機関誌『水の文化』30号
共生の希望

死を自覚することで、生は輝く
共生とは何か

暮らしが近代化する中で、私たちが遠ざけてしまった「死」。それを再び自覚し、無常の中にある「生」の喜びを知ることが、精神の荒廃や環境問題を解決する糸口になるのではないか。 共生という抽象に陥りやすい概念を、山折哲雄さんは「宗教」「教育」「風土」 といった自在な角度から話してくれました。

山折 哲雄さん

山折 哲雄(やまおり てつお)さん

1931年、父が浄土真宗の布教のために赴任していたサンフランシスコに生まれる。岩手県花巻に疎開。東北大学インド哲学科卒業。同大学院文学研究科博士課程修了。東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、白鳳女子短期大学学長、京都造形芸術大学大学院長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。
著書に『日本宗教文化の構造と祖型』(東京大学出版会1980)、『神と仏』(講談社1983)、『日本人の宗教感覚』(日本放送出版協会1997)、『鎮守の森は泣いている』(PHP研究所2001)、『山折哲雄セレクション「生きる作法」1 無常の風に吹かれて』(小学館2007)、『親鸞をよむ』(岩波書店2007)など。専攻は宗教史、思想史。

「共生」一本槍の戦後教育

「共生」の大切さはいうけれど、「共死」については誰もいわないのはなぜでしょうか。私は「共生」だけではなく、「共死」ということをずいぶん前から言い続け、書き続けているんですが、誰も取り上げてくれません。

ともに死ぬ運命にあるという自覚の中で、初めて「共生」の有り難み、尊さが生まれる。ですから「共死」について自覚しないということは、「共生」の有り難みについても、本当にはわかり得ない、と私は思っています。共生論を展開するときに共死のことに触れないのは、大変な欠落なのです。今回『水の文化』のこの取材で、初めてそのことを真面目に聞かれたと思っています。

私が一番不満に思うのは、日本の戦後教育のあり方です。

文科省は、学校現場、家庭、地域、近所において「生きる力」をどう教えるかということだけをやっている。これが戦後の日本の教育上のもっとも重要な価値観になっています。実はそれが間違っている。その価値観を改めなければなりません。

人間はいずれ病になって、老いて死んでいく。教育に、老病死の問題を主体的に受け止め、最終的には死をどう考えたらいいのか、というところまでを含む幅と奥行きがないと「生きる力」というのがどれだけ尊いものかというのもわからない。

このことは文部省から文科省に至るまでいろいろな委員会に出て言い続けてきましたが、取り上げてくれません。いまだに「死」の問題はタブーなんです。

戦前のファシズム、軍国主義時代の滅私奉公や死ぬことを前提にした戦争のやり方といった記憶が強烈に残っているから、死についてあまり言いたがらないのだと思います。切腹や玉砕のイメージが蘇ったりするのでしょう。

しかし、私の言っている「死」というのは、もっと広範な意味を持っています。簡単に言ってしまえば、地上にあるもので永遠なものは一つもない、ということです。形あるものは必ず滅する。人は生きて死ぬ。これは誰も否定しようのない真実ですよね。これを仏教では無常観といいます。ですから本来であれば、ともに生きるものは必ずともに死ぬ運命にある、ということを、仏教界が真っ先に言わなければいけないのです。「共生」「共死」の基本は仏教にこそあるからです。

無常観を持ち出さなくても日本列島は地震列島であったために、本来、自然や人間や地球が無常であるという感覚は縄文の時代から植えつけられています。そのことを、もう一度思い返す必要がありますね。

私は、教育から政治、経済、我々のライフスタイルすべてにわたって「今の生活が続く」と思う、その楽天的な偏向性を根本的に改めないと、この大変な時代を乗り切ることはできないと思っています。

今まで「共生」一本槍、「生きる力」一本槍でもなんとかやってこられたのは、日本に豊富な自然資源があったからです。埋蔵地下資源は少ないですが、それは経済大国としていくらでも買うことができました。しかし、そうこうしているうちに、日本の資源は限りなく死に近づき、「水」資源も枯渇し始めてきています。しかも、死の問題が自覚的に考えられ、受け止められていないことが原因で、さまざまな事件が起こっています。

