機関誌『水の文化』38号
記憶の重合

四季 太田川

太田川河川事務所では、緊急割り込み放送設備を利用して、テスト放送を行なっていました。 広島のデルタを育み、洪水もあったけれど、多くの恵みも与えてくれた太田川には、たくさんのストーリーがあり、ファンがいます。 大勢のファンの中から、お二人の方に太田川への想いをうかがいました。

熊本 隆繁さん・隆杉 純子さん

太田川河川事務所は、FMひろしまPステーション(現・FMちゅーピー)の番組「好きです太田川」の中で、高瀬堰(広島市安佐南区八木)に設置した緊急割り込み放送設備を利用したテスト放送を行なっていました。毎週水曜日の番組内で、太田川河川事務所が実施している事業の紹介やお知らせのほか、当時の管理第二課長 友澤晋一さんが独自に取材した、太田川にまつわる出来事や季節の風物詩などを放送していました。

2005年(平成17)の春、放送を聴いた市民から「内容に共感した」という励ましのメッセージが届き、これをきっかけにして中国新聞社が毎週金曜日に発行する情報紙『Cue』のコーナーにも、「四季太田川」の放送内容が掲載されました。

熊本隆繁さんと隆杉純子さんは、友澤さんが紹介した、太田川の多くのファンの中のお二人です。

熊本 隆繁さん

ネイチャーフォトグラファー
ミュージアム自然界主宰
AFIAP 熊本 隆繁(くまもと たかしげ)さん



写真ミュージアム

私は、自然界が発信するメッセージを、写真を通して人間社会に届けることをライフワークにしています。

36歳のときに、瀬戸内海の写真を撮ろうと、下関から牛窓までの海岸線を歩きました。海岸線は工場に占有され、岩国にはアメリカ軍の基地が広がっていた。私は広島市草津町の出身ですが、生まれ育った瀬戸内海の美しい自然が失われようとしていることに気づきました。豊かだった自然が汚染され、人々はその中での生活を余儀なくされていたのです。

もともとは電気通信の技術者で、基町の再開発に携わりました。ここが軌道に乗ったあと、52歳で早期退職して、失われ行く自然とそこに暮らす人や野鳥からのメッセージをテーマに、ネイチャーフォトグラファーとして活動を始めました。また、写真を通して海外の諸都市と国際交流を行なってきました。

市内のマンションに写真スタジオを構えて技術指導に当たる一方、広島市佐伯区湯来(ゆき)町を拠点に、〈ミュージアム自然界〉を主宰しています。

ここは週末に開館する写真ミュージアム。自然に接して、くつろいでもらえる空間でもあります。おいしいコーヒーを淹れる喫茶店のマスター業も、11年間続けてきました。

ここには多くの野鳥が訪れます。彼らは気持ちが通じるのか、私をちっとも恐れずに、のんびり餌をついばんでいきます。

ささゆり増殖プロジェクト

1万本が咲き乱れる〈ささゆり遊歩道〉と自然観察道を目指して、〈ささゆり増殖プロジェクト〉も推進しています。

近年、ささゆりが減少しているといわれるのには、理由があります。

ささゆりの球根にはウィルスがつくため、種子から発芽させないと、病気になって、その場からやがて姿を消してしまうという性質があります。しかし種子から芽生えたささゆりは、1枚あるいは数枚の葉を出すだけで、茎がないため、日当たりが良くないと生長できません。

また、開花できるまでに生長するのに4年かかりますから、その間、地面にまで光が当たる状態が保たれないと、生長して花を咲かせるところまで到達できないのです。高齢化が進む山間地では、山の手入れがおろそかになっています。そのことが、ささゆりの生態に決定的なダメージを与えてしまったのです。

ささゆりは環境に敏感で、植え替えも嫌いますし、発芽までのプロセスもデリケート。28℃で2カ月、18℃で2カ月、5℃にしてすぐ発芽、という生態がわかってからは、インキュベーターで温度管理して発芽を促すようになりました。3年生の時期のみ、植え替えが可能です。

動物による食害も深刻です。2006年(平成18)に4年生の苗をプランターに植え替え、40本の花芽がついたのですが、残念ながら留守の間に猿の大群が来て、花芽の大半が食べられてしまいました。その後、再び猿が大挙してやってきて、残りの花もすべて食べられて、茎も引っこ抜かれメタメタにされました。

翌年は、猿・イノシシ・アナグマ除けに電気柵を設置したお蔭で、53株の花が咲きました。しかし、その後もカラスに花を食べられたり、動物との知恵比べは結構大変です。

苦労の甲斐があって、2009年(平成21)の発芽苗7000粒、2010年(平成22)の発芽苗9000粒をフィールドに植え込むことができました。

昨年は5月21日に開花。今年は160以上の開花が見られる予定です。うれしいことに、今年は新しい仲間が大朝町と豊平町にできて、2年生の苗プランターを養子に出すことができたんですよ。

