海に囲まれた島国日本。豊かな生態系に恵まれて、魚食文化を育んできたはずの日本で異変が起きている、と警告するのは環境ジャーナリストの井田徹治さんです。その異変を見えなくしている「からくり」を見据えることが、日本の魚食文化と漁業者の双方を救うことにつながります。
共同通信社科学部次長
井田 徹治 (いだ てつじ)さん
1959年東京生まれ。1983年東京大学文学部卒、共同通信社に入社。つくば通信部などを経て1991年本社科学部記者。2001年から2004年まで、ワシントン支局特派員(科学担当)。現在、科学部次長。環境と開発の問題を長く取材、気候変動に関する政府間パネル総会、気候変動枠組み条約締約国会議、ワシントン条約締約国会議、環境・開発サミット(ヨハネスブルグ)、国際捕鯨委員会総会など多くの国際会議を取材している。 主な著書に『サバがトロより高くなる日』(講談社2005)、『大気からの警告―迫りくる温暖化の脅威』(創芸出版2000)、『ウナギ―地球環境を語る魚』(岩波書店2007)ほか。
落語の寿限無に「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)」といって、絶えないものの喩えの一つだった魚が減っています。
乱獲だけでなく、環境破壊とか海洋汚染とかまで含めてみると、人間の力が大きくなり過ぎたことが原因となって魚が捕れなくなっているのです。
私がこういう漁業問題を意識するようになったきっかけは、1992年に京都で開かれたワシントン条約の締約国会議(第8回)。この会議で「クロマグロがいなくなっている」ということが問題にされました。
環境問題を扱う国際会議で引き起こされたクロマグロ騒動は、多分にエポックメイキングな出来事で、日本人にとってはすごくショッキングだったと思います。
1990年代から魚は捕れなくなっていましたから、環境サイドからのアプローチがどんどん強くなって、今まで別のものだと思われていた「環境と漁業」を同じ視点でとらえるようになっていたわけです。
環境が変わったことで漁業も影響を受けているし、魚を捕りすぎるということで漁業も環境に影響を与えている。漁業を環境問題の中に置くと、漁業者はある意味、加害者でもあり、被害者でもある。そういう今まで日本人が知らなかったものが見えてきたのです。
ちょっと外国に目を転じると、漁業資源とか海の汚染とかは、一時期、向こうの環境保護団体にとっては温暖化よりも重要な問題となっていた。私は2001年から2004年までアメリカにいたんですが、研究姿勢も日本とはまったく違っていて、そんな話ばっかりだったんです。それで「これは、取り組んでみたらなかなか面白いんじゃないか」と。
海外の水産学会は、途上国でも「生態系の中で魚はどれぐらい減っているか」とか、「どうしたら資源を増やせるか」といった資源管理のテーマで盛んに議論しています。日本の場合は漁業者も遅れているし、行政も、水産学会も環境と漁業の視点は皆無。トロールで魚を捕るときに鳥とか亀とかクジラとかが網にかかってしまう混獲問題が表面化していますが、水産庁も漁業者を守るために、混獲のデータは伏せていたぐらい。パーセクションギャップというか知識のギャップを感じました。
海外ではNGO活動も盛んです。
アメリカでも、1992年のワシントン条約の締約国会議を契機に、大きなキャンペーンが起こりました。
もともと、欧米ではそんなに魚を食べていたわけではありません。マグロが問題になったのも、実はスポーツフィッシィングとオーデュボン協会(注1)が一緒になって、マグロの話を取り上げたからです。
また規制という側面からは、NOAA(National Oceanic andAtmospheric Administration:アメリカ海洋大気庁)がちゃんと厳しい規制を設けています。
MSC(注2)のような認証制度をつけよう、という動きも出ています。この魚がサスティナブルに生産されたものかどうかという監視認定では、欧米ははるかに厳しい基準を設けています。
「銀ムツ」(チリアンシーバース:CHILEAN SEABASS)は乱獲も激しく、規制を無視した違法な漁業が7割とか8割とかいわれているんですが、それをターゲットにしたNGOもあります。レストランに行って「この銀ムツはちゃんと合法的に捕られたものか」とシェフにチェックするんです。
