機関誌『水の文化』30号
共生の希望

ニュースで共生はどう扱われてきたのか
今、必要な報道とは

週刊こどもニュースで活躍した池上彰さんに、 「共生」を説明してもらいました。 池上さん流の分析で、大人も納得の答えが出ます。 伝えたいという熱意と伝えたいことがあれば、 スキルを磨くことで、継承できる事柄はぐっと増えるのです。

池上 彰さん

ジャーナリスト
池上 彰 (いけがみ あきら)さん

1950 年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、1973年NHKに記者として入局。報道記者として、松江放送局、呉通信部を経て東京の報道局社会部へ。警視庁、気象庁、文部省、宮内庁などを担当。1989年「首都圏ニュース」でキャスターを、1994年より11年間NHK『週刊こどもニュース』でお父さん役を務める。2005年3月にNHKを退社し、現在はフリージャーナリスト。日本ニュース時事能力検定協会理事。 主な著書に『伝える力 ― 「話す」「書く」「聞く」能力が仕事を変える! 』(PHPビジネス新書2007)『政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ』(海竜社2008)『そうだったのか!現代史〈パート2〉』(集英社2008)『記者になりたい! 』(新潮社2008)ほか

生かされている

「共生」という言葉を小学生に説明するとしたら、読んで字のごとく「共に一緒に生きていくこと」では説明になりません。

共生するというのは、国や民族、言葉が違う人たちが一緒に生きていくことだよね。でも、単に喧嘩や戦争をしないというのとは違う。

一緒に生きていくことでお互いにとって良いことがあるはずだ。違う考え方や違う国の人と一緒に生きていくことによって、自分が知らない食べものを教えてもらったり、他の国にはこんな素晴らしいものがあるということを知ることができる。お互いにとって利益があること、それが「共生」なんじゃないのかな、と説明します。

ということは、共生関係は人間同士だけじゃないことも考えられますね。人間と自然が一緒に暮らし、自然を守ることは、自然はお礼を言わないけれどきっと喜んでいるだろう、嬉しいだろう。だからその代わりにいろんな恵みをくれるはずだ。

それはきれいな空気だったり、おいしい水だったり、美しい自然だったり。それによって生きることができるのであり、生かされていくことになります。

大人はよく人間と自然との共生というけど、本当はそこまでの意味があるんだよ、と小学生には説明するでしょうね。

私たちは勝手に「生きている」と思っていますが、そこには人間に必要な自然があって、汚れていない空気や水がある。それを私たちが摂取することによって生きていられるわけです。そういう環境があるから生きていけるのであって、実は「生かされている」んです。

例えば、地球温暖化によって暑くなりすぎて困ると「このくらいの温度が生きていくのにふさわしい環境である」という言い方をします。

でも、本当はそうではないんです。たまたま地球がこういう環境になったときに、その環境で生きることができた生き物だけが残っているのです。環境が変わるたびに、いろいろな生き物が絶滅してきたわけですから、私たちがここにいるということは「生かされている」ということなんだろうと思います。

絶滅した生き物の歴史を背負って、今我々は生かされているという言い方でもいい。

それでもやっぱり、私たちは「生きている」という思い上がりがありますね。だから、今「生かされている」んだよという思いが必要だと思います。それが「共生」ということなのではないでしょうか。

私たちが、今後も生かされたいのならば、そういう環境を守るために努力が必要なのです。

地球に優しいといいますけど、それは思い上がった言い方です。本当に地球に優しいのは、人間がいなくなることだからです。地球にとっては、何がいようと知ったことではないのですから。別に人間である必要はないですよね。

と考えると、やはり生かされるために私たちは頑張らなければいけないわけです。

週刊こどもニュース

私は1973年(昭和48)にNHKに入社しました。ローマクラブ(注1)が第1回の報告書『成長の限界』を出したのが、1972年(昭和47)。当時は環境問題ではなく、公害問題と呼ばれていたと思います。

しかし、そのころは事件記者だったので環境問題なんか考えることもありませんでした。ただ、1994年(平成6)から「週刊こどもニュース」をやるようになって、環境に対する子供たちの意識が非常に高いことに驚きました。

そもそも「週刊こどもニュース」は子供たちに世の中の出来事を知ってもらわなければいけない、と大人の論理で勝手に始めた番組です。

始める前に、小学生たちがどんなニュースを求めているのか、番組でどんなことを取り上げてほしいかアンケート調査をしました。

そうしたら、占いや、おいしいお店紹介といった、なんかおばさんたちと変わらないワイドショーとまったく同じ結果になったんです。子供たちはいわゆる社会問題にはあまり関心がないんですね。それで子供たちの意見を聞くのはやめて、大人の私たちが子供たちに伝えたいニュースだけを伝えようということになりました。

政治家の話や世界のニュースなどを一生懸命説明すると、「ああそうなんだ」とわかってくれますが、それでおしまいなんですね。

ところが、環境問題には反応がありました。今になってみれば騒ぎすぎだったと思いますが、環境ホルモンの問題が出てきたときには、子供たちが真剣になったので手応えを感じたんです。

