機関誌『水の文化』30号
共生の希望

生活環境主義から見た共生の行方
アジアと日本の水文化

日本の水意識は、古くまで遡ると東アジア一帯にルーツを持っていたようです。 経済成長や水道敷設などによって、日本の水環境は激変しました。 その急激な変化によって生じた歪みは、今、見直しが迫られています。 地元の人の生きる知恵から論理を立てようという生活環境主義が、新たな共生の論理の獲得に役立つかもしれません。

鳥越 皓之さん

文学博士 早稲田大学人間科学学術院教授
鳥越 皓之 (とりごえ ひろゆき)さん

1969年東京教育大学文学部史学科(民俗学)卒業、1975年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得満期退学。関西学院大学社会学部教授、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授を経て、2005年4月から現職。 専門は社会学、民俗学、環境問題、地域計画。 主な著書に『水と人の環境史ー増補版』(編著御茶の水書房1991)、『柳田民俗学のフィロソフィー』(東京大学出版会2002)、『花をたずねて吉野山』(集英社新書2003)、『環境社会学』(東大出版会2004)ほか。

コントロールできない水と共生する

人というものは水に明らかに依存してきたのです。双方に支え合ったという側面は弱い。

共生というと、生物学でシンバイオシス(Symbiosis)という言い方があって、寄生・パラシティズム(parasitism)の反対語として使われています。依存も共生に入っていますが、現在普通に日本語で使われている意味の共生は、どちらかというと共存共栄といった考え方です。

水と共生するということでいうと、水は自然の代表的な物質の一つなので、確かに人は水と共生してきたともいえるけれど、本質的に見ると依存してきたのです。

歴史的に遡れば遡るほど、共生というよりも、水をなだめすかしてなんとか人と水との良い関係を持とうとしました。

水はじゃじゃ馬みたいなところがあって、すぐにいじわるをする、いじけるところがあってなかなか思うようにできない。それをコントロールしようというのは儚い夢ではあるけど、しかし常に努力してきたんです。

今は、「コントロールできる」という思想で努力しています。今の政府の河川政策は、明らかにコントロールしていこうという考えで進んでいて、もしもできなかったら自分たちの技術が劣っているからだという考え方を持っています。私はそれを誤っていると思いますが、そういう考えが成り立つことは理解できます。

昔の人は、水とコミュニケーションをとる必要があったから、お互いに理解しあおうと考えた。そのために水をシンボライズしなければならない。日本の言葉で「水の神」と呼ぶのは、ひとつのシンボライズした形です。

水の神の話では、よく異類婚姻譚が登場しますが、古いところでいうと怖い水の神がいて、人間はその水の神となんとか近い関係を持ちたいと常に願っていました。

拝むというのは相手に対する敬意ですから、最初は拝んでご好意に甘えるという考えを持ちましたが、少し怖さが薄れてきた段階で人と神様の距離が近くなってくる。そのため、人は神様と結婚をしようという、今の私たちでは、なかなか考えつかない思いきった考えを持ったわけです。

水の神と結婚すれば水の神と近しい関係になれる。水の神は水旱(すいかん)を自由にするわけで、豊富な水と足りない水を両方自由に操ることができるものが水の神であり、水の本質で、そのおこぼれに自分たちが与りたいということです。

異類婚姻譚では、たいがい子供を生むときに見るなと言われたのに見てしまうことによってばれてしまう。このばれてしまう、というのはなかなかいいシチュエーションですよね。ばれないと帰れないから、ばれることでその本来の姿が表れるのです。

話として水の神は蛇になることが多く、古事記、日本書紀にあるので神話といってもいいのかもしれません。神話から始まって昔話、伝説化していきました。

神話から昔話に至るまで一貫しているのは、どうしたら水の神に近づくことができるかということを突き詰めた結果、そのための思いがこういう口承文芸として残ったと考えたらいいと思います。

したがって婚姻もなだめすかしの一つの手段で、つまり絶対に人間が制御できないし、なだめすかして良い関係を持つしかできないのだから、婚姻して親戚になるというのがいい、ということだったわけです。

ブナ林の自然保護で有名な地域で世界遺産になっている白神の近くに、赤石川という川が流れています。この赤石川は金鮎がとれるので有名な所で、1971年(昭和46)に洪水があり、多くの村人が亡くなったことがあります。