この歪みは一種の警告かもしれません。ですから、そういう楽天的な認識を根本的に改めるところにきているのではないでしょうか。

地球環境問題を考えた場合も、「共生」一本槍ではもうやっていけない。資源の無駄使いに走るのも「共生」だけ考えるからです。資源だっていずれは枯渇する。オイルピークアウトなんてことをいっているのは、まさにオイルも「共死」の運命に入りつつあるかもしれないという恐怖感からきている。化石燃料が永遠に存在するという幻想の中で「共死」の議論をやっているにすぎないのです。

デス・エデュケーション

環境も水も化石燃料も、全部有限のものですよね。いずれ無くなるというのが、「死」というイメージの根幹になければならない。

欧米の社会ではそもそもデス・エデュケーション(Death Education)というものを教育のシステムの中に取り入れてきました。危機意識がそれだけ強いということでしょうね。日本の楽天主義が、死の問題を正面から見つめることを妨げているのかもしれません。

イスラエルに「死海」という湖がありますが、こういうネーミングを日本人は絶対にしません。「塩湖」といいますよね。あれを死の海と名づけたところがアングロサクソン文明、ユダヤ・キリスト教文明のすごいところですよ。

私は1995年(平成7)に初めてイスラエルに行き、イエス・キリストが歩いた道をバスに乗って移動しました。ナザレからガリラヤ湖、ヨルダン川を南下してエルサレムに入る150kmの旅です。ものすごく乾燥していて、一望千里、砂漠、砂漠、砂漠。要するに地上に水っ気がないんです。そのとき実感したのが、地上には水も緑も乏しい、そういう風土があって天上の彼方に唯一の価値あるものを求める、一神教が成立していると。聖書を読んでいるだけではこんなことはわからない。現地に行ってみて初めてわかりました。

砂漠で乾燥しているということは水が少ないこと。水が少ないというのは人間が危機的状況に置かれているということです。キリスト教というのは、そうした危機意識が生み出したんでしょうね。ユダヤもイスラムもそうだろうと思います。

もしかすると世界宗教の成立の背景には、水の問題が非常に深くかかわっているのではないかとさえ思います。地上では水が少ないからこそ、天国における水は実に清冽で美しく、大量に流れているのではないでしょうか。キリスト教の本質を理解するためには、水が少ないということが必要条件、もしくは決定要因だったのではないかと思います。

水環境が厳しい場所で、人類にとって極めて重要な哲学とか宗教の原理というものが発見されている。例えば、イエスなどによって。

同じことが仏教にもいえるわけです。私はしばしばインドに行って、仏跡を訪ね歩いてきました。釈迦が旅をした領域というのは、ご承知の通りインドとネパールの国境地帯にあるルンビニからガンジス川の中流域にかけてです。その間をバスや自動車で旅をしたのですが、やはりものすごく乾燥しています。イスラエルほどではないけれど砂漠景観がずっと続いている。私はキリスト教と仏教の考え方は違うと思いますが、ものを考える質という点では、仏陀の考え方はキリスト教の考え方に限りなく近い、とそのとき思いました。

乾燥地帯における根源性

同様の理由で、インドの仏教と日本の仏教とでは、そこで根本的に違ってくると思います。

お釈迦様が言った無常というのは、地上に永遠なるものは一つもない、形あるものは必ず滅する、人は生きて死ぬ、という三原則です。すべて客観的な事実で、誰も否定することはできません。

ところが、その無常が日本にくると平家物語の冒頭の無常観になるわけです。これは高温多湿のモンスーン地帯に発生した無常感なんです。センチメンタルで、非常に湿っています。私は「乾いた仏教」と「湿った仏教」と呼んでいます。

仏教とキリスト教というのは、人類が2、3000年の間に考え出した大変な知恵ですよね。そういう根源的な思想というものをつくり出した地域はすべて乾燥地帯だったということが重要です。今日、地球問題を論ずる人は、キリスト教と仏教を比較して、ごく簡単に「砂漠の宗教」と「森の宗教」と言うけれど、私はそんな浅薄なことは言えない、と思っています。

