキヲサクと読んでいます。また日本書紀ではナマスツクルと読ませています。
実は猪や鹿まで生で食べています。これをナマシシというんです。肉のことをシシと呼んだから、イノシシ(猪ノシシ)なんです。猪はイノシシと一文字では読めませんね。イしか読めない。カノシシ(鹿ノシシ)がひっくり返ってシカ。馬は禁止令でダメでしたから、さすがに食べていません。
ナマシシがなまってナマスで、字が無かったので中国のホイ(膾)という字を借りました。
ですから、もともとは肉の生を食べることをナマスといった。それが魚になって野菜になった。今は、ナマスといったら紅白膾(なます)で肉っ気なしです。
日本人の生食嗜好は、古の絵画や歌、風俗にも残されています。
三内丸山遺跡からは、サヌカイト(讃岐石)を割ってつくったナイフで鯛の身を下ろした痕が残った骨が出土していますよ。日本人は、縄文時代からずーっと生食に憧れてきた民族なんです。
我が家の向こうにある二上山(にじょうざん)は、(二上山(ふたかみやま)ともいう)サヌカイトの産地で、ここから全国に運んでいます。二上山に子供たちと行って実験しましたけど、サヌカイトでつくったナイフはよく切れます。
万葉集の中でも鯛の刺身が詠われています。
醤酢(ひしおす)に蒜搗(ひるつ)き合(か)てて鯛(たい)願(ねが)ふ
吾(われ)にな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)
鯛の刺身にソースとスパイスをつけて食べたいのに、なぎのあつものかい、つまらんなあ、という夫の嘆きです。
安土桃山のころには、活魚のために生け簀をつくっている記録があります。
江戸初期に描かれた東山遊楽図、高雄の紅葉狩りの屏風絵(「洛中洛外図」)からは、どちらも板前さんを連れて行っている様子がわかります。
それと即席の泉水、池をつくってますね。そこに鯉とかフナとか泳がしておく。千利休の高弟が記した『山上宗二記(やまのうえのそうじき)』という茶会記には野点のときの記録に
吾、にわかに泉水をつくり候
鮎鮒放ちて七五三つくる
と書いています。
江戸時代には大阪では海を網で仕切って、囲い生簀(いけす)ををつくり、捕ってきた鯛を放って生かしておいた。江戸の徳川家が使うときには、舟生簀に魚を入れて運んでいます。
隅田川の屋形船は弁当を持って行っていたけれど、大阪では、屋形船に水屋を入れていました。舟にちゃんと竃がある、板場もある。舟の底には生け簀をつくる。今はどぶ川だけれど、昔はきれいだったから、投げ網をやっている。
芸者さんも乗り込んで、どんちゃん騒ぎをしています。道頓堀を泳いでいる魚まで浮かれて踊った、と書いた書物もあります。
この舟料理においても、一番は生食なんです。
私の想像ですけど、塩の無かった時代、重要だったのは貝の茹で汁ではないか。貝は塩分を含んでいるから、煮詰めるとかなり濃縮されてしょっぱくなる。そして旨味も出る。
というのも、古代、海沿いに住んだ人々は、茹でた貝の身を乾燥させて、それを山に持って行って山の幸と交換しているからです。
鰹節にも、そういう役割があった。伊豆諸島は、奈良時代には既に鰹節の産地で、奈良まで運んできています。
縄文時代の遺跡からたくさん出てきたひょうたんは、煎汁(いろり)を入れて運んだことがわかっています。煎汁というのは、鰹を茹でた汁を煮詰めたもの。今でいう液体出汁だしの素です。
鰹節の煎汁も運んでいたんだから、きっと貝を茹でた汁も運んだろう、と私は思うんですね。海水も運んでいる。ひょっとすると、刺身につけて食べたかもしれません。
縄文末期に西日本で塩ができるようになって、それからは塩をつけて食べるようになる。飛鳥、奈良時代になると、中国から醤とか未醤(みしょう・味噌)、酢の製法が入ってきました。