生き残った人々は、山の神様が怒ったから洪水が起こったと考えた。省みれば、川の掃除や川の手入れをここしばらく怠っていた。それに怒って山の神様自身が掃除をしたんだ。掃除のついでに人も掃除されたんだと。

自分たちの怠慢であったと解釈した。これを地元の素朴な人たちの考え方だといってしまっては駄目だと思う。こういう解釈をすることが一つの文化であって、確かにこの解釈は今後の環境保全に役に立ちます。省みれば、日本人は、この解釈をずっと続けることで川を保全してきたともいえるわけです。

手入れをしなさいといわれると人間はしないものだけど、このようなシンボルの怒りという解釈をすることによって、結果的に環境をうまく保全することができた。

これは素朴な人の考えというのではなく、それは現場の人が、そこで生きるための知恵と解釈し直せば、現代に生きる我々にとっても、学ぶべきものがあると思います。

いずれにしろ、水は怖いもの、水害というものを明確に持っているわけだから、それを内包した論理を地元としては持っていなければならなかった。

自分の身近な人が亡くなったときに納得できない死に方ってつらいじゃないですか。こういう解釈によって自己納得はできるわけですよ。どうしていったらいいかという政策も出てくるわけですよね。これが今私たちが考える、水との共生の一つのことかなと思います。

  • 白神山地の山の神

    白神山地の山の神
    写真提供:鳥越 皓之さん

  • 「花祭り」での「山の神」愛知県豊根村

  • 白神山地の山の神

水の神を脅す

異類婚姻譚に象徴されるように、常に意識して神と結びつくようにしたんですが、現実の事象を見ると、拝んだり頼んだりしてるだけでなくて人間が神様を脅しているのがわかります。

これが日本の立派なところ。世界的な大きな神、GODにあたる神を脅す話は聞いたことがありません。ところが日本では、神様が言うことを聞かないと脅すんですよ。

水の神は山のほうに住んでいて、山から水が流れるところがシンボライズされていて、滝つぼのところに水の神が祀られたりすることが多い。全然雨が降らないと滝つぼに石を投げたり、いろいろ脅すんですよ。いつも頭を下げているだけじゃなくて、必死ですから最後はそういうことがある。

茨城を歩いていたら、「これがいざというときに滝つぼに投げる石です」と見せられました。その石がおばあさんの笑っている顔なんです。これがわからない。すごく良い顔なんです。ものすごく魅力的なおばあさんの顔で。それを村人がワーって運んでいって、エイッて投げる。イメージでいうと笑いながらおばあさんが沈んでいくんですよ。これすごいなーって。

日本の神様には英語訳がない。GODじゃないし、スピリットって訳せるけど精霊というのともちょっと違う。我々神社に行っても、真面目に拝んでないじゃないですか。お正月とりあえず神社に行くけど真面目じゃないですよ。100円かなんか投げ込んで、願い事をいっぱいする。たった100円で願いが叶うことなんてあり得ない、とは考えない。

かといって昔は真面目で、今は信仰が薄れてこうなったかというと、全然そんなことはない。弥次さん喜多さんとか見てもわかりますよね。

一応手を合わせてはいるけれど、私たちと神様とのつきあいはその程度なんです。うちの村が今年も豊穣になりますように、みなさんが健康でありますように、と手を合わせるけど、気持ちがその程度。だから神様は近い、親密な関係というのがあるんですよね。とはいえ、自然のコントロール権は神様にありますから難しいんですけどね。

神様を脅すのも、必死の延長上にあるんじゃないですかね。農作物がアウトになりますから。ここまで頼んで駄目だったら、脅すしかないという立場でしょうね。

日本の農産物は、おそらく里芋、水芋が元々だと思うんですが、水田を取り入れましたから。粟稗の時代もありましたが、特に年貢の関係で米になった。米を絶対つくらなければならない。ところが日本は乾季雨季というものがない。梅雨は、雨季とはいえないものですから、水は絶対不足します。

だから日本は水の豊かな国なんですが、水田稲作という雨季のある地域の作物を雨季のない日本に持ってきたことが悲劇なわけです。だから、水の神様を脅すなんていうことをせざるを得なくなる。