自然環境教育を行なう熊本さん。生物の生態系と合わせて、流域の人口と浄化槽の有無まで視野に入れて取り組んでいる。

自然環境教育を行なう熊本さん。生物の生態系と合わせて、流域の人口と浄化槽の有無まで視野に入れて取り組んでいる。

湯来町の自然環境教育

2005年(平成17)から、生涯教育の一環として、地元の湯来中学校の生徒に自然環境教育を始め、毎週金曜日、2時間の授業を受け持っています。森林や太田川の支流である水内川(みのちがわ)の生態系を調べる〈自然調べ〉の授業です。

始めた当時は、農家の子供が6割もいたのですが、それにもかかわらず肥料と農薬の違いも知らなかった。無関心なんですね。しかし、彼らは興味があることは面白がって、どんどん調べていきます。ですから、興味を引き出すような教え方を工夫してきました。

大切にしているのは、単に調べることではありません。循環型社会とは何か、ということについて自分の頭で考え、自分の言葉で表現できることを訓練します。

今の子供たちは、文章を書くのが苦手だし、きちんとしたひらがなが書けないでも平気です。小学校でちゃんと習わないできてしまっているようですが、中学生のうちに直さなければそのまま大人になってしまうでしょう。ですから、文章の構成だけでなく、きちんとした文字を書くことも要求します。

期末に評価をして、〈プチ博士〉の称号を授与するのですが、Aの評価の生徒には2級、Bの評価の生徒には3級を与えます。

〈プチ博士〉3級の生徒は未来を描くことができること。2級の生徒は、それに加えて次の対策を打てること。この2点をクリアしているかどうかを、評価しています。1級の資格はありません。「1級はマイスター。私をしのぐようにならないとやれないよ」と言っているんです。

湯来中学校は1学年1クラスで、わずか18人。でも、少人数だからこそ、ちゃんと向き合った指導ができます。この生徒たちが正しい知識を身につけて、行動してくれたら、分断されている循環型社会を取り戻せるかもしれません。

汝、人である事を忘れよ
そして自然界の風景の一部になれ
さすれば聞こえるだろう
野生の嘆きが

これは、ミュージアム自然界に掲げている言葉。自然界はたくさんの情報を発信しています。私は、それに気づくことができる感性を、生徒たちに伝えたいと思っています。

(取材:2011年4月5日)

  • ※赤枠をクリックすると拡大画像が開きます。

  • 干満により表情が変わる広島の川を、雁木タクシーなど舟が行き交う。

    雁木タクシーなど舟が行き交う。曲線を描く玉石の基町環境護岸(愛称:基町POP'La通り)と、後景に基町高層アパート。東南方向には、広島城、美術館、デパート、官庁街など都市機能ゾーン。寺町のビル(8F三原事務所)から撮影(2011年4月6日)



隆杉 純子さん

CAQ(ひろしま川通り活用委員会)
ポップラ・ペアレンツ・クラブ 代表幹事
隆杉 純子(たかすぎ じゅんこ)さん

川通りに名前をつける

私は広島の出身ですが、しばらく東京で生活していました。四十歳代に戻ってきたときに、改めて「広島の川ってこんなにきれいだったんだ」と気づいたのです。

太田川(本川)の〈基町環境護岸〉や京橋川のそばを歩き、「広島の川沿いには、こんなに素晴らしい所があるんだ」とびっくりして。東京にいたころ、駒沢公園でピクニックをしたことがありました。駒沢通りに分断された、本当に狭い緑地で。それでも、わずかな自然をみんなが楽しんでいたのを思い出して、多分、こういう所が東京にあったら、みんなが押し掛けてくるのに、と思いました。

広島の川には、すぐそばに道があり、アンダーパスでずっとつながっていて、車が進入しないので信号もなく、人が歩きやすい。サイクリングにも最適です。こういう道を、私は〈川通り〉と呼んでいます。広島の代表銘菓「川通り餅」からヒントを得ました。それで「ここに名前がついたらいいね」と仲間と話していたんです。

フランス語を勉強する機会があり、パリの道にはそれぞれ名前があることを知りました。日本人の画家の名前のついた道もありますよ(2001年10月、黒田清輝が滞在したことにちなんでパリ近郊のグレー・シュル・ロワン市の命名により、Rue KURODA Seiki:黒田清輝通りが誕生)。フランス人の懐の深さを感じさせてくれました。

