機関誌『水の文化』29号
魚の漁理

第22回水の文化楽習実践取材
県民と漁業者が一丸で守るハタハタ文化
禁漁で資源を回復

目の前の魚を捕らないことで、ハタハタの資源回復を果たした秋田県漁業協同組合。回復後も守り続けている厳しいルールは、世界でも例のない卓越したものです。 現・代表理事組合長の杉本八十治さんが、その苦渋の決断に結びついた、秋田県民のハタハタへの特別の思い入れを語ってくれました。

編集部

杉本 八十治さん

秋田県漁業協同組合代表理事組合長
杉本 八十治(すぎもと やそじ)さん

資源管理と漁獲を同時に成り立たせるのは、実に難しい。しかし、その難問に漁業者自らが向き合って、秋田名物のハタハタを枯渇から救ったのが秋田県漁業協同組合だ。

禁漁とは、「魚を捕るのを我慢する」という、漁師にとって一番辛い方法。この取り組みがなぜ実現できたのか、代表理事組合長の杉本八十治さんにうかがった。

ハタハタ漁獲量の推移

ハタハタ漁獲量の推移(日本海北区)
水産庁統計から作成

禁漁に踏み切る

この時期は背広を着て格好をつけてなくっちゃいけないんですが、今でも季節になると漁に出ているんですよ。19tの船。息子が先頭に立って、4、5人で乗っています。実践は私のほうがあるんだけれど、退いた形になっています。まあ、息子を立てなくちゃいけないんで。息子は30歳代です。

魚が少なくなっているということは、感じます。私の考えでいえば、山の木が伐採されて豊富な栄養分を含んだ水が海にこなくなっちゃって、それが影響しているんじゃないのかな、と若いころから思っています。

だから植林についても関心がありますし、私たちのできる範囲内のことはやろうとはしているんですが、なかなか分野が違うと難しい。入っていけないということがあるんで、ジレンマを感じていますよ。ただ、水については、私も非常に関心を持っています。

この名刺は(ナマハゲがハタハタをくわえているイラスト入り)、私が代表理事組合長になってからつくったものです。

私は組合長になって3年目なのですが、先代の佐藤孫一さんという方がハタハタの禁漁を実践した人なんですよ。

この人はもう25年も組合長さんを、長くやっていまして、その跡を引き継いだということで、私はまだまだほやほや、赤ちゃんみたいなものなんです。

佐藤さんは初代代表理事組合長。実は今の秋田県漁業協同組合は、合併組合なんです。それまでは秋田県にもいっぱい漁協さんがあって、9の漁協と漁連とが合併して佐藤さんが組合長になりました。佐藤さんは、漁連当時は5代会長でもありました。

合併の背景には国の方針もあり、漁協合併促進法が施行されてからは、秋田県は大分県と同時期に最初に一本化しています。

佐藤さんがハタハタの禁漁に踏み切ったころは、私もまあ若手の急先鋒で、反対派の人たちと議論を闘わせた一人なんです。

結果的には、組合も資源を回復させるための努力をしましょう、ということでまとまりました。

ハタハタ漁の最盛期1966年(昭和41)には、秋田県で2万1000tも捕れていたんです。それがピークで、だんだん下降線になっていきました。下降線にはなりましたが、まだ1万何千t、1万tというぐらいは捕れていたんです。右肩下がりにはなっていたんですが、1978年(昭和53)に確か3500tぐらいに激減したのを契機として、減り方が急激になってきた。それで1991年(平成3)には、とうとう71tしか捕れなくなったんですよ。それで漁業者の中から、「このままでは秋田でハタハタが捕れなくなってしまう」という危機感が現実味を帯びてきました。

ハタハタという魚は、秋田県の人にとっては特別な思い入れのある魚なんです。捕っている漁民にも愛着があるし、食べるほうの、食文化というか県民にも愛着がある。その思いが、隅々にまで行き渡っています。食べ方もいろんな食べ方をしているんですよ。

それが71tしか捕れなくなっちゃうと、もう大変だ、ということで、漁業者自らが「このままでは大変なことになるから、なにかやろうと」。

最初の話は、平成の元年(1988)ころから、もう出ていたんです。何ができるのか、もういろんな意見がありまして。平成3年ぐらいになりますと「禁漁したらどうか」と、具体的な意見が大勢を占めました。ここに行き着くまで、もう、大変な作業だったんですよ。