真に人類に価値ある鋭い思想を生み出したのはみんな乾燥地帯で、森の中からそれに匹敵する思想をいったい誰が生み出したか。これも言いにくいことで、聞き入れ難いようにも思いますが真実です。

孔子が歩いた地域、老子が活動した地域というのは河南省(今の洛陽のある地域)辺りで非常に乾燥しているんです。北京オリンピックがあったので、多くの日本人にもわかると思いますけど、黄砂が舞い上がって大気が汚染され、ものすごく乾燥している。だから水の問題は今日なお大きいと思います。

それに比べて、モンスーン地域というのがいかに恵まれているか。

一神教は、人間の運命とか地球の運命を根源的に見てきた宗教ではないか。根源的な観察によって発見された原理というのは、長いタイムスパンのなかでジワジワと浸透していくのです。影響力が非常に深くて強い。

一方、モンスーン文化圏というのは、物事をなかなか根源的に見ることができなかった風土ではないでしょうか。

今のグローバリゼーションの考え方の根底に一種の普遍主義があって、その中心に一神教的な思考が働いているのだと思います。現代になって神は否定され、その代わりに理性や正義といった言葉が使われるようになってきました。考えてみると、それらはみんな神の別名なんですね。我々日本人は国際的な場面でなかなか対等な議論ができないのですが、そういうところに原因があるんでしょうね。気がつくと、向う様の仰る線上で議論している。

そういう根源的なところが最初に言った「死」と重なるわけです。いずれ人類にしろ地球にしろ終わりがくるという終末論です。初めがあって終わりがある思考です。しかし逆にいえば、これは一神教の限界でもあるわけです。アジア的思考の中心は輪廻ですから、ここでアジア的な価値観を主張していく可能性があるかもしれません。

多元的な価値の復権

イスラエルから飛行機で帰ってきたとき、天上ではなく、眼下に富士山が見えました。富士山の周辺に実に豊かな緑の山岳地帯がずっと続いて、無数の川が流れて、海が取り巻いている。地上の豊かさみたいなものが見ただけでわかる。

山の幸、海の幸というように、日本では天上の彼方に唯一の神、価値あるものを求める必要がありませんでした。豊かなものが地上の隅々にあり、山に入れば山の神々の声を聞き、仏の気配を感じ、ご先祖様の声が聞こえてくる。鳥の鳴き声も単なる声ではない。これは地上が豊かな自然に恵まれているところからくる感覚だと思います。それが多神教的な風土です。

それによって我々は豊かな生活を保障されましたが、根源的な哲学思想だとか人類に寄与するような普遍的な思想を発見することはできなかった。それがなくても十分幸福だったわけです。

しかしグローバル化が進み、地球が一つの共同体となったときに、はたして終末論を内包する普遍主義だけで物事を考えることができるのか。かえって、さまざまな問題を引き起こしている。

つまり、それではやっていけないところにまできているのです。今では国連やユネスコあたりでも文化の多様性ということを言いますし、同じように生物の多様性の問題も議論されています。地球上の生命は、多元的な価値を持っている多元的な存在であると。まさに多神教的な原理がそこに働いているのではありませんか。ここで初めて日本やアジアの思想が新たな次元で普遍性を取り戻し始めたのかもしれません。

この地球の状態が永遠に続くとは、誰も思っていないでしょう。もっと大きなサイクルで宇宙のシステムは交替しているからです。それは途方もない時間ですが、ブラックホールから始まってまたブラックホールに戻る過程かもしれない。

今の状態が続く限りは、共生原理でいくのもいいと思います。しかし、それを大きく包んでいる宇宙的時間の流れの中では、やはり死滅、末法、終末というようなことを意識せざるを得ない。これも人類が考え出した英知ではないでしょうか。そういう英知こそが資源を大事にしようという運動とつながっていくんだと思います。いくらでも資源があるという前提からは環境論なんか出てこないわけです。そういう点で日本列島の八百万(やおよろず)の神、多元信仰というのが存在価値を増大させてくるように思います。

