住宅地図から始まったゼンリンの歴史。足で稼ぎ、手間を惜しまず更新し続ける仕事ぶりが、データの信頼性を育んできました。 いくらデジタル化が進んでも、根本にあるのは人がかかわる〈アナログ〉作業ということを教えられました。
株式会社ゼンリン 執行役員 GIS事業本部長
山下 弘記(やました ひろき)さん
1964年北九州市生まれ、1987年ゼンリン入社
2007年営業本部営業推進管理部長
2009年より現職
創業者の大迫正冨が、『観光別府』という観光ガイドをつくったのが、当社の始まりといわれています。その観光ガイドに折り込みでつけた地図に、旅館の場所など詳細な情報が載っていたため、見やすいと評判になりました。付録でつけていたものなんですが、これが人気を博して、大迫は「これからは地図が商売になるんじゃないか」ということを思いついて、会社を興しました。
知らない人が訪れるため、わかりやすくしようと配慮したのですが、田舎の町には目標物となるものが少ないですから、目印として一般住宅を書き込んでいきました。その結果、詳細な住宅地図のようなものになったのです。
ただ、そういう地図をつくるには、ものすごく手間がかかります。私たちは入社したときに〈国盗り物語〉(注1)と教えられたんですが、ある地域の住宅地図をつくるには、泊まりがけで調査をする必要があります。当時はお金がないので、現地の商店に行って、「こういう地図をつくるんですが、できるのは半年後です。最初に半金ください」と言い、もらったお金を宿泊費などの経費と給与に当てて、地図を作成したというのです。こういうことを繰り返し行ないながら、エリアを増やしていきました。
最初は大分から始まり、いろいろな所の地図をつくり、九州全土、日本全国へと広がっていきました。今、地区でいうと99.6%を住宅地図で網羅しています。残りの0.4%というのは、人が住んでいない所、島などです。
私は入社が1987年(昭和62)なんですが、さすがにそのころは、もうそうしたやり方ではありませんでしたが、そこから脱却するのに、ずいぶん時間がかかったようです。1948年(昭和23)にスタートして、30年ぐらいは〈国盗り物語〉式にやっていたようです。
しかし、我々のそうした地図づくりを見て「こんな面白いことをしている人がいる」と同業者が現われてきたのです。当時は「つくった者勝ち」で、後発の地図はお客さまが使ってくれない。実は、東京も同様だったんですよ。しかし「東京だけは何がなんでもシェアを奪い取る」ということで、東京はなんとか自分たちの所領にすることができた。こうご説明すると、まさに〈国盗り物語〉という言葉がぴったりだと理解していただけるのでは、と思います。
私が入社したころは、それでやっと東京に来るか、来ないか、という時代でした。全国展開できる体制を確立したのは、確か、1983年(昭和58)です。
(注1)国盗り物語
一介の油売りから身を起こし美濃一国を手に入れた斎藤道三と、娘婿となった織田信長を主人公とした歴史小説。司馬遼太郎が1963〜1966年にかけて『サンデー毎日』に連載し、好評を博す。1965年、新潮社から単行本として全4巻が刊行された。
最初のころは広告を頂いていたんです。不動産屋さんとかガス屋さんとかが広告を出してくださった。結構いい売り上げになりました。ここ5年ぐらいは、社長が「利用者視点の地図づくりとして、仕様の統一を実現する」と言って、一部広告を頂くのをやめました。それで、今までずーっとおつき合いくださったお客さんにお断りに行ったんです。
僕がそのとき本当にビックリしたのは、お客さんのほうから「ゼンリンさんて、それでいいの? 」と言われたことです。なぜかというと、お金がなかったときに「地図をつくらなくちゃいけないから、協賛してください」と頼んでいたんです。お客さんは、住宅地図が商売に役立つと思っていたから、広告ではなく投資のようなつもりで協賛してくださっていたのですね。ゼンリンの側が、そのことを忘れていたんです。
お客さんのほうが、覚えていてくださった。本当に有り難いなあ、とそのとき思いました。
僕が入ったときには、社員は1000人ぐらいいました。人を使わないとできない仕事ですから、人海戦術。
そのころは、本当によく売れました。紙媒体地図のピークは1997年ぐらい(平成9)。だんだんと紙の地図の時代じゃなくなってきて、住宅地図が売り上げの中に占める割合がどんどん減ってきています。
しかし、災害なんかが起きると、やはりデータではなく紙の地図帳なんですよ。ですから、東日本大震災の次の日に、東北地方4県と茨城県の地図帳を2セットずつ災害対策本部に持っていきました。確認のためには紙の地図帳のほうが早く作業できます。
