機関誌『水の文化』39号
小水力の底力

ダム文学の探求

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業
水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社
30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集
2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設

日本のダム(堤高15m以上)は、約2700基が築造されている。その用途は江戸期までは灌漑用水が主で、明治期以降は水道用水、水力発電、工業用水が加わり、さらに、近年これらの用途に治水目的を含めた多目的ダムが建設されるようになった。

これらのダム建設をめぐって、必ずや利害関係の衝突が起こってくる。それは造られる側と造る側との確執や葛藤であり、造られる側と造る側の内部にも悶着が起こる。さらにダム建設地点の行政側の苦渋も尽きない。このような紛争が大きければ大きいほど社会的に反響を呼ぶ。ここに、石川達三や城山三郎、三島由紀夫などの著名な作家たちが、ダムをテーマとして過酷な自然環境を捉えながら、ダム建設に挑む人たちと、家族を含めてその人間像を描き出す。これらの作品がダム文学といえるだろう。

このダム文学を五つのテーマに分類して紹介しよう。

1 ダム水没者の苦悩

多摩川上流の水道用・発電用の小河内(おごうち)ダムを舞台とした石川達三の『日陰の村』(新潮社 1937)は、ダム問題の原点を浮きぼりとする最初の本格的な作品である。ダムに水没する側の小河内村長、村民らの不安定な心情とダムを造る側の東京市水道局長らの行動を追う。午後三時ともなると、山深い小河内村一帯は日陰となり、ダムによって過疎化が進むこととなる。さらに日中戦争の時代背景が影を落とす。一方、大都市東京はダムの利水によって益々栄えていくことになり、陽のあたる東京の発展を象徴している。

小河内ダムは戦前に着工したが戦争のため物資不足で中断し、1957年(昭和32)に完成した。堤高149m、堤頂長353m、総貯水容量1億8910万m3、型式は重力式コンクリートダムである。

只見川における発電用の田子倉(たごくら)ダムを舞台とした小山いと子の『ダムサイト』(光書房 1959)は、先祖代々ゼンマイ採りなどで暮らす山村がダム開発によって一変する様子を捉えている。

城山三郎の『黄金峡』(中央公論社 1960)は、同様に田子倉ダムの補償問題を描いている。水没者喜平次老人とダム所長蔵元との交渉を中心に、純朴な村民たちがダム建設絶対反対と言いながらも、逆に補償金の期待への奇妙な交錯する心理状態と、補償契約後は次第に華美な生活へと変化していく、その人間の生きざまを描く。

城山三郎は、この書のあとがきで「主題の一つは金銭というものが、いかに人間を動かし、人を変えていくか、というところにある。(逆に金銭に動じない人間の魅力もある。)…

だが、金銭による充足にはとどめがない。それまで考えもしなかったこと、欲望が次から次へとふくらみ、足元をすくう」と述べる。

田子倉ダムは堤高145m、堤頂長462m、総貯水容量4億9400万m3、型式は重力式コンクリートダムで起業者は電源開発である。

  • 『日陰の村』

    『日陰の村』

  • 『黄金峡』

    『黄金峡』

  • 『日陰の村』
  • 『黄金峡』

2 ダム建設への対峙

水力発電会社と慣行流木権を有する木材会社との争いが、庄川に小牧ダム(富山県庄川町)の建設過程でおこった。いわゆる「庄川流木事件」である。山田和の『瀑流』(文藝春秋2002)は、柳瀬征一郎を主人公として、旅館の女将大沢由紀江との清く激しい恋に悩みながら、木材会社社員の立場から電力会社と木材会社との8年間の抗争事件を詳細に追っている。小牧ダムは、折からの経済不況、関東大地震、流木事件に遭遇し、また資金調達の困難を乗り越えて、1930年(昭和5)に完成した。

小牧ダムは堤高79・2m、堤頂長300・8m、総貯水容量3795・7万m3、型式は重力式コンクリートダムで、起業者は関西電力である。

1953年(昭和28)6月筑後川に大水害が襲った。建設省(現・国土交通省)は、水害を防ぐため筑後川上流に下筌(しもうけ)ダム、松原ダムを施工した。このダムの水没者の一人室原知幸は、1957年(昭和32)から1970年(昭和45)の13年間、ダム建設における公共事業の是非を問い続け、公権と私権に係る法的論争に挑み、国家に真っ向から対峙した。室原知幸を主人公とした松下竜一の『砦に拠る』(筑摩書房 1977)の作品がある。

『砦に拠る』では、室原は下筌ダム地点に「蜂の巣城」の砦を築き、土地収用法に基づく行政代執行に立ち向かい、公務執行妨害で逮捕されても、なお、数々の法的論争を続ける。室原は和解工作を図る熊本県知事や橋本登美三郎建設大臣とも会うことを拒否する。