「個人」ではなくて「ひとり」

西洋的な意味での「個」というのは原子論にも例えられてきたように、非常に孤立した原子的な存在なんです。西洋人の人間観の基礎にあるのは、理性的な人間は「疑うべき存在である」という考え方です。「個」の自立性を主張することは、同時にこれ以上疑い得ない個=孤立性を象徴することにもつながるわけです。「個」は原子に限りなく近い存在であると。

私は最近、日本列島には「個」にあたる概念として「ひとり」という言葉があったと、いろいろなところで言うようになりました。

親鸞の言っている「ひとり」は、近代ヨーロッパ社会が生み出した「個人」のありかたに限りなく近い、あるいはそれよりもっと自覚的な深みを持っていると思っています。そういう意味で親鸞は国際水準をいった思想家だった。日本列島ではむしろ例外的な存在だったかもしれません。しかし、それでも親鸞の「ひとり」を含めて、日本人が考えた「個人」や「ひとり」というのは自然の中の「ひとり」なんです。柿本人麻呂や尾崎放哉(おざきほうさい)などが歌っている「ひとり」も同様です。大和ことばにおける「ひとり」は西洋人が考えた孤立した「ひとり」では決してなかった。

尾崎放哉の「咳をしてもひとり」という俳句に象徴的に表れています。家出をして諸国放浪の旅をしながら俳句をつくり続けて、最後は結核になって死んでいく放哉。

確かにたったひとりの孤独で寂しい単独者の生活をしているわけですが、俳句をつくるという創造的な仕事において、彼は自立しています。自立した自分の「ひとり」というものがそこにあるから、自然を前にして宇宙を前にして、「咳をしてもひとり」と言うことができたわけです。これは孤立した孤独な単なる「ひとり」ではない。

この俳句の背後には豊かな日本の自然というものがあるし、その自然の中を放浪して歩いてきた彼の人生というものが滲み出ています。この俳句を英訳するのは非常に難しいことですが、その場合は自然的景観というものを背後におかなければいけないと思います。

高浜虚子の「虚子ひとり銀河と共に西へ行く」もそうで、これは宇宙の中の自分という捉え方です。

親鸞の場合はなかなかそうはいかない。阿弥陀如来の救済力というのは万人の上に注がれるものですが、その上でその救済の力は自分だけに注がれるという自覚を持って「親鸞一人のため」と言っています。そこからは自然的な要因というのはあまり出てこないかもしれませんが、親鸞の一生は自然法爾(じねんほうに)という言葉で象徴されるように、自然の中で生きていくということの中にあったわけです。

あるいはそれは、「自然」の代わりに「集団主義」という問題が出てくることにつながったかもしれません。もっとも組織とか集団に埋没してしまったら滅私奉公になってしまいますが、集団に属しながら集団とともに生きていく、そんな人間観をこの日本列島の社会は育んできた面もあるのです。戦後、私たちは集団主義を悪いことの象徴のように言い続けてきましたが、日本人の集団主義は良質なものだったと思います。集団主義はマイナスのイメージで受け取られる場合が非常に多い。もちろんそれもありますが、決してそれだけではなかったはずだということです。

第三の教育軸を見出す

今は日本だけではなく世界の先進国でも「無宗教」の時代になっています。宗教の力といってもそう簡単にはうまくいかないでしょう。だが大局的にいえば、それも教育の問題なんです。

明治以降、日本が近代化に向かって驀進してきた過程の教育軸はなんだったかと考えると、第一の教育軸は科学技術立国です。第二に社会科学を重視してきました。この2つが明治以降から現在までずっと教育の主軸をなしてきた。

けれども第三の教育軸として文化・芸術・宗教がなければならないと、私は思ってきた。これは明治以降、特に第二次大戦後はほとんど周縁的なところに位置づけられてきました。教科書を見ればわかりますよね。その教育のあり方、システムが間違っていて、そろそろ見直さなければいけないのです。