米の導入をすることによって、日本全国同じものをつくるようになった。軍事上、首都は盆地地域につくられますね。奈良なんかは水が足りないところなのに都になって、東大寺をはじめとして社寺が水田開発をしていきますから、ものすごい悲劇です。吉野山が水源ですから、桜を植えたりとかして、山の手入れを必死にしていく。

こう考えると、脅しも共生というところがあるかもしれませんね。

東アジアの水

では、日本の水利用の基本システムがどこからきたのか探るために、アジアの例を見ていきましょう。

東南アジアは少し違うので、東アジアに限ります。東アジアは中国と韓国と日本とモンゴルになりますが、モンゴルは農業が主な国ではないので、中国、韓国、日本で見ていきます。

この3カ国はすごく似ているんです。湧き水、川、井戸、それからそこにおける信仰というのはすごく似通っている。

まず、湧き水のあるところに都市や村ができる。これはかなり世界的に言えることですが、ただ東アジアは水の神様がいて、水の使い方で、湧き水を明確に3つの領域に分けることができます。

一番奥にある溜め池は、飲料用水になります。写真が小さくてわかりにくいかも知れませんが龍が彫ってあります。二番目は野菜を洗ったり米を砥いだり、料理用になります。三番目が洗濯用で汚れたものを洗う場所です。この3つに必ず分けているんです。

配置図だけを載せましたが、中国の浙江省で私たちが見た村には、ものすごく大きい池が村の真ん中にありました。日本では村の中心に泉・池があることはないので、とても驚きました。ここの村では、山からの表流水が池1に入り、ついで池2、そして村の中の溝へと流れていきます。伏流水としてあふれたのが地図の下の泉から出てくるわけです。この泉には明確な水の神というのがないんですが、しつこく聞くと「龍」とかそういうものがぼんやり出てきました。いくつか村々、都会をまわっているうちにある姿が出てきました。山と村の間に先祖のお墓があって、中国ではかなり明瞭に、山には先祖のような存在があって、基本的にはそれが水を守ってくれている、あるいは水をつくってくれている。その下側に自分たちがいて、ルールに乗っ取って水を使って生きている。

山には、川に並行した空堀がある所があります。そうすると洪水なんかのときにはまず空堀で水を防いで、それでもだめなら一般の川、自分たちが使う川に入るようになっています。川に入ると汚れるから望ましくはないけど、少なくとも自分たちの宅地はやられない。そういう工夫をしてある所もありました。いつも大洪水がくるわけではないから、だいたい空堀は空の状態です。

また、日本も中国も韓国も共通している行事があって、正月の元旦には男の人が最初に水を汲みに行きます。沖縄では若い男の子になっています。日本では「若水」といい、中国では「頭水」といいます。

こういうことを、昔の民俗学では「古層」と呼んでいました。つまり現代も生きて行なわれている習慣のことです。

こんなに広く東アジアに共通しているということは、とても古い文化だからという仮説があるわけです。男の人が水を汲みにくるというのは、いずれもその水には力があると信じられていて、その行事があることは共通していることだから、ひとつの古層と考えていいかと思います。正月に新しい水を汲むということは、新しい生命をもらうということであって、さっきの中国の村でも死にそうになるとそこから水を汲んで飲ませるそうです。本当に死んでしまうと、そこの泉の水で体を洗っています。これは日本でも聞くことです。

ここが共生といえるかもしれません。水というのは力を持ち、力を与えてくれるという信仰があり、水との大変強い関係を保っています。

しかし、沖縄は死者とのかかわりでの水というのがどうもうまく出ないし、山とのかかわりもあまりきれいに出ないんです。ただ写真にもある樋川(ヒージャー)といわれているところ自体は山に近い形なんですが、その向こうにグスクといって山があったとして、こことの関連の儀式を聞いてみたけど結びつかないんですね。結びつくとすごくうれしいんですが。

日本本島では、山の神と水の神が結びついています。沖縄で見えないのは、私たちの調査量が少ないのか、違う論理があるのか、今のところはわかっていません。

左上:沖縄旧玉城村の「なかんだかり樋川(ヒージャー)」 右:中国雲南省麗江古城、手前が洗濯物、真ん中が食材などを洗う所、奥が飲料水。 写真提供:鳥越 皓之さん 左下:逝江省の村の池の配置図。