ニューヨークの有名なシェフたちとNGOが一緒に記者会見を開いて「私は、資源が回復するまで、もうチリアンシーバースは使いません」と宣言し、政府にも働きかけている。
「オーシャンフレンドリーなシーフードガイド」をつくっている科学者もいます。「これは資源が劣化しているから食べないほうがいい」とか「これはまあ、環境に配慮しているから食べてもいい」といった段階的な評価ガイドをホームページで公開しています。
携帯電話で魚の名前を打つと、すぐに返事が返ってきて「それはやめたほうがいい」というサービスをするNGOまであります。魚屋の店先とか、レストランで、すぐに検索ができる。
サメの保全(コンサベーション)も以前から大きな課題です。「食べる魚」という意識は低いですが、「守らなければならない生物だ」という意識は強いんですよ。
こういう関心を受けて、ウォルマートは「近い将来MSC認証を受けた水産物しか扱わない」と発表しました。
最初は環境の視点から取り上げられてきたんだけれど、魚食とか消費の部分にまで広がってきているんです。
逆に日本では、生態系ベース、エコシステムベースの資源管理をやっている所はほとんどないんじゃないでしょうか。例で挙がるのはこの20年間、「牡蠣の森を慕う会」の畠山重篤さんぐらいですから、やはりないんでしょう。
そのことが欧米の人から見ると苛立たしくて、「最大の消費国である日本がきちんと動けば世界の漁業を変えられるのに、なぜやらないんだ」という目で見ている。
日本は意外と厳しい目で見られていて、知らないのは日本人だけ、ということです。
(注1)オーデュボン協会:National Audubon Society
ニューヨークに本部を置く、アメリカの自然保護の民間団体。鳥類画家ジョン・ジェームス・オーデュボン(John James Audubon1785〜1851)の弟子グリンネル(George Bird Grinnell1849〜1938)によって1885年に創設された団体が、1905年に全米組織オーデュボン協会として発足した。地球上の生物学的多様性を維持・回復することを目指して活動する。
(注2)MSC
The Marine Stewardship Council(海洋管理協議会)が定めた漁業認証。「持続可能な漁業のための原則と基準」に基づき、第三者の認証機関によって認証される。その水産物には認証マークが与えられる。本部はイギリス。
これまで日本人は、水産物を「食べるもの」ととらえ、食べものとして大切にすればいいんだ、と考えてきました。そのこと自体は間違っていません。
戦争が終わって、豚も牛も育てられなかったから、身の回りにいる魚を捕るしかなく、魚でタンパク源を補っていた。だからといって、日本人は魚を食べ物だと思っているから捕ってもいい、と単純には解決しません。欧米の人は、アジアでフカヒレに使うためにサメのヒレを切って、身を捨てていることを知っています。
日本の沿岸漁業は、漁業権があって、アウトサイダーが入ってこられない仕組みで、資源管理もしっかりされていたんです。ところが、ある時期から産業化された漁業が導入されて、変わっていった。産業化された漁業では、政府の投資もあって巨大な船が次々につくられ、遠洋で魚を捕りました。
その後いろいろな事情はありますが、200海里規制が決定打となって締め出されて戻ってきた大型船が沿岸で操業するようになる。
しかし、そのうち日本の200海里の中で捕れていたものが、どんどん捕れなくなっていきます。限られた資源を、回復できないまでに捕り尽くしてしまったんです。まず、ニシンやスケトウダラなんかも捕れなくなります。ベーリング海も公海として一部操業可能な海域があったんですが、それもすぐになくなってしまう。サバ、アジもです。
こうした魚種が沿岸から姿を消していったとき「他所から魚を持ってくれば、売れるだろう」と考えた商社の活動というのがあって、世界中の海から魚を持ってくるようになった。
ここには冷凍技術や輸送方法の進歩というのあります。そういう条件がうまくそろって、魚は「捕るもの」から「他所で捕ったものを持ってくるもの」に変わりました。
文化と呼んでいいのかどうかわからないけれど、豊かになる過程で食のあり方も変わりました。
そのせいで流通の形態も変わり、サスティナブルだった魚屋さんはなくなってしまいます。魚はスーパーマーケットで買うものになりました。
