機関誌『水の文化』74号
体に水チャージ

食の風土記20 がんす
かまぼこ由来の練り物フライ がんす

水と風土が織りなす食文化の今を伝える「食の風土記」。今回は、広島県呉市を中心に食されている魚肉フライの「がんす」です。

衣サクサク、中身はじわー。白身魚のすり身を揚げた「がんす」

衣サクサク、中身はじわー。白身魚のすり身を揚げた「がんす」

 

地形と水に恵まれた海軍の拠点「呉」

外見はハムカツに似ているが、口に入れると魚の旨味(うまみ)がジワリと広がる。

これは70年以上前に広島県南西部の呉(くれ)市で生まれた「がんす」という魚肉フライだ。がんすは学校給食にも取り入れられているが、その誕生は呉の歴史と深い関係がある。

呉は造船用材だった榑(くれ)が語源とされる。この地方は古くから造船が盛んで、『日本書紀』『続日本紀』にある遣唐使船の建造記事9例のうち7例が広島県西部の安芸(あきの)国。1158年(保元3)の古文書には「呉」の字が使われている。

そう教えてくれたのは、広島国際大学客員教授で、呉市史の編纂に携わっている千田(ちだ)武志さんだ。

呉の歴史は、1889年(明治22)開庁の呉鎮守府(以下、鎮守府)を抜きに語れない。明治政府が横須賀、佐世保、舞鶴とともに呉を海軍根拠地としたのは、外国船に攻められにくい地形であり、また航海と造船に欠かせない大量の水が確保できたからだ。

「鎮守府が置かれた翌年に二河川(にこうがわ)に取水口を設けた海軍専用水道が開通します。江戸後期に農地を広げるためにつくった用水路『二河井手(いで)』を転用したのです」と千田さんは言う。

1903年(明治36)には造船廠(しょう)と造兵廠が統合して「呉海軍工廠(こうしょう)」となる。製鋼事業も始まってさらに大量の水が必要となり、1918年(大正7)、二河川取水口の上流に貯水池「本庄水源地」が竣工した。

呉中央桟橋ターミナル付近から見た風景。戦艦「大和」はかつて呉海軍工廠で建造された

呉中央桟橋ターミナル付近から見た風景。戦艦「大和」はかつて呉海軍工廠で建造された

「職工」の腹を満たした練り製品とおでん

急拡大する呉海軍工廠を支えたのは、さまざまな技能をもつ職人「職工」たちだ。呉の人口は1886年(明治19)まで1万5000人前後だったが、1909年(明治42)に10万人を超えた。単身者が多い「職工」の食を支えたのは瀬戸内海で獲れる豊富な魚介類。隣接する阿賀や音戸(おんど)などは江戸時代からかまぼこの名産地だった。

「『職工』たちは安くて手軽にたくさん食べられる大衆的な飲食店を好んだようです。戦前まで呉に屋台が多かったのもそのせいでしょう」と千田さんは指摘する。その証拠に呉の人たちは今もよく「おでん」を食べる。うどん店でもメニューにおでんがあるという。おでんの具には魚肉を用いた練り製品が欠かせない。

練り製品はすり身からつくられる。がんすは、かまぼこをつくって余ったすり身を用いた「パン粉付きのすり身揚げ」として生まれた。「すり身は、魚を三枚に下ろし、骨と皮をとって、何度も水にさらして血合いを抜くなど手間暇かかる貴重なものです。とても捨てられませんよ」

そう語るのは三宅水産3代目の三宅清登(きよと)さんだ。今も呉に伝わるがんすの味を考えた一人が清登さんの父、勇三さん。勇三さんは1950年(昭和25)に旅館をやめてかまぼこ製造に乗り出す。

「旅館で板場(料理人)を務めていた父が細工かまぼこ(注)に感動して習いはじめ、初代の祖父がかまぼこ屋に転業したんです」

当時、呉市には24軒のかまぼこ屋があった。うち数軒でがんすのつくりかたを共有する。ただし、味はそれぞれが工夫を凝らして編み出したという。

勇三さんが考案した「魚のすり身に刻んだ玉ねぎと唐辛子を入れて練る」がんすの味は評判となり、「呉の味」として親しまれている。

「玉ねぎとすり身というどちらも傷みやすい素材に唐辛子を組み合わせることで、締まりのある味と日もち効果を期待したんですね」と清登さんは説明する。

そして今、「子どものころから大好きだった『実家の看板食』がんす」を広めようと百貨店催事を飛び回っているのが「がんす娘。®」だ。以前は広島市でさえ「がんすって何?」と言われたが、今は知られはじめた手ごたえがある。

航海用の飲み水、鉄を冷ますなど製鋼に必要な水があったから発展した呉。そこで働く「職工」の食生活を支えた数多の練り製品から生まれたのががんすだった。

(注)細工かまぼこ
色づけした魚のすり身を鯛や鶴亀などに成形したもの。結婚式など祝い事の際につくられる。

  • 「職工」の腹を満たした練り製品とおでん

  • 呉市史の編纂に携わっている千田武志さん

    呉市史の編纂に携わっている千田武志さん

  • 祖父と父がつくったがんすレシピを受け継いだ三宅水産代表取締役の三宅清登さん

    祖父と父がつくったがんすレシピを受け継いだ三宅水産代表取締役の三宅清登さん

  • 全国を飛び回る「がんす娘。®」。幼少期から「わが家の味」そのもののがんすが大好物

    全国を飛び回る「がんす娘。®」。幼少期から「わが家の味」そのもののがんすが大好物

がんすの製造工程

  • 白身魚のすり身に唐辛子を投入して練る

    [1]白身魚のすり身に唐辛子を投入して練る

  • 次に細断した玉ねぎを入れ練り上げる

    [2]次に細断した玉ねぎを入れ練り上げる

  • 機械で成形したすり身にパン粉をまぶして揚げる

    [3]機械で成形したすり身にパン粉をまぶして揚げる

  • 180度の油で揚げたがんす。冷却室に運んで包装、出荷となる

    [4]180度の油で揚げたがんす。冷却室に運んで包装、出荷となる

[取材協力]株式会社三宅水産
広島県呉市広古新開6丁目16-2
Tel.0823-71-7816
http://miyake1950.com/

(2023年4月17日取材)

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