当時の酒は火入れしてませんから、放っておいたら酢になります。酸っぱくなってるから、「難酒(からさけ)」と書いてます。それが、うまく酢酸発酵すると「吉酢(よしず)」と書きます。麹を使った酒づくりは、朝鮮からきた技術です。
奈良の平城京から出土した容器の蓋には、「味(うまし)もの、料理」と書いてあります。割レ鮮を「料理」と呼ぶようになるのです。
料理の料は正しく計る、正しく見極める、という意味で漢方薬の言葉です。理は正しく切る、あるいは正しく並べるという意味の中国語なんです。
美しく切って、美しく盛る。そのままですね、今も。1300年変わっていない。
鎌倉時代から、それをつくる人を料理人、そして庖丁人とも呼ぶようになります。小さな短刀で、真魚(まな)箸を持って切っています。それを刺身と呼ぶようになるのは、室町時代から。
そして室町時代になると、味噌、醤油を使って、野菜や乾物を煮炊きする中国の調理技術が入ります。これを調菜といいます。
包丁の技術と調菜が合体して、日本料理が誕生しました。
海水魚ですから寄生虫はいなかっただろうけれど、たまにアニサキスが入っている。それで、生食には寄生虫を殺す薬味が必ずつけられました。ニンニクもショウガも葱も臭い消しになり、ほとんどが殺虫、殺菌作用があるもの。ワサビも奈良時代からあります。もしかすると縄文時代にも、何か薬草が使われていたかもしれません。
室町時代から、刺身につけて食べるソースの種類が増えるとともに、材料によって薬味も使い分けができるようになります。
一番古い料理の流派である四條流の指南書には、ヒラメの刺身にはワサビ酢とあります。そして鯛はショウガ酢です。フカはカラシ酢。鯉は泥酢といってカラシ酢味噌のことです。
江戸時代になるんですが、梅干しを使った煎(い)り酒はおいしいですよ。これは古酒と梅干しと鰹節を煮詰めて漉したもの。非常においしいものです。
だから基本的には、江戸・元禄以前までは、刺身のソースは酢です。酢を使ったソースで食べないと、刺身の本当のおいしさはわかりませんよ。トロなんか、酢味噌で食べたら、どれだけおいしいか。マグロの「ぬた」は、そうした伝統的な食べ方の名残なんです。醤油一辺倒はいけません。
鰹も奈良時代から食べています。鎌倉時代にはカラシ酢で食べ、江戸時代になると火焼(ほや)き膾といって、表面を火で焼いて、酢を振りかけて揉んでます。今「鰹のたたき」と呼ばれていますが、あれは膾でしょう。
刺身の魚は基本的には白身。マグロを食べ始めるのは、元禄以降です。
うまい魚を食べるために、日本人は魚の殺生の仕方も研究しています。
野絞めというのは、釣ったまま放置して死んだ魚。活け絞めは釣ってすぐ、延髄を打って即死というか仮死状態にして、血を抜いたもの。
同じ淡路・岩屋の鯛でも上手な漁師が釣った魚と下手な漁師が釣った魚で味が違うのは、活け絞めの技術の善し悪しにあります。今は圧縮空気を入れてほとんど完全に血を抜きますから、2日間は鮮度を保つ。だから生け簀で泳いでいる魚より活け絞めのほうが絶対においしいんです。
昭和の初めに東京の人が書いた本の中に「活け絞め」という言葉が出てきますから、この技術は明治の初めころにはあったんじゃないかと思います。
日本では生でおいしく食べるために、そういうテクニックが開発されてきた。だから私は海外の人に「日本は魚場から調理が始まっているんですよ」と言っているんです。
水は化学記号で書けばH2Oです。でも、雨となって地に落ちて、そこに含まれている成分をくっつけて、流れていく。要するに水は何でも溶かす。1杯の水が人の心も溶かすんですね。
出汁というのは、中国からきています。まあ、インドのベジタリアンは別にして、だいたい大陸系の出汁は、肉類、骨を使った動物系のもの。日本は精進では椎茸や昆布ですが、主に海産物を使います。