もちろん、行政サイドも私たちの意見を聞きながら動いてはいたんですが、やはり浜の漁民が中心となってやろう、と。

おそらく日本全国、いやもしかすると世界でも例を見ないことではないでしょうか、生産者が自らこういうことに動いた、ということは。おそらく、ないと思うんですよ。それを、このハタハタに関しては「やった」というのが現実なんです。

ただ、リーダーシップは、何度も言いますけど佐藤さんがとられた。これは間違いのない事実なんです。組合長さんでもあり、何と言いますか意見集約の要ですよね。今、佐藤さんは80歳になられますから、60歳代のときのことです。

ハタハタは秋田の宝

ハタハタは、昔から捕れましたから秋田県人に非常に馴染みがあるんで、禁漁にまで踏み切れました。ほかの魚でも、右肩下がりでハタハタと同じように急激に減った魚もありますが、なかなかそこまではできません。

それは先程も言ったように、豊富な栄養分を含んだ水が山から下りてこなくなった、ということが原因ではないかなあ、と私は思っているんです。また、藻場がなくなった。それはコンクリート護岸にも原因があると思うのですが、それは我々が国にお願いをして、つくってもらってきたという経緯がありますから、自分たちが頼んでつくってもらったものの、果たしてこれで良かったのかどうかと反省するところが多々あります。

生活排水は流れ込む、藻場は磯焼け状態になっている、そういう悪循環の中で、我々の生産物であるハタハタが減少してきたということは、現実に目に見えることなんです。

今、顧みますと、さまざまな反省はありますけれど、当時はそれを良しとしてお願いしてきた経緯があります。先人のやったことを否定するということは、これはなかなか難しいことでもあります。ただ、まあ、現実はきちっと見据えていかないといけない、とは私は考えています。

とにかく秋田県民にとって特別な存在であるハタハタだけは、絶やしてはいけないという一念でやってきました。

1991年には、71tしか捕れませんでしたから、みなさんに行き渡らないわけです。絶対数がないんです。料理屋さんとか、商売の人は大量に買いつけてストックしておかなくてはならない。だから一般の人が食べるには数が足りない。県民のみなさんも食べたいんですよ。だから3年間の禁漁期間は、県民も一体となって応援してくれたと、感謝しています。

やはりこれは、県民の応援なくしては、3年間もの禁漁はできませんでした。

「資源量を回復させて、みんなに食べてもらえるように禁漁します」

ということは、あらゆる会議などで機会があるごとにアピールしました。NHKも取材に来ましたが、こういう狭いところですから地方局が会議室の中に入って、その日の夕方にはテレビで放映する、と情報をガラス張りにしていったんです。そのために「ああ、漁業者が頑張っているんだな」と理解してもらうことができました。

近県3県に全長制限を要請

始めるにあたっては、最初から「3年間の禁漁」と決めていました。そして3年後に禁漁を解くときの条件も、あらかじめ決めておきました。

それは「総資源量の半分は捕りましょう」という取り決めです。この取り決めは1995年(平成7)に解禁になってから、今も13年間守っていることです。

ハタハタ漁は、沿岸では定置網、沖合では底引き船が主です。沿岸では刺し網量も多少行なわれています。

総資源量の半分という漁獲枠の配分も、沿岸と沖合で決めてあるんですよ。沿岸で6、沖合で4です。

決めた漁獲枠は、各船で割り振ります。それに達したら捕るのをやめます。それはきちっと守られています。ですから、ハタハタの場合は、漁獲量のデータも資源量のデータも正確な数ですし、決めたこともきちんと守られています。

私の船にも割当があります。大漁のときには、1回でその年の割当量に達してしまうときもあるんです。そして、そういうときには当然みんなはルールを守って捕るのをやめるんですよ。

そして捕ってもいいハタハタの大きさも15cm以上と決めています。15cm以下の魚は捕らないように、網の大きさにも制限を設けています。ハタハタは2歳魚から産卵を始めます。2歳魚で15cmぐらい。寿命はそんなに長くなく、4歳ぐらいといわれています。4歳魚だと、22〜23cmにもなります。