このようにさまざまな要素に影響されて、大きな構造変化が典型的に表れてきたのが魚食なんです。
スーパーマーケットは一定期間大量に供給があって、安定した流通をするものにしか手を出しませんから、魚種が限られてくる。エビとハマチ、マグロ、あとはイカ、タコの類い。早い話が刺身盛り合わせに入っている魚種がメインということですね。きちんと調べたことはないんですが、スーパーマーケットにある魚しか食べませんから、食べる魚の種類は少なくなっているように思います。
昔から食べられてきたアジ、サバなんかは高いものになってしまったということもありますが、減ってきていますし、メバルとかメゴチとか、沿岸で捕れるシーズナルなものを食べなくなっています。
天然の魚は、これからは絶対に増えませんから、人口が増えて魚が減ったら、養殖に頼るしかありません。かつて問題になった海洋汚染や薬の使用というのを改めて、持続的な養殖で需要を満たすしかないんです。
水産庁は商社が海外から魚を輸入してくることをコントロールできないので、「つくり、育てる漁業」ということで養殖を始めました。日本の養殖技術は進んでいて、ある程度は成功しました。
ところが他所から安い魚がどんどん入ってくるようになって、価格面で競争できなくなって、養殖も廃業に追いやられてしまいます。それで今、残っているのは鯛、ハマチぐらいです。
養殖に対するイメージは、やはりあまり良くなくて、それなら他所から持ってきた天然物のほうがいい、ということになっている。また、単に「安ければいい」と思う消費者意識が、そこにあるわけなんです。
海外の養殖はマグロが典型的な例で、技術は日本が教えたんですが、とても広い海が必要なんで場所を選ばないとできない。それと労賃が安くて、そばに畜養するための稚魚がいなくてはならない。その条件がそろえば、資源的にはともかくとして、コストとしては非常に良いんです。
畜養マグロの良いところは、安定した出荷ができることと、脂がのったマグロを安定的につくれるところです。日本人がトロ好きだったので、それが強みになるわけです。昔は高嶺の花だったマグロが、畜養のおかげで安く身の回りにあふれるようになりました。
ウナギも同様です。中国などが安い労働賃金で始めたので、資源的には悪くなっているのに、大量に入ってきて価格が暴落。それで日本人が、ますますたくさん食べるようになって。資源的には危険な状態になっているにもかかわらず、売れるからみんなが参入してきて供給過剰になっています。
しかも、畜養と養殖の違いすら、はっきりさせていません。卵から育てているんだからサスティナブルなんじゃないか、と、みんな思っていますよね。しかし、マグロとウナギは畜養といって天然の稚魚を大きくして出荷する。畜養で元になる稚魚の乱獲が問題になっているんです。そのことをあいまいにして、「養殖はサスティナブル」というのは、大きな間違いです。
そういう状態を続けてきたおかげで、ウナギはとうとう稚魚がとれなくなって、資源枯渇の問題から再び価格が上昇し始めています。鮭は少なくとも完全養殖(人工孵化から育った親魚が産んだ卵を再び孵化させること)でやっていますから、資源的には安定しています。マグロも近畿大学が世界で初めて完全養殖に成功していますが、主流は畜養です。
法外に安いということは、実はコストがどこかで外部化されているということなんです。
今、「魚が捕れるようになった」と言う人はほとんどいないはずですが、沿岸のデータはほとんどありません。しかも、日本で取られているデータは、漁獲量であって資源量の調査ではないんです。
資源がたくさんあっても、捕らなければ漁獲量は増えませんし、資源が劣化していても、たくさん捕れば一時的に漁獲量は増えますから、漁獲量だけでは資源量は把握できません。魚の年齢構成や雄、雌の比とかまで取らないとデータとして意味がないんです。
秋田のハタハタの場合は、ハタハタを捕る権利(漁業権)を持っている人が明確だったために、みんなで我慢して守ることができた。しかし、ハタハタの例は特別です。普通は自分が捕らなくてもほかの誰かに捕られてしまうのがわかっているから、我慢する意味がないのです。
よく言われる「コモンズの悲劇」の典型的な例ですが(注3)、公海はインターナショナルなコモンズなんです。もっとリージョナルなことでいったら沿岸の誰もが気軽に行かれる魚場も、です。もちろん漁業権のことはあるにせよ、比較的その制約が緩やかな所は、「コモンズの悲劇」を被ってしまう。