この第三の教育軸を第一、第二の教育軸と対等の形で位置づけ直すということから始めなければいけない。そういった教育システムの組み換えの中で宗教を考えていく。

宗教だけで考えるのは、今や説得力を持ち得ないと思います。宗教は芸術や文化のあり方と緊密な関係を持っていて、人間の精神性に深くかかわります。やみくもに心の時代というだけではなく、その前に第三の教育軸が国家戦略、生き残り戦略として絶対に必要と認識することです。

効果が表れるのに50年から100年はかかるでしょう。それだけ時間がかかるものだから、今から始めなければなりません。長くかかるからゆっくりやってもいいというものではない。そういう認識が政治家にないのは残念ですね。

それから、私は古典をしっかり教えれば、それで宗教教育になると考えている。万葉集とか源氏物語、平家物語などには、古代から現代に至るまでの日本人の宗教観というものが、自然観も含めて全部入っているので、それらをしっかりバランスよく教えればいいわけです。

そこではじめて「死」の教育という問題が出てきます。戦後教育で万葉集の講義というものは、教える側も教えられる側も愛の歌(相聞歌)が中心になっていました。しかしそこにはそれと同じぐらい挽歌という死者を悼む歌が収められているんです。これまで挽歌に関する研究は微々たるもので、愛一本槍。これは「生きる力」一本槍と同じことだったのですね。

今年は源氏物語千年紀だけれども源氏物語といえば「もののあわれ」でした。でもそれと同じように「物の怪」の世界が出てくるわけです。これも「死」の問題、怨霊の問題と非常に深くかかわりがある。それなのに「物の怪」のほうは、ほとんど無視されてきました。

それから戦後の認識では、平家物語の一番の魅力は合戦の場面だとされてきました。冒頭の「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」というのは非常に仏教くさい、抹香くさい話だと毛嫌いされてきた。しかし平家物語の本当のすごさは、この2行にあるんです。

祗園精舎の鐘の声 
諸行無常の響きあり

先程言った、人生に永遠なるものは一つもないという考え方、根本原理です。人間の運命とか地上世界の運命について無常だと言っているわけです。

個々の合戦場面における個々の人間たちの運命は個性的に描かれていて、それは非常に魅力的ではありますが、個々の人間たちの運命の上をさらに普遍的に吹いているのが無常の風だ、という構造になっているんです。そこを教えられなかったということは、日本人に宗教感覚を教えなかったと同じことだった。

能の世界、歌舞伎の世界、全部通してそういうことになっています。いかに生き残るか、生き延びるか、それだけしか関心がなかった。だから結果として偏向教育になってしまった。

延命治療とかの発想は、そこから出てくるのです。延命治療の結果、終末期の人間がどれだけ不幸な状態に置かれているか、老人ホームに行けばすぐにわかりますよ。生きる屍の状態に放置されるようなことになっている。それで今の社会システムは介護の手立てを失っているわけです。

人生80年になったらもう死に支度なんですよ。今、私は77歳ですけどそろそろ死に支度の年代に入っていると思っている。80歳を過ぎたから今度は90、100歳だといいますが、そんなことを言う前に死に支度の年代だということを考えなければならない。そういう声がどこからも聞こえてこない。おかしな世の中です。

「死を思え Memento Mori」というのは中世のヨーロッパにおいて主要な課題だったんですね。日本においてもそうでした。近代は「死を思え」ということを否定した時代です。中世時代においては人生は50年。人生50年時代における「死を思え」と、今の人生80年時代の「死を思え」というのは違うと思います。けれどもそれがどう違うのか、まだ発見されていない、そこでライフスタイルが決まるわけです。

「もったいない」と「はらはちぶ」

これからは、もっと大和言葉を大事にしなければならない。カタカナで表記し始めるとそれが誤魔化しにつながります。カタカナで書くのは、本質を隠蔽するためだと思います。日本の役人はすぐカタカナを使いたがりますが。