美しい水の、何でも溶かす力が出汁になる。その出汁は、海が生みの親なんですね。これは単なるシャレではありません。
昆布、鰹節、煮干し、貝柱、干しエビと、ほとんどが海産物でアミノ酸の旨味です。昆布はグルタミン酸、鰹節はイノシン酸、貝類はコハク酸。この出汁に、これまたアミノ酸たっぷりの味噌、醤油を使って煮炊きしたら、まずくなるはずがない。まずいものだって、うまくなる。
「お前は棒ダラみたいな男だ」とよく言われましたけど、あの棒ダラだってうまくなるんです。もとは肥料の身欠きニシンだって、あれほどうまく甘露煮にするのは、京料理の技ですね。
しかし、こうした伝承料理の文化が、いったん途切れてしまった。おばあちゃんから母へ、母から子供へという家庭料理、あるいは地場の食文化の伝承が団塊世代以降途切れてしまって、それを伝える努力をしませんでした。
これはまあ、時代的にも仕方がなかったかもしれません。誰もが都会に憧れて、そして集団就職もありました。そうしたことで途切れた。それまでの日本人と今の若いお母さんとでは、食べてきたものが違ってしまったんです。
しかしイタリア、フランス、ドイツ辺りを歩いてみると、いまだにきちんと伝えられているんですよ。
この間行ったイタリア・サルデーニャ島では、子供たちがお母さんの味をちゃんと受け継いでいる。息子はね、お父さんに豚の潰し方を教わっている。
結局、日本人は伝えようとしなかっただけかもしれません。
それと、戦争でアメリカに負けたのは日本の食べ物が悪かったから、と思ってしまったことも一因です。アメリカが強くって、戦争や経済はリードしているから、アメリカの食がいいんだろうと錯覚を抱いたんです。
食文化の伝承を途切れさせた、もう一つの原因は学校給食です。これは非常に誤ったと思いますね。これははっきり書いてほしいんですが、決してアメリカは余剰農産物の小麦を日本に押しつけたわけではなかったのです。
きっちりと記録は残っているんです。GHQは米と味噌汁とおかず、「日本の伝統食にしなさい」と言っています。
「それをすると高くつく。今、日本にはお金がない」と言う日本に対して「お金はできたときに返してくれたらいい」とGHQが申し入れたにもかかわらず、パンとミルクを選んでしまったところに、間違いの基があるんではないでしょうか。
しかも学校給食で出されるメニューは、どこの国の料理かわからないものになってしまっています。
私が講演に行った小学校の校長先生は、給食が国際食だと自慢していました。もっと日本食の価値を見直してほしいから、私は「そうじゃなくて、日本の伝統食を出してください」とお願いしましたが、なかなか受け入れられません。
アメリカナイズされたスーパーマーケットやファミリーレストラン、コンビニエンスストアの登場が、これらの原因に加わって、日本の伝統的な食の衰退はいっそう拍車がかかってしまったのです。
皆さんは、よく「欧米化」と言いますがあれは間違いです。「アメリカ化」です。アメリカ化をしすぎたのです。簡便化をしすぎた。ただおなかが膨らめばいい、というところへ走りすぎたのです。
決してファストフードが悪いわけじゃありません。あれは遠い所に行くときに、ちょっと小腹を満たすための簡便食として存在したのに、日本では常食のようになったことに問題があるんです。今は1日1回ファストフードを食べないと落ちつかない、という子供まで出てきて、日本の食文化を危うくしています。
日本の農村や漁村に行くと高齢化が気になりますが、イタリア、フランスの農村や漁村には、若者がちゃんといます。
フランスは、自国が農業国に立脚した高度経済科学社会であることを子供に教えています。やっぱり「食べる」ということは農林水産業をきちんとしなくちゃ成り立たないのです。だから夏休みになったら、子供が農村にステイする。イタリアだって、そうですね。