自分たちが我慢して規制しても、目の前で外国の漁船が来てみんな捕っていってしまうかもしれないわけですし。これからはコモンズの管理というものを早急に考えていかなくてはいけない。しかし、実際には強制力がない。しかもみんなのコンセンサスで決めるので、規制は弱くなるし、加入のインセンティブが弱いので非加盟者が来て捕ってしまうことを防ぐことができない。
仮にみんなが加入してきたら、限られた資源を新規参入者に割り振らなければならなくなる。そのために、既に手にしている既得権を削っていかないと足りないわけです。
だから余地を残した段階で、早くから始めればいいんですが、ぎりぎりまで追い詰められないと始めない。人間って、そういうもんでしょう。既参入者に配分する漁業枠の設定をどうするか、というところは非常に悩ましい問題です。
こういう理由もあって、国際的な漁業管理機関というのはうまくいっていないですね。
何よりも規制に参加するインセンティブを上げなくてはならないのです。そのためにワシントン条約のように貿易的な措置をして、「こういう規制に加入しないで捕った魚は買いませんよ」と言うのは効果があります。
ワシントン条約は非加盟国から買ってはいけないんですよね。フロンガスもモントリオール議定書に加盟していない国から買ってはいけない。IWC(国際捕鯨委員会:International WhalingCommission)も非加盟国から鯨を買ってはいけない。このような貿易的措置を強制力として持たない限り、加盟のインセンティブというのは生じない、と思います。
WTO(世界貿易機関:WorldTrade Organization)でこれだけ「自由貿易のルール」といわれるとかなり厳しい。でも、環境保全とか資源管理のための規制なのですから、そういう基本的なルールに優先されるべきです。
NGOや意識の高い人たちは、いくら資源管理と言っても地域の漁業者が耳を傾けてくれないので、ワシントン条約による貿易規制というほうに流れている。流れとしても貿易を縛る、と。
強制的であっても、「規制に従わなければ国境で税金をかけましょう」とか、「オフセットするだけのクレジットを持って輸入しない限りエコダンピングはやめましょう」とかいった環境保全のための貿易的措置をしなくてはならない。まずは、ただ乗りしている人が得できない仕組みをつくらなくてはなりません。
これは地球温暖化のことにも通じることです。先進国が今まで魚を捕ってきたんです。そこに途上国が入ってきた。その途端に「捕り過ぎているから、お前たちはもう捕るな」というのは通らない。
地球温暖化は、皆さんだいぶ意識するようになって、インセンティブも上がっています。それに比べて漁業の資源管理が進展しないのは、危機を見えなくする要因が、いろいろと働いているからです。
(注3)
アメリカ・カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者ギャレット・ハーディンは、1968年の論文『共有地の悲劇』の中で「それぞれの農家ができる限りたくさんの利益を求めて、共有地(コモンズ)に他の農家より多くの家畜を放牧しようとした結果、過剰な放牧が起きて牧草地がだめになる」と指摘した。この現象が規制のない魚場でも起こることを、アメリカのジャーナリスト、スザンナ・イウディセロらが『乱獲の経済』の中で解説している。(Suzannna Iudicello, Michael Weber, Robert Wieland:Fish, Markets, and Fishermen;The Economics of Overfishing,Island Press 1999)
サバ漁なんかも太平洋も対馬も、完全に捕れなくなっているんだけれども、なぜ消費者が気がつかないかというと、ノルウェーから大量に別の種類のサバが入ってきているからです。脂がのって「こっちのほうがおいしい」なんていう人もいます。魚種としてはタイセイヨウサバといって、別物。でも消費者は、魚種交代が起きていることすら気づかないで食べ続けています。
築地に行くとあれだけ魚がいっぱいあって、世界中から集まってきています。畜養マグロとか、畜養うなぎがあふれている限り、誰も魚がいなくなったとは考えない。
このように「危機」を見えなくするものがたくさんあるんです。