便利よりも楽しいという価値観に

泉がある所にはだいたい大木があります。それで都会のほうに行ってみると、やはり泉の所に大木をよく見かけます。これは山のシンボルですね。だから山と水というのは一応結びついています。この木は「龍木」と呼ばれています。

ところが、中国政府が水道化を進めるために「泉はやめなさい」といっている。水道ができても使わないから泉が埋められるんです。

沖縄も同様で、樋川を公園化しています。私はそれはよくないと思って「沖縄タイムス」の文化欄に書かせてもらったんですが、公園なんてやめてほしいですね。公園というのは公共事業で整備するだけで、使わない水になる。

公園では水はとりあえず流れるかたちになっているんですが、地元の人が管理しなくなるから水がダメになっていくんです。地元の人は飲料水にする必要がなくなると、自分たちの厳しいルールをなくしていくんです。水道化によって、水の利用のルールが崩れていっています。

沖縄の樋川は、農業労働したあと体を洗ったり、野菜類を洗ったり、馬に水を飲ませたり、下のほうで衣服を洗ったりして、すごいコミュニケーションの場だったわけです。みんなが夕方集まってくるからすごく楽しい場だった。

水道が設置されたあと、コミュニケーションがなくなって、その村は今、まったくダメになっているんですよ。コミュニケーションがなくなったから老人は家にこもってるだけだし、水が家で出るからわざわざ出かけなくなった。奥さんも働きから帰ってきたら台所で全部できるわけだから、外に出なくなった。

村として家は地理的に固まっているけれど、相互のコミュニケーションがなくなっていて、話を聞いたら寂しいというんですね。だけど使わない所に行って座っているわけにもいかないし。

水というのは、こういう意味のすごいプラス面を持っていた。村なり町の中心に水というのがあって老若男女が集まるコミュニケーションの場だったのに、水道化というのがそれを失わせてしまった。水を運ぶ必要がなくなったということは、便利ですがね。

玉城村(たまぐすくそん)のときは樋川をなんとかしようと考えていましたが、平成の大合併になって玉城村の議会も村長もいなくなって支所になった。そうすると遠くの本庁の人が考えるから、場への愛着が弱くなったのではないかと私は思っています。コンサルタントに頼んで公園にしましょう、という発想になる。

新しい時代の流れとして何を便利にして、何をそのままにしておくかという考え方は、もうじき始まるんじゃないかという気がするんですよ。便利ばかりではしょうがないと。不便なものと便利なものが両方あって、これは不便なままに留めておきましょう、というのがある段階で出てくるんじゃないでしょうか。今のところ便利、便利となっている、これが一番の問題ですよね。

便利よりもせめて楽しいというほうに切り替えてくれたらいいのになあ。楽しいものの中には、不便なものが必ず入るわけですから。

菅豊さんが紹介した鮭漁の話(『水の文化』15号)も、鮭を一網打尽に捕っても面白くないからやや昔の技法で捕る、そうすると楽しいわけですよね。楽しいということに軸を置いていた。生態系保護一辺倒ではないはずです。

生活環境主義から見た水

私たちが主張している「生活環境主義」は、社会学辞典とか外国の辞書にも入るくらいになってきてずいぶん流行り始めてきています。

生活環境主義誕生の端緒は、私たちが行なった琵琶湖の調査にあります。総合開発に対してどういう政策があるか、という環境保全を第一に考えていた中で、環境保護運動としてエコロジー論が前面に出てきたんです。ただ、それは現場とあまりにもかけ離れた都会の論理でありすぎた。

つまり琵琶湖周辺には1500万人も住んでいるのに、人が住まないことを前提とするような、人間をかく乱要因とするような考え方になってしまった。そのモデルは琵琶湖ではストレートに使えない論理で有用性が乏しい。考え方自身はすごくいいんですけど、そこの現場で使えない論理でありすぎたのです。