イタリア・シシリー島は、何と自給率96%。あとの4%は、と聞いたらアフリカからくるフルーツくらいだ、と。だから、それがなくても大丈夫なんです。
シシリー島ではレストランがほとんどない。だから昼に食事をするには、わざわざホテルに戻らなくてはなりません。もちろんピザ屋とかドリンクやサンドイッチを売っている簡単な店はありますが、レストランというのはない。
ということは、料理というのは家で食べるものである、という思想が根づいているということです。だから、市場が親子連れでいっぱいですよ。活気に満ちている。あれを見て「おお、生きとる! !」と感じました。それに比べて日本は死んでいます。人々に活気がない。どちらかというと、うつろな感じです。
私はトマトの畑を見てね、ビックリした。草ぼうぼうです。日本人はきれい好き、整頓好き。だから手をかけすぎるんです。気持ちはわかるんですが、そのために人件費が高くなっています。
日本はあまりにも、きれい事しすぎです。野菜らしくない。自然らしくない。もうちょっと、ナチュラルにしてもいいでしょう。料理屋の料理も手をかけすぎです。その上、皿数が多すぎます。値段も高すぎる。
ほとんど残しているから、捨てる量もものすごい。フランスやイタリアのように多くても3皿で、もっと少なくしてもいい。それで安くなったら、みんなが日本料理屋さんに行きやすくなる。日本料理に親しみやすくなりますね。
日本は家庭料理においても皿数を多くしよう、手数をかけよう、心を込めようと、精神論を言いすぎです。
そういうことを言われると、若い人はおっくうになって、家で料理をつくらないようになる。
本当は日本料理ほど、簡単なものはないんです。刺身は切るだけ、干物はちょっと酒振って、クッキングホイルで包んでロースターで焼いたらいい。煮物は、煮汁を合わして、煮立ったら5分、10分ほど放っておいたらいい。
酢味噌や三杯酢なんか、つくっておいても半年ぐらい傷みません。それを毎回毎回、手をかけてつくろうとすることが、日本の家庭料理、伝統料理が失われていった原因なんです。
縄文の文化は、結局は生食と水で、それを生み出すのは森です。海は森で育っているんです。
逆川(さかえがわ・潮位の上昇や合流先河川の増水などによって、水が逆流することがある河川)の上流には、ほとんどブナ林があります。山から豊かな水を川が運んでくれる。それが昆布を育てていく栄養になる。だから利尻に行ったときに、昆布漁をしている方は植林をしていました。
三内丸山は縄文人ですが、食べ方としては、まずは生で、アイヌの人とほとんど変わりません。
海辺に住んでいた人は、ほぼ世界的に生で食べるんですが、それが安心であるか、安心でないか、というところが重要なのですね。
村ができるのは、それがたとえ漁師町であっても川と結びついています。安心して食べることができるために重要なのは、実は水なんです。
刺身を安全に食べられるということは、日本は安全でおいしい、清らかな水に恵まれたからです。私は、それを「水がいざなう文化」だと思います。
だからもし、この水が無かったら、日本では生食文化は発展していません。
お茶にしても、日本は水が良いからうまさと茶の色を求めている。中国は水が悪いから、香りを求める。色を濃く、さらに香りを高くする。行き着いたところが、紅茶。それがインドに渡り、ヨーロッパに渡ったら、ミルクが入り、バターが入り、砂糖が入り、レモンが入り、生クリームが入り、どんどん厚化粧、脂化粧になる。
日本では刺身でさえ、氷水で洗います。鮎や鮒や鯉やスズキ。あれは、臭いを消すのと、夏は暑いですから冷たくして「涼し」を得る効果があります。ピッと撥ねた身に涼感を覚える。もちろん歯切れもよくする。そういうテクニックです。
魚とは違うけど、揚げた油揚げまでわざわざ油抜きをして。私なんか米ぬかまで入れて油抜きをしました。それは結局、脂の力を借りなくともおいしく食べられるのが日本の調理文化だからです。