この全長制限は、秋田県の漁業者はもちろんのこと、隣の山形県、新潟県、青森県にも禁漁を始めるときに協力要請をして、きちっと調印をしてもらって、今でも守られています。

魚は秋田県だけにいるわけではないので、他県に対しても働きかけて活動しているところです。

ただ、秋田県が禁漁している間も、他県では捕っていたんです。これは当然のことでしょう。ハタハタが捕れなくなって以降、非常な高値で取引きされていましたから。しかも、他県ではあまり珍重されない魚なんです。だから秋田に持ってくれば高く売れる。当時は1匹、1000円とか2000円以上したんです。

組合員にとっては、つらいです。他所の船に魚を捕られるというのは、漁師にとって一番悔しいところですから。

ハタハタが北上

実は、解禁になった現在も、その問題は続いているんです。

ハタハタは12月になると、産卵所である秋田の沿岸に接岸してきます。

ハタハタの生育条件として、海水温度が9度が適温なんです。富山でも12月初めに雷が鳴るとブリがくる、というのがあるでしょう。秋田でも雷が鳴るとくるんですよ。例年は、その時期に県沿岸で海水温が9度になっていたんです。

これは私の実感ですが、ここにも温暖化の影響が見え隠れしています。つまり、ハタハタの産卵場所が北上してきているんです。

今までは、青森の北側の沿岸にハタハタが大量に接岸するということはなかったのに、ここ4、5年ものすごい量が青森に接岸するようになっています。北に移動しているんです。

それで先程言いました3県協定でも「15cm以下は捕りませんよ」という取り決めしか結んでいないわけです。

ところが温暖化で北上した先の青森では漁獲量に制約がないもんですから、どんどん捕る。それが秋田県に逆流してきますから、組合員としては非常につらいところなんです。そういう不平不満が「執行部、何やってんだ」という声となって、我々のところに押し寄せてくるわけです。

ハタハタの流通のことをご説明すると、組合員の捕ってきたものは我々の市場で競りにかけられます。最盛期の北浦の市場なんかは、ハタハタの箱がそれこそ何千箱と積み上げられ、それは壮観ですよ。それとこれは仲買の抵抗があるんですが、生産者と消費者を直結して直販もやっています。ものすごい数のお客さんですよ。

他県で捕れたものは、中央市場に出ます。その量が無視できないほどになっているので、ハタハタの価格の下落が問題になっています。

我々では「総資源量の半分捕りましょう」と言っているわけですね。ところが他県からも入ってくるんですから、組合員が不満に思うのも無理はありません。そこに私としてもジレンマがあるし、なんとかしないといけないと思っているところです。

本当はMSC認証(注1)のように、ちゃんと資源管理されたハタハタ以外は市場に入れないようにするとかの手段がとれればいいんですが、やはり商売ですからそこまでやるのは難しいですね。

産地表示は当然義務づけられているから、秋田のものかどうかははっきりしているんですが、例えば片や1匹100円、片や50円という話になると、やはり安いほうに手が伸びるんじゃないでしょうか。

ですから、メディアに取り上げられることによって、側面から支援してもらえたらいいなあ、と思っているんです。

我々は藻場の造成を始め、ハタハタ資源を増やすために、コストを掛けています。だから、多少高くなるのはやむを得ない。そこら辺のところが消費者にうまく伝われば、理解してもらえると思うんですがねえ。

しかしやはり人間というのは、高いよりも安いほうがいい、と思ってしまうものだから。なかなか難しいところですが、我々が努力しているということだけは、県民のみなさんにも理解してもらいたいです。

(注1)MSC
The Marine Stewardship Council(海洋管理協議会)が定めた漁業認証。「持続可能な漁業のための原則と基準」に基づき、第三者の認証機関によって認証される。その水産物には認証マークが与えられる。本部はイギリス。

ハタハタの回遊経路と漁場 (日本海北部系郡)

ハタハタの回遊経路と漁場(日本海北部系郡)
秋田県漁業協同組合HPより作成
http://www.akita-naisuimen.com/

地図ダウンロード

資源回復が目に見える

藻場の造成も、漁業者が自らやっているんですよ。

まん丸い卵をブリコというんですが、ブリコはきれいな水で流れがある所でないとダメなんですよ。水が澱むと腐ってしまうんです。だからそういう所に打ち寄せられたブリコを、漁業者が船を出して採ってきて、きれいな水の所に移してやっています。