カーボン・オフセットとかキャップ・アンド・トレードとかいう言葉で、CO2の排出量を中期目標が何%、長期目標が何%とかやっている。これを本来の言葉の意味に戻せば、みんな金の取引の問題になっていきます。そんなことで緑の革命なんてもたらすことができるのか、エネルギー問題一つとっても解決できないでしょう。洞爺湖サミットをはじめとするすべての外交、政治交渉は、お金の取引をやっているだけです。

水だってそんな取引で解決できるのか。イスラエルとパレスチナの水の量は4対1だといわれていますが、この対立はどうやって解消できるのか。クローン人間もそうですよね。これを人造人間とは誰も言わない。だからカタカナには注意が必要です。

それに対してひらがなは、我々の心意にとって誤魔化しがない。「もったいない」「はらはちぶ」などはひらがなで書く。「はらはちぶ」は漢字でも書きますけど本来はひらがなでいいんです。最近「モッタイナイ」とカタカナで書く人が出てきましたが、そろそろ胡散臭くなってきたということでしょうね。大和言葉礼賛に聞こえるかもしれませんが、そうではなくて大和言葉は正直で誰にでもわかるからいいんです。

「もったいない」とか「はらはちぶ」の中には、感謝の気持ちとかいろんな大事な要素が入っていますよね。それを私たちは豊かになったことで忘れてしまいました。記憶を蘇らせることができなくなって、新たに獲得しなければいけない事柄になってしまった。

最近のことでいえば、ケニアのマータイさん(注1)は「もったいない」の考え方に感動されて、最初これを「3R」という言葉に説明されました。いわばReduce(消費の抑制)、Reuse(再使用)、Recycle(資源の再利用)です。ここまでは理解できるんです。だからマータイさんもそう言っていた。だけど私はそれだけでは足りないと思っていた。「もったいない」のもっとも大事な価値観は伝えられていない、と。

その声が聞こえたかどうか知りませんが、最近では第4のRとしてRespect(尊重する)ということが大切だといわれるようになったといいます。これはかなりいい線をいっています。こうやって日本の大和言葉は少しずつ国際語化していくんですね。これは相互に努力しなければいけません。外国人にも考えてもらわなくてはいけないし、我々も積極的に伝えていかないといけない。

それなのに日本人のエリートたちは、横文字を持ってきて説明したがる癖があるんですね。大和言葉を転用するなんてまったく考えない。これではEU官僚に勝てるわけがないですよ。

逆にこちらからこういう尺度がありますよと発信していって、1つの土俵の上に2つの尺度を持ち出すことが大切。これもよく言っているんですが、あまり共感してくれる人がいませんね。

(注1)ワンガリ・マータイ (Wangari Muta Maathai)
1940年ケニア出身の女性環境保護活動家。ナイロビ大学初の女性教授。2004年に「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」により、環境分野の活動家としては史上初、アフリカ人女性としても史上初のノーベル平和賞を受賞した。2005年の京都議定書関連行事出席のため来日した際、日本語の「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、世界に発信している。

和魂洋才

二項対立的な思考には良い面と悪い面がありますが、西に対して東の価値観、アングロサクソンの価値観とアジアの価値観、といった二項対立の考え方の一つひとつを土俵の上に載せていくことが必要かもしれません。そういうことを日本の知識人はやってこなかったということですね。西田幾多郎の哲学というのは西洋の哲学を半分もらっているから、デカルトの哲学的思考に対して西田幾多郎だけでは二項対立にならない。そういうときの二項対立の出し方の思考訓練が、そもそもできていないというのが難しいのでしょうね。

一神教対多神教という対立軸はありますが、今やその枠組みだけで議論する段階ではないですね。第三の道が求められている。

今までは、そんなこんなで試行錯誤を重ねてきたわけです。だけどもう、そうはいかなくなってきている。方法としては近代的なライフスタイルを伝統的な価値観に基づいたライフスタイルで補う以外ない状況ですね。それぞれ全然違った価値観を持っているシステムですから、いいとこどりだけではどうしようもないのだとも思います。

