空間認知の力は、自然環境や生活文化の違いに影響され、その技能は、使わなければ衰え、鍛えることも可能、と岡本耕平さん。 実は、ハザードマップは個別につくられているために、統合して読み解く力が求められ、自分のものにしていく工夫も必要なことがわかりました。 取材は東日本大震災前に行なわれましたが、期せずして、ハザードマップの重要性を再確認するお話となりました。
名古屋大学大学院環境学研究科教授
博士(地理学)
岡本 耕平(おかもと こうへい)さん
1955年島根県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学社会学部専任講師などを経て、現職。専門は、人文地理学・都市地理学・行動地理学。
主な著書・論文に、『メンタルマップ入門』(共著/古今書院 1993)、『都市空間における認知と行動』(古今書院 2000)、『ハンディキャップと都市空間』(編著/古今書院 2006)ほか。
ハザードマップとは、過去の災害の経験や実地調査、及び科学的知見に基づき、今後、災害が予測される場所とその程度を地図化したものです。合わせて、避難場所の位置や避難方法なども表示して、地域の防災に役立てることを目的として作成された地図を指します。
災害には、地震、洪水、高潮、津波、土砂災害、火山噴火など、さまざまなものがあります。それでハザードマップも、実はいろいろと種類があるんです。
その背景には、1988年(昭和63)に旧・国土庁の防災マップ作成モデル事業があります。2005年(平成17)の水防法の改正で中小河川においても浸水想定区域の指定が義務づけられたこともあって、市町村レベルでハザードマップがつくられるようになりました。
川は、堤内地と堤外地に分かれています。堤内と聞くと堤防の内側のような気がしてしまいますが、守られる住居や農地のある堤防の外側のことで、河川行政がやっているのは堤外、わかりやすくいうと堤防にはさまれている川側のことです。川のハザードマップは河川課、一方、内水を司っているのは下水道課というように、堤防を境にして、同じ水害に立ち向かうにしても行政の中で担当部署が分かれており、今まではなかなか連携できていませんでした。
最近は、豪雨が頻発していて、短期間に集中して雨が降るので、川をコンクリートでがっちり固めて、流れるように深くつくってきたのに水害が起こることがあり、これを内水氾濫と呼びます。普通の水害は、川があふれたり、堤防が決壊して、家屋などが水没することをいいますが、内水氾濫は、降った雨が下水道や川にうまく流れ込まないために浸水する状況を指します。内水氾濫のハザードマップがつくられるようになったのは、こういう状況に対応するためです。
これらに加えて火山の噴火、津波というように、災害別にたくさんのハザードマップが別々につくられています。河川の場合は、川ごとにつくられていました。ですから、一つのハザードマップだけ見て「ここは大丈夫」と逃げていくと、隣りの川の危険地域になっていることもあり、使う人にとっては、なかなか把握しにくかったのです。
こういう状況は徐々に改善されつつあって、実は私は愛知県の河川の委員なんですが、委員会には異なる部署の方々が出席されています。これは、東海豪雨(注1)がきっかけとなっています。
東海豪雨のときには、名古屋駅の北側を流れる庄内川と、名古屋大学周辺を流れる天白川の二つが大きな洪水を起こしました。庄内川は支流の新川が破堤、天白川は主に内水氾濫が原因の洪水でした。
天白川と支流の藤川の堤防に囲まれた堤内地は、水面より低い地形だったため、降雨が集中しました。天白川に排水するためのポンプが浸水して使いものにならなくなったのが直接的な原因ですが、どっちにしても汲み上げて排水する先の天白川も、既に一杯でしたから、ポンプがちゃんと機能していたとしてもうまくいったのかどうか。ポンプ場も浸水して機能停止したため、水が引くにも長い時間がかかりました。こういう経験をしたので、下水処理の問題が重要であることも意識されるようになってきました。降った雨を川に流すだけではなく、遊水池で一時的に受け止める必要も実感されてきたのです。
(注1)東海豪雨
2000年(平成12)9月11日から12日にかけて、愛知県名古屋市とその周辺で起こった豪雨災害で、のちに激甚災害に指定された。台風14号の影響で前線の活動が活発になり、愛知、三重、岐阜県の東海地方を中心に記録的な大雨となった。2日間の積算降水量は、多い所で600mm前後に上った。
ハザードマップの中には、きれいに表現されているんですが、ぱっと見て危険度が迫ってこないものもあって、それも問題です。みなさん、試行錯誤しているんでしょう。どうしても表現がソフトになっていく傾向があります。決まった色がないだけに表現は難しいですね。ハザードマップで危険度を強調したら文句が出る。たとえば、特に危険なエリアを赤色で表現したら、「赤は不吉だから嫌だ」といった意見が出る。さまざまな意見を入れていくと、中庸な表現にせざるを得ないのかもしれないし、行政のある種の自己規制かもしれません。
とはいえ、今は、家一軒一軒がわかるくらいのくわしい地図でハザードマップをつくることができるようになりました。かつては「不動産価値が下がる」といった反発もありました。しかし、阪神淡路大震災以降、そのような傾向は変化しています。危険度が高いことを表現するのに、タブー視しない方向になっています。やはり、人命のほうが大事ですからね。
それと、自助というものが重要視されるようになった時代と連動したのでしょう。今までは、公助の考え方で、税金を使って土木工事をして守るから防災は任せておけ、というやり方でしたが、さまざまな要因で、共助・自助に転換しています。