日本の道路って、国道1号とか2号とか、橋のたもとも西詰、東詰とか、味気ない。人物名が冠になる道はありませんね。フランス語では、「quai:ケ」って言うんですよね。川岸のことなんですが、パリにはたくさんの橋がかかっているから、地図を見ると右岸、左岸に「ケ」のついた名前をよく見かけます。

1990年(平成2)ごろから、国土交通省、広島県、広島市によって、〈水の都ひろしま〉構想が進められました。私は広島に戻り、初めて〈水の都ひろしま〉のポスターを見たときに、「まったくそうだ」と思い、このことはのちのちまで頭の隅に残りました。

その後、たまたま就いた職場が、〈水の都ひろしま〉に関係する仕事をしていたんです。そこで市民活動助成事業のことを知り、市民の立場でまちづくりにかかわってみたいと、川通りに名前をつけるプロジェクトを始めました。市民活動の経験はなく、市民団体にも属していなかったので、まず、仲間を集めてグループを立ち上げることが必要。ということで、元気なオジサンが集うまちづくり団体〈おやじ活性化委員会(おやカツ)〉にあやかって、団体名を〈ひろしま川通り活用委員会〉としました。フランス語にすれば、CAQ「Comité d'animation des quais」、セアックと読みます。

実は何もわからず、勢いだけで始めてしまったんです。治水とか防災意識があったわけではありません。なにしろ〈基町環境護岸〉の「護岸って、何ですか? 」なんて言っていたぐらいですから。

2003年(平成15)の夏に、本川の〈基町環境護岸〉と京橋川と、元安川の原爆ドームのある左岸を重点地域に定めて、名前(愛称)を募集しました。

大切なのはストーリー

京橋川の場合は、オープンカフェができつつあったから、〈京橋オープンカフェ通り〉、という意見が多かった。

原爆ドーム側の左岸は、私も広島生まれの人間として、絶対に〈8月6日通り〉という名前をつけたい、と画策しました。というのは1945年5月8日通り(Rue du 8 Mai 1945)という通りがパリにあるからです。ドイツが降伏して、フランスが解放された戦勝記念日を通りの名前にしているんですね。

ですから何かのきっかけで「これは何? 」と聞かれたときに、史実が学べるというのが良いな、と思って。

それで〈京橋オープンカフェ通り〉〈8月6日通り〉が決まって、〈基町環境護岸〉はその緑地帯に堂々と立つ2つの木、ポプラとニセアカシアのどちらが代表樹木かと意見が分かれたんですが、背が高くてシンボリックな風景をつくるのはポプラ、ということになりました。それで〈基町POP'La(ポップラ)通り〉に決めさせてもらいました。

普通のポプラに対してポップラと提案してくれた大学生がいて、彼はPOP'Laと書いてくれました。POPのあとにアポストロフィーをつけて。「ポプラなんだけれど、みんなが弾んでいるような語感を出したかった」と。

ちょうどそのころ、東京工業大学名誉教授の中村良夫先生がデザインされた〈基町環境護岸〉が、土木学会デザイン賞特別賞を受賞しました。

1979年(昭和54)に護岸工事が始まり、完成したのが1983年(昭和58)。20年経過した2003年(平成15)に受賞し、折しも市民が愛称をつけ、偶然なのか、ご縁が重なりました。

先生は、治水の常識では撤去することが望ましいとされていた高水敷のポプラやニセアカシアの木を残されました。中村先生が「景観は長い時間をかけ育てるものです。20年くらい経たないと、その良さはわからない」と言われたように、これらの木がまさに〈基町環境護岸〉の象徴として、市民から愛される存在になったのだと思います。

「川通りの命名プロジェクト」をしているうちに、名づけることがゴールではない、ということがわかってきました。松波計画事務所の所長をはじめ、まちづくりの重鎮から「愛称だから、定着するかしないかはこれからの活動次第」と説教されました。「では、次に何をしたらいいんだろう」と思ったときに、ポップラが何者かわからなかったものですから、この木の来歴を調べよう、と2004年(平成16)の春、助成金をいただいて、プロジェクト「ポップラ・ストーリー」を始めました。

『夕凪の街 桜の国』(双葉社 2004)という漫画を、こうの史代さんが描かれて、映画にもなっているんですが、〈基町POP'La通り〉には、戦後、簡易木造住宅(バラック)が建てられて多くの人が住んでいました。ひたむきに生きた人々の生活の様子は、こうのさんの優しい筆のタッチで、この作品に描かれています。ポップラのことを調べていくと、河岸緑地にバラックがひしめく中で、家と家の間に垣根がわりに木を植えた、ということがわかりました。

原爆投下後は75年間、草木も生えないといわれていましたが、実際は供木運動でたくさんの木が寄せられたり、みんなが一生懸命に木を植えて育てたりした時代があったのです。そんな中でポプラは成長の早い木として、積極的に育てられました。苗圃(びょうほ)というところで苗木を育てて、1953年(昭和28)から1960年(昭和35)の間に、毎年2000本程度の苗木を基町地区に配布したという記録が出てきたんです。