今では、調査して編集したデータを、紙媒体だけではなく電子メディアの形で作成したり、配信しています。
電子化のきっかけは、どんどん地区を広げていくうちに、作成者の技量によって地図の品質にばらつきが生じたり、効率が悪いということが問題になったことです。
それで1984年(昭和59)に電子地図化を確立しました。これは、お客様に提供するためではなく、あくまでも地図帳をつくるためのデータを電子化するというレベルです。電子化といっても、印刷形態はまだアナログ。しかし、早くから電子化を進めたお蔭で、その後、印刷自体が電子化するときにはスムーズに対応することができました。
そのうちに、世の中にコンピュータが普及するようになって、効率化が求められるようになりました。手描きから電子化された地図データになったことで、地図帳を見たお客様がきれいな表現に変わったことに気がつかれて、「データがあるんなら使いたい」という要望が出るようになりました。
そこで1988年(昭和63)に〈Zmap 電子地図〉という商品名で、東京23区のデータを発売しました。
2000年(平成12)には、株式会社ゼンリンデータコムという会社を設立し、一般の方々にインターネット上で地図データを配信するサービスを開始しました。翌年からは、3Dデータの開発会社の設立、2005年(平成17)には企業向けに住宅地図データを配信するサービス〈ZNET TOWN〉を開始しています。直近では、スマートフォンなどのモバイルデバイスへのサービス提供を展開しています。
〈Zmap 電子地図〉発売から数年経ったところで、カーナビゲーションのデータベースを提供する事業が始まりました。1990年(平成2)のことです。
カーナビの開発にかかわったのは、1986年(昭和61)に発足したナビゲーションシステム研究会(現・ITナビゲーションシステム研究会)に参加したのがきっかけです。ナビゲーションシステム研究会は、家電メーカーと自動車メーカーが中心となってできた団体で、そこに声を掛けられて参加したのです。
GPS(Global Positioning System:全地球測位システム)が民間に提供されるようになって、何に利用できるかということになり、家電メーカーさんが次の商材として開発し始めたのだと思います。それも1984年(昭和59)からデータの電子化に取り組んできたから、声がかかったんでしょう。莫大な情報量ですので、急にはできませんから。
GPSカーナビは1990年(平成2)に登場しましたが、ここまで性能が進化して一般に普及するとは、当時は想像できませんでした。今は、出荷される車の6〜7割に装備されています。
以前はなかった情報として、建物の入り口を追加で調査するようになりました。よく「目的地周辺に着きました。案内を終了します」と言って、ナビゲーションが終わってしまうことがありますよね。これは目的地の入り口の情報がなかったために、周辺のブロックに到着すると、それ以上案内することができなかったためです。この情報はまだ実用化されていませんが、早ければ今年中(2011年〈平成23〉)に実用化できるよう、全国津々浦々まで調査中です。
当社には、住宅地図とカーナビと携帯電話という三つの柱があるんですが、今でこそ、カーナビは一番大きな柱ですが、カーナビ用市販ソフトを発売した1992年(平成4)当初は赤字だったと思います。
2000年(平成12)に開始したネット事業も、ネットが世の中に普及するよりも早かった。ものすごく時代を先取りしているせいで、時流がついてくるのに10年かかる。しかし結果として、それが競争力を生み出しているわけなんです。
ゼンリンの地図データには、大きく分けて4種類のものがあります。個人名まで入った住宅地図、市街図、道路地図、広域図の四つです。
紙媒体の住宅地図は、全部の情報が盛り込まれた状態で印刷されています。しかし、住宅地図データベースは、レイヤー化されていますので、属性情報を取り出すことができます。例えば、マンションだけの情報が欲しいとか、それも人が居住している3階以上のマンションを検索したい、という要望に応えることができます。
建物を選択すると、入居するテナントや居住者の情報が取り出せます。町中ですと、入れ替わりが激しいので、1年に1回は調査しています。こういった情報は、さまざまな営業分野の方にも活用されています。
ただ、今はマンション内立ち入り禁止のところが多いので、なかなか情報が取れなくなっています。最初は、こんなにマンションデータが取れないんじゃ商品価値がないのではないか、と思っていたのですが、個人名よりも階数と部屋数が知りたい情報なので、価値は充分にあるようです。