ブリコが漂って沿岸に寄ってくるまでに回復しています。

秋田港付近はほとんどコンクリート護岸になっていますから、藻場となるのは男鹿半島周辺、象潟(きさかた)の辺りの岩場、八森(はちもり)、岩館周辺。この辺が主たる産卵所となります。その中でも男鹿半島の北側の北浦港、相川港が代表的な産地です。

半分しか捕らなくなったから、その辺りでは増えたハタハタが産みつける海藻が足りなくなってタマブリコで産卵しているんですよ。それが、さっき言ったように海岸に打ち寄せられてくるんです。

しかし苦労もありますが、禁漁前10年ぐらいはタマブリコが打ち寄せられるなんて、全然想像もつかない状態だったんですから、有り難いもんです。右肩下がりになった当時は、ブリコを探すのも大変なぐらい減っていたんですから。

海が荒れるとタマブリコだけじゃなくて、海藻も抜けて海岸に寄ってくるんですが、そういう海藻にもまったくブリコがついていませんでしたねえ。無いの、まったく。

ちょっと話が逸れますが、秋田の人はこのブリコをかじるんですよ。イクラと違って殻があってパリパリするんです。その殻は出すんですが、珍味ですよ。腹の中に入っているときは、ヤワいんですが、産卵すると殻が固くなるんです。醤油をかけたり、酢の物にしたり。

今は禁漁ですよ、ブリコは。

資源が減少してからは、県の条例で拾って食べることも禁止されています。商品として売られているのは、加工品として売られているハタハタの腹に入っていたブリコです。

食文化もいったん途切れる

実は禁漁にして困ったことが、一つあります。禁漁前から県民の口に入りづらい値段になっていたので、ハタハタを食べる文化がいったん途絶えてしまったんです。

ハタハタが減ってからも、秋田県民が必ずつくる料理といったら、飯寿司でしょうかね。若い人はつくれなくなっていますが、年配の人がいる家庭だったら必ずつくります。12月の初めにつくって、1カ月は寝かしておきますから、食べるのは正月明けですね。

私が子供のころは、学校に持っていく弁当も全部ハタハタでした。どこのうちも。飯寿司(いずし)もあれば三五八(さごはち)漬けとかね。おかずがそれしか無いのよ、ガッコ(大根の漬物)とね。

私は1947年(昭和22)戦後の生まれですから、子だくさんの時代。同級生がたくさんいます。寒い時期はストーブの上に弁当を載せて暖める。それが全部ハタハタ。教室中、ハタハタの匂い!

3、4年前には、秋田県の県民魚になりましたからねえ。まあ、なるのが遅いぐらいでしたけど。

話は戻りますが、粕漬けなんかはハタハタがたくさんないとできないわけですよ。そういう料理法は消えていってしまいました。

だから若い人たちには、料理の仕方が伝わらずにいったん途絶えてしまった。これが困るんで、私が組合長になってからは「若妻会」とかでお魚を提供して、三枚下ろしの仕方だとか内蔵を取ったり鱗を取ったりから教えています。

秋田でさえ、そういう状態になっているんですよ。まずは食べてもらわなければ始まりませんから。それで今、私は一生懸命やっています。

秋田、ハタハタ、と言うと、他県の人はすぐに「しょっつる」を思い浮かべるかもしれません。こういう製品の加工業者さんも、生産量が落ちたときには材料が手に入りませんし、手に入ったとしても大変高価になってしまったので、たくさんないと製造できないしょっつるのような製品はつくれなくなってしまったんです。

しょっつるは大量に漬け込んで、発酵させた上澄みの汁ですから、1匹1000円もしたらとてもつくれません。そういう製品づくりも、いったん途絶えてしまった。

それを復活させるのに、今、大変難儀をしていると。そういう人方(ひとがた)を復活させるのに、とにかく難儀をしていると。だって、食べたことのない人方が主婦になって、子供を育てているわけですから。30歳代後半から下の世代は、まったく知らないですから。