ですから研究や学問の理論的傾向だけではなく、実際の暮らしや出来事によって表現が変わる、ということなんです。
本来でしたら、情報をちゃんと調べて、危険な所には住んでもらいたくない。それと、地形というのは開発時に結構変わっていることがあるんです。元はでこぼこの丘陵地だったのに、削ったり(切り土)、盛り土してあったりする。丘陵地でも盛り土のところは地盤が軟らかい。
ですから、なるべく古い地図を見る訓練をしたほうがいい。しかし、旧版地図を手に入れるのは、なかなか大変でしょう。
それで、現代の地図に過去の時代の地図を重ね合わせた「今昔マップ」というソフトをつくったのが、私のところの卒業生の谷謙二さんです。東京と大阪と名古屋エリアの「今昔マップ」を無料でダウンロードできます。谷さんは埼玉大学で地理学を教えるかたわら、さまざまなプログラムを開発しており、一番有名なのは、行政などでもよく使われている、「MANDARA」というGIS(Geographic Information System)ソフトです。
これで東海豪雨で被害のあった天白川の周辺を見てみると、戦後すぐの時点では、ほとんど人が住んでいなかったことがわかります。ですから、ハザードマップを見ることももちろん大事ですが、昔の地図を見たり、過去の地名を調べたりすることも必要です。危ないから住まないでください、と言うと支障がありますが、過去の地図を見れば多くの情報を得ることができるのです。
ハザードマップは、住んでいる人ももちろんですが、これからそこへ引っ越そうと考えている人にとっても必要です。
ところが、ハザードマップは行政が自分の管轄の所に配ったり公開するので、その地域の住民以外には目に触れるチャンスがない。インターネットの普及で、徐々に解消されつつありますが。
東海豪雨が2000年(平成12)に起きて、2002年(平成14)に庄内川・新川洪水ハザードマップ、2003年(平成15)に天白川洪水ハザードマップがつくられました。しかし、その後のアンケート調査で、ハザードマップの存在を知っていたという人は庄内川流域では43%、天白川流域では60%だったという報告があり、被害があった地域でもハザードマップ認知度はそれほど高くありません。
それから、ハンディキャップというとすぐに障害者を思い浮かべますが、日本語が不自由な外国人も、ハンディキャップがある、ということができます。各市町村で外国語に訳したハザードマップの作成が進んでいますが、住民登録が義務づけられていないために、外国人の住んでいる場所が特定できずに届けることができません。
また、せっかくつくった地図がわかりにくいという指摘もあり、自分の家の位置や目印を書き込んで〈MYハザードマップ〉づくりを推奨する動きもあります。コンビニなどの目印をシールにしてハザードマップと一緒に配布するといった工夫をしている市町村もあります。
活用方法がわからない、という声もあります。DIGという手法があって、災害(Disaster)を想像(Imagination)するゲーム(Game)を地図の上で行なうことは、日常生活を想定した具体的な避難方法の確認に役立ちます。ハザードマップから得られる情報(プラン)を原寸大の光景(シーン)に落とし込めば、ハザードマップは本当に役に立つものに変えられるのです。
カーナビによって地図を読む力が衰える、ということは、事実だと思います。ただ、カーナビがなくても地図があれば目的地に行ける人も、じゃあ地図がなかったらどうするのか、という問題が表われます。
アフリカのカラハリ砂漠に住むブッシュマンの人たちは、地図が描けないし、読めないんですが、ちゃんと目的地まで行けるんですよ。ですから、地図を描いたり読んだりする能力と、実際の空間認知の能力とは違うんだ、と言わざるを得ません。地図には、簡略化とか抽象化というものがあって、地図が描けたり読めたりできるようになるためには、訓練が必要です。一方、道に迷わず臨機応変に行動するためには、日ごろのリアルな体験が必要です。
野中健一編『野生のナヴィゲーション―民族誌から空間認知の科学へ』(古今書院 2004)という本に、まさに、リアルな環境認知と体性感覚によって、空間が認知されることが書かれており、私も1章、担当しています。空間認知は、自然環境や生活文化の違いによって影響され、その技能も同様に左右されているということなんです。
ハザードマップを活用する場合も、単にハザード(危険予測)の情報をそこから読み取るだけでなく、災害が起きたとき自分や家族をどうやって守ればよいか具体的にイメージし、実際に行動してみるというリアルな体験が必要です。大切な人命や財産を守るため、ハザードマップが上手に活用されることを願っています。
被災時刻 | 午後6時 |
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居住地 | 野並小学校西側 |
家族構成 | 3人家族 |
夫 | 都心勤務→帰宅途中 |
妻 | 近所でパート→在宅 |
子ども | 小学5年生野並駅そばの学習塾にいる |
それぞれ、どのような行動をするべきでしょうか?
妻は被災の可能性があります。
子どもは比較的安全なところにいますが、家に帰ろうとするかもしれません。
被災時刻 | 午後9時 |
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居住地 | 野並小学校西側 |
家族構成 | 3人家族 |
両親 |
若宮商業高校のそばに居 ともに70歳やや足が不自由住 |
3人家族は70歳の両親を救うためにどのような行動を取るべきでしょうか?
家族の力だけで両親を助けられるでしょうか?
(取材:2011年3月4日)