地球温暖化のことも、今はいいけど君たちが大人になるころ、この地球はどうなっているかわからないんだよ、という話をしてちょっと脅すわけです。すると子供たちの食いつきが非常にいい。熱心に聞いてくれるし自分の問題として受け止めてくれる。

「自分たちの問題なんだ」って、そこで体感する感情を持つわけですね。マルクスが『資本論』の中で、フランスのルイ15世の愛人ポンパドール夫人のセリフを引用しています。「我が亡き後に洪水よ来たれ」という言葉です。「後は野となれ、山となれ」という意味ですね。もう先のことは知ったことではないということで、大人の反応というのはそういうものです。

模型は、本番のときに初めて見せます。わからないことがあったら放送中に聞きなさいという形をとっていました。生放送ですから、えもいわれぬ緊張感がありますし、子供の思いもよらない質問で私がドギマギするのを見るのが楽しみだという大人もいました。

子供は正直ですから、私の説明がどのくらいの理解度を持つか、その場ですぐにわかります。こちらが本当に求めているような感想を言ってくれたりすると「ああ、伝わったんだな、合格点もらったんだな」とわかるわけです。

子供たちがちゃんと何が疑問で何がわからないのか、正直に顔や言葉に出してくれるから、そういうことが伝わるわけです。大人はわかったふりをしているのがすぐわかります。

温暖化が進むとどういうことが起こるのかという説明で、例えば「北極圏や南極の氷が溶ける」という現象が起こります。「 北極や南極の氷が溶けて」と言ったらダメなんです。これは間違いを教えることになるます。南極には大陸があって、陸上に氷があるわけですが、北極にある氷は海に浮かんでいるからです。

水に浮かんでいる氷が溶けても水の量は増えません。これは小学校の理科でやりましたね。だから、氷が溶けて海水面が上昇するというときも、北極の氷が溶けるからと言うと間違いになります。

南極の氷が溶ければ、大陸上の氷が海に落ちることになり、海水量が増えます。もちろん、北極圏でもシベリアなどの陸地の氷が溶ければ海の水は増えます。

細かいところに間違いが起きないように注意しながら、でも水が本当にどんどん増えていく様子をビジュアルで見せよう、それで危機感を味わってもらおう、ということをしていました。

(注1)ローマクラブ
世界規模の問題対処するために、オリベッティ社の副社長で石油王としても知られるアウレリオ・ベッチェイ(Aurelio Peccei)博士によって設立された民間のシンクタンク。1970年に正式発足。このまま人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。

  • 「週刊こどもニュース」で模型を使って子供たちにニュースを解説する池上彰さんと林家きく姫さん。

    「週刊こどもニュース」で模型を使って子供たちにニュースを解説する池上彰さんと林家きく姫さん。
    2002年(平成14)放映/写真提供:NHK

  • 「週刊こどもニュース」で模型を使って子供たちにニュースを解説する池上彰さんと林家きく姫さん。

わかりやすく書き直す

「週刊こどもニュース」以前の1989年(平成元)から首都圏ニュースのキャスターを始めました。キャスターになって、初めて他人が書いた原稿を読む立場になった。読んでみたら、下手くそでわかり難い原稿が多い。同時にNHKのアナウンサーって偉大だなと思いましたよ。こんな下手くそな原稿を見事に読んでしまう。特にベテランアナウンサーはすごい。

それで、アナウンサーの訓練をしていない私が読んでも伝わるように文章を変えてしまおう、と居直ったんです。

まず、みんな文章が長い。アナウンサーは長い文章を一気に読むことができるけど、訓練を受けてない我々は途中で息が切れてしまいます。だから自分の息が切れるところで文章を切って、短くしていきました。

文章を短くするとわかりやすくなるんです。長い文章にいくつもの要素を入れるから、意味がわからなくなるのです。1つの文章には伝えたい要素を一つだけ入れ、その短い文章をどんどんつなげていけばいい。

また、長い文章だと論理的に変でも、何か理路整然としている気になってしまいがちです。そもそも元の文章が論理的ではないと、文章を短くしたときに意味がつながっていないことがわかります。だから文章を短くしてつないでいくことは、論理的な文章に推敲すいこうすることにもなるんです。

私の場合はいわゆるデスクという立場で、他の記者が書いた原稿を直す権限が与えられていました。アナウンサーにはその権限がありません。記者のデスクからこれを読めと渡されたらそのまま読むしかない。だから技術を磨くんです。こちらにはその技術はないけれど、原稿を直す権限があるので自分のいいように直せます。

ただ、毎日毎日その日のニュースをその日の夕方にやるわけですから、中にはスタジオに入ってもニュース原稿がこない事もあるんです。本番ギリギリにきた原稿を読むわけで、とっさに直すけれどさすがに直しきれない。

そういう不満やストレスがだんだん溜まってきていたとき、こどもニュースをやれと言われました。

えっ? 俺が子供向けニュース? と正直そういう部分がある一方で、1週間に1回じっくり時間をかけてやるということなので、これはわかりやすくつくれる、模型を使ったりすることができるだろう。これは絶好のチャンスだと。