1つは、ある場所で捕れなくなったら場所を移動する。スケトウダラなんか、ずっとこういうことをやっていた。しかし、もうどこに行っても捕れなくなってしまいました。
もう1つは、魚種を変えていく。タラにも種類があって、これがだめならこれ、という風に魚種を変えることで補っていきます。それもやがてだめになります。今はニュージーランドでホキという南のタラなんかに手を出しています。
あとは畜養です。とりあえず目の前に魚はきますから、魚がいなくなった感じがしない。しかし、本来の資源管理にかかるコストを反映させていませんから、これも早晩立ち行かなくなります。
まあ、この3つが危機を見えなくしている構造要因です。
TAC(タック・Total Allowable Catch:漁獲可能量)魚種は、200海里時代になって海洋法条約で資源管理が定められている魚種のことです。サバとかズワイガニ、サンマなど15種類ぐらいあります。
科学者が「これぐらいなら捕ってもいい」と決めたABC(Allowable Biological Catch:生物学的許容漁獲量)はTACとは別なもので、研究者などの話を聞いて決めた数値です。
TACがABCを上回らなければいいんですが、たいがいはABCよりTACのほうが多いんですよ。
ところが科学者が「ここまで捕っても大丈夫ですよ」と言っているにもかかわらず、サンマはなぜかTACのほうが低いんです。
つまり資源管理のための数値ではなく、TACは業界のための数値なんです。資源が豊富にあっても、魚価が下がるのが嫌だから捕らない。ですから日本の漁業界では、資源が安定しているものに関しては、ABCよりTACのほうが低いんです。守るべきズワイガニとかスケトウダラとかはTACのほうが多い。これでは水産庁のお墨付きで乱獲をしていい、と言っていることになります。
その上、密漁がありますから、本来だったら、不確実性の部分に対して予防的措置として、ABCより少ない量で漁獲可能量を設定しなくちゃならないんです。
もっといけないのは、早く捕ったもの勝ちのオリンピック方式。TACを越えたら捕るのをやめましょう、といわれているんだけれど、報告までに時間のギャップがありますから、そのときには既にオーバーしています。
またTACで決めているのは、あくまでも量。だから今、日本では1歳、2歳の若いサバをいっぱいとって、中国に輸出しています。国産の天然サバなら良い値段で売れるようになってきているから、4年も待って大きく育ったサバを捕ればいいのに、我慢できないんですね。輸出されたその小サバも、もしかすると肥料になっているのかもしれない。
ところがもっと恐ろしいことに、小サバを輸出したことが、水産庁のモデルケースとして推奨され、水産白書で取り上げられているんですよ。
アイスランドとかノルウェーはTACをABCより少なく設定して、ちゃんと資源管理を行なっています。
ちゃんとやっている国は、実は得をしているんですよね。少ししか捕れないけれど、競争もなくなって、無理に大きな漁船をつくる必要もなくなった。オリンピック方式じゃないから、わあっと慌てて捕りに行く必要もないし。捕った魚も高く売れて。だからこんなにノルウェーから魚がきているんです。
ノルウェーも一時めちゃくちゃなことをやって水産資源が減ったんだけれども、こうやってすごく利益の出る漁業を実現しています。
そうなった理由の1つには、漁獲枠を漁船ごとに与えていることがあります。漁獲枠は売り買いもでき、まさに排出量取引と同じです。漁獲枠ごと漁船が売れるので廃業も簡単。ソリューションというか、解決法としては、多分温暖化でも漁業でも同じなんだと思います。
日本では総量だけを決めているから、どんなに古くて効率の悪い船でも0よりはいい、と捕りに行ってしまう。
ラベリングとトレーサビリティに関しては、ヒモつきになってしまいがちですから、独立した認証組織をつくるために、流通業の人たちが一歩踏み出すべきなんでしょうね。
MSCの認証は、あまりに厳しいためになかなか普及しないということはあるにせよ、それ故に信頼性が高く評価されています。
MSCを最初に始めたのは、WWFとユニリーバ(Unilever plc)という会社です。ユニリーバは、イギリスとオランダに本拠を置く食品やトイレタリーなどの家庭用品メーカーです。
ユニリーバがこのままの漁業じゃまずい、ということでWWFの働きかけもあって始め、ある時期WWFの手を離れて独立した組織になりました。