検索もできます。名前を打ち込めば、同姓同名の候補が挙がってきます。この情報は基本的にオープン情報の表札からですから、個人情報で問題になることはありません。住宅地図というのは、経済産業省の指針にも明記されています。もちろん、表札に出しているけれど削除してほしい、と言われれば削除します。
紙の地図帳のときも、巻末に情報として入れていました。調査自体は、昔からやっていたんです。それが、ワンクリックで属性情報が見られるようになったということです。
都会では「なんで載っているんだ」という声が多いのですが、地方に行くと「なんで載っていないんだ」と苦情を言われることがあります。去年まで載っていたのに急になくなると、親戚から「売ったのか」と言われ、「説明するの大変なんだけど」と。
地図データベースとお客様の情報を組み合わせて使うこともできます。例えば、選挙の支持者リストのエクセルファイルを取り込んで、住所データとマッチングさせ、地図上にマークを落としていく。〈反応〉というフィールドに〈とてもよい〉から〈拒否〉までのランクを設けることで、検索結果を生かして選挙運動に反映させることができます。選挙活動には、みなさん昔から、ほぼ100%住宅地図を使われています。
条件検索の例でいうと、徒歩5分圏を検索した場合、通常は単純に円で囲んだエリアが表示されますが、大きな川があって橋がないために、川の向こうから来る顧客が見込めないというような場合に、徒歩5分で到達するエリアを正確に検索して、そのエリア内の一般家屋数や事業者数を拾い出して、商圏を分析することもできます。
今は携帯電話で地図を見ながら歩く、という新しい地図の利用方法ができました。ですから、歩行者が地図を使うということを念頭に、歩道の情報、雨の日に濡れずに歩ける道なのかとか、階段があるのかというような細かい情報をプラスして調査するようになりました。車椅子が通れるかどうかといった、障害のある方への情報としても意識した調査が行なわれています。
これらは、目のつけどころに価値が生じるわけですが、お客様からの要望で気づかされることが多いですね。
歩行者ルートも、携帯電話の会社から新しいアプリケーション開拓のために要望が出ました。ただ、GPS機能がまだ甘いので、歩行者の位置を特定するときにズレが生じたり、歩いている速度に間に合わないことがあります。そういうことがクリアされ、端末の性能が良くなれば、今後はもっと利用者が増えるでしょう。それこそ、10年後には。
情報収集作業は、地図データベースを構築する基礎となるものです。年間、延べにして約28万人の調査スタッフによって、独自の調査が行なわれています。
実際に歩いてみると、間違っていたり、新しくなっていたりするところがわかります。東京などは毎年、地方でも3年から5年ごとにきちんと歩いて調査します。1日あたり1000人の調査スタッフが、日本のどこかを歩いています。人によっては、1日20km歩きます。こうした情報収集への信頼性の高さが、ゼンリンの地図の価値を高めているわけです。
収集した情報は、編集と呼ばれる作業によって、紙地図上に落とし込まれ、データの入力原稿になります。この入力原稿をもとに、当社が独自で開発したシステムを使って、更新情報をデータベースに反映させます。編集にも入力システムにも独自の工夫があります。
データ入力の際には、道路とか鉄道、建物、行政界、名称などのレイヤーに分けてデータ化します。それらのレイヤーを組み合わせることによって、地図ができ上がるのです。
年間延べ約28万人の調査スタッフというのは、ほかにももっと活用する可能性があって、コインパーキングの会社から空き地探しを依頼されたりしています。
昔は、調査が単純だったので、調査スタッフも学生アルバイトの人が結構いました。ところが、調査の内容の難易度がどんどん高くなっているので、現在では社員と準社員が行なっています。
「住宅地図以外に○○を調査する」ということは、昔からチャレンジしているんですが、なかなか実用には至りませんでした。しかし、今は調査スタッフの能力が上がってきているので、地図調査プラスアルファの調査なども面白いのかな、と思い始めています。
単純に位置を確認するものだった地図が、さまざまな情報を組み合わせることで、データ分析やマーケティングに役立つ業務ツールになりました。
今後は、顧客の課題を解決するために、これまでつくってきたデータ蓄積を生かして、知・時空間情報を利用したソリューション事業を展開していくことを目指しています。
人が足を使って得ている情報は、大変貴重で、価値があります。アナログはなくならない、ということです。
(取材:2011年3月18日)