考えてみれば日本は和魂洋才、和魂漢才という方法でそれをやってきたわけです。しかし、昭和20年以降になってその「和魂」が消えてしまいました。その和魂をどう回復するかという段階にきていると思います。それはいいとこどりではなくて、もともと和魂がなければできないことです。和魂の上に外部からくる文明を位置づけていく、あるいは軌道修正していくということでしょうね。

一番厳しいのは、気がついたら和魂がなくなってしまっているということです。私は電車に乗ると、若者たちに対して毎日不快な思いをします。いつの間にこんなになってしまったのかと。いっぺん終末までいかなければ直らないのかもしれません。

私は仙台にいたときに地震で2週間の断水を経験しましたが、そのときに水の有り難さがどれだけのものかわかりました。一週間目で干上がってしまう。渇水期が続いて水が飲めなくなるといった、そういう目に遭わないと、我々日本人はだめかもしれない。この世紀は大災害の世紀でしょうから、必ずそういう瞬間がきますよ。そのときに我々世代が危機に対処する生活のモデルを示せるかどうかというのは、大きな問題ですね。

阪神で被災された人たちは若くても、水に苦労したりお互いに助け合った経験をしています。そういう経験というのは記憶に深く刻まれますから、そういうぎりぎりのところまで追い詰められた人たちがこれから核になっていくのかなとも思います。ただ問題はそれが継承されるかどうかです。だから、これは言い続けなければいけないことなんです。

死を思え

死ぬときは、みんな「ひとり」なのです。西洋世界であろうとアジア世界であろうと、貧乏人も金持ちも死ぬときはひとりです。ひとりで生まれてひとりで死んでいく。そのとき同伴者、パートナーシップを何と組むかということです。自然の中で死んでゆくか、自然と切り離された形で死んでゆくか。

今、世界は空調時代に入りました。これだけ温暖化の時代になると空調なしでは一日も寝られない。空調なんか使わないという人間がひとりぐらいいてもいいと思いますが、ほとんどいませんよね。

日本の空調産業企業の幹部社員研修で話をしたときのことです。世界中から集まった支店長や社長クラスの人たちにひととおり日本人の自然観を話した後、最後にこういう質問をしたんです。

あなたは臨終のときに、空調の効いた清潔で近代的な病室で最後を迎えたいか、あるいは自然の中で多少は蒸し暑いかもしれないけど自然の風にあたり、鳥の声を聞いたり川のせせらぎの音を聞いたりしながら最期を迎えたいか、どちらを選びますかと。みんな戸惑った顔をしましたが、ほとんどすべての人が自然の中で死にたいと答えました。

自らの仕事に真面目に取り組みながらも、そこまで考えていない有能な企業人というものに、私はかえって胸をつかれました。

結局、自然とパートナーシップを組むということなんです。「空調があればいい」、そのように言う人はそんなに多くはないのではないでしょうか。そういう点でも、川のせせらぎの音というのはいいですよ。方丈記の「行く川の流れは絶えずして」から美空ひばりさんの「川の流れのように」まで、水と水の流れというのは大事です。

もちろん、我々は空調や近代的な設備のおかげで快適な生活を送っている、ライフスタイルの95%はそのおかげであるということは、感謝しなければいけません。しかし空調の文化と自然の文化を両方考えていき、そこで第三の道を発見しようとするのがこれからの生き方ではないでしょうか。

多くの人は、その矛盾に必ずしも気がついてない。それは不思議ですよね。みなさん言われてハッとしている。

死ぬときに感謝の言葉が出たら、最高じゃないですか。「ありがとう」って。

でも、空調が効いた部屋で管につながれたまま最期を迎えるようになったら「ありがとう」とはなかなか言えないですね。

死ぬときのことを考えることが、「共生」という言葉を考えるときにその考えを深めてくれることになるのかもしれません。だから「共生」という言葉を徹底的に考え抜くということは、決して抽象的なこと、大げさなことではなく、自身の生と死に密接にかかわる問題になってくるのです。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 30号,山折 哲雄,水と生活,歴史,民俗,教育,信仰,共生,環境問題,宗教,乾燥地,水と自然,CO2,省エネ

関連する記事はこちら

ページトップへ