中村先生から見せていただいた当時の資料にも、ポプラと思われる木がいっぱい写っていました。

〈基町POP'La通り〉には、ポプラの木が仲良く2本並んで立っていたのですが、1980年(昭和55)の護岸整備中に1本が伐られました。


  • ポプラを残すためにデザインされた丸い護岸

    ポプラを残すためにデザインされた丸い護岸
    写真撮影/坪島 遊さん(2011年6月9日撮影)

  • ポップラ2世の近景。

    ポップラ2世の近景。
    写真撮影/坪島 遊さん(2011年6月9日撮影)

  • ポプラを残すためにデザインされた丸い護岸
  • ポップラ2世の近景。

ポップラ・ペアレンツ・クラブ結成

中村研究室の卒業生である前田文章さんに、たまたま広島で出会い、活動にかかわってもらいました。先生が受賞されて、通りの愛称が決まって、「それじゃあ、中村先生に来ていただいて護岸を歩いてみよう」、現地研修会イベント(水辺デザインウォーク)を行ないました。

私がポップラと出会い過ごす時間は、そう長くありませんでした。樹齢60年くらいでしたから、とうとう2004年(平成16)9月7日に台風で倒れてしまったんです。当時の太田川河川事務所の西牧所長は、「最大瞬間風速60mの台風だった」とおっしゃいました。

「倒れたポップラをどうするか? 」同じ場所に再び起こしたいという意見に反対する人もいましたが、この木に対して愛着を抱く多くのファンがいたものですから、市民の願いを受け入れて、太田川河川事務所が維持管理工事としてポップラを元の場所に植え直すことを決めました。

ただ、樹高約26mもあった割には根が浅く、この根で支えられる高さの限界は11m。枝も切り詰められて、痛々しい姿になってしまいました。植え直したはいいが、風景が全然変わってしまったんですよ。「えっ、棒が立っているみたい!」と思いました。

何シーズンか、新芽をつけましたが、2008年(平成20)の春には、とうとう芽吹きませんでした。

結局、ひこばえ(注1)を育てることになって、ポップラは伐採して切り株ベンチとして残すことになり、その切り株ベンチも腐食が進んで2011年(平成23)2月に土に戻りました。ひこばえは結構たくさん生えてきて、この場所以外でも、ベビーポップラとして里親さんに育てていただいています。

その間、2006年(平成18)には、ポップラの再生を応援する企業と市民グループと有志が集まって、ポップラ・ペアレンツ・クラブ(以下PPC)が誕生しました。会則も会費もない、自由な集まりです。市民活動のきっかけはポプラの木でしたが、この緑地全体に視野を広げようと思い、西牧所長の後任で来られた水野所長に「もっとかかわりたい」とお願いしました。

水野所長は「社会実験という枠組みの中で、緑地の管理の手伝いをする、という取り組みがあるよ」と教えてくださいました。これはアドプト(adopt)プログラムというもので、PPCは、〈基町POP'La通り〉の管理者である太田川河川事務所と〈愛される水辺の創出協定〉を結び、清掃や除草、水辺のにぎわいをPRするために、野外上映会などイベントを行なうことになりました。草刈り機は河川事務所が提供し、私たちは汗を流します。PPCは市民団体や企業の集合体なので、メンバーと管理者の連絡などはCAQ(セアック)が代表幹事としてとりまとめています。

2011年(平成23)4月に〈基町POP'La通り〉の管理者が国から市へ変わりました。現在は、広島市緑政課との新しい協定のもと、活動を続けています。

(注1)ひこばえ
樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。

川がある豊かさ

良いマンション物件の条件は1に立地、2に施工、3に管理、と聞きますが、それにたとえると、〈基町POP'La通り〉は1の立地、中村先生がなさった設計は2の施工にあたります。そして私たちがお手伝いできるのは3の管理。愛着を持って大切にすることだと思います。

広島の川の良さは、そのスケール感と蛇行しているゆったり感にあると思います。例えば多摩川って、対岸が遠いじゃないですか。広島の川は対岸が見える。特にデパートや映画館のある中心部から、ちょっと北を向くと山があって川がある。そのパノラマが魅力的なんです。

先代ポップラは倒れたけれど、命がバトンタッチされて、ひこばえがポップラ2世としてすくすくと育っています。10mになりました。

広島は水害には悩まされてきたけれど、その分、豊かさを享受してきたことも事実です。自然の脅威というものはすべてを飲み込むけれど、また新しい命も生み出すんですね。

(取材:2011年4月5日)

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