魚を食べなくなっているし、飯寿司のつくり方も三五八(さごはち)のつくり方も知らない、もっとも基本となる三枚下ろしもできないというんですから。これが現実なんです。

でもまあ、効果は出てきていますよ、魚を食べるようになりましたから。

女性は調理を覚えるのが楽しいんでしょうね。組合のほうに来て魚を買っていって、習ったとおりにうちでもやっているみたいです。スーパーなんかに行くと、お刺身とか下ろしてあるのが売られていますが、下ろし方を覚えたら丸ごと買ってきて自分で下ろしたほうがおいしいとか、内蔵とか捨ててしまっていたんだけれども、料理法を覚えたから食べるようになったとか。

そういう話を聞くと、非常にうれしくなりますねえ。

地元で捕れた顔のわかる魚

秋田で捕れた魚の内、30%は秋田県で消費されます。残りの70%は県外に出荷します。ところが、おかしな話なんですが、その70%と同じぐらいの量の魚が、逆に秋田県に入ってくるんですよ。

それが輸入魚であり、県外産の魚なんですね。

流通というのは不思議ですねえ。量からいったら、秋田県で捕れた魚と、県内の消費量はばっちり合うんですけれども、それがうまくいっていない。料理法や好みもあるから、秋田県で捕れた魚だけを食べてほしい、という風には一概に言えないんですけれども。

これが現状なんですね。それで私はここに切り込んでいこうと。少なくとも半分ぐらいにはしたいですねえ。

入ってくる70%の魚というのは、形が見えない魚なんです。お頭も骨もない、どんな形をしているかもわからない魚です。そういうものがパック詰めで売られているということについて、私は挑戦していこうと。無謀な挑戦なのかなあ、とも思うんですがね。

秋田県で捕れた魚を、自分のうちのお母さんが下ろして食べる。今注目されている食の安全ということからいったら、意味の深いことだと思うんです。

秋田でも魚屋さんは減っています。スーパーマーケットが押しているんです。残念なことですね。

ただ、スーパーの刺身盛り合わせが悪く言われたり、魚屋さんがなくなってスーパーでは沿岸の魚が売っていないとか言われていますが、この近所のスーパーの中には、秋田県産の魚を置いてくれている大手さんもありますよ。

また「丸ごと市場」という生鮮食品の市場には、秋田県産のものを多く置いてもらっています。

漁業青年部といって、我々の仲間の若い人たちが生産者と消費者を直接結ぶ活動を、もう大々的にやっていますし。

それとフグね。トラフグってあるでしょ。下関産が有名ですが、秋田県でも200tほど揚がるんですよ。

このトラフグは、ハタハタの禁漁期間に「なんとかそれを補うものを」と探した結果、意外と捕れるということがわかって、助けられた魚種でもあるんです。

それで今、周辺の料亭さんと組んで秋田県産のトラフグを売り出しています。だんだん所属する料亭さんも増えまして、結構流行っています。秋田で食べるんなら、遠く下関からくるフグより新鮮でおいしいと思いますよ。

禁漁に関しては、本当に大変な思いを経験しました。年配の方々は「3年間も捕らなかったら、我々はもう死んでしまう」と言って。「もう漁をやめるような年なんだから、どうしてくれるんだ」って。年代的には、若手のほうが資源を守って回復させよう、という声が多かったですね。私もそのうちの一人だったんです。若くはないんですが、漁業者の中では40歳、50歳は若手に入るんです。

今は結果がOKですから、組合長なんて偉そうにこんな所に座っているんだけれども、とにかく成功させなきゃダメだということで、あちこち走り回ったし努力もしたし。その結果、ここまで資源が回復したというのは、本当にうれしいし、有り難かったですねえ。

「丸ごと市場」には、ハタハタをはじめ、地場の水産物、農産物がたくさん並んでいた。生のハタハタは鳥取県産。

「丸ごと市場」には、ハタハタをはじめ、地場の水産物、農産物がたくさん並んでいた。生のハタハタは鳥取県産。

漁業者がここまでできる

そういう意味で、去年は典型的な出来事がありました。

資源量が6000tぐらいあったんで3000tは捕ってもいいんですよ、という状態だったんです。ところが15cm以下の小さいハタハタばっかりだったんです。それで、浜の漁業者が自主規制して捕らなかった。

そのために19年度の水揚げが非常に少なくなっています。資源量は増えているんですが、漁獲量が減っている。15cm以下の2歳魚が中心だったものですから、漁業者が「捕らない」と自主的に判断したということです。