もう一つは、近代技術を使ったら解決できるんだという論理。これも技術には魅力があって解決できる側面もあるんですけど。

この2つの論理が対立していたんですよ。当然、行政は近代技術の方に熱を上げていた。

しかし現場は、その2つとはちょっと違う論理を持っていた。その論理に焦点をあてたのが、生活環境主義です。

つまり、地元の人の生きる知恵から論理を立てようというのが生活環境主義ですね。その人たちの持っているルールは政府のルールとは異なっているし、地方自治体の条例とも異なっている。そこに住んでいる人のルールがすべて正しいとは必ずしも言えないんですけど、そこから発想し、考え方を立てていこうとした。立ててみたら、意外とそのほうが環境が保全できていたんですよ。

最近、生物多様性を謳う日本のNGOが、私があるところで話した民俗学的な村の話を英訳したいと言ってきました。何で英訳したいの? と聞いたら「自分たちはビオトープなんかをあちこちにつくって絶滅危惧種を救う努力をしてきた。ところがビオトープはほとんど失敗した。外国でも失敗している」というんです。この人たちは真面目にビオトープをつくってきたんですよ。それらが政策的に失敗して、結局どこが一番うまくやっていたかと考え直すと、そこの地元の村の人たちの動植物の使い方や暮らしだったわけです。

この生活環境主義も30年経つのかな。一緒にやっていた現・滋賀県知事の嘉田由紀子さんがまだ院生を終えたばかりのころですよ。

私たちがつくったというより、本当に地元から教わったものです。結局地元の人たちが蓄積してきた知恵というのは論理があって、それがどういう論理、どういう説明の体系になっていくか、それを政策に落としたときにどういう実効性を持つかということを考えながら出てきた論理です。今日話したことも、結局は生活環境主義的な考え方なんです。

初めのころはものすごい批判を受けました。そんな主観的な話は社会科学ではないという批判を受けたのですが、ある段階から批判がなくなりました。最近、生活環境主義が再び批判を受けています。最近の批判は、もう生活を軸に考えるのは当たり前で新鮮味がないということです。

ただ具体的な政策としては、まだそうなっていませんよね。だから、このモデルでの環境政策は必要だと、まだ言い続けなければいけないと思っています。

生活環境主義は公共投資にはつながりません。私の案は「予算をつけにくい」と言われたこともあります。

私だったら、樋川のコンクリートや偽木なんかやめて、地元の人や学生たちと一緒に汗をかく案を出す。盛り上がるし、金が全然かからないじゃないですか。でも、こんな発想は受け入れられない。

行政の陥りやすい失敗の一つは予算化して施設をつくりますが、その予算にメンテナンス料が入っていないことです。

私たちに任せてくれたら、まず地元の自治会の人と話をします。どんなのをつくろう、アイディアを出しあいましょう、と。つまり、結果的に手伝わざるを得ない形に持っていくのです。その人たちのアイディアを取り入れていったら道普請と同じなので、地元では村仕事の一つになりますから必ずやってくれる。そうやったら面白いことができるけど、お金がいらない。道普請も無料ですからね、最後にワーっと酒飲むだけですから。

今は安全な水という発想が強いけれども、安全な水じゃなくてどうしたらうまい水を維持していけるか、という政策に切り替えていけば樋川みたいなものも残っていく。

やっぱりうまい水というのが水との共存のあり方なんじゃないのかな。どうしたらうまい水をつくれるかっていうのは水の魅力で、安全な水なんていってしまうと役所くさい。

名水百選なんかでおいしい水を欲しいと思う人は多いと思うけれど、保全しよう、自分たちがつくり出そう、というまでにはいかない。特に都会に住んでいる人間が自分たちで維持するとか、汚さないようにしようとかは思わない。うまい水をつくるというのは、山を荒れさせないことだと思うんです。ということは、日本では人間の手が入らざるを得ない。

生活環境主義という考え方からいうと、暮らし自身が希薄というか今までの知恵を受け継いでいない世代が大人になりつつありますよね。でもそれの解決策は、昔の家のような3世代家族をつくることではないと思います。コミュニティー内で異なった世代がコミュニケーションする方法があるのか、という方向になっていくと思うんです。血縁にかかわらず世代間交流をしていく。