この小説は室原とダム所長野島虎治との確執を軸にすえ、室原の人間性を丹念に追求し、ある時は夫婦愛、親子の愛が伝わって、読みながら涙を禁じえなかった。1971年(昭和46)6月、室原の死によって遺族との間に和解が成立し、補償契約がなされた。現在ダムサイト右岸側に室原の理念とする「公共事業は法に叶い、理に叶い、情に叶うものであれ」の記念碑が建立されている。

下筌ダムは、堤高98m、堤頂長248・2m、総貯水容量5830万m3、型式はアーチダムである。

  • 『瀑流』

    『瀑流』

  • 『砦に拠る』

    『砦に拠る』

  • 『瀑流』
  • 『砦に拠る』

3 ダム建設の社会的批判

架空のダムを設定した、大江賢次の『ダム食虫』(東邦出版社 1974)は、なまず川に坊主ダムが建設されることになり、牧歌的な平家谷村に突如として、代議士、県会議員、外国の商社マンが現われ、地元住民を含めダム建設の利益にあずかろうとする、その攻防を風刺的に描いている。

石川達三の『金環蝕』(新潮社 1966)は、ダム建設工事の発注を巡って、政界、官界、財界におけるカネの動きを内面的に捉えている。

『ダム食虫』

『ダム食虫』

4 ダム技術者の人間性

関西電力が社運をかけた黒部川第四発電所(黒四ダム)の建設に関わる木本正次の『黒部の太陽』(講談社 1967)は、1956年(昭和31)の着工準備から1958年(昭和33)の大町トンネルの破砕帯突破までを描く。破砕帯突破の工事は湧水との過酷な闘いで、登場人物はすべて実名で書かれており、迫力があり、技術者たちの人間性が素直ににじみ出ている。関西電力社長・太田垣士郎の黒四ダムにかける信念と人間性を次のように描いている。「電気は要る、生活の為にも、産業の為にも、電気が空気や水のように要る。それは単なる産業といったものではないのだ。太田垣はそう考えていた。しかも黒四の発電力25万8000kWというのはその当時の滋賀県、奈良県の全電力需要をまかなうほど大きなものだ。」

曽野綾子の『無名碑』(講談社 1969)は、田子倉ダムの技師三雲竜起が、娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然と闘いながらライフラインの建設に立ち向かう、土木技師の誠実な孤独に生きる男の姿を描いた。さらに、曽野綾子は『湖水誕生上・下』(中央公論社 1985)で、信濃川水系高瀬川、長野県大町市大字平地先における高瀬ダムの建設を、ダム技師たちを通して描いている。親子の愛情、老夫婦のいたわり、若者たちの恋模様、そしてダム造りへの愛と、さまざまな愛が交錯しながらダム建設は進捗していく。やがて湖水の誕生を迎える。ダム造りは技術者たちの熱意と能力だけでなく、その家族たちの愛の力も含まれる。

高瀬ダムは堤高176m、堤頂長362m、総貯水容量7620万m3、最大出力128万kWで起業者は東京電力である。

  • 『黒部の太陽』

    『黒部の太陽』

  • 『湖水誕生 上』

    『湖水誕生 上』

  • 『黒部の太陽』
  • 『湖水誕生 上』

5 ダム技術者と女性との愛

奥只見ダムやタイのダム現場を背景とした芝木好子の『女の橋』(新潮社 1973)は、芸者由利子とダム電気技師篠原俊夫との愛の逡巡を描く。由利子は篠原との逢瀬を楽しんでいたが、落雷でダムにトラブルが生じ、彼はダム現場に去っていく。半年後由利子は結婚を真剣に考えたときに、彼はタイの奥地のダム現場に赴任する。だが、篠原がダム現場で負傷した連絡をうけると、由利子はタイへ飛び熱心に看護、意識が戻った時、由利子は芸者をやめて結婚を決意する。ようやくダムが二人の仲をとりもった。

井上靖の『満ちてくる潮』(新潮社1956)は、ダム設計技師の青年、紺野一二郎と瓜生苑子との愛とその破局を描く。苑子は天竜川のダム現場にて紺野に愛を告白するが、紺野はその愛を拒否する。ダムは天竜川の流れを変えることができたが、紺野は苑子の人生の流れを変えることはできなかった。紺野と別れた苑子は睡眠薬を飲んで自殺を図るが助かる。その病床に夫の瓜生安彦の心配そうな姿があった。

三島由紀夫の『沈める瀧』(中央公論社 1955)は、頭脳明晰な青年ダム技師城所昇が、多摩川の辺で出逢った石のように冷たい顕子に魅せられていく。城所はその愛を確かめるために雪深い山奥のダム現場の越冬隊員の一員になる。雪が融け、顕子がダム現場まで城所を追ってくるが、やがてその愛は破局を迎える。非道徳的な愛を怜悧な流麗な文章で綴る。仮面的な作家と言われるが、三島由紀夫のダム現場の視点は確かなものがある。

『沈める瀧』

『沈める瀧』

 以上、発電用を目的としたダム建設にかかわる小説をいくつか挙げてきた。そのダム完成までに、さまざまな人間性が交錯するが、私たちの戦後における電力エネルギーは、このような人間模様の葛藤を経て供給されている。

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