こどもニュースの初回は高速増殖炉もんじゅが運転を始めたというニュースでした。

「高速増殖炉ってなあに?」というのを模型で説明しました。その放送をした翌月曜日に、報道局長から高速増殖炉がどういうものか初めてわかった、と言われましたよ。子供たちに説明することが、実は大人たちのほうが教えられることが大きいと実感したものです。

日本の報道の特殊性

私が仕事を始めたころは、基本的に原稿を書くだけでした。記者は原稿を書くものであって、画面に出て伝えるのはアナウンサーである、というはっきりした役割分担がありましたから。

それが「ニュースセンター9時」で磯村尚徳という記者出身のキャスターが初めて出てきてから、記者もどんどん画面に出てしゃべるような時代に変わりました。まさかこんなことになるとは思いませんでしたが。

アメリカのテレビニュースにはアナウンサーという職種はありません。イギリスもそうです。記者がニュースを伝える。どうしても読むことが重要な場合には、ナレーション専門の人がいるのです。アナウンサーが画面に出てくるなんてことはあり得ない。つまり取材経験の豊富な者がニュースを伝えるべきだという姿勢があるのです。

もちろん、若い女性キャスターなんてあり得ないし、女子アナもバラエティ番組ならともかく、ニュースではあり得ません。もう亡くなってしまいましたが、アメリカABCのピーター・ジェニングスがすごいハンサムだったので、かなり若い時期に一度キャスターで起用されたんです。しかし顔で選ばれたもんだから実力が伴わなかった。

再び現場に放り出され、いろんな経験を積んで、いい感じに顔にシワを刻んでから、また画面に戻ってきた。だからアメリカのテレビニュースでは、男性も女性も顔にシワがあるわけですね。日本のテレビではシワのある女性はなかなかいません。シワが信頼の証なんですよ。だから「日本はおかしいな」って思うんです。

サミットにしても、テーマが環境問題だったら環境問題専門の記者が行かなければなりません。日本の場合は政治部の記者が行きますよね。日頃総理大臣を追いかけている、政界内部の人間関係についてくわしい人たち行くわけです。福田前総理大臣がアピールできたかどうか、指導力がどうだったかという上辺の話ばかりです。

今回の環境問題の一番のポイントは何なのか。例えば排出権取引や主要排出国会合の思惑など、そういうことに関する専門家はなかなか来ていないから、突っ込んだ記事になりません。それが問題です。そういう意味でプロが人材として活かされていないというのはありますね。

アメリカで大統領や大統領報道官によるホワイトハウスでの記者会見では、白髪あるいは髪が全然ないような年配の記者ばかりが現場にいます。ひたすら現場に居続け、最後までプロの仕事をするわけです。

UPIの女性記者ヘレン・トーマスさんが亡くなったときには、それがまたニュースになったほどです。いつも一番前に座って、彼女が大統領に対するインタビューの口火を切るという不文律がありました。彼女は歴代の8人の大統領にインタビューした経験を持つんです。3代前の大統領と比較したりすることができるわけですから、原稿を書いても深みがあります。

今の総理官邸の現場の記者は、前総理大臣の福田康夫について小泉純一郎、安倍晋三との比較しかできません。父親の福田赳夫や中曽根康弘を知っている人たちは管理職になっていたり、定年退職してしまっているわけです。

現場の声を伝える

デスクとして原稿を直すということは常に現場に出てないとできないことです。だから私は外に出たわけです。

災害担当の記者だった社会部時代には、よく全国各地で災害が起きると現場に行ってリポートをやっていました。

1988年(昭和63)に起きた島根県三隅町の浜田益田水害のころのことですが、土砂崩れによって家が押し潰され、死者が出るほどの大水害がありました。現場は、目の前に大きな川がある所です。

きっと、大雨が降ったから川が氾濫するといけないと思って川から離れていたんでしょう。そうしたら裏山の土砂が崩れて犠牲になってしまった。

日本は自然が豊かである一方で、急傾斜地や山間部が多い。土砂崩れを避けようと平野に行くと洪水の被害に遭い、洪水を免れようとすると土砂崩れに遭う。「日本という土地に住む人間の辛さ、悲しさを思います」というリポートをしようとしたら、ディレクターがそういう引いたコメントはやめてください、と言われて引っ込めた幻のコメントがあります。

「水とともに暮らしていかざるを得ないけれど、そういう険しい山間部に住む日本人の宿命と生きることの悲しさを感じた」あのとき、そうリポートしておけばよかったなと思いますね。

報道するということは、ただ事実を伝えるのではなく、ここでこういう事故があって、その原因はこうだよ、こうすればいいよ、と、出来事の読み取り方を伝えることです。それはこどもニュースと同じです。

水との共生についても、都市にその知恵が継承されていなくても、報道がそれを補える部分があると思う。報道することで、川の水がちょっと濁ってきたからあわてて逃げたとか、上のほうで変な音かするから逃げたという話を、経験したことのない人にも伝えることができる。昔からの知恵があったにもかかわらず、いつの間にか忘れ去られている知恵を、伝える使命もあるのです。



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