今、村の仕組みを再考する必要があると思うんですが、最近感じるのは、みんな水平的なお友達の仲間はつくるんですが、なにかを決めようということになるとすごい嫌がる。ある程度のまとまりはできるが、決め事ができない状態です。縦の関係はつくりづらくて、そういうことが共通の問題になっている気がします。だからこそ、世代間交流が求められているんです。

都市にも水との共生の論理を

これは非常にデリケートな問題ですから、慎重に発言するべきですが、今年神戸の都賀川で水の事故が起きました。その被害者たちは、そのことをどう納得したらいいのか。

例えば行政責任を問うて賠償金が出たとしても、その子供を亡くした悲しさとか悔しさとかは納得できないことだと思います。

だから賠償金の問題と、納得の問題は別だと思うんです。それを現代人はずいぶん忘れているように思います。それは、水への依存度の大きさに原因があるのでしょう。

ただ、都賀川の場合は、地元の人が川と離れてしまったことをよくないと考えて、もう一度自分たちは川に戻ろうということをされていた。初めの動機は大都会で川が汚れているのは恥ずかしいことだという声を発した男性がいたんです。そこから動き始めて、だんだんと大きな運動となっていった。

水がきれいになってからは、子供たちが泳げるようにしました。下が砂だから魚もいるし、そういう所で泳ぐというのはプールに比べて楽しいから、子供たちはすごく喜んだんですよ。

本当に川に近づこうという運動で成功していたんですね。大都会だったけど川に近づいていける先端をきった。他の地域も真似し始めたぐらいだったのです。

本来、子供が川にいるのは当たり前なんですけれど、川で事故が起きると「あんな川に子供を」とマスコミに叩かれてしまう。

行政が悪い、自分たちは悪くないという論理は、川はある段階から行政の管理に移っているから仕方がないんです。でも、それだけじゃいざというとき納得できる答えが見つからない。

琵琶湖なんかも、平成に至るまで行政がどんどん住民の権利を取り上げていくんです。『水と人の環境史』で取り上げた前川というあんな小さい川さえ、行政が三面コンクリート張りにするとか言い始めるんです。「そしたら川の水がさっと流れてみなさんは掃除しなくて済みますよ」って。掃除しなくて済みますよ、というのは我々にお任せくださいってことですからね。

その辺りの小さな地域では、こうやって全部行政が管轄していって、三面コンクリート張りにした後は暗渠にするんですよね。そのことによって道が広くなるということまで持っていく。それは行政が工事ができることの嬉しさだと思うんですが。

水と暮らしが近い関係にある地域でさえ、そういう状態ですから、大都市では余計難しい。しかし、大都会の人たちも、自分の解釈を持たなければいけないと思うんですよね。現代的な自分たちが納得できて、今後の環境の動きに積極的にかかわれるような論理を。

もしここまで行政が関与してなかったら本来、つくったはずなんですよ。そのつくる作業を怠らざるを得ないシステムになっているのが問題です。

これは知識伝承がいったん途切れてしまったことの弊害でもあります。雷が鳴ってきたら高い木のそばに寄らない、大雨が降ったら河原から上がるっていうことが知恵として伝わっていたら、と思います。行政が川を管理しはじめて、今の子供たちの親の年代は上からの伝承が切れてしまったのは不幸なことです。

アメリカを例に出して褒めるのは好きじゃないんですけど、たまたま家族でアメリカに住んでいたことがあって社会科の授業を見学しました。アメリカでは地元の運河がどうやって拓かれてどうなったか、ということが社会科なんですよ。

日本の場合、歴史で言えば、私たちは源頼朝がどうなったっていいじゃないですか。地理もどこかの鉄鉱石は何番目で、日本で採れる所は夕張で、石炭はどことか、自分たちの地域から遠い知識ばかりです。

自分たちが住んでいる所にこういう運河があって、その運河はどんな人がどうやってつくった、ということを社会科として教えることに私は感心しました。知恵が伝承されてきたわけです。

入試用として、日本一律の知識を詰め込むのは、本当に生きる知恵につながりません。本当に生活に根ざした生きた知恵を伝えなければならない。そうすることで、はじめて人と水とが共生できるのではないでしょうか。

  • 都賀川だけではなく、神戸を流れる川の多くは水源の六甲山脈南斜面から、ほぼ一直線に瀬戸内海に流れ込む。

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