神道は教典が無いんですね。もしもあるとするならば「清らか」の一言です。清らかにするということは、日本が縄文時代から持ち続けたアニミズム、神道に通ずるんです。
だから日本の食文化は、すべてにおいて清らかにすることに通じます。盛りつけも配膳も給仕も含めて。静々(しずしず)と清らかにすることだ、と。
しかし、暮らしの中であまりにも水を汚している。水にはこだわるけれど、水を汚すことには一切気を使っていない。
私は、朝食のときに自分で使った皿を紙で拭いて、皿の真ん中に水を落としてひっくり返しておきます。そうしたら渦を巻きますから、汚れはすーっと落ちる。洗剤は使わなくていいんです。
こんなことも大学で教えると、へえーと感心されます。
この間、塗り箸で有名な福井県の小浜の方が来て言いました。安い箸は売れなくて、何万円もするのが売れるんだそうです。漆器は、本当はとても強いものです。それなのに10万円の箸を買った方から、「洗ったらはげた」と苦情がきました。食洗機を使ったんです。漆器はきちんと手洗いするという生活の知恵が、本当に欠落しています。
それと、私がちゃんと言っておきたいのは、米が上じゃないということです。
穀物に上下はない。そして、貧しい土地といわれてきた、雑穀を食べてきた地域に住む人が長寿なのです。100歳を超えている人は、今の日本に3万人ほどおられますが、その70%が農林業の従事者で雑穀を食べてきた人。その人たちの食事は、ほとんどが穀物を中心にした菜食型でときどき魚を食べる。
だから、これでもって日本人のことを魚食民族とはいえないでしょう。ゆえに準菜食なんです。
ただ、憧れがあった。米と刺身を食べたい。それに醤油があったら最高ですね。現代日本人の好きな食べものは、1位が刺身、2位が握り寿司。5位が焼き魚。煮魚は20位以内に入っていません。
私は和歌山・すさみ町という所で育って目の前が海なのに、魚はそんなに食べていません。豆腐も滅多に食べなかったから、毎日麦飯と野菜。ときどき自分で釣ってきた魚を、それこそ頭も何もかも皆、余すところなく食べた。行儀悪い、と言って怒られたけど、炊いた汁まで飯にかけてね。それで、残った汁でまた野菜を煮ました。
高度成長期に入って、インスタント食品が普及すると、日本の家庭料理、郷土食が失われていく恐れがありました。それで、残す運動をしましょうと「日本の郷土食を守る」というイベントを大阪でやりました。全国の料理研究家を中心に300人集まった。そのときに長寿沖縄の食で幕の内弁当をつくって食べてもらって。それからずっと毎月、各地に郷土料理の取材で回って、2年間にわたって連載したんです。
私はそんな仕事を30年以上やっているわけです。そういうことでアイヌのことも知らないといけない、琉球のことも知らないといけない、縄文人も知らないといけない、と。
私だって敗戦のころは、アメリカに憧れましたよ。でも、ちょっと待てよと思ったのが30歳代前半(1970年〜)。それで日本各地の伝統料理を身につけようということで全国を歩きました。昔の文献を闊歩して、伝承料理研究家として今日まできています。
今「食育」なんて言ってますけど、私はあの言葉は嫌いです。だから「食事(たべごと)の教育」と言ってます。
無駄をしないとか、食を大切にすることを積み重ねてきたら、人を思いやる心が自ずと出てくる。その上で、食べる楽しさを待つことが大切。そこから憧れが生まれる。憧れがあるから、「うまかった! また、頑張ろう」という英気が与えられる。
別に精神論を言うわけではないけれど、今のようにモノがあふれていると、そういう感情がわからなくなる。非常に人間の精神が貧相になっている気がします。
心を込めるというのは、単に表面だけじゃなくて、頭を使って食事をする、ということなんですね。