漁業者がこういう意識レベルにまでいったというのは、ちょっとないことですよ。漁業者というのは荒海に出て行って、人より先に大量に捕る、それが勝ちなんだ、という考えでずっときているのに、自ら捕らないという判断をしたというのは、世界中探してもなかなか無いことですよ。

たまたま、そういう年回りもあるんです。その年は仕方がないんです。

組合では、いろんなことをやっているんですよ。長い期間食べられるように、加工品の開発もしています。ただ、今は冷凍設備も整っているんで我が組合も500tから600tぐらいを冷凍しています。

冷凍ものは一年中出回っていますし、沖合では6月いっぱい捕れますから、今の時期は生も食べられます。ただ、今捕れるハタハタには、産卵時期が終わっていますから卵が入っていません。

私の船は沿岸で定置網でやっています。この漁法だと、1回の漁で終わっちゃうことがあるんです。大量に入り過ぎて。

だから保存ができないと、たくさん捕ってもメリットはないわけでしょ。冷凍したからといって、市場価格のコントロールまではできませんが、せめて捕った分を無駄にしないで市場に出していこうと。組合ができることは、捕り過ぎて価格が下落したら組合で買いつけて冷凍しておくと。そういうことはしています。そして、こういうことは一漁業者ではできません。組織がちゃんとしていないとできないことなんです。

森も川も人も大切

今は漁に出るとね、産卵時期には雄が精子を出しますから、海が真っ白になるんですよ。それを見ると「資源が復活した」という実感が湧きますねえ。ブリコも1mもの層になっていますしねえ。

でも3年の禁漁で回復できてよかった。まだ手遅れではなかったんです。我々が一番恐れていたところはそこです。資源が枯渇して、復活なんて無理なところまでいっていたらと思うと恐ろしいです。だから振興センターに足を運んで、科学的なアドバイスをもらったんです。それが結論的に禁漁を後押しすることになった。それでギリギリ間に合ったんですね。

でも、本当は遅すぎたぐらいだと思います。本当は平成(1989年〜)に入ってすぐにやるべきだった。でも、人間って追い詰められないとやらないもんなんですね。

秋田県は水が豊富。六郷町なんて行ったら、あらゆる所で水が湧いています。雄物(おもの)川、米代(よねしろ)川など大きな川も何本もあるし、水にはなんにも苦労していないのよ。だから、水に対する危機感はない。

良い水を得ることに苦労されている地域では、水の有り難さを身にしみて知っているから、大切にされるでしょう。でも、秋田県は水が豊かだったから、それに甘えてきたのかもしれません。

魚でも地元の人が食べないものを遠くに売る、というケースは結構ありますが、ハタハタの場合は生産地と消費地が近かったということが、結果的に良い方向に働いた。押し寿司のサバだって、ノルウェー産だしね。あれ見ると、がっかりします。

ハタハタがこのすぐそばで捕れて、それを大切に食べてくれる人たちがいた、ということが資源を守る重要な理由になったということですね。

先人が積み重ねてきたことと、ハタハタを愛する県民がいたからこそ、我々も実践できたんです。そういう意味ではとても幸せだった。その気持ちに対して、漁業者である我々も責任を持っていこう、という考え方を貫いていきたいと思います。

それは私が組合長を辞めたあとも、変えてはいけないポリシーだと思います。

杉本さんが繰り返し語ってくれたのは「県民が支持してくれたからできた」というひと言。漁業者がいくら頑張っても、魚を買って食べる人たちが支援してくれなくては実現できない、というのだ。

世界規模で水産資源の枯渇が懸念される中、漁獲枠を漁船ごとに設定したり、正確な資源量のデータ管理は不可欠である。

しかし、秋田県漁業協同組合と秋田県民が育んできた関係を見ると、消費者にできることは案外大きい、ということがわかる。自分が贔屓(ひいき)にしている魚のために、行動を起こしてみよう。

秋田県漁業協同組合がハタハタの資源管理について相談したという、水産振興センターと、男鹿半島近辺に広がる、藻場。

秋田県漁業協同組合がハタハタの資源管理について相談したという、水産振興センターと、男鹿半島近辺に広がる、藻場。産卵条件を整えるために、藻場の造成には力を入れてきた。

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