欧米の消費者は意識が高く、インターネット上で「MSCを扱っていないのは、こことここ」みたいにランキングをバンバン出されたりするし、企業もうかうかしていられないということなんです。やらなければ叩かれるし、やればほめられる。それはCO2の排出も一緒です。欧米は、もうこれで動き始めた。ここで差別化してマーケットを取ろうと思うから、企業も必死なわけです。
ノルウェーやアイスランドは独自にトレーサビリティ制度を設けていて、魚の切り身にタグがついていて、パソコンに入れると生産者まで遡れます。そういうところも出ているんです。みんながそれを選んで買うようになれば、いわゆるフリーライダーは排除されますよね。少しずつそういう方向に世の中は動いていますから、日本だけ違うというわけにはいかないんです。
誤解を招くことを防ごうと、名前のガイドラインを水産庁がつくりましたが、まだまだです。
北朝鮮から持ってきて、1週間有明湾にいたら国産になっちゃう。何が国産なのか、という明確な基準もないんです。
日本の漁業者の平均年齢は60歳を越えている、といわれています。戦後つくられた大型船も、そろそろ更新時期にきているけれど買い替えはできません。そうなると、高齢化もあって廃業するしかない。今のままでは補助金(税金)を払っている人も不幸だし、漁業者も不幸だし、魚も不幸だし、三重苦のような状況です。
まずは消費者に問題意識を持たせるために、科学者やNGOが「安ければいいのか。こんなに安いのは間違っているんじゃないのか」という声を上げていくことでしょう。啓発活動ですね。
多少高くても、これだけ成熟した社会だったらきちんとしたコストを払っていけると思います。農産物では既に実行されていますし。そうなれば、貿易的措置までやらなくても、代替え措置として機能していくと思います。
あと、これだけ環境が悪くなると禁漁にするだけでは資源が回復しないから保護区の設定が必要です。
2002年8月に南アフリカ共和国・ヨハネスブルグで行なわれたWSSD(World Summit on Sustainable Development:持続可能な開発に関する世界首脳会議)の行動計画の中にも、マリンプロテクテッドエリアを何割つくらなくてはいけない、と書いてあります。
保護区を実現するにはかなり漁業キャパシティを落とさなくてはならないんで、そういうときは漁業者は転職してもらって、エリア内でエコツーリズムをやるとか、今は観光客がアワビやサザエを捕ることはできませんが、お金を払って可能にする観光エリアをつくるなど、沿岸の使い方も再編成する必要がありますね。
そういった意味で変わっていかなくてはいけない。コンクリート護岸もずいぶん壊さなくてはならなくなるし、港も考えなきゃいけない。もちろん地先だけじゃなくて公海も同じです。
本当は陸も海も川でつながっているんだから、海と陸が一体になった自然保護区をゾーニングしていかないとなりません。林業は既に破綻した産業になりつつあります。林業は国営だったから赤字が見えてきたけれど、個別で細々やっている水産業の破綻の具合は見えてこない。でも、税金はどんどん投入していて、その分、根が深い。その補助金も、WTOで問題視されています。
とはいうものの、「じゃあ、あなたはどこまでやっているんですか」と聞かれると困る。私も回転寿司を食べることもありますよ。ただ、真っ黒じゃないにしてもグレーなものは避けるとか、少しは意識して選ぼうと思っています。
問題は、何かをやろうとしても今の私たちに選択肢がないということなんです。神奈川県の三浦漁協なんか、すごくしっかりしていて、土地や漁業権を他所に売ったりしなかった。でも、消費者も毎日三浦半島の漁協まで行くわけにはいかないですからね。
野菜は選択肢が増えています。それと同じように、魚もまずは選択肢を増やすために、町の魚屋さんを復活させたい。
WWFとユニリーバが組んだのは、確か1998年ごろのことです。日本にも、こういう企業が出てきてほしい。外資が入っている企業は、投資家からのプレッシャーがありますから対応が早い。そういう意味では日本は資本市場も閉鎖的だしハンデが大きいですね。
やはり名乗りを上げて、それを売りものにするところが出てくれば、メディアも取り上げるし売り上げも上がる。成功したモデルケースが登場するのが、改善への早道かもしれませんね。